エルデリア城での生活②
「こんなところにいたのか」
「アベル殿下……」
振り向いてみれば、城の裏口にアベルの姿が見える。彼は濃紺の制服姿のまま、こちらへと歩み寄る。学園から帰ってきたばかりなのだろうか。
しかし、アベルにはこんな裏口なんて来る用事も無いはずだ。なぜここにいることがバレてしまったのだろう。
「……掃除をしてくれていたのか」
「は、はい。殿下こそ、どうしてこちらに?」
「えっ……お前、殿下のお知り合いだったのか!?」
ジュストは王子アベルの登場に驚いた様子で、クラリスから距離をとった。
そしてこちらをじっくりと観察したあと、合点がいったように大きく頷く。
「……ああ! もしかしてお前、『女神様』か!」
「えっ!?」
「話題になってたじゃないか。アベル殿下が女神を連れて帰ったとな!」
(話題……!? 私、お城で話題にされていたの?)
たしかに、クラリスはカルボの町で女神のふりを繰り返した。言い訳になるが、カロリーナという純粋な少女を思ってのことだ。
そのおかげで王都でも噂されていたことは知っていたけれど……まさかまだ『女神様』として噂されていたなんて。
湖でも「女神じゃない」と自ら否定し続けていたし、もうそんな嘘みたいな噂なんて消えてしまったかと思っていた。
蓋を開けてみればアベルが連れ帰ったのは金に困った貧乏人で――そんな女神様、いるわけがないのに。
「銀髪に白い肌に……そうか、お前があの女神様だったか。俺なんかじゃ無理だな、殿下に牽制されたんじゃたまらない」
「え?」
「アベル殿下、お邪魔しました。俺はこれで失礼します」
「ああ」
ジュストはアベルに恭しく頭を下げ、逃げるように去っていく。
わけが分からず彼の背中を見送っていると、アベルからの視線を感じた。そういえば、何か用でもあったのだろうか。わざわざ城の裏口に足を運ぶなんて。
「あの、アベル殿下。私に何か御用でしたか?」
「いや……用があったわけではないのだが。ここ数日、君の姿が見えないから探していた」
「それは申し訳ありません。私にも出来る仕事を探しておりまして、落ち葉掃きならと思ってこちらで作業していたのです」
「そうだったのか。このようなことまでしなくても構わないのだが」
アベルは相変わらず、仕事などしないでいいと言う。
冷たい表情からは読み取れないが、やはり旧友思いの優しい人だ。
(やっぱり申し訳ないわね……アベル殿下もあんなところへ出くわしたばっかりに、私達の面倒を見る羽目になってしまって)
そういえばあの時、アベルはなぜ湖にいたのだろう。
あのあたりは民家も多く、畑が広がる農業地帯だが、カルボの町から少し離れれば森が広がるだけの土地だ。つまり田舎なのである。一国の王子が訪れるような場所は無く、タイミング良く助けてもらえたのが不思議でならない。
――とその時、クラリスは先程ジュストから『女神様だったか』と言われたことを思い出した。
もしかしてあの日、アベルも『女神様』に用事があったのではないだろうか。
王都にいたアベルの耳にも、女神の噂は入ってきたのだろう。トルエノからその正体がクラリスであることは聞いていただろうが、もしかするとクラリスに女神の力があるとでも信じたのだろうか。
だから、女神を訪ねてあんな辺鄙なところにある湖へ馬を走らせたのでは。そう思い始めたら、そうだとしか考えられなくなってきた。
「あの……アベル殿下、申し訳ありません」
「……何だ?」
「女神の正体が私で……何の力もなくて、きっとがっかりされたでしょう」
女神を訪ねる人達はみんな、願い事を叶えたい一心で湖までやって来た。でなければ、わざわざあんなところまで来たりしない。
おそらくアベルにも何か願いがあったのだ。なのにクラリスが嘘なんてついていたから。
「がっかり……とは?」
「アベル殿下も、願いを叶えに湖へいらっしゃったのではないですか?」
「いや、たしかに君に会いに行ったのは事実だが」
「やっぱり……すみません。嘘をついて、女神のフリなんかして」
クラリスはアベルに向かって頭を下げた。
女神かと見まごう銀髪が、風に乗ってさらりと揺れる。
「危ないところを助けて下さり、本当に感謝しております。これからアベル殿下に恩返しができますよう勤めますので」
アベルの願い事とは一体何だったのだろう。
もし女神のフリを続けていたら、その願い事も聞けただろうか。少し気になるけれど……目を伏せたままのクラリスは、見蕩れるアベルに気付かない。
「君がそんな風に謝る必要はない」
「でも」
「お、俺は君に会いに行ったのだと言っただろう……」
アベルのものとは思えぬほど自信なさげな声色に、おそるおそる顔をあげてみる。
そこには顔を真っ赤にする氷の王子の姿があった。
わけが分からない。
(え……? 本当に、私に会いに来ただけ? なぜ?)
アベルがそんな顔をするから、胸の奥がやけにざわつく。けれどその真意には気づくことができなくて——クラリスとアベルはお互い向かい合ったまま、無言の時を過ごしたのだった。




