5.【出題編】新世界へ①
1909年6月の終わりのある日の午後、アメリアはエルデンハースト伯爵家の馬車で、伯爵夫人とセント・ジェームズにあるウェクスフォード侯爵家のタウンハウスに向かっていた。
「さて、いよいよ『本番』ね。レディ・メラヴェル?」
「ええ、レディ・エルデンハースト」
1か月前にエルデンハースト伯爵夫人の助言に従って3か月に短縮した先代メラヴェル男爵の喪が明けて以来、アメリアは伯爵夫人により、3日と開けずにロンドンで開催される社交イベントに連れ出されていた。
最初は穏やかな老男爵夫人主催の昼食会から始まり、陽気な子爵未亡人主催のお茶会、真面目な男爵家の正餐会、華やかな伯爵家の舞踏会――回を追うごとに社交の難易度ははしごを一段ずつ上るように徐々に上がっていった。
まるで伯爵夫人がアメリアを計画的に「教育」しているかのようであり、アメリアは事実そうなのだろうと考えている。
そして、差し当たりその「教育」の行きつく先が今日の侯爵家のタウンハウスで開催される侯爵家の跡取り息子――彼はウェクスフォード侯爵位の従属爵位「ロスマー子爵」を儀礼称号として用いている――の婚約披露パーティーであることは、とっくに察しがついていた。
エルデンハースト伯爵夫人は今日の「本番」のために微に入り細に入り心を砕いてくれていた。
今日アメリアが身に着けているローズグレーの午後用のドレス、小ぶりな羽根飾りがついた同色の帽子、白いレースの短い手袋も伯爵夫人の監督の下仕立てられたものだった。
「では、最終確認ね。ウェクスフォード侯爵家について私がお教えしたことを自分の言葉でおっしゃってみて?」
揺れる馬車の中でエルデンハースト伯爵夫人は少し目を細めてアメリアを見つめる。アメリアはその目にももう慣れたもので滔々と答える。
「はい、レディ・エルデンハースト」
アメリアが事前に伯爵夫人から聞いていた説明をまとめるとこうだ。
ウェクスフォード侯爵家は由緒正しきイングランド貴族でサセックスに広大な領地を持っている。
一族の姓はモントローズ=ハーコート。
当主のウェクスフォード侯爵は、若き日に大臣としても活躍した有力政治家で、今も貴族院の長老としての影響力を持つ。
伝統を重んじるが、本質的には柔軟な方らしい。
そして、侯爵には3年前に亡くなった侯爵夫人との間に4人の子どもたちがいる。
侯爵の子女である彼らは、儀礼上の爵位を保有する長男以外も、"卿"または"レディ"を冠して呼称される。
それが男爵、子爵、伯爵よりも高位にある侯爵家の特別さを表しているとアメリアは思っていた。
長男のロスマー子爵は29歳で、今日の婚約披露パーティーの主役。
庶民院の議員を務めている。寛容でありつつ統率力のあるお方。
今日のパーティーではアメリカの宝石商の大富豪の娘ミス・キャサリン・ジョーンズとの婚約を発表する。
次男のヘンリー卿は27歳で、芸術家タイプ。
音楽や芸術を支援するパトロン活動に熱心で、本人も詩人と画家として活動している。
ただし、典型的な放蕩貴族で数々の女性と浮名を流している。
ただ、エルデンハースト伯爵夫人によると「未婚の女性はタイプではない」らしくアメリアが未婚である限りは彼と関わっても安全とのことだった。大胆で奔放なお方。
三男のアルバート卿は25歳で、学者的な知性を持ち、3年前にオックスフォード大学を最優秀クラスの成績で卒業したという。
新聞や雑誌に主に文化についての記事を寄稿している。真面目で堅実だが皮肉をお好み。
末子で長女のレディ・グレイスは18歳で、去年社交界にデビューしたばかり。
自立した性格の新しい時代のレディ。
趣味は色々とおありだが、特に馬がお好きで午前中はたいていハイド・パークで乗馬をされている。
あまりご結婚には興味がなく、去年とある伯爵と婚約したが、正式発表前にあっさり破談にしたとのこと。
「――ご兄妹皆さま性格の違いがおありですが、外見は共通してアッシュブロンドの髪と青みがかった灰色の瞳をお持ち、ということでしたわね?」
「ええ、おっしゃる通りよ。レディ・メラヴェル」
エルデンハースト伯爵夫人は満足そうに微笑んで頷いた。
アメリアはほっと胸を撫で下ろす。
始まってもいない内から安心してはいけないが、今日の「本番」のための最低限の準備は整っていると思ってよいはずだ。
「ちなみに今回のパーティーにはダーヴェント公爵夫妻もいらっしゃるけれど、あなたをいきなり公爵夫妻に引き合わせたりはしないから安心してちょうだいね」
伯爵夫人はアメリアを少し目を細めて見つめてから微笑む。
アメリアは安堵する反面、まだ自分はその域に達していないのだと伯爵夫人に言われているような気がして気を引き締めた。
ウェクスフォード侯爵の前に出られることに浮かれてはいけない。
社交はこれからもずっと続いていくのだから。
「そういえば、今回のパーティーには公爵夫妻以外にも一つ面白いことがありますのよ」
伯爵夫人のブラウンの瞳がいたずらっぽく輝く。
アメリアは思わず興味をそそられてしまう。
「侯爵家には代々侯爵夫人になる方に受け継がれる婚約指輪<王女の涙>がありますの。大きなダイヤモンドがついていて、なんでも何代か前に王族に連なる公爵家から輿入れされた侯爵夫人のために当時の公爵がお作りになったものだとか。<王女の涙>と呼ばれているのは、きっとそのダイヤモンドがしずく型だからね」
アメリアはエルデンハースト伯爵夫人ほどの貴族が「大きな」と表現するダイヤモンドは実際どれほど大きいのか思案する。
きっと小指の爪よりは大きいのだろうと手袋に隠れた小指を思わず見つめてしまう。
「その婚約指輪に今日盗難予告が出ていましてね。警察では最近銀行や貴族の屋敷を狙っている窃盗団――確か〈静かなる猫〉だなんて呼ばれていますわね――の仕業ではないかと見ているんですって」
そういえば、先週、グレンロス家でとっている新聞の内の一つ<クロニクル>に窃盗団〈静かなる猫〉についての記事が出ていた。
高価な宝飾品が持ち主が気付かない間にいつの間にか盗まれているというのが典型的な犯行パターンでロンドンの名だたる貴族の屋敷や銀行の金庫まで被害に遭っているらしい。
「でも、私たちパーティーのゲストにとっては良いこともありましてね。その<王女の涙>は侯爵夫人がお亡くなりになってから誰も身に着ける方がいらっしゃらなくて、ここ数年は表に出てきていなかったの。だけど、窃盗団に業を煮やしたスコットランドヤードの何とかという警部さんの指示で、<王女の涙>を確実に守るために衆人環視の下に展示されることになったんですって。つまり、今日は私たちもその<王女の涙>を見られるというわけ」
宝石が好きらしいエルデンハースト伯爵夫人の瞳は少し期待に輝いているように見える。
アメリア自身は宝石にはそこまで興味がないが、<王女の涙>と優雅な名前が付けられている指輪のダイヤモンドは一目見てみたいと思った。
そうしている内に、馬車はウェクスフォード侯爵家のタウンハウスに到着した。
馬車の窓からは広大な庭で既にティーレセプションが始まっているのが見える。
馬車は一旦タウンハウスの玄関前に回されてそこで停車した。
エルデンハースト伯爵夫人に続いてアメリアも馬車を降りると、馬車の中からは全容が見えなかった建物を改めて見上げる。
アメリアは思わず歓声を上げそうになった。
目の前のタウンハウスは壮麗なジョージ朝様式の建築で、古典様式の重厚な柱が侯爵家の威厳を象徴しているかのようだった。
しかも、とてもロンドンの中心にあるタウンハウスとは思えないくらい規模が大きい。
これまで中上流階級の富裕層やごく少数の貴族の屋敷しか見たことのないアメリアにとっては、田園地帯のカントリーハウスと言われても信じてしまうだろうと思われるほどだった。
しばし立ち尽くしていると先に庭の方に進んでいるエルデンハースト伯爵夫人の声が飛んでくる。
「さてさて、新世界に見惚れていないで、早くお進みなさい。レディ・メラヴェル」
アメリアは伯爵夫人に遅れぬよう文字通り新世界へと一歩を踏み出した。




