#アイカ4
惑星アリシアに移住した人類は、一度はテラフォーミングに成功していた。母星である地球と遜色ない環境を、異星においても手にしたのである。当初こそ平和であったのだと、歴史は語る。だが、平穏は長く続かなかった。地球で起こった数々の争いは、形を変えて惑星アリシアにおいても続いたのである。
「――なんで、こんなこと考えてるんだろ、私」
アイカは知らずに溜息を吐いていた。撃墜される前にマリナと話したことが原因かもしれない。エデンに戻ったら、戦史のデータを紹介してもらう約束をしていた。アイカもそれほど強い関心があるわけでもないが、たまに生じる気まぐれな好奇心を尊重しようと思ったのである。
「カイさあ、さっきからなにしてるの?」
無線の向こうに、声を掛ける。カイは先程から黙ったまま、なにかしているようだった。
「ま、まさか……。ちょっと、コクピットでなにしてるんだよ!」
「ナニ想像したのか知らないけどな、たぶん違うと思うぞ?」
男というのは、悲しい生き物である。アイカだって、知りたくはなかったがなぜか知っていた。普通に生きていれば、望むまでもなくその手の知識は増えるものだ。
「だってカイって、女好きだし」
「いくら俺でも、シグルドのコクピットで致すことはねーよ。さすがに悲しすぎるだろ……」
一応、カイとて性にまつわることが秘め事である認識はあるはずだ。セクハラ発言こそ酷いが、今までカイの性事情について詳細を聞かされたことはない。昨夜は誰と寝たという話は、散々聞かされたが。
というか、カイが本当にそういうことをコクピット内で致していたとすれば、誰を想像していたのか。たぶん、というか間違いなく自分だろうとアイカは想像して、顔が熱くなった。無線越しの声で欲情するのは、さすがのカイとはいえ節操がなさすぎる。
「カイのあほ!」
「あれ。なんで俺、罵られてるの?」
「日頃の行いが悪いんだ!」
「おい、反論できない指摘をするなよな」
なにを言い合っているのか、アイカは自分たちのことに呆れていた。カイが悪いことに違いはないが、自分まで付き合うことはない。
「で、本当はなにをしていたの?」
平静を努めて、アイカはカイに問うた。
「シグルドと端末を接続していたんだよ」
「端末と?」
カイの言う端末とは、アイカたちもいつも身に着けている腕時計型ウェアラブル端末のことだろう。基本的にシャワーを浴びるとき以外に外すことはないので、撃墜されたコクピット内でさえも身に付けているのである。
「さっきの戦闘データを見たかったんだ。あの敵の戦闘機のことを調べていた」
「なにかわかったの?」
アイカの問いに、カイはつまらなそうに答えた。
「いや、単に機体性能が優れているということだけだな。さっきの戦闘で抱いた俺たちの感想そのままだ」
だが、客観的にも考えが裏付けられたのである。まったく無意味だったとは、アイカは思わなかった。
「わたしも調べてみるか」
「じゃあ、俺はエロ画像でも見てるかな」
「やめろ。帰ってからにしろ。なんか、不快だから」
おそらくカイは、アーカイブに保存されているポルノデータを端末に落とし込んだのだろう。アーカイブに保存されるデータにポルノを含むべきかという、下らない議論が大昔に起こったそうである。
人類の結論としては、ポルノといえど人類の知的財産に変わりはないので保存すべきであるとのことだった。理屈はわからなくもないが、その議論を知ったアイカは、もっと他に考えることはないのかと疑問でしかなかった。
ともあれ、アイカも自分のシグルドと端末を接続して、戦闘データを閲覧した。端末には、先程の戦闘での敵機体の性能を数値化したデータが表示された。直感的にも明らかだったが、数値にするとより理解が容易だ。速度や防御力、攻撃力など、全体的に数値はシグルドを上回っていた。
「知ったところで、どうしろって話だけどなあ」
つまらそうなカイの声が聞こえてきたが、アイカも反論できなかった。その一方、アイカの脳裏には深刻な疑問が生じていた。
「でもさ、ルクレシア側が機体性能でシグルドを上回ったなら、これからどうするんだろう? 私たち、劣勢に立たされない?」
アイカの疑問にも、カイはさほど関心がないようだった。
「そりゃあ、司令部が考えることだろう。だけど結局は、救世軍側もシグルドの機体性能をどうにかするしかないだろうよ」
「……そうだよな」
「俺だってシグルドの操縦技術には自信はあるけどさ、技量を無視できるほど性能差が広がると勝負にならないぞ? エデンに戻ったとしても、これからは厳しい戦いになるだろうな。最悪、次こそ戦死するかもしれない」
「うん、わかってる」
死地に赴くことへの恐怖ある。結局は、アイカもパイロットを続けてこそいるが、死ぬことの可能性はいつだって忘れてはいない。
「私たちってさ、なんで戦ってるんだろうね」
ずっと疑問に思っていたことを、アイカは知らずに呟いていた。アイカの切実な問いに、カイは自信満々に答えた。
「それもさ、偉い人が考えることだよ。末端のパイロットが気にすることじゃない」
「それはそうだけどさ、カイは気にならないの?」
共感を求めているのか、アイカは自分の女々しい態度に嫌気がした。
「いやあ、それがあまり興味ないんだ。俺は戦闘機に乗れるなら、戦えと言われれば戦うつもりだよ。その結果、戦死するなら仕方がないと思ってる」
「……あんたって、ちょっと頭おかしいんじゃないの?」
「よく言われるけど、気にしても意味がないんだよな。俺はこういう生き物なんだよ」
カイとは話しやすい。いくつもの死線をともに潜り抜けて来たからか、不可思議なほど親しみがあった。なにか疑問に思ったことをカイに問うことが度々あった。だが、カイが示すのはいつも共感ではない。アイカ自身も、カイに共感したことはほとんどなかった。
アイカは少し前に考えたことがあった。カイにとっては、この時代は生きやすいのだと。例えば平和な時代であって、カイはその欲求をどこで発散したらいいのか。行き場のない欲望を向ける先が、想像できなかった。
「しかしなあ、やっぱりシグルドの中にずっといるのは暇だな」
「あんたの好きなシグルドでしょうが」
「いや、空を飛んでなければただ狭いだけだろう。この状況になんの意味がある?」
「知らないよ」
吐き捨てるような言い方に、アイカは反省した。撃墜されたことや、狭いコクピット内に留まることを強いられている状況が、アイカにとってもストレスなのかもしれない。
心底不本意だと言わんばかりに、カイは不満を口にした。
「毒ガスがなければ、地表を探索することもできたんだけどなあ」
「……毒ガスか」
テラフォーミングに成功した後も、人類は居住する星を変えてまで戦争を再開してしまった。惑星アリシアの地表を覆う毒ガスは、その副産物だ。歴史的にも故意か過失かははっきりしないが、少なくとも化学兵器の開発が原因の一端ではあるだろうという見解が有力だった。地表で暮らせなくなった人類は、いくつもの空中都市を建設した。エデンもその一つだ。戦争が長引き、その空中都市も数を減らしていった。
この時代において研究をすること自体が、歴史学を含めて困難なことだ。学説は更新されないまま、真実はおろか史実さえも不明確なままだった。
「一応、ガスマスクはあるんだけどな」
アイカは何気なく言及したのだが、カイの関心を惹いたらしい。ガスマスクの用途は、説明するまでもない。全てのシグルドには念のために、備え付けられているのだ。
「ガスマスク……」
「ねえ、カイ。変なこと考えてない?」
「変なことかは知らないけど、地表を探索できるとは考えた」
「やっぱり考えてるじゃないか!」
無意識に大声を出したアイカは続けた。
「あのね、正気か!? こんな毒ガスの中を本気で探索する気なの!?」
「正気だし、実際のところ大真面目に検討する必要があるぞ?」
「なんでだよ!?」
だが、アイカの怒りは止まなかった。
「今はコクピットが毒ガスの侵入を防いでいるけどな、いつまでも保たないぞ? 助けが来るまでは保つかは正直、微妙だな」
「……マジで?」
「マジです」
そう言えば座学の訓練でシグルドの説明を受けたときに、技術班所属の兵士がそんなことを言っていた気がする。
アイカは頭から血の気が引いていくのを実感した。
「で、どうする?」
「どうするって……」
「いや、待つのもいいが、探索に出るのもいいだろう?」
呆れて、アイカが反論する。
「だからって、探索に出掛ける意味なんてないだろう」
「いや、付近に昔の施設があるみたいだな。シグルド内蔵の地図データが示しているぞ。毒ガスから逃れられるかもしれない」
「施設ってなんの?」
「ちょっと待て、確認する」
大して待つまでもなく、カイは続けた。
「わかったぞ。テラフォーミング施設、だったらしいな」




