移住
移住
直江津王国では、王族による移住は、新潟にまで及んでいた。
しかし、王は、民の声に悩まされていた。
開拓に限界が生まれ、人の数は増えていく。
支配層の管理者たちは、目の前の作業に夢中だ。
巫女として、教育された子どもたちも新たな問題に対処できない。
元々、縄文巫女との繋がりで生まれた王であった。
縄文巫女は、争わない、民の流れに逆らわないが教えであった。
王となる時、代々引き継がれてきたこの教えを王は大事にしていた。
その点でこの集落は、縄文の匂いが、すると思っていた。
そう俺がそう思うのだ。
保倉川の左岸で縄文集落を拠点とした移動するグループの俺が感じていた。
他の地域での米作が実現することが、現実に上手くいって、他のグループが柏崎や長岡や新潟で成功すると、俺も婆様が自然の流れに逆らうなの意味が分かったような気になっていた。
山を移動する我らは、諏訪で米作の動きが始まっていることも知っていた。
遠く、伊那でも米作は、進んでいた。
しかし、長野盆地や佐久平には、いまだに平地が空いている。
そこで、直江津王国の王に話してみた。
「王よ、あなたが他の土地をお望みならば、俺が長野盆地を教えますよ」
「何、空いている平地があるのか?」
「はい、ここからだと妙高に行き山道を通り、塩尻湖で休憩し、三日、四日で長野盆地の平地にいけます。」
「そこは水はあるのか」
「はい、千曲川という大きな暴れ川があります。」
話はまとまると早い。
管理者を集め、農民も募集し、50人ぐらいの移住民が出来上がった。
春過ぎのある日。
移動が始まった。
移動は馬を使い、米を載せ進んだ。
民は新たな土地に興味を抱いていた。
塩尻湖まで来ると夕方になっていた。
そこに簡易のテントを作り、休みます。
食事は、米を少し食べて済ませました。
翌日は、歩き慣れてないので湖畔で狩りや釣りをして過ごしました。
そして、三日目。夕方に千曲川に到着した。
場所は今の長野市豊野町浅野辺だ。
まずは、田起こしの場所を見つけ、小屋を作ることから始めた。
移住民の息は高く、彼らの耕作の意欲で、早速水田の形が生まれていった。
新たな平地の土地が開拓された。
直江津王国では、報告を待ち、巫女を移動する準備を進めていた。
苗床も準備が進み、いよいよ田植えの段取りも進んでいた。
日差しが強くなり、青空に緩やかな風が吹いていた。




