第11話:「それぞれの選択」
皆様、いつもお読みいただきありがとうございます!
前話の「卵焼きでのタイトル回収」、ちゃんとできたかな?た
さて、いよいよ物語は残すところあと2話。今回の第11話は、紡ちゃんが自分を縛り付けていた「呪い」を解き放ち、一人の24歳の女の子としての人生を取り戻す、非常に前向きで爽やかなエピソードです。
そして、次回の最終回(第12話)は、本作の集大成となる「最高のラストシーン(イラスト)」が待っています。そこへ向けて、3人の未来の線路がどのように繋がっていくのか――。
どうぞ最後まで見届けてください!
実家のアパートに戻ってから数日。
窓から吹き込む風は、いつの間にかあのジメジメとした不快な湿気を失い、初夏の爽やかで澄んだ香りを運んでくるようになっていた。
スマートフォンが短く震える。画面に表示されたのは、『ひだまりの家』の施設長のネームだった。
「はい、紡です」
『紡主任、体調はもう大丈夫かい? ……本当に、よかった。実はね、今日、保健所から連絡があって、施設内のクラスターの『終息宣言』が出たんだ』
受話器の向こうの施設長の声は、何ヶ月ぶりか分からないほど晴れやかだった。
『それから、君の復職の件なんだけどね。本部からの応援スタッフがそのまま定着してくれることになった。だから、君が戻ってきても、もうあの地獄のような夜勤の回数をこなす必要はない。……そこで提案なんだが、一度、フロア主任の立場を降りて、一般の介護職員として、定時で帰れるシフトから再スタートしてみないか?』
主任を、降りる――。
以前の紡なら、「私がやらなきゃ現場が回らない」「手当が減ったらお姉ちゃんの生活が破綻する」と、即座に拒絶していただろう。
けれど、今の紡の心には、不思議なほどすんなりとその言葉が染み込んできた。
「はい。……ありがとうございます。そうさせてください」
電話を切り、小さく息を吐き出す。
その時、胸の奥でゴトゴトと、何かが静かに崩れ落ちる音がした。
自分がこれまで必死に守り、縛り付けられていた「主任」という肩書き。それは、自分がしっかりしなければ家族が完全にバラバラになってしまうという、恐怖からくる「呪い」だったのだと、ようやく気づくことができた。
「紡、お茶淹れたぞ」
キッチンから、新しく買ったばかりのマグカップを二つ持って、蓮が歩いてきた。
彼の手は相変わらず職人のゴツゴツとした手だったが、その表情からは、東京にいた頃の焦燥感や罪悪感が消え、どっしりとした「兄」の落ち着きが戻っていた。
「ありがと、お兄ちゃん。……あのね、私、次の復職から主任を降りることになったの」
「そうか」
蓮は驚きもせず、温かい緑茶を一口すすると、ポケットから一通の封筒を取り出してテーブルに置いた。地元の、中堅の内装会社の社名が印刷されている。
「俺も、今日、正式に契約してきた。来月からここの正社員として働く。現場は地元中心だから、毎日夕方には家に帰れる」
蓮は紡の目を真っ直ぐに見つめた。
「来月からのアパートの家賃も、結衣の施設代の足りない分も、全部俺と半分個(折半)だ。お前が一般職になって給料が下がったって、何の問題もない。……っていうか、今までお前が稼ぎすぎてたんだよ」
「お兄ちゃん……」
「これからは、自分のために金を使え。まだ24だろ。服でも、化粧品でも、友達と行くカフェでも、何でもいいからさ」
自分のために、生きる。
言われてみれば、この2年間、自分のためにお金を使った記憶が全くない。いつも1円単位で姉の施設代と生活費を計算し、すり減るように生きてきた。
ふと、リビングの窓の外に目を向ける。
ガタゴトと、心地よい金属音を響かせながら、高架線を「黄色い電車」が走り抜けていくのが見えた。
いつも、結衣がベランダから身を乗り出して、目を輝かせながら眺めている大好きな電車だ。
その時、施設のショートステイから帰ってきた結衣が、パタパタと部屋に入ってきた。
手には、お兄ちゃんに変えてもらった、あの『二つの顔写真』が並ぶスマートフォンを大事そうに握りしめている。
結衣は窓の外の黄色い電車を見つけると、嬉しそうに画面を指差した。
「あ! きいろいでんしゃ! つむぎ、でんしゃ、走ってるよ!」
「うん、走ってるね、結衣ちゃん」
紡は結衣の隣にしゃがみ込み、その柔らかい髪を優しく撫でた。
その様子を見ていた蓮が、ふっと悪戯っぽく微笑みながら、二人の顔を覗き込んだ。
「なぁ、結衣。今度の最初の日曜日、お前がいつも見てる、あの黄色い電車に乗ってさ……3人でどっか遠出しないか? 美味しいものでも食いに行こう」
結衣の大きなタレ目が、これ以上ないほどキラキラと輝いた。
「でんしゃ! おにーちゃんと、つむぎと、3人で乗るの!?」
「ああ、3人でだ」
「わぁーい! 電車乗る! 3人で乗る!!」
子供のように飛び跳ねて喜ぶ結衣の笑顔を見て、紡の心の中の雲が、完全に消え去っていくのを感じた。
かつては、あの黄色い電車を見るたびに、「私はどこにも行けない」「お姉ちゃんを一人で守らなきゃいけない」という孤独の象徴のように思えていた。
けれど、違った。
あの線路は、自分たちを閉じ込める檻ではなく、新しい世界へと繋がっている切符だったのだ。
「お兄ちゃん、私、新しいお洋服買って行きたいな。お出かけ用の、綺麗なやつ」
紡が少し照れくさそうに言うと、蓮は声を上げて笑った。
「おう、好きなだけ買ってこい。俺がいくらでも荷物持ちしてやるからよ」
初夏の柔らかな太陽の光が、リビングいっぱいに差し込んでいた。
3人の視線は今、窓の外を走る黄色い電車の、その先にある明るい未来へと、まっすぐに向けられていた。
続く
いよいよ次回、第12話は【最終回】となります!
ラストシーンの舞台は、3人で約束した【あの黄色い電車の中】です。
これまで孤独や悲劇の象徴だった黄色い電車が、最終回では、3人の未来を乗せて走る「最高の希望の象徴」へと変わります。
ここまで紡ちゃんたちを応援してくださった皆様、本当にありがとうございました。
最終話「黄色い電車に乗って」、どうぞよろしくお願いいたします!




