遺された言葉
誰も喋らなかった。
雪羽が持つ日記へ視線が集まる。
部屋の空気が少し変わる。
さっきまで笑っていたのに。
今は誰も笑っていない。
雪羽が続きを読む。
『もし次の花組がこの日記を見つけたら』
そこで一度止まる。
紙が少し震えた。
雪羽の手だった。
『まず先に言っておく』
『たぶん今、とても不安だと思う』
静かだった。
誰も茶化さない。
『帰りたいと思っていると思う』
『理不尽だと思っていると思う』
『私達もそうだった』
桜子は息を呑む。
まるで今の自分達を見ているみたいだった。
『だから安心してほしい』
そこまで読んで。
丹奈が少しだけ表情を緩めた。
でも。
次の行で固まる。
『その気持ちは最後まで消えない』
誰も動かなかった。
風の音だけが聞こえる。
『慣れることはある』
『笑える日もある』
『友達と馬鹿な話をする日もある』
『でも不安は消えない』
朝佳が目を伏せる。
『今日が最後になるかもしれない』
『そんな考えが頭をよぎる日もある』
『何も考えず眠れた日が、どれくらいあったか覚えていない』
ページをめくる音がやけに大きく聞こえた。
そこから先は文字が少し乱れていた。
急いで書いたような。
あるいは。
震える手で書いたような。
『でも』
『それでも』
『後悔したくなかった』
短い文章。
なのに重い。
『怖かった』
『本当に怖かった』
『だから強がった』
『大丈夫なふりをした』
『誰かが不安になるのが嫌だったから』
雪羽の声が少し小さくなる。
『だから』
『無理に強くならなくていい』
部屋が静まり返る。
『泣いてもいい』
『怖いと言ってもいい』
『帰りたいと言ってもいい』
『全部普通だから』
そこまで読んだところで。
誰も言葉を発せなかった。
椿希でさえ。
丹奈でさえ。
何も言えない。
日記を書いた人物の名前はどこにもない。
顔も分からない。
どんな人だったのかも分からない。
なのに。
妙に近く感じた。
同じ場所で。
同じように戸惑って。
同じように怖がった人がいた。
その事実だけが残っていた。
最後のページを開く。
そこには一文だけ書かれていた。
『今のあなた達が、少しでも笑えているなら』
その下は空白だった。
文章は途中で終わっている。
インクも。
文字も。
そこで途切れていた。
まるで続きを書く時間が無かったみたいに。
誰もそのことには触れなかった。
触れられなかった。
窓の外では桜が揺れている。
花びらが流れていく。
ずっと。
静かに。
どこまでも。




