手探りなふたり①
ガタゴトと音を立て、馬車がエルデリア城を出発した。
準備期間として設けられた一ヶ月は、あっという間に過ぎていった。これから向かうのは湖近くの屋敷、ランカステル公爵家の別荘である。
トルエノの勧めるとおり、アベルとクラリスは途中に中継の宿をとり、ゆっくりと二日かけて向かう予定だ。
お忍びの旅ゆえに服装や馬車こそ地味なものであったけれど、その周囲には厳重な護衛が控え、結果として大所帯の移動となっていた。
「クラリス嬢、手荷物がやけに多い気がするが……」
クラリスはアベルと同じ馬車に向かい合って座ることとなった。その足元には、この日のために用意した手荷物が積まれている。一般的な手荷物よりずいぶんと多い。
「これはですね……では、まず失礼して」
クラリスは手荷物のひとつから小さなブランケットを取り出した。そして、アベルの膝にふわりと広げる。
「なっ……クラリス嬢、これは」
「長旅になりますし、ブランケットがあると落ち着くかと思いましてご用意しました。どうか馬車の中くらいは、ごゆっくりなさって下さい。私は大人しくしておりますので」
アベルは、突然ブランケットをかけられたことに驚いているようだ。目をパチパチと瞬かせている。
(アベル殿下を驚かせてしまったわ……これは失敗かしら)
けれどまだこれは序の口だ。クラリスは、この日のために色々とおもてなしの準備をしてきた。手荷物が多いのはそのためだ。
ただし、アベルのお供をしようとも、クラリスは彼のことをよく知らない。どうすればアベルを喜ばせることができるのか、完全に手探りの状態だった。
というのも、事前に好みを調べておこうと、トルエノにアベルのことを尋ねたのだが——
『アベル殿下の好きなもの? 殿下はなんでもお好きですが』
トルエノから返ってくるのは、参考にならない答えばかりだった。
『飲み物? クラリス嬢が手渡すものなら、なんでも飲んで下さいますよ』
『趣味? これといってありませんが』
『話題? そもそも、そんなに無駄話をされるかたではありませんから……』
アベルには好みの主張がなく、取り立てて没頭する趣味もない。幼馴染のトルエノとさえ、他愛のない話をすることは少ないらしい。
おおよそ、学園で接していたアベルの印象と一致する。表情や態度から感情が読めず、ゆえに『氷の王子』と怖がられていたことを思い出した。
クラリスとしては満足な情報が得られず、どうしていいものか困り果てた。
だから開き直ったのだ。できることをひとつひとつ試していこうと。
カルボの町で助けられてからというもの、アベルと接する機会が増えた。そしてやり取りをしていくうちにクラリスは分かった。彼は決して冷たい人などではないのだ。
人からの善意はちゃんと受け取るし、こちらの気持ちも汲み取ってくれる人だ。だからこそ、たとえ好みではなかったとしても露骨に怒ったりしないだろうと、そんな安心感もあり……片っ端から手荷物を用意してきたのだった。
「ポットにお茶も用意してきたのです。もう冷めてしまったかもしれませんが、召し上がりますか?」
「あ、ああ。いただこう」
「こちらは柑橘の香りがしてとっても美味しいのです。私はこのお茶が大好きで……」
次は、手荷物からお茶の入ったポットを取り出した。まずはお茶を飲んで、リラックスしていただこうという作戦だった。
しかし王家所有の乗り心地が良い馬車とはいえ、やはり少々揺れている。お茶をこぼしてしまいそうだ。これも失敗だっただろうか……と後悔しつつ、クラリスは慎重にお茶を手渡した。
「馬車の中で、茶を飲むのは初めてかもしれない」
「そ、そうですよね。 すみません」
「良い香りだ。君は、このような茶を好むのだな……」
アベルはお茶をこぼさぬよう、ゆっくりと口をつける。そんな彼が気になって、クラリスはじっと反応を窺った。
(ひとつも文句をおっしゃらないわね……気を遣われているのかしら)
「美味いな。ありがとう」
「い、いえ……! お茶に合うお菓子もご用意したのですが、召し上がりますか? リンゴの砂糖漬けなのですけれど」
「ああ。いただこう」
(本当になんでも受け取って下さるわ?)
トルエノが言っていた通りだった。アベルは何を渡しても嫌な顔をせず、受け入れてくれるらしい。
先ほど手渡したリンゴの砂糖漬けも、「美味いな」と言いながらもぐもぐと頬張りはじめた。クラリスによるおもてなしはあまりにも順調で、これで大丈夫かと逆に心配してしまう。
「お気に召していただけて良かったです。実は殿下のお好みが分からなくて、私の好物ばかり持ってきてしまったので」
「フ……では、今日はクラリス嬢の好物ばかりを食べられるというわけか」
「そ、そうですよね。すみません、私の好物ばかりで……」
アベルの言う通りだ。よくよく考えれば、クラリスの好みを押し付けるようなことをしている。
我に返り、また反射的に謝ってしまった。けれど、こちらの想像に反してアベルは機嫌が良さそうだ。
「君の好物を知ることは嬉しい。俺は好物を作りたくても作れないから、余計に」
「えっ?」
「もし王子に好き嫌いがあったら、それぞれに優劣がついてしまうだろう」
「なるほど……」
(そういうことだったのね……)
彼には好き嫌いが無いわけではない、あえて作ろうとしていないらしい。
王子であるために、好みを公にするだけでも周囲に影響を与えてしまう。だからこそ、アベルは自身の気持ちを強く主張しなかった。
「でしたら……趣味や、特別なご友人を作らないのも?」
「公平に接する自信が無いんだ。だったらなにも特別扱いしないほうが俺は楽だ」
「そうだったのですか……」
思いもかけず、アベルの内面を垣間見てしまった。
彼の立場や性格上、自分の好きなものを自由に選んだり、好みを表明したりすることは難しいようだ。
自分の感情を抑えることで、周囲との公平さを保とうとしている。周りを優先させる人だからこそ、こんなにも我慢しているのだろう。
「お優しすぎませんか……」
「そんなことはない。弱いだけなんだ」
ぽつりぽつりと話しながら、彼はクラリスの好物である柑橘のお茶を大切そうに見つめてくれる。
クラリスはその視線が、なんだか温かなものに感じられたのだった。




