エルデリア城での生活①
一筋の風が、城内の木々をザアッと揺らした。
風に乗って、雲もぐんぐん流れていく。そのもっと高くには、突き抜けるくらいの青い空。
「なんて平和なの……」
足元には積み上がった落ち葉の山。
メイド姿のクラリスは、ホウキを片手に呟いた。
ハリオに襲われかけていたところを運良くアベルに助けられ、エルデリア城での生活が始まってから一週間ほど経った。
カルボの町での暮らしが嘘のように、クラリスは心穏やかな日々を送っている。
クラリス、ローラン、ばあや、三人にはそれぞれ勿体ないほどの個室が用意され、当面はそこで寝起きすることになった。
暖かいベッドに、栄養たっぷりの食事。至れり尽くせりとはこのことだ。恐縮してしまうほどに。
(まあ……殿下ともあろう方が、元クラスメイトを雑に扱うわけにはいかないわよね。なんだか申し訳ないくらいだわ……)
その恩に報いるためにも、せめて仕事を頑張りたいと思うのに――
クラリスは、時間をもてあましていた。
やることが無いのだ。城の裏口で落ち葉を掃くくらいしか。
せっかく城で働けると思ったのに。いざ仕事を探してみてもなぜか何もさせてもらえなかった。
掃除をしようと雑巾を持っても、「駄目です!」と止められるのだ。そしてどこからか別の侍女がやって来て、「ここは私の仕事ですから」とクラリスは追い払われてしまう。
ならば洗濯でもさせてもらおうと思ったのだけれど、そこでも「クラリス様に洗濯させるなんてとんでもない」と追い出されてしまった。たしかに城の洗濯物は特殊だし、クラリスなんかの腕では頼りないかもしれないが……やる気ならこんなにもあるのに。
他に、クラリスに出来ることといえば料理……とも思ったが、城にはすでに腕のいいシェフが何人もいるのだった。そもそも、入る隙などない。カルボの町でクラリスが作れるようになったのは、簡単な家庭料理。スープや焼き魚など、とても城の者達に振る舞えるものではなかった。
(では、皿洗いならなんとか……? いえ、きっと邪魔をしてしまうわ)
皿洗いの光景も覗きに行ったけれど、そこは戦場のようだった。怒涛のように流れてくる食器を、次々と片付けていく使用人達。流れ作業の鬼気迫る迫力にクラリスは圧倒されてしまって、すごすごと逃げ帰ってきたのだ。
自分の無力さに、なんとも情けなくなった。
しかし、仕事をしなくては給金が貰えない。
お金を貰えないのは困る。こうして、ずっとここで世話になるわけにはいかないのだから。
クラリスとローランの目標は、フロレンシオ子爵家を取り戻し、再び屋敷に戻ることだ。しかし、ここで頭を抱えているのが当面の生活資金のことだった。
トルエノが調べた話によると、叔父は事業の失敗により多額の借金を抱えていたらしい。そのため、兄であるフロレンシオ子爵の資産に目をつけたのでは……というのだ。
クラリスは目の前が真っ暗になった。それでは、両親が残してくれていた財産なんてとっくに使い込まれているに違いないだろうし、領地の経営も酷いことになっているだろう。叔父の乗っ取りが不当なものであることはもう周知の事実だけれど、たとえ屋敷を取り戻したとしても、奪われた資産まで取り戻すことはほぼ不可能であるようだった。
とにかく、クラリス達は無一文のままカルボの町からやって来た。このままではこれからの生活すらままならない。
フロレンシオ子爵家を立て直すまで、最低限の生活資金くらいは用意しなければならない。しかし、危機感を感じてメイド長に相談してみても「クラリス様はアベル殿下のおそばにいて下さい」と頭を下げられてしまう始末。
クラリスとしては八方塞がりだった。
(そういうわけにもいかないのよね……アベル殿下のそばにいても、あまり意味は無さそうだし……)
トルエノからも「アベル殿下のために働くように」と強く言われていた。そのため、アベルのそばで待機してみたりもしたのだが。
クラリスが彼のために何をできるというのだろう。アベルの傍には当然お付きの侍従がおり、身の回りのお世話もスケジュールの調整も、全てその者が担っているのだ。学園では彼の仕事を手伝えたとしても、城で出来ることは何も無い。
こころなしか、アベルの部屋にクラリスがいると彼も居心地が悪そうで……話しかけても無言の時間が続くのだ。それも非常に気まずかった。
(邪険にはされないけれど、アベル殿下も私なんかがそばに居たら邪魔なのではないかしら。プライベートなお時間なわけだし……)
――ということもあって、クラリスは仕方なく城の裏で落ち葉掃きに精を出しているわけだった。
ここなら、あまり人目につくことはない。他のメイド達に諌められることもなく、仕事をしていられる。これで「ちゃんと清掃をしておりました!」と言い訳もできる。
とにかく仕事をして、給金を貰わなければ。クラリスは必死だった。
エルデリア城は緑が多い。掃いても掃いても、枯葉はどんどん落ちてくる。けれど、クラリスのおかげで裏口もずいぶんスッキリしてきた。
誰にも頼まれていないが、こうして目に見えて綺麗になるとやって良かったようにも思う。やりがいも出てくるというものだ。
「おっ。今日も綺麗になったなあ」
それに、こうして褒めてくれる人もいる。彼は城の裏口を守る門兵で、名前はジュスト。二十歳くらいに見える、気のいい男だ。
「ありがとうございます、ジュストさん。そう言っていただけると、頑張った甲斐があります」
「掃くだけとはいえ、こんなに広いんじゃ毎日疲れるだろう。メイドにさせるような仕事じゃない気もするんだが——」
「いえ、お気になさらず! 私がしたくてやっているだけなので」
嘘だ。重い枯れ葉を集めるのは結構な重労働だし、一日が終わる頃には身体のあちこちが痛くなる。
けれどお金のためにも、この仕事まで奪われるわけにはいかなかった。クラリスはさも「楽しい!」と言わんばかりに、にっこりと笑顔を作った。
「あんた、いい子だな」
「そんなことはないですよ。これも仕事ですから」
「まさか、この仕事を押し付けられたんじゃないのか? 城のメイド達は肉体労働を嫌うだろう。あんたは新人のようだから、何も知らないと思ってここの掃除を任されたに違いない。俺からメイド長に言ってやろうか。もっと違う仕事を――」
「いえ! 本当にここで落ち葉掃きをしていたいのです!」
ジュストがとんでもなくお節介なことを言い出したので、クラリスは慌てた。メイド長に告げ口されてしまったら、また「アベル殿下のおそばに」と言われることになる。
「そうか。何かあったら俺に言えよ。力になるから」
「あ、ありがとうございます」
やたら親切なジュストに、クラリスは思わず身構えた。カルボの町のことがあってから、どうも人からの好意を疑ってしまっていけない。
ハリオのような人ばかりではないと分かってはいる。けれど、親切の裏側で痛い目を見た今、クラリスの猜疑心は消えなかった。
「なあ、お前の名前は――」
「クラリス嬢」
ジュストと話をしていると、その話を遮るかのように名を呼ばれた。
振り返ると、城の裏口にはアベルが立っていた。




