23.【出題編】紐解き③
アメリアとアルバート卿は、事件についての情報を整理するために、再度2階にある侯爵家の家族用の居間に落ち着いていた。
彼女は依然、家族の私的な区画に立ち入ることには遠慮を感じるが、かといって他にすぐに使える部屋もなかった。
「さて、残っている謎を確認しましょうか」
アルバート卿が向かいに座っているアメリアに提案した。
彼は自身の頭の中で情報を整理しながらゆっくりと話し始めた。
「まず、私が気になっているのは、ケーキの倒壊についてです。先ほどの警部からの情報でケーキを載せていた台座の4本の脚の内、2本の一部が切り取られていたことがわかりました。そこに何かを噛ませておいて、タイミングよく外せばケーキが倒れてくるということになります」
アメリアは頷いた。
台座の下の方は周囲の装花に覆われてよく見えなかったので、切り取られた分の高さを補う何かが置かれていたとしても気づかなかっただろう。
「しかし、あのときステージ上で怪しい動きをしている人はいなかった。ステージ上にいたのは父の侯爵と兄の子爵ですが、父は挨拶をしていましたし、兄は横でそれを聞いていた。2人は客人たちの注目を集めていましたから、不審な動きをすれば目立ったはずです」
アメリアもその意見に同意する。
少なくとも、ケーキ倒壊のタイミングでは、侯爵も子爵も台座に細工をする動きを見せていなかった。
しかも、子爵はステージの上にあった水に足をとられて転んでいたのだ。
そんな彼に何かができたとは思えない。
アルバート卿は更に話を続ける。
「それから当然ハンマーの謎があります」
こちらの謎はケーキの謎よりも不明点が多い。
彼は顎に手を当てて考え込んでいる。
「我々の実験では、騒ぎの中であのハンマーで何かを叩き割ることは可能だということがわかりましたが、ミス・ジョーンズからはダイヤモンドをハンマーで割ることは難しそうだという見解をいただいた。また、エヴァレット巡査部長の知見により、あれはガラス職人が使うハンマーだということが判明しましたが、それらをどう繋げて良いかわからないのです」
アメリアはまたしても同意する。エヴァレット巡査部長の見解が正しいとすると、あの特殊なハンマーは侯爵家の使用人が使うために常備されていたものではないのだろう。
そうすると、犯人が自ら持ち込んだと考えるのが自然だが、なぜガラス職人用のハンマーを?
「あなたは何が気になりますか?レディ・メラヴェル?」
アルバート卿に水を向けられて、アメリアは改めて思案する。彼女自身は物よりも人の方が気になっていた。
「実は、私が気になっているのは――事件にあまり関係ないのかもしれないのですが――ミス・ジョーンズのことなのです」
アメリアはパーティーの当初からの彼女の遠くを見るようなグリーン瞳をよく思い出そうと少し目を閉じた。
「今日、彼女はずっと心ここにあらずという表情をしていました。あなたのお話では英国に到着なさったばかりの頃はもっと口数も多かったということですよね?」
「ええ。まあ、花嫁によくあるご結婚前の不安ということなのかもしれませんが……」
「でも、もし、そうであれば、婚約者であるロスマー卿のことは避けたがるような気もするのです。しかし、彼女は逆にロスマー卿とは話したがっていました」
「そうですね。確かに不可解だ……」
アルバート卿は深く頷いて、眉を寄せた。
「そして、先ほど私が<王女の涙>を展示していたショーケースの配置について話題に出したときに、ミス・ジョーンズは明らかに動揺されていましたわ。何か事件に関係することでお悩みなのかも。でも――」
「それにしては、事件の前から悩んでいらっしゃるようなのが気になりますね」
「ええ、そうなんです」
アルバート卿の的確な指摘にアメリアは微笑んだ。
「一方で、ロスマー卿の方では彼女を避けていらっしゃるようにも思える」
「ええ。つい先週くらいまでは婚約者同士、仲が良さそうに見えたのですが……」
アルバート卿はそこで言葉を切ってから躊躇いがちに付け加えた。
「私も、あなたが先ごろおっしゃった通り、兄は何かを恐れているのではないかと思い始めています」
「私にはそう見えました。ただ、ロスマー卿ほどの地位も名誉も確かな紳士が何を恐れるのか、私には見当もつきません」
「そうですね……おそらく、感情的な何かなのでしょう」
アルバート卿の青みがかった灰色の瞳にはやや心配の色が浮かんでいた。
しかし、一体子爵が何を恐れているのか今の2人にはこれと言った答えが出せなかった。
「気になる人と言えば、私からも良いですか?」
アルバート卿は気持ちを切り替えるようにやや明るい調子で切り出した。
「ええ、もちろん」
「私はなぜか執事のリーのことが気になるのです」
「というと?」
「昔、まだ我が家に来たばかりの彼と話したときのことを思い出したのです。おそらく10年ほど前です」
アルバート卿は遠い記憶を掘り起こすように目を閉じ、こめかみに手を当てながら話し始めた。
「あの頃は当時存命だった母、侯爵夫人の方針で、クリスマスに使用人たちが自分たちのパーティーを催すときには、我々侯爵家の家族も参加するのが恒例でした。リーが来たばかりの頃――私はそのときまだ15歳くらいでした――私も彼らのパーティーに参加しました」
「あら、素敵ですね」
アメリアは楽しそうな階下のパーティーを想像して思わず微笑んだ。アルバート卿も一瞬微笑みを返してから続ける。
「そのときにリーと話した内容に重要なことが含まれていた気がするのです。彼は当時から真面目な人でしたが、あのときは彼も酔っていて色々と話してくれました。私はまだパブリックスクールも卒業していない少年だったので、気を許していたのでしょう。しかし、私はその日生まれて初めてビールを飲んで、すっかり酔っぱらってしまったので、はっきりとは覚えていないのです」
アルバート卿は更に目を強く瞑り、何とか記憶を掘り起こそうとしているようだった。
「『下級執事の職務は辛いですよ』と言っていた。それは確かです。これは下級執事の職務である銀器磨きのことです。そして、続けて、『前の仕事柄、別のものを磨くことは慣れているのですが』と言っていた。しかし、その『別のもの』が思い出せない。……なぜかカエサル伝の一節が思い浮かぶのです。きっとそのとき学校のラテン語の授業で読んでいて、のめり込みすぎていたのかもしれない」
アメリアは『磨く』と言えそうなものを思い浮かべ、とりあえず口に出してみた。
「『磨く』というと、例えば、鏡とか窓とか床でしょうか?」
アルバート卿はうーんと唸って更に記憶を探っている。
「男性使用人の仕事と関係していたような気がしますね。当家の下級執事やフットマンが『磨く』ものと言えば、銀器とグラス、陶器、一部の家具はあり得そうです。いや、陶器は家政婦長の管理下かな?それから、当時まだ多かったランプはあり得そうですが……いや、どうしてもカエサルに記憶が塗りつぶされてしまう」
アルバート卿は肩を竦めて言うと、また目を瞑って記憶を探り始めた。
「――ただ、最後に『でも、自分の失敗に対して責任をとるために働かねばならんのです』と言っていたのは確かです。私はなぜかそれが気になっている……」
そのとき下の階から時計の鐘がなるのが聞こえて来た。
「午後6時か……」
アルバート卿が呟く。明朝載せるはずの彼の原稿を新聞社に引き渡す締め切りまでもう1時間を切ってしまった。
しかし、事件解決の目途は全く立っていない。
「あの……お気の毒に思いますわ。本当に」
アメリアがせめて同情を示すためにそう言うと、彼は微かに微笑んだ。
「原稿のことはいいんですよ」
アルバート卿はソファの背もたれから身を起こすと、向かいに座っているアメリアの目をまっすぐに見た。
彼に見つめられると、アメリアはなぜか落ち着かない気持ちになった。
「……私はあなたに言わなければならないことがあります。最初にお話ししたときのことです。私はあなたに大変失礼な態度をとってしまいました」
アメリアはつい数時間前のアルバート卿との「意見の相違事件」のことを思い出した。
あの後、<王女の涙>の盗難事件が起こり、随分色々なことがあったので、遠い昔の出来事のように感じられる。
「ええ、丁重な態度とは言えなかったかもしれませんわね」
彼女は敢えて冗談めかして言った。
アルバート卿は少し微笑むが真剣な声色で続ける。
「言い訳にはなりませんが、私はあの直前にあるご令嬢――貴族出身の夫を捕まえるよう父親に厳命されている同情すべきご令嬢です――にしつこく追い掛け回されていました。それであなたも同じようなご令嬢だと決めつけてしまったのです」
「まあ、そうでしたの……」
「本当に恥ずべき態度でした。深くお詫びします」
そう言ってアルバート卿はやや目を伏せた。
彼の真摯な謝罪を聞いて、アメリアの心にふともうずっと会ってない元婚約者のジョナサンのことが思い浮かんだ。
「どうかお気になさらないでください」
アルバート卿の青みがかった灰色の瞳が少し揺れる。
それを見てアメリアは付け加えた。
「誤解なさらないで。礼儀として申し上げているわけではないのです」
彼女のヘーゼルの瞳が彼をまっすぐに見つめ返す。
「実は、私は男爵位を継承する前に准男爵家の跡取りの紳士と婚約していました。しかし、女男爵になったことで、相手から婚約を破棄されてしまいました。だから、地位や出自で判断されてしまうことの辛さがよくわかるのです。もっとも、私の場合はやはり女男爵だなんて……いくら立派な紳士でもご気分を害されるのは当然かもしれませんが……」
それを聞いた途端、アルバート卿は少し眉を上げて言った。
「そんなことをおっしゃらないでください。その男が自分の小さなプライドで目が曇って、あなたの本当の価値がわからなくなった間抜けな男だったというだけです。あなたのせいじゃない」
アメリアの心に温かさが広がっていく。
自分の意思で女男爵として義務と責任を果たそうと決めて以来、ずっと付きまとっていた不安がようやく確信に変わるのを感じた。
2人は静かに見つめ合い、微笑み合う。
その穏やかな時間が永遠に続くかと思われた。
しかし――。
「――あら?今なんとおっしゃいまして?」
アメリアの心に何かが引っかかった。
温かさで満ちた心に今度はある種の興奮が広がっていく。
「ええと、『間抜けな男』?少し言葉が強すぎましたか?」
アルバート卿は怪訝そうに眉を寄せる。
「いいえ、その前です」
「『あなたの価値がわからなくなった』ですか?」
アメリアのヘーゼルの瞳にはっきりと閃きが走った。
「そうです。『価値がわからない間抜け』!」
――そうだったんだわ。今回の事件で私たちは皆『価値がわからない間抜け』だった。ある一人のレディを除いて。
アメリアは思わず手を叩いて喜びそうになった。
しかし、時間があとわずか。急がなければならない。
「ご家族や事件の関係者を5分以内に一つの部屋に集めていただけません?アルバート卿?」
「どういうことですか?レディ・メラヴェル?」
いまやアメリアは明確に微笑んでおり、逆にアルバート卿は明確に戸惑っていた。
「今回の事件の全容がわかりました。誰がやったのかも、どうやったのかも、おそらく、なぜやったのかも」
「待って。ゆっくり教えていただけませんか?」
「そうしたいところですが、私はあなたのヴィクトリア・アンド・アルバート博物館についての記事をどうしても明朝の<クロニクル>で読みたいのです」
それを聞いたアルバート卿は一瞬目を見開いたが、やがて口元だけでにやりと笑った。
「わかりましたよ。あなたは本当に面白いレディですね」
アルバート卿はすぐに立ち上がって部屋の出入り口へと向かった。
そして、出入り口の前で立ち止まるとその肩越しにアメリアを振り返って言った。
「では、5分後に玄関ホールで会いましょう」
それを聞いてアメリアはにっこりと微笑んだ。




