花祭りの夜
夏休みが始まって三日目の夕方だった。
町中に吊るされた薄桃色の提灯が、風に揺れている。
商店街には屋台が並び、焼きとうもろこしの匂いと、遠くの祭囃子が混ざって流れていた。
この町では、毎年夏になると「花祭り」が開かれる。
花を供え、花を飾り、花に感謝する祭り。
昔から続いている伝統で、年寄りたちは「花が怒らないようにするためだ」と笑いながら言う。子どもたちはそれをただの言い伝えだと思っていた。
少なくとも、花組はそうだった。
「やば、暑っ...」
桜子が団扇をぱたぱた振りながら、鳥居の横にもたれかかる。
「桜子、浴衣はだけてる」
菊音が無表情のまま言った。
「え、うそぉ〜」
「うそ」
「おい」
近くで梅依が吹き出す。
その横では朝佳がりんご飴を片手に、ぼんやり金魚すくいを眺めていた。
「朝佳、溶けるぞ」
「んー……まだ食べる気分じゃない」
「じゃあなんで買ったんだよ」
「赤かったから」
「意味わかんない」
丹奈が呆れたように笑う。
花組は昔からずっと一緒だった。
誰かが集まれば、自然と全員集まる。
秘密基地も、遊びも、喧嘩も、全部一緒だった。
町の人たちは、そんな彼女たちをまとめて「花組」と呼ぶ。
理由は単純だ。
全員、花の名前が入っているから。
「紫陽まだ?」
桜子が辺りを見回す。
「さっきおばあちゃんに捕まってた」
椿希がラムネ瓶を振りながら答えた。
「あー、また祭りの手伝い?」
「たぶん」
すると、人混みの奥から「ごめーん!」という声が飛んできた。
紫陽だった。
両手に紙袋を抱えている。
「遅いー」
「お団子持たされたの!」
「全部?」
「全部」
雪羽がけらけら笑う。
その隣で柳羽が袋を覗き込んだ。
「みたらし多くない?」
「おばあちゃんの好み」
「最悪」
「え、食べるでしょ?」
「「食べる」」
双子の返答が一秒もズレなかった。
蓮唯は少し離れた場所で、静かに空を見ていた。
祭りの光が、瞳に映っている。
「はすいー」
朝佳が手を振る。
蓮唯は振り返り、小さく笑った。
「...なに」
「なんか今日静かじゃない?」
「いつも」
「たしかに」
菊音が即答した。
「ひどぉ」
そんな取り留めのない会話を、毎年していた。
毎年同じように祭りを回って、同じ場所で花火を見て、夜になったら桜子の家へ行く。
それも全部、いつものことだった。
「今年どうする?」
桜子が唐突に言った。
「なにが」
椿希がラムネを飲みながら聞き返す。
桜子は、にやっと笑った。
「あそこ」
その瞬間、何人かが顔を見合わせる。
朝佳が「あー…」と声を漏らした。
「蔵?」
梅依が小さく言う。
桜子は頷いた。
桜子の家の庭の奥。
木々に隠れるように建っている古い蔵。
昼でも薄暗く、昔からほとんど使われていない場所。
そして、桜子のおばあちゃんが何度も言っていた。
『あの蔵には、おばけがいるから入っちゃ駄目』
「絶対ただの脅しじゃん」
丹奈が肩をすくめる。
「ていうかさ、逆に気にならない?」
雪羽が言った。
「わかる」
柳羽も頷く。
「肝試しってことで」
「夏っぽいし」
「え、行く流れ?」
梅依が少し不安そうに言った。
「怖い?」
椿希が笑う。
「……怖くはないけど」
「じゃ決まり」
桜子がぱんっと手を叩いた。
「花火終わったら集合ね」
その時だった。
屋台の向こう側から、低い声が飛んだ。
「桜子」
全員が振り返る。
桜子の祖母だった。
白髪を綺麗に結い、薄紫の着物を着ている。
普段は穏やかな人なのに、その時だけ妙に真剣な顔をしていた。
「…あの蔵には入るんじゃないよ」
空気が少しだけ静まる。
桜子が苦笑した。
「だからおばあちゃん、あれ脅しでしょ?」
「違う」
祖母は即答した。
「昔から、この町では決まってるんだ」
提灯の灯りが、静かに揺れる。
「花祭りの夜だけは、蔵を開けちゃいけない」
その言い方が妙に真面目で。
一瞬だけ、誰も言葉を返せなかった。
けれど次の瞬間、
「なにそれ、余計気になるじゃん」
椿希が笑った。
空気が一気に緩む。
祖母は何か言いかけて、結局、口を閉じた。
その横を、風が吹き抜ける。
どこからか、花びらが一枚だけ舞ってきた。




