PLAY148 蝕まれる⑤
酒に溺れ、自堕落な日々を過ごしている父に対して失望がさらに加速していた芦馬。
さっさと酒に溺れることを止めて働けと思いながら学校生活。そして生活の足しにと新聞配達のバイトをしながら過ごしていた。
こうでもしないと生活ができない。
色んな制度でなんとかすればいいのかもしれないが、酒に現実逃避している父にそれをしてしまえばどうなる? 金など全部酒になってしまい、無くなる。
それだけは避けないといけない。
そう思ったから芦馬は新聞配達のアルバイトでためたお金を父の眼が届かない場所に隠し、何とか生活を維持していた。
貧相にはなる。
だが生きるためには仕方がない事。
父に『酒はないか』と聞かれても無視を徹し、少しでも使えるお金を貯金してきた芦馬。
金を貯めることの大変さ。
金を貯めることがどれだけ苦しいかを――芦馬は中学生の時に体験していた。
これが自分のためであれば嬉しいことだが、悲しい事にこれは生活費。
家族が生きるための金。
無駄には出来ない。
そう思い、生活していたある日――珍しく父が酒に溺れていない。素面の状態で帰って来たのだ。
『おい芦馬! 倒産が間違っていたんだ』
父の言葉ははっきりしていた。何より力強かった。
力強くて、小さい時の記憶の中に存在している父の姿を重ねてしまった芦馬。
今までは自堕落過ぎて忘れていたが、この男は芦馬の父親。芦馬と血が繋がっている父親なのだ。
離婚時はあんなことを言っていた父親だが、酒に溺れて逃げていた父だったが、やっぱりこの男は、自分の父親なんだと思い出していた。
感動はしていない。感動はしていないが、安堵が勝ってしまったの方がいいだろう。
『芦馬、いろいろとすまなかったな』
父は言う。芦馬に近付き、芦馬の小さいが角ばった肩に手を置きながら――
父の手は、あの時と同じくらい大きく、そして………暖かかった。
そうアシバは覚えている。
『俺の所為でお前に迷惑をかけてしまった。ずっとずっと迷惑をかけてしまったな。母さんの離婚の時からそうだったな。お前のことを考えずに離婚して、俺は悪い父親だった。お前に相談しておけばよかった。『離婚するけど、お前は大丈夫なのか?』って聞けなかった俺は………父親失格だ』
一時期の酒の逃避が終わった。
今父は、今までのことを後悔し、その後悔と共に芦馬に向けて謝罪の言葉を述べていた。
嘘をついている気がしない。
これはきっと――本音だ。
そう芦馬は思った。
『これから俺は、お前に認められるように頑張ろうと思う。お前のためにも、これからくるだろう未来のために、俺は頑張るよ。全部遅いかもしれないが、それでも――俺は歩もうと思う』
そうすれば――『理の主』様が俺達を幸せにしてくれる。
何かに、亀裂が入るような音がした。
窓ガラスに向けて小石をうっかり投げてしまった時、それが窓に当たり、運悪く罅が入ってしまう様な、そんな音。
びしり。
と――芦馬の頭の中で何かが割れる様な音が聞こえた。
父の口から零れた………『理の主』
どこかで聞いたことがあるその言葉を聞いた瞬間、芦馬はいつぞやか体験したあの女のことを思い出してしまった。
芦馬にしつこく勧誘してきたあの女性。何度も何度もドアを叩いて芦馬のことを呼んでいたあの女性のことを思い出した芦馬は、父の言葉を聞き流しながら脳稼働をフルにして考える。
――なんでこんな時のあの女のことを思い出したんだ?
――どうして父さんの話を聞いてあのことを思い出す? 確かに変な言葉を聞いたけど、なんでだ?
――どうし………て。
フル稼働の頭の中で芦馬は思い出していく。
あの時、女が芦馬に手渡した宗教のパンフレットに書かれていた内容を。
確か………内容はこうだった。
悪い事、後悔してもしきれない様な罪悪感を『懺悔』することで赦しをもらう。
『懺悔』すればこの世の摂理を見ている存在 (以下『理の主』)が赦しの光を与え、幸せの日々を約束する。
『懺悔』しなければならない罪を持っているにも関わらず、『懺悔』を行わない者は『咎』になり、『懺悔』しても救われない。
『咎』になったものを戻すためには『禊』を行わなければいけない。
――ああ、そうだ。思い出した。
芦馬は思い出す。思い出した芦馬に畳み掛けるように父は懐から長方形の紙を取り出した。
普通の紙より少しだけ厚く、画用紙よりは薄い用紙で、白を基準とした文字とイラストが描かれているそれを見て、芦馬は言葉を失った。
やっぱりだ。
そう思いながら芦馬は意気揚々と取り出した父のことを見て、父の言葉を聞いて理解してしまった。
『芦馬! お父さんな――『懺悔の輪廻会』に入会しようと思うんだ! これから幸せになるためには、全部の罪を洗い流してもらわないといけない。懺悔して赦しを貰わないといけないんだ』
だから芦馬――一緒に入信しよう!
父の眼は本気だった。本気で、本当にそこに入信すれば何とかなる。
赦しを貰えれば何もかもがきっとうまくいくと、思い込んでいる。
芦馬は自分の肩を掴んでいる父の手を払いながら距離を取り、できるだけ笑顔を向けながら芦馬は聞いた。
『と、父さん………! それどういうことだよ? そんなことで全部がうまくいくと思ってんのか? 騙されているよ父さん! 現実見ろよっ! 全部の罪を洗い流すと幸せになる? 懺悔して赦しを貰わないと不幸になる? そんなことないって! 人を増やすために言っているだけだよ! 目ぇ覚ませよ!』
『そんなことはない! 俺も最初は半信半疑だったんだ! でも入信している人の話を聞いて、実際に『理の主』の声を聞くことができる依り代様の話を聞いたんだ! この世は理不尽で、腐り切っている! 俺があの時リストラにあったのも何かの間違いだ! 本来なら別の奴がなるはずだった! なのに俺がリストラになった! きっと裏で汚染された者達が素養ある俺を弾こうとしてやったことだと。依り代様は言っていた!』
『そんなドラマみたいなことありえないだろっ!? 少し考えたらわかることだろうが! リストラだって父さんの実力不足か人員整理に会っただけだ! 運が悪かっただけ! 倒産の実力がなかっただけなんだ! 現実見てさっさと再就職先探せよ!』
『再就職先に行ったところで、汚染された奴の命令を聞くなんてできない! これ以上汚されてしまえば穢れが取れなくなる! このままじゃお前にも汚染の危機に!』
『~~~っ! いい加減にしてくれよ………! いい加減にしてくれよぉ………! なんでそんな怪しい団体に入っちまったんだよぉ! おかしいだろ内容を見た限り………、どうして勝手に決めて、勝手に入って、俺は入らないからなっ! 絶対に!』
『そんな………!』
長い口論の末、芦馬は突き飛ばすように父から距離を取って入らないことを主張する。
当たり前のことだが、自分にトラウマの様な恐怖を植え付けた女が入信している場所だ。
常軌を逸している。変な集団に決まっている。
テレビでよく見る宗教団体もそうだった。どれも常軌を逸し、何より逸脱している狂いっぷりを持っている集団もいる。
宗教関連の事件も多数あり、多くの死者が出た事件もあれば国のトップが亡くなる事件もあった。
宗教なんてまともじゃない。
そう思った芦馬は落胆している父を見下すように睨みつけ逃げるように自分の部屋に向かって荷物をまとめだす。
大きめのスポーツバックと小さめのスポーツバック。そしてリュックサックにできるだけ必要なものを詰め込む。
色んな必要な物。
勉強道具もだが新聞配達で稼いだお金もしっかりと持って、芦馬は部屋から出る。
一見すると一人旅でもするのかと思ってしまいそうな量だが、そうではない。
できるだけこの家から離れるために、芦馬は生まれ育ったこの家から出ていくことにしたのだ。
――いずれ、こうなると思っていた。
こうなると思っていたから………、あまり緊張していなかった。むしろ――安心したの方がいいだろうか?
それは芦馬の頃は分からなかった。アシバになっても分からないままだ。
ただ分かることがあるとすれば………こんな親から一日でも離れたいという願いが叶った。それだけ叶えば、十分だろう。
そう思いながら芦馬は父を見下ろす。
父は現在進行形と言う形でパンフレットに描かれている『理の主』のイラストに手を合わせ、体を丸めながら『お願いします。ごめんなさい』と、二つの単語を繰り返し、繰り返し呟いていた。
お願いします。ごめんなさい。
お願いします。ごめんなさい。
お願いします。ごめんなさい。
何に対してお願いしているのか。何に対して謝っているのか理解できない光景だ。せめてどっちかにすればいいのにと思ってしまうが、芦馬はそれ以上言わなかった。
言っても無駄だと理解しているから。壊れてしまった父に向けて『どっちかにしたら?』と言う言葉をかけても無駄なことだと想像ついてしまったから。
ぶつぶつ呟きながらお願いを述べ、謝る父の背中を見つめる。
その背中は、小さい時大きく感じていた背中ではなかった。
広くて、おんぶしてくれた時の暖かい、安心感がある背中ではなく、飲酒の所為で太り、丸くなってしまった背中。その背中を見ても大きく見えるが、安心感はない。むしろ無様に見えてしまうその背中を見て、芦馬は視線を逸らしてドアに向かって歩く。
できるだけ………ゆっくりとした動作で。
――きっと俺は、ゆっくり歩いて、父に止めてほしかったのかもしれない。
――まだ、家族としての思いがあるなら。そんな甘い考えを抱いたから歩みをゆっくりにしたんだ。
アシバは思い出す。
あの時、芦馬は一抹の希望を抱いていた。
宗教に入ろうとしている父でも、自分の行動を見れば気付いて声をかけてくれるかもしれない。
その時、もしその時が来たら、父と話をしよう。
もう出ていくことは決まっているが、それでも父には、自分がしようとしていることに、自分が出て行こうとしていることを――気付いてほしかった。
気付いてほしいと思い、ゆっくりとした動作で歩むが、父の声が『お願いします。ごめんなさい』から変わることなく、どころかどんどん遠くなっていく。
ゆっくりとした動作だったのに、着きたくないドアの前に来てしまった芦馬は背後に視線を向ける。
背後には薄暗い明かりをつけたままぶつぶつ呟いている父の声しか聞こえない。
自分の息子が、今まさに自分の元から消えようとしているのに、それすら気にしていないのか? それとも自分の発言を聞いて見限ったか?
………真相なんてわからない。
というか――わかりたくない。
『はぁ』
芦馬は溜息を一つ吐き、ドアノブに手を掛け、ゆっくりと開けて、そのまま外に出る。
外に出た後、いつもの動作でドアノブから手を放し、ゆっくりとした動作で締まっていくドアを見つめながら芦馬は口元を動かす。
一向に自分のことを気に欠けない父をしまって行くドア越しで見つめ、冷たく、細めた目でその向こうを見つめた後、その場を後にするように歩みを進めた。
ばたん。
ゆっくりとした動作のドアの閉まる音が辺りに響く。
それを聞いてもなお、芦馬の父は繰り返し、手を合わせて祈っている。
祈っている父のことを思い描きながら、芦馬は暗くなってしまった街を歩き、そのまま姿を消した。
『このくそ野郎』
その言葉をもう一度、呟いて………。




