第二話 魔女は姫君を、春の来ない国に閉じ込めた。
――あなたを愛した罪で、世界が冬になるのなら。
エルディア王国には、三つの禁忌があった。
死者を呼び戻してはならない。
神の名を偽ってはならない。
そして、王族は魔女に恋をしてはならない。
「つまり、三つ目だけ妙に具体的なのよね」
王女リゼリア・エルディアは、寝台の上で足を組みながら、禁書をぱたりと閉じた。
「誰か前科でもあるのかしら」
「ございますよ。目の前に」
「まあ。どなた?」
「鏡をご覧くださいませ、この国家反逆級の恋愛脳」
魔女セレフィナ・ヴェルクレアは、淡々と答えた。
銀髪に薄紫の瞳。人の心を読むような冷たい美貌を持ち、王国最強の魔術師と恐れられる女。
ただし、王女の前では威厳が三割ほど減る。
「セレフィナ、口が悪いわ」
「殿下に育てられましたので」
「私のせい?」
「全面的に」
リゼリアは笑った。
その笑顔を見るたび、セレフィナは胸の奥を細い針で刺されるような気持ちになる。
姫君は、春が来るたびに一年の寿命を失う。
生まれたときから、その身には《花喰いの呪い》が刻まれていた。
王国に最初の花が咲くと、心臓に白い花びらの模様が浮かぶ。
花びらが一枚散るごとに、命が削られる。
すでに残された花びらは、三枚。
「今年も春が来るわね」
リゼリアは窓の外を見つめた。
「ええ」
「私、あと三回しか春を見られないのね」
セレフィナは答えなかった。
代わりに、王女の手を取った。
「……春など、来なければよいのです」
「まあ。ずいぶん乱暴な魔女ね」
「今さらでしょう」
リゼリアは、その指に自分の指を絡めた。
「でも、私はあなたと春を見たいわ」
その言葉が、魔女には何より残酷だった。
*
ふたりが恋人になったのは、リゼリアが十八歳を迎えた年だった。
セレフィナは二十六歳。
王宮付きの魔女として仕えていた彼女は、王女から突然、求婚された。
「私と結婚してちょうだい」
「お断りします」
「即答?」
「王位継承権を持つ方が魔女と結婚など、外交問題です」
「じゃあ国を捨てるわ」
「国民に謝ってください」
「あなたが好きなの」
「……卑怯です」
その一言で、セレフィナの理性は負けた。
※
初めて唇を重ねたとき、リゼリアは驚くほど震えていた。
いつも堂々としている王女が、魔女の衣を握り締めている。
「怖いのですか」
「違うわ」
「では?」
「……あなたが、私を好きだと分かってしまったから」
セレフィナは返事の代わりに、もう一度口づけた。
それから幾度となく、ふたりは秘密を重ねた。
王宮の奥、誰も入れない魔女の部屋。
銀の燭台が揺れる寝台で、リゼリアはセレフィナの首に腕を回す。
「ねえ、もっと近くに来て」
「これ以上は、殿下の品位が」
「今さら品位を気にするの?」
「……本当に、困ったお方です」
唇が触れ、息が混じる。
セレフィナの指が背中をなぞると、リゼリアは小さく肩を震わせた。
「セレフィナ」
「はい」
「私を、姫としてではなく愛して」
魔女は、額を寄せた。
「……リゼリア」
その名を呼ぶことだけが、彼女に許された唯一の反逆だった。
*
最初の異変は、王宮の庭に咲いた一輪の花だった。
まだ雪が残る季節。
本来なら咲くはずのない白い花が、石畳の隙間から顔を出していた。
リゼリアの胸に、鋭い痛みが走った。
「……っ!」
白い花びらの模様が、一枚、消える。
「リゼリア!」
セレフィナは倒れた恋人を抱き止めた。
残り、二枚。
春が来るのを待つまでもなく、呪いは進んでいた。
王宮の医師も、神官も、誰ひとり救う方法を知らなかった。
ただ、古い禁書には一行だけ記されていた。
《春を殺せば、花喰いは眠る》
セレフィナはその意味を理解してしまった。
*
「国を冬に閉じ込める?」
リゼリアは目を丸くした。
「ええ」
「……あなた、とうとう正気を失ったの?」
「元より、殿下を愛した時点で正気ではありません」
「それはそうね」
「否定してください」
ふたりは笑った。
けれど、セレフィナの手は震えていた。
「時間を止めるのではありません。季節の巡りだけを封じるのです。雪は降り、川は流れ、人は年を取る。ただ、春だけが二度と訪れない」
「作物は?」
「育ちません」
「民は?」
「飢えるでしょう」
「……それでも?」
セレフィナは目を伏せた。
「あなたが生きてくださるなら」
リゼリアは長く沈黙した。
やがて、魔女の頬を両手で包んだ。
「セレフィナ。私はあなたが好きよ」
「……はい」
「でも、私のために民を殺すあなたは嫌い」
魔女の瞳が揺れた。
「それでも私は、あなたを失いたくありません」
「なら、方法を考えましょう」
「方法など、もう……」
「あなた、王国最強の魔女でしょう?」
リゼリアは笑った。
「私の恋人が、そんなに簡単に諦めるわけないじゃない」
*
セレフィナが選んだのは、《永冬の結界》だった。
王国全土を包む巨大な魔法。
春の訪れを拒む代わりに、王国の外との往来を断ち、国境に近づく者の記憶を奪う。
外の世界では季節が巡る。
しかし、エルディア王国だけは、永遠に冬を生きる。
そして結界の核には、魔女自身の命が必要だった。
「……あなた、私に嘘をついたわね」
儀式の間に現れたリゼリアは、静かに言った。
セレフィナは振り返らない。
「殿下は、お戻りください」
「嫌よ」
「ここにいては危険です」
「あなたが死ぬのに?」
沈黙。
リゼリアは歩み寄り、魔女の背中を抱き締めた。
「私のために死ぬなんて、許さない」
「……では、どうすれば」
「一緒に生きるの」
リゼリアは、魔女の胸に手を当てた。
「結界の核が命なら、ふたりで分ければいいでしょう?」
「それでは、あなたまで結界に縛られます」
「構わないわ」
「二度と王宮から出られません」
「あなたがいるもの」
「……世界に、忘れられます」
リゼリアは微笑んだ。
「世界が私を忘れても、あなたが覚えていてくれるでしょう?」
セレフィナは、とうとう泣いた。
「……なんて、愚かな姫君」
「あなたに似たのよ」
*
王国に春は来なかった。
雪は降り続け、花は二度と咲かない。
畑は凍り、民は飢えた。
国王は魔女を討とうとしたが、王宮の最奥には誰も近づけなかった。
やがて人々は、王女の存在すら忘れていった。
王国の歴史には、こう記された。
《邪悪な魔女が国を冬に閉じ込めた》
誰も知らない。
その魔女が、ひとりの姫を救いたかったことを。
誰も知らない。
姫自身が、魔女と共に罪を背負うことを選んだことを。
*
雪に閉ざされた塔の最上階。
リゼリアは、セレフィナの膝に頭を預けていた。
「ねえ、セレフィナ」
「はい」
「私たち、悪者ね」
「ええ。歴史に残る大悪党です」
「ふふ。お似合いだわ」
窓の外には、白い世界。
遠くの村には、もう灯りがない。
リゼリアはその光景を見つめ、少しだけ目を伏せた。
「……ごめんなさい」
誰に向けた言葉なのか、セレフィナには分かっていた。
だから慰めなかった。
ただ、恋人の手を握った。
「後悔していますか」
「いいえ」
リゼリアは即答した。
「あなたと生きられることが、嬉しいの」
「……私もです」
「でも、悲しいわ」
「ええ」
ふたりは抱き合った。
罪も、後悔も、幸福も、すべて抱えたまま。
リゼリアはセレフィナの唇に口づけた。
「愛しているわ」
「……私も、愛しています」
その言葉だけは、どれほど雪が降っても凍らなかった。
*
世界の狭間。
白い本に雪の結晶が落ちた。
『リゼリア・エルディア。セレフィナ・ヴェルクレア。永遠の冬にて、幸福を確認』
記録者は、静かに文字をなぞった。
「……また、ふたりで選んだんだね」
本の中には、もうひとつの記録があった。
雨の降る駅。
誰もいないベンチに、傘を差しかける老人。
その隣には、若い青年が座っている。
記録者は、二つの幸福を並べた。
「世界は、どちらも間違いだと言うけれど」
白い本が、淡く光った。
「……僕には、そうは思えないんだ」
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古い時計塔。
銀の懐中時計。
そして、まだ出会っていないふたりの名前。
記録者は小さく息を吐いた。
「どうか、あなたたちも」
祈るように、ページへ指を置く。
「最後まで、幸せでいて」
――第二話・了。




