6.【出題編】新世界へ②
侯爵邸の広大な庭の壮麗な建物に近接した一角では既に客人たちが集まり、ティーレセプションが始まっていた。
青々とした整備の行き届いた芝生の上に白いテントが立てられていて、そこで紅茶やレモネード、軽食が提供されている。
軽食は見た目にも美しく、アメリアは侯爵家にはフランス人のシェフが雇われているとエルデンハースト伯爵夫人が言っていたのを思い出した。
そのテントの周りには何組かの椅子とテーブルが用意され、軽く飲食をしながら談笑する紳士淑女の姿があった。その間を美麗な短めのズボンの青いお仕着せを身に着けた侯爵家の下級執事やフットマンと見られる男性使用人たちが歩き回り、客人の世話を焼いている。
優雅におしゃべりに興じている紳士淑女と忙しなく働いている使用人の間を縫うようにして、アメリアはエルデンハースト伯爵夫人の背中を追いかけて進んだ。
暫く行くと、伯爵夫人は少し空いているスペースで立ち止まり、後ろを振り返って言う。
「まずは侯爵にご紹介するわ。緊張することは早く済ませた方がいいもの」
その言葉通り、2人が立ち止まった場所の先には、食事が提供されているテントとは別にもう一つテントが立てられていて、その下ではウェクスフォード侯爵と思われる威厳のある老紳士が杖を手に椅子に腰かけているのが見える。
侯爵はその傍に立っている若い紳士と隣の椅子に座っている更にお若いレディと談笑している。
若い紳士は侯爵家の兄妹の特徴であるアッシュブロンドと青みがかった灰色の目をしており、明らかに仕立ての良いモーニング・コートを身に着けているので、侯爵の長男で今日の主役であるロスマー子爵に違いないとアメリアは思った。
そして、若いレディは大きなグリーンの瞳に合わせたような新緑色のデイドレスを身に着けており、同じく新緑色の帽子から美しく結われた燃えるような赤毛の巻き毛が覗いている。
おそらく、この方が子爵の婚約者であるアメリカの大金持ちの宝石商の娘ミス・キャサリン・ジョーンズではないだろうか。
「これはレディ・エルデンハースト」
近づいてくる伯爵夫人を目ざとく見つけた侯爵が彼女に声をかける。
「ウェクスフォード卿」
伯爵夫人はパーティーの主催者への礼儀として大げさにならない程度のカーテシーで応じる。
「伯爵ご夫妻を招待したのに今日もエルデンハースト卿はお越しでないのかな」
侯爵は伯爵夫人の夫であるエルデンハースト伯爵とも面識があると見え、伯爵を探すように周りを見回している。
「ええ、夫は相変わらずですのよ」
「全くアレグザンダーはイートン時代から引きこもるのが好きだった」
侯爵は呆れたように笑う。
傍らの子爵とミス・ジョーンズも礼儀正しく合わせて笑っている。
「でも、その代わり今日はぜひご紹介したい方をお連れしたんですよ」
伯爵夫人はアメリアに目線で合図する。
アメリアが緊張を隠して微笑みながら前に出ると、侯爵、子爵、ミス・ジョーンズの視線が彼女に集まった。
「こちらがレディ・メラヴェルですわ。新しくメラヴェル男爵位を継承されたの」
「レディ・メラヴェルです。お目に掛かれて光栄です。ご婚約おめでとうございます」
アメリアはできるだけ優雅に見えるように気を付けながら伯爵夫人よりも丁寧にカーテシーで挨拶をした。
幸いよろめくこともなかった。
「レディ・メラヴェル、こちらがウェクスフォード卿とご長男のロスマー卿、ロスマー卿の婚約者ミス・キャサリン・ジョーンズ」
3人は口々に「よろしく」と言って軽く礼をする。
アメリアは思いの外温かく迎えられたことに安心する。
しかし、そこでふと、ミス・ジョーンズの不思議な視線に気が付いた。
彼女は先ほどまでは確かにアメリアに視線を向けていたのに、今はもう心ここにあらずという風に遠くを見ていた。
婚約者のロスマー子爵は彼女をちらりと見たが、何も言わなかった。
侯爵は若者2人の様子は気に留めず話を続ける。
「レディ・メラヴェルは思ったよりお若いですな。とはいえ、17世紀のスコットランドには10代前半で伯爵位だか男爵位だかを継承したレディがおられたかな」
「まあ、さすがウェクスフォード卿」
伯爵夫人が侯爵の博識を称賛するように微笑む。
アメリアはあとでどうにかしてその女伯爵か女男爵について調べてみようと思った。
「今日は楽しんでいってくださいね。レディ・エルデンハースト、レディ・メラヴェル」
子爵がそう言ったのを合図に会話は切り上げられた。
アメリアはもう少し何か話すべきだったかとも思ったが、エルデンハースト伯爵夫人は満足気に微笑んでいたので、これでよかったらしいと心の中で安堵のため息をついた。
「さて、一番緊張する瞬間は終わり。次はお若いご兄妹ね。私に付いていらしてね」
アメリアは再び伯爵夫人について、人々の間を縫って歩いていく。
伯爵夫人は庭の隅の方で話している若い男女の方に向かっているらしい。
その男女の姿がはっきりと見えたとき、アメリアは思わず息を呑んだ。
アッシュブロンドの髪に青みがかった灰色の瞳をしたその男女は神話画のように美しかった。
まるでヴィーナスとアドーニスのようだ。
しかし、こちらのヴィーナスはまだ少女の面影を残している。
「ヘンリー卿、レディ・グレイス!」
エルデンハースト伯爵夫人が少し声を張って呼びかけると、2人はすぐにこちらに目を向け、伯爵夫人に微笑みかけ挨拶を返した。
驚くほど容姿端麗な彼らは、侯爵の次男のヘンリー卿と末子で長女のレディ・グレイスだ。2人とも子爵と同じアッシュブロンドの髪だが、ほんの僅かにウェーブしているだけの子爵のそれとは違ってこちらの2人の髪はどことなく豪華さを感じる巻き毛だった。
ヘンリー卿は子爵と似たモーニング・コート姿だがやや着崩している。
しかし、だらしないわけではなく、粋な印象を受けるから不思議だ。
レディ・グレイスは白に近いグレーのデイドレスに白薔薇を模した飾りを付けたストローハットという装いで、お若いながらどこを切り取っても洗練されたレディと言う他ない。
彼女の大きなアーモンド型のグレーの瞳には吸い込まれそうな魅力がある。
「こちらが前にお話ししたレディ・メラヴェルよ」
「レディ・メラヴェルです。どうぞよろしくお願いします」
少し場の雰囲気に慣れてきたアメリアが挨拶すると、ヘンリー卿はその端正な顔に人懐っこそうな笑みを浮かべた。
一方、レディ・グレイスの方はレディらしく抑制された笑みを返す。
「ヘンリー卿、今度の詩の朗読会には私の息子も参加しますからあまりいじめないでやってくださいね」
「ハルバートン卿の詩は真面目なお人柄を反映して実直なので、ついからかいたくなってしまうのが良くない」
ヘンリー卿は自分の魅力に自覚的であると見えて、その甘い笑顔を伯爵夫人に惜しみなく向けている。
しかし、伯爵夫人はそんなことはお見通しというようにただ「全くあなたときたら」とだけ言って苦笑した。
「さて、私は人を探さねばならないので、これで失礼。レディ・メラヴェル、お会いできてよかった」
ヘンリー卿はアメリアの手をとって挨拶するとあっという間に人々の間に消えて行ってしまった。
「全くヘンリーったら、さっきから全然落ち着かないんだから」
レディ・グレイスが呆れたように呟く。
そして、彼女はアメリアの方に向き直って会話を続ける。
「レディ・メラヴェルは先代メラヴェル男爵のご令嬢というわけではないのよね?」
「ええ、先代男爵の又従弟の娘ですわ」
「ふぅん、面白いわね。私、ご自分の権利で称号をお持ちのレディに興味があるの。今度お話聞かせてちょうだい」
「もちろん」
レディ・グレイスは未婚のレディながら、既に社交界で地位があるレディらしい余裕のある態度だ。
それと同時に年が近いアメリアには親しみを込めて接してくれているようだ。
更に「女男爵」という立場に興味をお持ちらしい。
「この後、ダーヴェント公爵ご夫妻がお着きになったら、室内で正式に婚約発表があるのよ。お二人とも、その後でまたお話ししましょう。公爵は時間に正確な方だからきっと午後3時きっかりに始まるわ」
レディ・グレイスはそう言うと父と長兄に合流すると言って、反対側のテントの方に行ってしまった。
緊張から一時解放されたアメリアはひどく喉が渇いていることに気が付いた。
ちょうど盆にレモネードを載せた侯爵家のフットマンが通りかかったので、伯爵夫人が二人分のレモネードをとった。
伯爵夫人はアメリアにその一つを渡しながら言う。
「この短時間で盛りだくさんね。ちゃんとついてきているかしら?」
「ええ、なんとか。ありがとうございます」
アメリアはこれが「付いてきている」ということで合っていることを祈りながら答える。
伯爵夫人の言う通り、短時間で盛りだくさんだった。
侯爵と子爵への挨拶は緊張したし、ヘンリー卿の掴みどころのなさにはやや面食らった一方で、レディ・グレイスの親しみと興味は嬉しかった。
ただ、ミス・ジョーンズの遠くを見ているようなあの瞳の意味だけはどう解釈すべきかよくわからなかった。




