残された記憶
「白い花……。」
菊音が小さく息をのむ。
昨日まで見ていた花と同じ。
花びらの形も。
淡い白さも。
何一つ変わらない。
「増えてる。」
朝佳が建物の奥を見た。
一本ではない。
壁際。
窓の下。
棚の足元。
静かに咲く白い花が、建物の中へゆっくり広がっていた。
「不用意に入るな。」
玄灯が一歩前へ出る。
「まず外から見る。」
花組は頷き、入口から室内を観察した。
室内は荒らされた様子はない。
机も椅子も倒れていない。
棚には書物が並び。
壁には巡回地図。
誰かが慌てて逃げた形跡もなかった。
「生活してた跡はある。」
柳羽が呟く。
湯呑み。
筆。
乾ききった墨。
つい最近まで人がいたように見える。
「……なのに。」
梅依が視線を巡らせる。
「人だけがいない。」
玄灯は静かに建物へ入った。
花組も後に続く。
白い花は避けながら進む。
すると。
机の上に、一冊の分厚い帳面が置かれていた。
玄灯が手に取る。
表紙には、
『第七区画巡回記録』
と書かれていた。
最後の数ページを開く。
「異常なし。」
「異常なし。」
「異常なし。」
同じ記録が続く。
さらにページをめくる。
玄灯の手が止まった。
最後の一行だけ。
文字が乱れていた。
『白い花を確認』
その次のページ。
白紙。
その次も。
白紙だった。
「これで終わり……?」
丹奈が小さく言う。
「書けなかったのか。」
紫陽は机を見る。
「違う。」
「筆はここ。」
筆は硯の横へ置かれたまま。
倒れてもいない。
「途中で中断された。」
「でも争った跡はない。」
椿希も部屋を見回す。
何も壊れていない。
何も乱れていない。
ただ。
人だけがいない。
「玄灯。」
サクヤヒメが静かに口を開く。
「奥を。」
玄灯は頷き、建物の奥へ向かう。
花組も続く。
廊下を抜けると、小さな保管室があった。
扉は半開き。
中には古い巻物や木箱が並んでいる。
そして。
床に一枚だけ紙が落ちていた。
桜子が拾い上げる。
「これ……。」
紙には短い文章だけが残されていた。
『花は増える』
『触れるな』
『まだ間に合う』
そこで文字は途切れていた。
「誰が書いたんだろう。」
雪羽が呟く。
玄灯は紙を受け取り、静かに折り畳む。
「ここにはもう用はない。」
その時だった。
パキッ。
建物の外から、小枝が折れる音が響く。
全員の動きが止まる。
一人。
また一人と視線が入口へ集まる。
玄灯が杖を握り直した。
「誰じゃ。」
返事はない。
だが。
確かに何かがいた。
建物の外。
木々の隙間を。
白い衣が、一瞬だけ横切った。




