PLAY148 蝕まれる①
その後のこと。
芦馬の両親は離婚した。
父が母の両親に真実を聞いた後、母の元に向かう――ことはしなかった。
その時、偶然なのか母の退院一日前だったこともあり、父は芦馬に何も伝えず、虎視眈々と準備を進めたのだ。
準備と言っても浮気のように壮大なものではない。淡々と、離婚するための書類。そして考える時間。それだけしか彼は準備しなかった。
もう出す駒は揃っている。それを突き付けて、離婚するだけだと。
小さい芦馬にはわからないことだったが、アシバはこの時のことを思い出しながら思っていた。
母も異常だった。だが父も異常だった。と――
父は自分に相談も、報告もしないで、勝手に母に伝えて離婚しようとしていた。相当頭に血が上っていたのかもしれないが、その時点で失望する要素だ。
本来であれば………、息子の芦馬に伝えて、どっちについて行きたいか、聞くのが普通だろう?
子供の尊重を無視して行おうとしていた父の行動は、異常そのものだった。
片鱗――だったのかもしれない。
幼い時には見えなかった。隠されていた父の本性があったのかもしれないが、もうそれを証明することはできない。
できないが、この時から片鱗があったのは明白だ。
話しを戻そう。
父は芦馬に相談もなく、伝える事なく退院した母に告げたのだ。
この時、芦馬は自室にいたのだが、声はしっかりと聞こえてしまうほど近い場所にいて、芦馬はそれをドアの隙間越しで見て、聞いていた。
だから覚えている。だから聞いてしまった。
ちゃんと、脳に刻まれてしまうほど。
『離婚しろ』
まさかの命令。
『離婚しよう』や、『離婚してくれないか?』等々………もっと別の言葉があったはずなのに、父は退院して、少しずつだが幸せだったあの時間を取り戻そうとしている母に向けて、蔑んだ目で言ったのだ。
離婚の理由はもうわかっている。否――聞いたから父は離婚を切り出したのだろう。
昔行っていたこと聞いて永遠に冷めない愛も冷めきり、どころか嫌悪や軽蔑してしまいそうなくらい母のことを見下していた。
結婚式の愛の誓いなど嘘のように、紙切れのように消し炭になってしまうほどの衝撃の事実。
それは父にとって小さな決断であり、母にとって最悪の言葉でもあった。
勿論――小さい芦馬にとっても、ショックが大きい言葉だった。
『なんで? なんでそんなことを言うのっ? 私と別れたいってこと? なんでよ! 私、流れちゃったのよっ?! 傷心しているのにどうしてそんなことを言うのよっ!』
母の口から放たれた言葉は当然かもしれない。だがどことなく、なんとなくかもしれないが………、自分のことしか考えていない言動にも感じる。
悲劇のヒロインを見せつけているかのような言動。
それを聞いてか、父の怒りは加速する。加速して、熱が上がっていく。
『お前………、なんで自分のことなんだ? どうして理由を聞かないんだ?』
『え? なんでって、わからないから聞いているんでしょっ!? なんで自分のことって………! 考えすぎでしょっ!?』
『いいや考えすぎじゃない。お前、陰で俺のことを嘲笑っていたんだろっ? 芦馬がいじめられているって知ってたか? お前の所為でいじめられている事、知らないのか?』
『いじめって………そんなの悪ふざけでしょっ!? 小学生のいじめごときで』
『ごときなのか? お前にとって! 小学生のいじめは! 小さい事! なんだなぁっっ!?』
母の言動が父の怒りを熱くさせる。
妻として、一児の母の言動ではない。
全部、全部自分のことしか考えていない言動に、父は拳を机に叩きつけた。
大きな音と同時に揺れるそれぞれの湯飲み。そのうち一つが大きく揺れたかと思うと、そのままバランスを崩して机を熱いそれで濡らしていく。
たらたらと面積を広げていく薄緑の液体。
それに見向きもせず、父は母に向かって言ったのだ。
荒げる声で、馬鹿にするような、人間とは思えない歪みを見せながら母に突きつける。
『やっぱりお義父さんとお義母さんの言う通りだった! お前はいじめをしているからそんな認識なんだなぁっ!? 芦馬のいじめを『いじっていた』と言う認識で! いじめていないという認識でいた! いじめている奴はそんな腐った思考回路だからわからないんだったなぁっ!? 全部聞いたぞっ? お前は何人も登校拒否にさせて! 転校! 不登校に自主退学! あろうことかいじめが原因で自らって人もいた!』
だん!
机を叩く音。
今度は握り拳じゃない。掌を使ってたたきつけた。
周りに広がっていた薄緑の液体がたたきつけられたと同時に小刻みに揺れ、触れたところもあったせいで薄緑の被害が壁にまで飛ぶ。
飛沫のように飛び散る液体。
しかしそんなものどうでもいい。
父も、母も、芦馬も――誰も見向きもしなかった。
話しているから――それどころではない。
『お前は人間の屑だ』
父は言い放つ。
愛を誓った相手に向けて………否、もう『かつて』の方がいいだろう。
かつて愛を誓った相手に向けて、父は最低と言える言葉を放った。
『お前は――人間の屑だ! お前の様なやつと一緒になった時間は無駄になった! いいや無駄でなんの生産性も何の利益も生まない時間だった! ただただ自分が愚かだったと思い知らされるだけの………、馬鹿な俺を思い出すだけ! 黒歴史だ!!』
夫婦としての時間も、何もかもが! 俺の黒歴史だ!!
何もかも。
その言葉は母の心にも深く、深く突き刺さったのだろう。
だがそれを聞いていた芦馬の方が、もっと深く突き刺さっていた。
父の言う通りなら………父の言う『母と一緒にいた時間が黒歴史』なら………。
この時の芦馬は小さかった。だから悲しいと思い、泣きそうになった。泣きたかったが泣けなかった。
父の迷惑になりたくなかったから? 泣いても仕方ないと思ったから?
アシバは思った。
泣いても泣かなくても、父の意思は変わらないと思った。
きっと、真実を聞いてから父の心境はがらりと変わり、蔑む相手の血を半分引いている自分のことも、『黒歴史』と思ってしまったから断言した。
断言したから――はっきりと言ったから、泣いても無駄だと悟ったんだとアシバは思った。
泣いても父の心境がころりと変わるわけない。
変わるのは怒りだけ。怒りが沸き上がるだけで心が変わることはない。
真実は残酷なもので、その真実が父を変えて、隠してきた母の本性を暴き――芦馬の心に突き刺さっていった。
『何が………、何が黒歴史よっ! 私の気持ちも知らないで! 私がどれだけ傷ついているのかも知らないくせに! どうしてそんなことを言うのよっ! あんたの方が心無いでしょっ!?』
『おいおい何言ってるんだお前はぁ!? お前のその言葉――ぜんぶぜんぶぜええええんぶ自分が可愛い思考の言葉だろうがっ! 何が傷ついているだぁ? お前に返って来ただけだろうがっ! 性格ブスがっ! 俺の人生の半分返せよっ!』
『なら私の人生の半分返してよっ! これからの人生私に全部捧げてよっ! 子供ができなくなった私のために、傷心の心を癒してよっ! 私可哀そうじゃないっ! どうしてそんなことしか言えないのっ!?』
『ほらなっ!? 結局お前は自分が可愛いって思ってんだろっ? 可愛いと思い、相手のことは下げて下げて蔑んでいた! 性格おわってんだろっ!』
『うるさい!』
『お前もあの時死ねばよかった! なんで死ななかったんだよっ!』
『うるさい!』
『そもそもお前がそんな性格最悪だとは思わなかった! 平気で化けの皮を被っている時点で気持ち悪ぃんだよっ!』
『うるさい! うるさい!』
『お前の顔なんてもう見たくない! 出ていけ!』
『うるさいうるさいうるさい』
『出ていけ出ていけ出ていけ』
『うるさいうるさいうるさい!』
『出ていけ出ていけ出ていけ!』
『うるさいうるさいうるさい!!』
『出ていけ出ていけ出ていけ!!』
『うるさああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああいいいいいいいいいい!!!』
もう、何もかもが最悪の光景。
最悪の記憶。
まだ小学生の芦馬にとって、この光景はトラウマとして刻まれてしまい、母の叫びから一時間………、両親は罵声と罵倒の嵐を繰り広げていた。
夫婦の喧嘩。
ではない。
これは――質の悪い男女の喧嘩。
少しの縁を持った者同士の醜い争い。
その光景を見てしまった芦馬は、精神的に疲弊し、歪んでいく。
結果として――父と母は離婚した。
親権は父が持つことになり、親権を放棄した母は芦馬のことを見下ろし、汚いものでも見るかのような顔をして言い放った。
『あんたなんて――うまなかったらよかった』
吐き捨てるように放たれた言葉。
それがどれだけ簡単に放つことができ、そして――どれだけ傷つける言葉なのか、母は理解しているのだろうか?
していた。
これが答え。
理解していたからこそ、枷がなくなったからこそ言えたのだ。
産まなければよかった。
当時の芦馬の心を更に抉るような言葉。それを捨て台詞として吐いて、母は母でなくなり、一人の女として、父と芦馬の元を去って行った。
――本当は、母と一緒に暮らしたかった。
これは芦馬の心の声。
――だが今は、どっちとも暮らしたくなかった。
――もし、爺ちゃんたちと暮らしていれば、こうならなかったか?
――いいや、結局俺の人生はどん底に向かっていくだろう。
――何をしても、無駄な事だったんだ。
これはアシバの心の声。
何をしても無駄。思い返しても分かってしまうような未来を迎えたから、アシバはそう思い返した。
何をしても地獄。
結局、この両親の元に生まれてきた時点で、終わっていたと………。
本当に、元母の言う通り――生まれなければよかったのかもしれない。
そう思わざるえない体験をするとは、当時の芦馬は知る由もなかった。
母が出て行って、一ヶ月してからそれは訪れた。




