プロローグ「手伝うのだ地球人」
【12月20日 2:43】
「急げ、急げっ……!」
無意識のうちにベタな独り言を呟きつつ、俺は家路を急いでいる。
とは言え、もう深夜の三時だ。そしてついさっきまでバイトで、疲労はMAX。走る気力も体力もない。それでも、ときおり小走りになって少しでも距離を稼ぐ。
…なにを急ぐのかって?ニコチン切れに決まってんだろうが!疲労以上にイライラがMAXなんだよ!
もう何個目だか忘れた飴を、ガリッと噛み潰した。
タバコの販売が禁止されてから、喫煙者への風当たりはますます厳しくなっちまった。禁止される前に買い貯めたのを吸ってるだけなのに、どいつもこいつも犯罪者を見る目でこっちを見てきやがる。
おかげで俺は、どうにか見つけた穴場でしかニコチンを摂取できない環境に追い込まれたわけだ。
「うっ」
角を曲がった先に人影が見え、思わず声が出た。
――が、よく見るとふらついた酔っ払いのオッサンで、心の底から安堵する。
以前このタイミングで警察官に出くわし、俺はあろうことか隠れようとしたことがある。当然見つかって、職務質問。
幸いだったのは、その警察官も元喫煙者だったことだ。事情を話すと「違法タバコには手を出すなよ。あれ吸ってる奴は見りゃ分かるから」と笑いながら見逃してくれた。
さすがにそこまで堕ちちゃいねぇよ。
(けど、部屋に貯め込んだタバコが無くなったら――どうする?
残り何カートンあった?
あれであと何ヶ月保つ?
もし盗まれたら?
もし火事があったら?
――学校だってどうする?
バイトばっか詰め込んで、ろくに履修できてないぞ?
また単位落として…まさか二回目の留年をかますつもりか?
俺の将来、とっくに詰んでないか?)
くそ、ニコチン不足が限界までキてる。普段考えないようにしてる不安が、一気に噴き出してくる。
あぁ、この苦しみは、喫煙者にしか分からねぇんだよな。
もう勘弁してくれ。早く吸わせてくれ。
一服すりゃあ、こんなモンっ……。
急げ!急げ!急げ急げ急げ急げ急げ―――!
そしてようやく、俺の見つけた穴場…自宅近くの公園にたどり着いた。こじんまりとした小さな公園だが、素晴らしいのは奥にある遊具だ。
名前は知らねぇ。見た目はコンクリート製の半球型ドームなのだが、中は空洞になっていて、幾つもの通り穴がついている。
これが歩道側からは思わぬ目隠しになり、裏に回り込んでしゃがみ込めば、まず見えない。
さらに中に入れば、これからの季節には多少の寒さもしのげそうだ。まぁ、少しは風が通るだろうが。
急ぎその遊具の裏に滑り込み、歩道から見えない位置に座り込んでリュックを下ろす。一息つく間もなく、胸元のポケットに震える手を入れる。
どうにか取り出したのは、タバコを一本だけ収納できる金属製シガレットケースと、ターボライター。シガレットケースの底を押し込むと、上部からソレは現れた。
ソレは、この世の何よりも純白な……紙巻きタバコだった。シンプルな、ただただシンプルな、美しいフォルム。
たった一本の紙の棒だが、これは、俺をあらゆる悪夢から救ってくれる棒だ。
――ようやく会えたな、お前にっ。
だが感慨に浸る余裕はない。タバコを咥え、空気を吸いながら火を点ける。何度繰り返してきたか分からない、慣れた動作。
火が点いたことを確認すると、深く……深〜く、煙を吸い込む。タバコの煙が肺に達した瞬間、ニコチンが脳髄まで、指から足先まで染み渡っていくのを感じる。
至福。これ以上ない至福。喫煙者にしか分からない、圧倒的な多幸感。
「はぁぁぁぁ……」
思わず声が出ていた。慌てて口を閉じる。人に見られて通報でもされたら、俺はもうおしまいだ。
犯罪じゃあないが、条例違反には違いない。喫煙用ボックスもあるにはあるが、ここからは遠すぎる。部屋で吸おうにも、あのボロアパートではすぐ隣人にバレて通報される。
ここしかないんだ。ここが俺の生命線なんだ。
ニコチンが脳に染み渡り、頭がクラクラしてきた。それでも吸うのは止めない。こうしてる間にも、少しずつタバコには火が回っている。少しずつ勝手に減っている。ダメだダメだ、全部肺に入れなきゃもったいない。
気がつくともう残り二分の一、というところまで燃え尽きていた。あぁ、あっという間じゃねぇか。
名残惜しさに涙が出そうになった――そのとき。
突然の違和感に、鳥肌がたった。
違う空気の場所に来てしまったような。
来てはいけない場所に来てしまったような。
世界に取り残されたような。
少し吐き気も感じる。急激なニコチンの摂取で気分が悪くなることはあるが、それとは少し違う。
(なんだ、これ?俺、ずっと座ってたよな?動いてねぇよな?)
声も出さず混乱の極みにあった俺に、次の衝撃がきた。
『どんっっ。』
地面に何か重い物を叩きつけたような鈍い音と、軽い振動。――交通事故?
いや、公園前の道路じゃ遠すぎる。もっと近い場所からのものだった。そう、背中越しの遊具を挟んだ……ちょうど向こう側、だ。
次に聞こえてきたのは、尋常じゃなく荒い息づかい。しかも一人じゃない。はぁはぁという呼吸音が、重なっている。
喧嘩だ。なんてこった、タバコに夢中で気づかなかったのか。しかも今の振動は、絶対に素人の喧嘩じゃない。ヤバい、ヤバいヤバいヤバい――。
絶対に音を出さないよう細心の注意を払いつつ、腰を浮かせ、遊具に手をつきながら、ゆっくりと立ち上がる。遊具の通り穴が小さくてよかった。デカい穴なら、とっくに気づかれてたかもしれない。
背を伸ばし、ゆっくりと遊具の上部から目を覗かせる。
そして、目に飛び込んできたそれらを、俺の優秀な脳みそは一瞬にして幼少期の懐かしい記憶と照合させ、忘れていた固有名詞を引っ張り出してきた。
そこに立っていたのは、『グレイ』と『レプティリアン』だった。
グレイは分かるだろ?あの全身灰色の小人で、でっかい頭とでっかい黒い目。ザ・宇宙人だ。お手本のような宇宙人だ。いま見えてるこいつは、身長一五◯センチくらいか。
レプティリアンは……好きな奴しか分かんねぇか。シルエットは人間なんだが、顔はトカゲとか蛇みたいな爬虫類。これも一応、宇宙人だ。こいつは……デカい。一八◯センチはありそうだ。
――やけに詳しいって?これでもガキの頃は本が好きで、図書室の本をよく読みまくってた。そのときにハマったんだよ。タイトルは『宇宙人大全集』だったかな。挿絵が怖くて印象には残ってたんだが……たったいま実物を見るまで、そんな知識はすっかり記憶の片隅に追いやっていた。
そして、「宇宙人の固有名詞を思い出す」という緊急業務を終えた俺の優秀な脳みそは、速やかに、「目の前の宇宙人を認識する」という通常業務に戻った。
(――え?宇宙人?俺、ストレスで、とうとうおかしくなったのか?)
自分の目と正気を疑ったが、あいにく二人の宇宙人は霞むことなく実像を結んでいる。そして、彼らは互いを睨み合っているのだ。
よくよく見ると、グレイは赤いジャケットを羽織り、巨大なハンマーを持っている。ハンマーは地面に振り下ろされ、直径一メートルほどの小さなクレーターができている。多分、さっきの鈍い音と振動は、これだ。
レプティリアンも、コートを着込んだ会社員のような服装だ。こっちは何も持っていない。レプティリアンの武器はなんだったか。確か――。
それ以上の思考を許さぬように、現実は無慈悲に第二ステージに移った。
宇宙人が二人揃って、ギョロリと俺に顔を向けてきたのだ。俺の覗き行為は、あっさりと看破された。
そうだ。なんで俺は逃げなかった?なんで宇宙人の名前なんか思い出してた?なんで宇宙人の服装チェックなんかやってた?
とっとと逃げるべきだったのに。これじゃ――。
だが事態はやはり、俺に思考を許してくれない。
今度は、レプティリアンが俺に背を向けて……逃げ出したのだ。少し身を屈めた次の瞬間には、凄まじい膂力ではるか上空に飛び上がり、夜の闇に消えていった。
その逃走はグレイにとっても予想外だったようで、「あ」と手を伸ばしたまま固まっていた。
――「あ」?
いま、コイツ……喋った?
しかも「Ah」とか「Oh」とかじゃない。日本語の「あ」だ、今のは。
しばらくレプティリアンが消えていった方向を見て佇んでいたグレイは、予想どおり俺の方に向き直った。そりゃそうだ。目撃者は誘拐され、体の隅々まで調査され、記憶を消される(いや、血を抜かれるんだっけ?)。――それが本当のグレイなら。
今のはなんだ。コイツは、グレイじゃない?
ゆっくりと近づいてきたグレイ(多分)は、俺を指差し、――話しかけてきた。
「貴様、ソレを吸えるのだ?」
吸えるのだ?なんだその日本語は。
そして指差してきた「ソレ」は――俺が咥えたままのタバコに間違いなかった。もう燃え尽きる寸前だ。というかまだ残ってたのか。相当長い時間がたったように感じたのだが、実際にはタバコが燃え尽きるより短かったらしい。
俺が何も言わずに口元のタバコに目を落としていると、グレイ(怪しい)はおもむろに自分の首に人差し指をかけた。
いや、正確には首の皮だ。どの部分から指を入れたのか分からないが、まるでよく伸びる薄皮のように灰色の皮を人差し指で伸ばすと――。
一気に、上に捲り上げた!
そして皮の下から現れたのは――人間の女、だった。それもただの女じゃない。人間離れした美少女だった。
紫がかった美しい髪を、無造作にツインテールにまとめている。
気の強そうな吊り目。
小さな顔(グレイの時はデカかったのに)。
整った顔立ち。
こんな娘、今まで見たこと無ぇぞ。
呆然と立ち尽くす俺に、その元グレイの美少女は、あっけらかんと言葉を放ってきた。
その言葉は、この公園に来てから立て続けに起きた予想外の出来事のなかで、最もくだらなくて、最も馬鹿馬鹿しく、そして最も――ロマンチックだった。
「手伝うのだ地球人。この星の危機なのだ」




