PLAY148 蝕まれる③
「あなたの後悔は分かります。あなたの苦しみは分かります。でもその原因を作ったのは、あなたのことを苦しめてきた人です。その人達に――罰を与えたくないですか? あなたのことを苦しめてきた人に、因果の槍を突き刺したくないですか?」
あなたの苦しみ、私達に分けてくれませんか?
◆ ◆
はぁ?
女の言葉を聞いた芦馬の開口は――『はぁ?』だった。
一体何を言っているんだという心境が短い言葉となって出てしまった結果だが、芦馬の言葉を聞いて眉一つ動かさず、どことか張り付けている笑顔をより笑顔にするために、女は笑みの彫を深くする。
深くした所為で表情筋が悲鳴を上げているのか、ぴくぴくと小さな痙攣をおこすも、女はそんなこと気にも留めず、笑顔の口を開けて芦馬に向けて語る。
『わかります。意味が分からないのでしょう? たいてい初めての人は分からないことを聞かれるとそんな反応をするんです。だからあなたの反応は至極当然の返答です。何も気にすることはありません』
『はぁ………』
女性の言葉を聞いた芦馬は、呆れながら流すような返事をする。
実際気にもしていなかったし、何より本当に何を言っているんだと思っていたから否定はしなかった。
同時に、否定していないということは『いらない』と言う遠回しの言葉なのだから、もうここに長居なんてしても無駄だろう。
そう思った芦馬は呆れる様な音色で――
『そうですか。へ―それは知らなかったな―。でも俺の家って仏教なんでいいですー』
と言って、そのまま勧誘の女性を追い出そうと足を使ってドアの間に挟めている彼女の足を押し出そうとした。
止めていたそれを再開しただけ。押し出して、そのまま外に出したらあとはドアを勢いよく引っ張るだけ。
引っ張ったら鍵を閉めて終了。
そうなるはず。そう………そうなるはずだったのに………できなかった。
『?』
芦馬は押し出していた足の先に違和感を覚える。覚えると同時にすぐに視線を足の先に向けると、芦馬は驚きの顔し、再度女性の顔を見つめる。
女性は彫が深くなった笑顔のまま芦馬のことを見ている。にっこり微笑んで、『敵ではない』こと示しているように表すその顔を見た芦馬は、女に対して更なる嫌悪を表してしまった。
いいや――嫌悪ではなく、不気味な何かを感じ、警戒を上げたのだ。
押し出そうとしていた芦馬の指先に耐えるように、つま先に力を入れてその場から離れないようにしている彼女の行動が、絶対にその色に染めるという執念に見えたから。
相撲取りの様な足の踏ん張り。
それを感じながら、足で押し出すのは無理だと悟った芦馬は、両手で掴んでいたドアの取っ手を――力一杯引いた!
金属の音が聞こえる。同時に聞こえた何かがぶつかる音。
がんっ! がんっ!
と、金属同士の音ではなく、柔らかいものが挟まってしまったかのような、不快感が募る感触。
がんっ! がんっ!
ぴき………。
もう二回引っ張ってドアを閉めようとした時、足元で何かが折れる様な音が聞こえた。
細い枝が折れる様な、そんな音。
それを聞いた芦馬は初めは『何の音だ?』と思ったが、すぐに視線を下に向け、視界の端にそれが写った瞬間、全身の血の温度が急激に下がった。
呼吸も一瞬でできなくなり、思わず口元で変な笛の音を出してしまうくらい、芦馬は震えた。
恐怖に――震えたのだ。
『怖い気持ちもわかります。それは人間になくてはならない感情の一つ。防衛本能なんです』
女は言う。
張り付けた笑顔のまま彼女は言い続ける。
芦馬のことを見て、閉めようとしている彼の行動など気にも留めていないかのように、赤紫になってしまった指を見せつけながら――
『あなたにもちゃんとそう言った恐怖があってよかった………! 最近の人達は度胸試しとか色んな危険なことをしてはその命を投げ出してしまう。それは生んでくれた両親への冒涜ではないでしょうか?』
挟めたせいなのか、ドアを掴んでいる手から一筋赤いそれが流れている。
『同じ人間なのに、その人間の上下関係をつけ、あまつさえ最も必要のないカースト制度をおぼろげながら作り、最下層に何時する人たちをいじめて、上層にいる者達はその光景を見て愉悦に浸る。なぜこんなひどいことができるんでしょうか? いじめられた人たちがかわいそうじゃないですか? 不公平だとは思いませんか?』
足元に広がる赤い水溜まりを無視して、女性は続けて言う。
もう――靴から溢れ出ているそれを見て、芦馬は言葉にできない罪悪感を感じてしまうが、それでも女は言い続ける。
『不公平だとは思いませんか?』
そんな言葉をもう一度言ってから――女性は芦馬に向けて言う。
『私達はそんな人達を救いたい。こんな理不尽な世界を変えようとしているのです』
『はぁ………、世界、ですか』
正直………壮大過ぎて夢見過ぎだ。
そう芦馬は思った。
実際、今のアシバもそう思っている。加えて『そんな夢を抱くなよ。仕事しろ』と罵りたいくらいだ。
だが今は言えない。
過去の自分に『それを言え』と促すこともできないし、過去を変えることはできない。
だからアシバは思い出す。
変えることができない過去をビデオのように再生して。
『そうです。思ったことありませんか? よく聞きませんか? 『悪い奴にはいずれ天罰が下る』と。でも実際はそんなことはない。正直者が損をし、ずる賢い悪い奴が得をする世の中。正直者が悪者に搾取される。それが今の現実です』
『あ、えっと』
『ずる賢い奴はどんなことをしても許されているかのように正直者を踏みつけ、正直者はそんなずる賢い奴の下敷きになり、踏み台となってしまう。そんな世の中なんですよ? なんでそんな世の中になってしまったんでしょうか? 真実はこうです。『世界が腐っているから』! 『世界を統べている輩共が鎖に腐っているから正直者が泥を啜ることになる』! こんなの差別です! こんなの平等じゃない!』
『あの、ちょっと』
『こんな世界で生き残れると思いますか? こんな悪者しかいない世界であなたは生き残れると思いますか? 私は無理です。私は悪者のように心も体も強くありません! あんな奴らのお願いなんてこれ以上聞きたくないし要求も叶えたくありません! あんな他人を罵ることしか才能がないくそ姑の言うことも! そんな姑と同じ親戚の言葉も聞きたくありませんし! 私のことを助けなかったあのくそ男の我儘も! あんな年だけとった赤ん坊の面倒なんて見たくない! 奴隷じゃない!』
そう思いますよね!!!?
長い長い女の言葉を聞きながら、芦馬は無言になることしかできなかった。
見ず知らずで、赤の他人の半生を聞く羽目になるとは思ってもみなかった。そして彼女の顔を見て、恐ろしくなってしまったせいで、何も言い返すことができなかった。
張り付けた笑顔のまま罵倒と怨恨の言葉を繰り出す彼女の姿は、異常だったから。
だから黙ってしまう。
黙ったまま女のことを見て、どう声を掛ければいいのかわからないままでいた芦馬だったが、芦馬の返答を無視して女性はドアの隙間から何かを差し込む。
差し込まれた物は一枚の紙。
宗教のパンフレットと同じかと思いながら芦馬はそれを見降ろす。
絶対に勧誘する気だろうが、そうとはいかない。
そう決意しながらそれを見て、言葉を失った。
心音が高くなる。今まで感じたことがないのに、それを感じると同時に全身から嫌な汗が吹きあがる。
暑い日にかくような汗ではない。じっとりとして、粘着性を持っているあの様に感じてしまう様な、触れるだけで嫌悪しか出ない様な、そんな汗。
その汗が手汗となり、首、脇と範囲を広げ、口腔内の湿り気を壊し、乾かしていく。
脳が変な信号を送っているような感覚だ。
何故こうなってしまったのか。理由は簡単だ。女が手原してきたパンフレットの表紙を見てしまったから。
彼女が手渡してきたそれに書かれていたタイトル――その名も。
『懺悔の輪廻会』
聞いたことがない名前だと誰もが言うだろう。
世界には色んな宗教があるのだ。それが何かしらの理由で世界に知られない限り、女が所属しているであろう宗教も知られないものだった。
そう――過去形。
つい数か月前まで、芦馬もこの宗教のことなど知らなかった。だが数か月前、彼はこの宗教団体のことを知ったのだ。
その理由は後で話すとして………。
芦馬はそれを見て、今までの思い出をめぐりながらこの団体の特徴を脳内で復唱する。
忘れてはならない。
この宗教の異常性を、そしてこの宗教こそが自分達家族の人生を大きく変えてしまった黒幕であることを心に刻んで。
『これ、私が今入信している団体――『懺悔の輪廻会』と言うのですが、この団体で行うことはたった一つ。懺悔です』
『懺悔………』
心音が大きく高鳴る。
これは緊張と恐怖、そして興奮が入り混じった――よくない心音だと芦馬は気付いたが、止めることができなかった。
どんどん大きくなっていく心音に踊らされているかのように、芦馬の気持ちのボルテージがどんどん上がっていく。
感情的になりそうになるが、それをぐっとこらえて、芦馬は張り付けた笑顔で『懺悔の輪廻会』のことをこと細やかに話す女の声に耳を傾ける。
こいつの所為で、この団体の所為で、全部が狂った。
そんな黒い感情を押し殺しながら………。
◆ ◆
〓〓『懺悔の輪廻会』が行う祈り〓〓
悪い事、後悔してもしきれない様な罪悪感を『懺悔』することで赦しをもらう。
『懺悔』すればこの世の摂理を見ている存在 (以下『理の主』)が赦しの光を与え、幸せの日々を約束する。
『懺悔』しなければならない罪を持っているにも関わらず、『懺悔』を行わない者は『咎』になり、『懺悔』しても救われない。
『咎』になったものを戻すためには『禊』を行わなければいけない。




