#ハインツ16
怪我を負って以来、ハインツは定期的に病院に通って診察を受けていた。怪我の経過を診てもらうためである。今日の診察を終えて、帰路に着こうとしているところ、見知った顔を見掛けた。
「やあ、ハインツ。ご機嫌いかがかな?」
ボサボサの髪の、シオ医官だった。待合室でタブレット端末をいじっているようだったが、暇なのだろうか。そんな筈はないのだが、とにかく遭遇してしまった以上は仕方がない。隣に座って、ハインツも返答する。
「機嫌は悪くないですよ。あなたこそ、もしかして本当に暇なんですか?」
「暇ではないけど、時間を作ろうと思えば作れるさ」
「俺のために、わざわざどうも」
端末を横において、シオ医官は嫌らしく口角を上げた。
「まあ、お祝いの言葉を述べるくらいならね」
「……やっぱり、知っていたんですね」
今日の診察でのことだ。医官なら、把握していてもおかしくはない。
「そりゃね、医官の会議でも取り上げられていたからさ。パイロットへの復帰の目処が立ったそうじゃないか。もっと嬉しそうにしたらいい」
「さっきから、顔がニヤけそうで心配なんですよ。俺の事情を知らない人間からしたら、不気味でしょ」
「はは、それもそうだね」
けらけら笑うシオ医官を相手にするのも、今日のハインツはさほど嫌ではなかった。この感情を誰かに共有したい気持ちはあったのだ。
これまでも、ハインツは順調に怪我から快復しつつあった。順調、というよりは、驚異的な回復力だった。ハインツの診察を担当している医官も驚いていた。実験動物を見るような目で見られたのは、さすがに不快だったが。
「どうでもいいんですが、なんで俺の担当から外れたんですか?」
ハインツの最初の担当は、シオ医官だったはずだ。
「私情が入るのが嫌なんだ。知り合いが相手だと、入れ込みすぎるからね」
「あなたにもそんな人間的な一面がったとはね」
密かに驚いていたハインツだったが、思い過ごしだったらしく、
「うん。知り合いの患者だと、少しくらい治療に関係ない薬を投与してみても許されるような気がしてさ。どうにも、いけないね」
「許されるわけないでしょう」
どこからツッコめばいいのか。
「知ってるよ。まあ、きみの場合は怪我が深刻だったから、僕以上に腕のいい医官を宛てがったというだけさ。深い意味はないよ」
どこまで冗談のつもりなのかはわからないが、正直、診察の度にシオ医官と顔を合わせるのはストレスだった。ハインツは想像しただけで、気が滅入ってしまった。
「今日はせっかく、気分がいい日だったんですがね」
明らかに嫌味だとわかりそうなハインツの言葉だが、シオ医官は気にも留めなかった。
「こう見えて、僕は人気者なんだよ? 気さくな人柄が、人気の秘訣かな」
「鏡を見てください。まずは身なりを整えましょう」
「これは計算されているんだけどね」
なにも言うまい。本人が満足しているなら、これ以上の指摘は控えるべきだ。ハインツも空気が読めない男では決してなかった。
「怪我が治れば、次はあれだねあれ」
「あれ、とは?」
「そりゃ、みんなが大好きな『セックス』でしょ」
頭痛がしそうだった。なんで、公共の場で猥談をしなければならないのか。確かに、担当医官からも激しいセックスは控えるようには言われていたのだが、この場で話すことではない。
ハインツは呆れながらもシオ医官に向けて説明する。
「今は司令部での仕事が忙しいんですよ。パイロットだったときと比べてずっと余暇が少ない。自宅と司令部の往復ばかりの日常で、あとは病院に診察を受けに来るくらいです」
「出会いがないと?」
「そうとも言えるでしょう」
「司令部にも医療班にも、女の子は沢山いるじゃないか」
「追求しないでください」
本当のところは、出会いがないわけでも、誘いがないわけでもなかった。司令部でも順当に人間関係を築いているので、その気になれば相手には困らない。病院でも同じことだ。問題は、しばらくその気になれなかったことだ。結果、誘われても怪我を理由に断っていた。
怪我をして本調子でない今でこそ感じることだが、その気がないと、エデンの性に寛容な文化は必ずしも好ましくはなかった。
「そういうシオ医官は、さぞ女の子にモテるんでしょうね」
「僕は女の子には興味がないからなあ」
「え、そっちですか?」
だが、シオ医官は不本意そうに首を横に振った。
「いやいや、誤解だよ。ただ、僕は性的に不能だからね。性的関係を築くことに興味がないだけなんだ」
「はあ」
なんと返事をしたらいいのか、ハインツは思い至らなかった。深刻な問題ではあるはずなのに、当人はなんでもないように平然と言うのであるから、ハインツも反応に困るのである。
「でも、人体の造形としては女の子が好きだよ。うん、実は性欲がないわけでもないんだ。不能は治す気ないし、ぶっちゃけ困ってもいない」
当人が納得しているなら、ハインツが言うことはない。性欲の発散方法についてもあえて聞かないでおくことにした。プライベートな場面ならともかく、公共の場でそんなことを話す気力はハインツにもなかった。
さすがに、周囲の視線が気になってきた。遠くから刺さってくる女性医官の非難の視線が痛い。
まだ話を続けようとするシオ医官を尻目に、ハインツは溜息を吐いた。
「俺は、そろそろお暇しますよ。たまには自宅でゆっくりしたい気がしてきました」
「そうかい。じゃあ、またね」
「ええ、さようなら」
立ち上がって、ハインツは今度こそ帰路に着こうとした。病院の雰囲気は少し苦手だなと、今になって思った。
「ああ、そうだ。きみに言い忘れていたことがあったよ」
「まだ、なにかあるんですか?」
ハインツは辟易しながら振り返った。シオ医官は無意味に楽しそうに手を振っていた。
「例の彼だけど――ああ、レオルドのことね。今、目を覚ましているはずだよ。さっきまで診察していたから、間違いないよ」
「それを早く言ってくれ!!」
つい大声を上げたせいで、今度こそ他の医官から注意を受けてしまった。ハインツは逸る気持ちを抑えながら、レオルドの病室に向かった。




