トルエノの提案②
湖へはすぐ発つというわけにいかず、一ヶ月後を目標に各々準備を進めることになった。トルエノから招待されたとはいえ、ランカステル公爵家の別荘にもそれなりの準備が必要なようだ。
(それもそうよね……トルエノ様の幼馴染とはいえ、アベル殿下は王族だもの。泊まるとなると気を遣うわよね)
話を進めるうち、アベルも一緒に予定の調整をしていることに気がついた。湖へ同行するつもりらしい。
しかし、アベルは学園でも城でも多忙を極めている。そんな彼をクラリスの思いつきで振り回してしまうのは心苦しく、一度はやんわりとその申し出を辞退した。
が、アベルは譲らないのだ。『俺も行きたい』と。
(お顔には出さないけれど、アベル殿下もトルエノ様との気晴らしがお好きなのかもしれないわ。私としては、アベル殿下が一緒に来てくださるとすごく助かるのだけれど)
クラリスはトルエノのことがやっぱり苦手だ。今回の件もそうだが、彼には物事を強引に進めようとする節がある。
そんな時にアベルがいると、その強引さに歯止めをかけてくれるのだ。彼は度々トルエノの言葉を遮り、クラリスに答えを委ねる。『君はどうしたい』『トルエノの言う通りにしなくてもかまわない』と、考える時間をくれる。それがクラリスには有難かった。
(いつか、アベル殿下には絶対に恩返しをしなければならないわ。絶対に……!)
ローランとばあやにも、さっそく湖の話を伝えた。
「絶対に殿下たちのそばを離れちゃ駄目だよ、姉様。何があるか分からないんだから」
ローランは、話を聞くなりそう言った。その顔つきは以前と比べて引き締まり、幾分か男らしくなったように感じる。
「分かったわ。私としては、アベル殿下とトルエノ様に同行して頂くだけでも恐れ多いのだけれど」
「何言ってるの。あちらから招待されたんでしょう? だったらちゃんと姉様を守って頂かないと。遠慮なんかしちゃだめだよ。まず第一に自分のことを考えて」
「え、ええ」
(本当に、急に過保護になっちゃったわね……)
現在のローランはというと、エルデリア城内にある騎士団詰所で鍛錬に明け暮れている。
突然、騎士様に稽古をつけてもらいたいと言い出したときは驚いた。
畑を耕すだけで文句を言っていたローランだったが、ここでは朝早くから夜遅くまで、すっかり騎士団での生活に染まってしまっている。今やクラリスとはすれ違いの毎日で、実は会えるのも久しぶりだ。
「でも、本当にローランも行かなくていいの? ばあやもお城でお留守番するって言うし」
「いいよ。僕がいたら殿下のお邪魔になっちゃうかもしれないし」
「お邪魔? ローランがなぜ?」
「せっかくの旅行なのに、実の弟がいたりしたらアベル殿下だって興ざめでしょ」
「どういうこと……?」
首を傾げるクラリスに、ローランは少し大人びた目をしてため息をついた。
「姉様がこれじゃあ殿下も大変だね。それに、僕には僕のやることがあるから……本当に行かないよ」
「そう……」
ローランは躍起になっていた。次期子爵として、誰も文句を言わせない力をつけるために。
叔父に乗っ取られていたフロレンシオ子爵家は、ローランが成人するまで国の預かりとなる予定だ。爵位は直ちにローランへと移されたが、家と領地については国の手が入ることになる。外部からの目が行き届くことで子爵家を安全に守れるのではと、アベル達から申し出てくれたのだ。
ローランは顔を歪ませたのち、素直にその申し出を受け取った。
悔しかったのだろう。まだ頼りない子供であることも、自分の家族を守る力がないことも。
「時間が惜しいんだ。父上や母上のように、僕だって家を守っていきたいから……」
姉として、ローランの成長に涙が滲みそうになる。
鍛錬の他に領地について学び始めたのも、クラリスは知っている。魚が嫌だ、と我儘を言っていたのがまるで遠い昔のようだ。
「分かったわ。どうか、無理だけはしないで」
「ありがとう姉様。頑張るよ」
そう言って、ローランは照れくさそうに笑った。
「——ということで、ローランもばあやもこちらに留まります」
「そうですか。それではその旨も屋敷へ伝えておくことにしましょう」
「ありがとうございます、トルエノ様。あの、くれぐれもよろしくお伝えください」
トルエノにローランとばあやの不参加を伝えると、彼は何かを考え込むように黙り込んだ。
「トルエノ様……?」
「……その日、僕は先に別荘へ出発します。なのでアベル殿下とクラリス嬢は、あとからお二人でいらして下さい」
「え?」
「なんなら、のんびりと観光などしながらでもかまいません。久しぶりの遠出になりますし、せっかくの機会ですから羽を伸ばしていただいて」
「ちょ、ちょっと待ってください」
それでは、多忙なはずのアベルの時間を余計に使うことになってしまう。それに彼としては、トルエノとの道中を楽しみにしていたのではないだろうか。
久しぶりとなる遠出、それがクラリスと二人きりになってしまうなんて申し訳ない気分になる。
「それでは私たちも、トルエノ様と同じ行程で参ります! アベル殿下はお忙しいかたですし、観光……もありがたいご提案ですが、それならきっと殿下はトルエノ様とご一緒のほうが楽しまれるかと」
「いえ、確認せずとも分かります。殿下はお忙しいからこそ、僕とは別便で、クラリス嬢とゆっくり出発なさりたいはずです」
「そ、そういうものなのですか?」
アベルの幼馴染であるトルエノにきっぱりと言い切られたら、もうその言葉を信じるしかない。
アベルは日々の業務にお疲れだから、たまにはのんびりと寛ぎたいだとか……そのような希望をトルエノに伝えていたのだろうかもしれない。
それならば、クラリスとしては精一杯お供するのみである。クラリスはアベルへ恩返しするチャンスが来たと思い、大いに張り切るのだった。




