紀元400年の流れ
紀元400年の流れ
紀元400年に入り、佐久平の御影新田で、新たな集落づくりが始まっていた。
湧水を使い、米作の状況を好転させた。
佐久平は、広い、米作が出来ることを確認すると、長野盆地から人が入って来て、米作の集落がひろがった。
長野盆地から、最初は農民が入ってきたが、水利や米作の管理者が、移住し、農民に混ざり新たな豪族の種として佐久平に広がっていった。
御影新田の神殿では、なるべく広場でのお祈りが行われた。
それは、春のお祈り、夏のお祭り、秋の収穫祭であり、佐久平では、広く皆が集まるお祭りとして知られた。
御影新田の集落は、神殿の下に田んぼが広がり、湧水をうまく利用している。
その先に小屋が並び、その先に茅等の草が生い茂り始めていた。
農民は、順調に増えていった。
神殿の横には、蔵が出来た。
その横に、長や管理者の住まいが続いた。
御影新田の新たな集落は、美和という巫女を中心に大きくなった。
美和は集落のある佐久平や浅間山の森との関係を意識しながら、慎重に育てていった。
美和には、新しく警護を始めた海彦が夫としてついて、娘をなしていた。
長や管理者は、支配層を作っていたが、美和の言葉が絶対であった。
順調に、穏やかな生活が進んでいた。
佐久平でも、他の集落が、豪族化して、いくつか生まれていた。
佐久平は、本当に広くて、豊かだ。
しかし、たまに起きる地震に、人々は御影新田の美和の祈りに期待が膨らむのであった。
佐久平の奥、千曲川の上流にいた縄文集落やその先の山梨から、少しづつ人が入ってきている。
また、広さを求めて、諏訪から長野盆地への道が千曲から上田盆地、小諸を通り、農民が入り始めていた。
農民の動きにつられ、管理する者たちも、佐久平の平地に向けて人が集まってきているようだ。
浅間山の森は、御影新田との交流を絶やさなかった。
海彦も、警護を集落の中で組織し、山の民との連絡を忘れ無かった。
海彦は、森の民がもたらす情報を美和と共有し続けた。
御影新田では、代が嵩み、気候が安定していて、順調に時代が進んでいた。
代が進むにつれて、森の民は移動するグループとしての動きを強め、御影新田と共に集落を大きくして行っていた。
佐久平では、いくつかの集落が農民と管理者でまとまり、豪族の種なって育っていった。
厳しい自然の中で、佐久平の米作の豪族の種が生まれていった。
秋の空は青く、しかも雲は高くなり、黄金色に輝く稲野穂が、豊かに揺れていた。




