24.【解決編】レディ・メラヴェルの推理①
玄関ホールには事件の関係者が集められていた。
最初にやってきたのは、アメリアが声を掛けたヘイスティングス警部とエヴァレット巡査部長を始めとした警察の何名か。
あとはアルバート卿に呼ばれて集まってきた面々が続く。
まずはアッシュコム銀行のミスター・ブルック。
その直後に、侯爵家の家族――ウェクスフォード侯爵、ロスマー子爵、レディ・グレイスとミス・ジョーンズ――ただし、アルバート卿はヘンリー卿を見つけることはできなかったらしい。
一番最後に直前まで仕事をしていたと思われる侯爵家の使用人たち――執事のミスター・リー、家政婦長のミセス・モース、フットマンのケン――が少し恐縮しながら入ってきた。
アルバート卿が2階の家族の居間を後にしてから約5分で――正確には7分経っていたが――、彼らは関係者をほぼ全員玄関ホールに集めることができた。
アメリアは玄関ホールの侯爵家の先祖の肖像画を背にして立ち、集まった関係者を観察していた。
集まった人々は、それぞれのグループごとに固まって立っているが、高齢の侯爵には近くの部屋から椅子が運ばれてきた。
皆それぞれ興味や恐れ、不安、疑いの表情を浮かべている。
ただその中でエヴァレット巡査部長がアメリアを見て頷いたので、彼女も頷き返した。
最後に使用人たちを連れて来たアルバート卿がアメリアの数ヤード後ろの壁の前に立ち、準備は整った。
「紳士淑女の皆さま、お集まりくださりありがとうございます」
アメリアが落ち着いた声で切り出すと玄関ホールは静まり返った。
「私の個人的な希望によりどうしてもあと30分でこの盗難事件を解決したく、このような機会をいただきました」
一瞬、アメリアは明朝グレンロス家の居間のアームチェアで<クロニクル>を読む自分を思い浮かべ、口元に微かな笑みを浮かべた。
対して、ヘイスティングス警部は疑わし気な表情で言う。
「30分以内に?ということは、もう犯人か<王女の涙>を見つけたということですか?失礼ながら疑わしいですね。ミス・――えーと、正確なお名前を聞き忘れていたが……」
アメリアが名乗る前に、彼女の背後から落ち着いた低い声が響いた。
「――"レディ"」
アルバート卿の青みがかった灰色の瞳がヘイスティングス警部を見つめた。
その声には苛立ちも怒りもなく、確信だけがあった。
「"ミス"ではありません。彼女は"レディ"・メラヴェル。メラヴェル女男爵ですよ、警部」
アメリアは振り返らず、ただ微笑んだ。
彼女は彼がは彼女の爵位を誇示しているわけではないことを知っていた。
彼はただ、彼女がその話に耳を傾けるに値する人だと示しているのだった。
そして、彼女にとってはそれが何より心強かった。
「いいでしょう、レディ・メラヴェル。しかし、いずれにしても30分以内というのは難しいのでは?」
警部は肩を竦めて言った。
「ご心配なく。皆さんが私の話を遮らずに聞き、かつ、すべてを正直にお話しいただければ、事件は30分以内に解決します」
誰も何も言わなかった。
ちょうどどこかにある大時計の長針が一つ進む音だけが聞こえた。
「まず、はっきりさせておきたいのは今回の<王女の涙>盗難事件は、最近ロンドンを騒がせている窃盗団<静かなる猫>によるものではないということです」
ヘイスティングス警部を始め一同は首をひねった。
未だに多くの人が今回の事件は<静かなる猫>の仕業だと信じていたようだ。
「過去の<静かなる猫>の犯行手口はその名前の通り『誰にも見られない内にこっそりと』でした。彼らはプロの窃盗団なので貴族の屋敷の金庫や銀行の金庫をこじ開けるのもお手の物です。しかし、この事件の犯人は違います。この事件の犯人は窃盗に関しては素人です。素人だからこそいくつかの騒ぎを起こす必要があった」
アメリアの後ろでアルバート卿が深く頷いた。
「最初の騒ぎは、一週間前に届いた『盗難予告』です。ウェクスフォード卿宛にロスマー卿の婚約披露パーティーの日に<王女の涙>を盗むとの予告があったということでしたわね?」
「ええ、おっしゃる通りですよ。差出人は不明でした」
問いかけに答えたのはロスマー子爵だった。
「侯爵家は――おそらく犯人の予想通り――すぐに警察と<王女の涙>を預けていたアッシュコム銀行と連携して窃盗に対抗しようとしました。しかし、最初にお話しした通り、今回の犯人は窃盗の素人ですから、もしアッシュコム銀行が引き続き責任をもって<王女の涙>を金庫で預かることにしていたら、厳重な銀行の金庫にはとても手を出せなかったと思います」
レディ・グレイスがミスターブルックを見て目を細めた。
ミスター・ブルックはというと、気まずそうな表情をしている。
「そこで犯人は対応策を検討する議論を巧みに誘導しました。銀行が責任を負うことに尻込みさせるようにしたのです。その甲斐あって、<王女の涙>は銀行の金庫から離れ、侯爵家と警察に守られながら婚約パーティーの会場で衆人環視に置かれることになりました。そうでしたね、ミスター・ブルック?」
「はい、当行はどなたかがおっしゃった衆人環視の案に乗っていしまいました。……不徳の致すところです」
ミスター・ブルックは今や額の汗をハンカチで拭っている。
「第二の騒ぎは、皆さまもご覧になった3段のお祝いのケーキの倒壊です。先ほど警部に伺いましたが、ケーキの台座に細工がされていました。台座には4つの脚が付いていましたが、その内の2本の一部が切り取られていたそうです。短くなった脚の下に何かを噛ませておき、タイミングよくそれを取り外せば、ちょうどご挨拶をなさっているウェクスフォード卿とロスマー卿の上にケーキが落ちてくるという算段です」
「しかし、一体誰が何を噛ませていたのです?私はステージの上にいたが、何かを取り外している人なんていませんでしたよ」
ロスマー子爵が訝し気に指摘し、父のウェクスフォード侯爵も隣で頷いた。
アメリアは、少し微笑みを浮かべてはっきりと答える。
「氷です。ステージの上に水たまりがあったことは、それに足をとられて転んでしまったロスマー卿も証言してくださっているところです。そして、家政婦長のミセス・モースから伺ったシェフのムッシュー・プレヴォが氷業者から過剰な請求を受けて困っているという話とも整合します。そうですね?」
「はい、おっしゃる通りです。ムッシューは何度も計算していらっしゃいましたが、やはり合わないようです」
ミセス・モースは静かな口調で答えた。アメリアは頷いて先を続ける。
「今回のパーティーは、お庭でのティーレセプションの後、主賓の公爵ご夫妻が到着を待って、室内でのご挨拶が行われる計画でした。公爵ご夫妻は午後3時のご到着予定だったので、犯人は午後3時過ぎの挨拶の途中でケーキが倒れるよう氷の量を計算していました」
「なるほど。ダ―ヴェント公爵は時間に正確な方だから計算がしやすかったわけだな……」
ウェクスフォード侯爵がほとんど独り言のように呟いた。
「前日含めて何度か予行練習もしているはずなので、その分も合わせてシェフが把握している分よりも多く請求されていると思います。ミセス・モース、後でよく確認をお願いしますね」
アメリアが優雅でありつつもはっきりと依頼すると、ミセス・モースは真剣な顔で頷いた。
「さて、犯人はケーキ倒壊の騒ぎで皆の視線がケーキと砂糖まみれになったロスマー卿に集中している内に、持っていた鍵でショーケースを開けると<王女の涙>を盗って、すぐにショーケースから離れました」
アルバート卿は、アメリアがショーケースの鍵の入手方法やその後の行動についての説明を意図的に省略したことに気づいたが、何も言わなかった。
「そして、次の騒ぎです。乾杯用のシャンパングラスと引き換えに客人から回収した大量の空のグラスを運ぼうとしていたフットマンのケンがショーケースの目の前で転んでしまいました。私は彼の転倒も仕組まれていたのだと思います。これについてはある方のご意見をいただきたいところです」
指摘を受けたケンの顔からは血の気が引いていた。
彼は体の前で両手を組み合わせ、落ち着かなく動かしている。
「ケン、大丈夫ですよ。あなたはまだ話す必要はありません。それにミセス・モースはあなたの味方になってくれます。落ち着いて最後まで聞いてくださいね」
アメリアに優しく言われてケンはただ俯いた。
隣のミセス・モースは、ケンを保護するように彼の背中にそっと手を当てた。
「私が今お話を伺いたいのは別の方です。重要なのは、ケンの転倒によりショーケースの周りはガラスの海になったということです。なぜショーケースの周りをガラス片でいっぱいにする必要があったのか。それは犯人がある理由でガラス片を所持していて、あたりに飛び散ったガラス片にそれをまぎれこませたかったからです」
一同はこの説明に静かに聞き入っていた。
しかし、彼らの心には疑問が浮かんでいる。
犯人が所持していたガラス片とは一体何なのか?
犯人がそれを所持していたのはなぜなのか?
「そして、これについてあなたのご意見を伺いたいのです、ミス・ジョーンズ」