#ハインツ15
司令部に戻ったハインツは、ミア司令官に指示されて特務隊の任務についての報告書を作成していた。異常に仲が悪かった時期があることについて、ではなく、他の部隊に特務隊が担当してきた任務について説明するためだった。任務内容は一応は機密扱いであったのだが、今後は一部の部隊には開示することになったのである。
「キリのいいところで休憩を取ってくださいね」
とミア司令官にも言われているので、しばらく作業に没頭していたハインツは、休憩に出掛けることにした。とは言っても、司令部の施設内ではあるが。
誰かいないかと彷徨いていたところ、背後から声が掛かった。
「ハインツ、きみも休憩かい?」
「ああ、そうだよ。と言っても、気晴らしに彷徨く以外することがないんだけどな」
声を掛けてきたのは、糸目のイーサンだった。ちなみに、イーサンは呼び捨てで呼ばれることが多いのだが、それは「イーサン参謀」というのが呼び難いのが理由だった。親しみを込めて、という意味合いは特にないらしい。
「僕たちもちょうど休憩なんだ。コーヒーくらいならご馳走できるけど、どう?」
「なら、ご相伴に預かろうかな」
イーサンに付いて、ハインツも参謀の執務室に入った。ノーラがすでにコーヒーを飲んで寛いでいた。
「あら、イーサン。今日はハインツを連れてきたのね」
「いつも誰か連れてくるみたいに言わないでくれよ」
人攫いみたいに扱われるのは、イーサンも不本意らしかった。
「それもそうね。ハインツ、歓迎するわ。コーヒーでも飲んでいってちょうだい」
「ああ、お言葉に甘えさせてもらうよ」
コーヒーはノーラが入れてくれた。自分がおかわりするついでらしい。誘ってきたイーサンは、煙草を吸い始めていた。ハインツも知らなかったが、喫煙者だったらしい。
三人、ソファに腰掛けてしばし寛ぐ。
「ハインツも吸うかい?」
「いや、俺はコーヒーだけでいい」
煙草を吸ったことがないわけではない。だが、常用することもハインツにはなかった。
「イーサンは、無害そうに見えてヘビースモーカーなのよね」
ノーラはなんでもないように言って、コーヒーを啜った。
「ヘビースモーカーが有害みたいに言わないでくれよ。そりゃ、地球時代ではそうだったのかもしれないけどさ」
この時代の煙草は、有害性も中毒性もないように改良されていた。非喫煙者から見れば、ただ少し煙たいだけである。分煙という慣習も、いつの間にか廃れてしまっていた。
「ノーラはなぜかいつもやめろって言うけどさ、なんか口が寂しいんだよな。つい吸っちゃうんだ」
「まあ、昔と違って有害ではないんだから、いいじゃないか」
ハインツも否定するつもりはなかった。ノーラから受け取ったコーヒーを啜って、なんとなしに返事をしていた。
「地球時代の映画のことを思い出すのよね。なんとなく、嫌なの」
ノーラの言うこともわからないではない。なぜか、喫煙者は女性隊員には好まれないのである。
だが、イーサンはそうでもないだろうとハインツは睨んでいた。こういう人畜無害そうな男は、一部の女には人気なのである。そして、需要に対して供給は常に不足している。もっとも、ノーラもいる場なので、ハインツも深く追求するつもりはなかったが。
ノーラの入れてくれたコーヒーはハインツの好みにも合っていた。どうやら、ノーラも苦いのがあまり好きでないようだった。たっぷりの砂糖とミルクを入れて、甘みと苦みの調和を楽しむのである。
「私が淹れたコーヒーはどう、ハインツ?」
「美味いよ」
「ノーラはコーヒー中毒だからね」
「ただ愛好しているだけよ。イーサンの煙草と一緒にしないで」
「ふうむ、初対面のときにミア司令官には緑茶を飲まされたのが、妙に懐かしくなってきたな」
コーヒーが誘い水になったのか、ハインツはあの独特の苦みを思い出していた。好む人間がいるのは理解できるが、ハインツ自身はあまり好きではなかった。
「そうね、ミアは緑茶が好きだから」
ノーラが言うが、表情から彼女も緑茶が好きでないらしいのが窺えた。苦いもの自体が好きでないのかもしれない。
「僕はそれほど嫌いじゃないけどね、あの独特の苦みも。まあ、好んで飲むほどでもないけどさ」
失礼ながら、イーサンにはあまり味覚が優れている印象をハインツは持っていなかった。根拠は特になく、おそらくは偏見でしかないのだが。
その緑茶が好きな司令官の顔を思い浮かべて、ハインツは独りごつように呟いていた。
「そう言えば、俺はあまりミア司令官のことをあまり知らないな」
緑茶が好きで、時々勧めてくる。断ると残念そうにする。仕事が上手く行けば、ご褒美に茶菓子を譲ってくれる。
思い返せば、知らないことばかりだ。ハインツも把握している私的な情報と言えば自宅の場所くらいだが、これは副官として日々送迎しているからである。
「好きなものは緑茶、趣味はレトロアプリ制作、スリーサイズはエデンの最重要機密、と言ったところかしらね」
ノーラがいやらしい笑みを見せてきた。レトロアプリ制作が趣味なのは、さすがにハインツも思い至らなかった。
「謹んで、その最重要機密には触れないでおくよ」
「そう? 教えてあげてもいいのに」
興味がないこともないが、聞いたと知られたら怒られそうだ。ハインツも努めて興味なさそうに振る舞った。触らぬ神に祟りなし、とも言うのだから。
「急にどうしたんだい、ミア司令官に興味があるのかい?」
少し驚いている様子を見せらイーサンに、ハインツも考えながら頷いた。
「そりゃ、興味はあるさ。一緒に仕事しているんだから、相手のことをまったく知らないのもどうかと思うぞ」
とは言え、仕事だからこそ好奇心を自制するべき場面もあるのだが。つかず離れずの副官として、距離感には悩まされることもないではない。
「なあ、ハインツ。頼むから、スキャンダルだけは勘弁してくれ」
「いや、そういう意味じゃないからな?」
イーサンの苦々しそうな表情に、ハインツも首を横に振った。さすがにそれは、恐れ多い。
「イーサン、それは下衆の勘繰りというものよ?」
「いや、だって、万が一そういう話になったら大変でしょ。副官は司令官に物理的に一番近いポジションだし、一応言っておかないといけないだろう」
ノーラの指摘にも、イーサンは抵抗感を隠さなかった。
「司令官は、エデンにおける偶像なんだからさ。本当に頼むよ、ハインツ」
「だから、そういうつもりはないって……」
今までそんな感情を抱いたことはない。イーサンのいう「偶像」という意味も、ハインツには充分に理解できることだ。実際上の最高の権限を持っているというだけでない、この時代の軍隊の司令官としての、役割の重さを察しないではいられないのである。
ノーラは思い出すような表情をしていた。
「でも真面目な話、ミアには浮いた話はないのよね」
「そうなのか?」
意外でもないが、改めて言及されるとハインツも納得はいった。付き合いの長い参謀の一人が言うなら、そうなのだろうという説得力もあったのである。
「私でも知らないんだから、ないんじゃないの?」
「僕も知らないなあ。だからこそ、起こるかもしれないスキャンダルが怖いんけどさ」
というか、ハインツだって知らないのである。副官として司令官の最も身近にいるのだから、浮いた話があればまずハインツが知ることになるはずだ。付き合いが短いだけ、と言われればそれまででもあるのだが。
「そもそもミア司令官の相手になるとして可能性が高いのは、他ならぬあなたたち二人でしょ? 副官だけでなく参謀だってそうよ。イーサンは自覚がないようだけど」
イーサン、そしてハインツを順に指差して、ノーラが指摘する。お互いに黙ったまま、ハインツはイーサンと顔を見合わせていた。濡れ衣を着せられた気分だったのは、おそらくイーサンとて同じ心境だろう。
「俺たちはともかくとしてだが、じゃあ、ミア司令官にそういう話があったとしたら、二人はどうするつもりなんだ?」
ハインツはいたって真剣だった。実際のところ、どういう対処になるのか、職務上の関心がないでもないのだ。
「必死になって隠すわよ。司令官の権限としての、箝口令を出させてもいいわ」
「まあ、それくらいはありえるだろうね」
躊躇いのないノーラの言葉に、イーサンも頷いていた。
……そこまでか。
司令官も大変だと思ったが、副官としてハインツも他人事ではいられない。その手の隠蔽工作に最も関わることになりそうなのは、自分なのだ。……想像するだに気の重い任務だった。
「そのときはちゃんと協力してちょうだいね、ハインツ副官」
「そのときになれば、さすがに仕方がないだろうな」
揶揄うようなノーラの笑顔に、ハインツも苦笑がちに頷いた。
「でもさ、あくまでもしもの話だから。そもそも、ミア司令官には司令部のスタッフ以外に出会いもないはずだよ」
イーサンの言葉に、ハインツも考えさせられた。ないと断言するのは言い過ぎかもしれないが、司令官が日頃から限られた人間にしか会わないのは、ハインツも把握していた。立場上、そのような状況になるのは当然なのだが、警備上の都合も加味すれば、確かに出会いは圧倒的に少ない。
「――あら、三人ともなにを話しているのですか?」
唐突に声が掛かったと思ったら、扉がわずかに開いていて、当のミア司令官が覗いていた。
「私も休憩しようと思ったのですが、私だけ除け者にするのは酷いですね」
気まずいハインツだったが、ノーラが潔く白状した。
「ミア司令官の恋愛事情について、話し合っていたのよ」
「本当に、なにを話しているんですか……」
呆れた表情を見せたミア司令官だったが、ノーラがくすくす笑いながら続けた。
「そんな事態になったら、箝口令を出させようかとも話し合ったわ」
「私は自分の恋愛事情のために、箝口令を出さないといけないんですか……。恥ずかしくなって死にそうですね」
言わんとするところにはとても共感できた。恋愛する度に箝口令を出さないといけない立場なのには、心底同情するハインツであった。




