蔵の中
その花びらは、誰の視線にも一瞬だけ映って、すぐに提灯の光の中へ溶けた。
気のせいと言えばそれで終わる程度の、薄い違和感。
桜子がそれを目で追って、首をかしげる。
「今の、見えた?」
「何が」
菊音はすぐに返した。
「花びら」
「祭りだし普通でしょ」
丹奈が軽く笑う。
「風強いし」
「まあね」
桜子もあっさり流した。
そのまま会話はまた、いつもの空気に戻る。
花火の音が遠くで上がった。
ドン、と空が震える。
「行こ」
誰かが言って、全員が動き出す。
花火の見える場所へ。いつもの土手へ。
それが、この夜の最後の"普通"だった。
花火が終わったあと、夜は一気に静かになる。
人の流れが引き、屋台の灯りも少しずつ消えていく。
それでも花組は残っていた。
「じゃ、行くか」
桜子が言うと、誰も反対しなかった。
桜子の家の裏手。
木々に隠れた細い道を抜けると、古い蔵が見える。
昼間はただの古い建物にしか見えないそれが、夜になると少しだけ違って見えた。
暗さが、濃い。
「...ほんとに行くんだ」
梅依が小さく言う。
「今さら?」
椿希が先に歩き出す。
「肝試しだろ」
「肝試しって、もうちょい軽いもんじゃない?」
朝佳がぼそっと言う。
「知らん」
菊音は即答した。
蔵の前に立つ。
鍵は古いが、すでに少し緩んでいる。
桜子がそれを見て、笑った。
「ほらね、やっぱただの蔵」
ガタン、と音がして扉が開く。
中は暗い。
光が届かない、黒に近い空間。
湿った木の匂い。
「ライトちょーだい」
紫陽がスマホのライトを点ける。
光が一気に広がった。
中には、思ったより何もなかった。
古い箱、布、壊れた道具。
そして――奥に、布に覆われた何か。
「なにあれ」
柳羽が一歩近づく。
「待って」
雪羽が止める。
でも、もう遅い。
桜子が布に手をかけた。
「巻物……?」
布の下から現れたのは、古い絵巻だった。
巻かれたままでも分かるほど、異様な気配がある。
「なんか、やばくない?」
梅依が一歩下がる。
「いや、ただの古いやつでしょ」
桜子はそう言いながら、軽く笑っていた。
その瞬間だった。
絵巻が、音を立ててほどけた。
カサリ、と。
誰も触れていないのに。
紙が、勝手に広がっていく。
空気が変わる。
温度が落ちる。
「……なにこれ」
丹奈の声が少しだけ低くなる。
絵の中には、女が描かれていた。
美しい女。
その周囲に、花のような姿の人間たち。
そして、その外側にある黒い花や"何か"。
「これ、戦ってる?」
朝佳が呟く。
その瞬間。
煙が立った。
絵の上から。
白くも黒くもない、曖昧な煙。
「え、ちょ、これっっ」
椿希が言い終わる前に。
絵の中の女が、こちらを見た。
そして、絵から抜け出した。
空気が裂ける。
音が一瞬消える。
次の瞬間、そこに立っていた。
現実の空間に。
「……ようやく」
女は静かに言った。
「長い時間だった」
花組は動けなかった。
誰も、息を飲むことすらできない。
女は彼女たちを順番に見ていく。
そして、最後に言った。
「数百年ぶりに、揃った」
「君たちは、花だ」
一拍置いて。
「亡き色を、討て」
蔵の中に、夜の静けさとは違う"何か"があった。




