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「時雨さん、さっきのアレ、わざとでしょう?」
部屋を出て行ってしまった神奈と入れ替わるように応接間に戻ってきた時雨。御幸の対面に腰を下ろした彼は、両手を組み、机に頬杖をついたかと思うと首を傾げながら「何のことかな?」などと、とぼけたフリをする。
「……とぼけたって無駄ですよ。かわいい妹を僕に取られたくなくて、あんな風に邪魔したんでしょう。いいんですか? 神奈さん、怒っていましたよ」
御幸がそう伝えれば、時雨は「なあに、神奈の機嫌はすぐに直るさ」と笑い、使用人に持ってこさせたお茶を呑気にすすっている。胸ほどまである長い髪がさらりと肩をすべるのを見つめながら、御幸は小さくため息をついた。
(こういうところは、昔から変わらないなぁ)
妹の神奈からは「自分のことを、からかって面白がっている」などと思われている時雨だが、実のところ彼女に変な虫が寄り付かないようにと幼い頃から目を光らせたていたのは、他の誰でもない、兄の時雨だったのだ。
今でこそ時雨とは良好な関係を築いている御幸だが、最初は随分と警戒され、冷たい瞳を向けられたものである。
それも全ては妹のため。
帝都随一のエリート退魔師と名高い彼女を、権力や財力目当ての不誠実な男たちから遠ざけるためだった。
『芦屋君、私から君にひとつ聞きたいことがある』
あれは正式な見合いをする前のこと。桐生院家に見合いを申し込みにいった御幸に、氷のように冷たい瞳を向けた時雨はこう言ったのだ。
『もしもの事態に陥った時、退魔師である私の妹は大勢の人間を救うことを引き換えに、君一人を犠牲にすることもあるだろう。そんな非情な選択をする神奈を、君は本当に生涯の妻にする覚悟はあるのか』
真剣な目でそう問いかけてきた時雨の顔は、妹を想う兄の顔だった。
またある時は、美麗な微笑みを浮かべながら『神奈を泣かすような真似をしたら、命はないと思え』と物騒な脅しを受けたこともあるほど。それくらい、目の前の男はたった一人の妹を溺愛しているのだ。
(商いを学ぶため家を出たのも、自分に退魔師としての能力がないことを理解していたから、財力で桐生院や東雲をサポートするため……。全て神奈さんのためなのに、どうしてあんな風に怒らせることばかりするのか……)
これも彼なりの照れ隠しなのだろうか。
父の玄瑞といい、兄の時雨といい、桐生院家の男性陣はいかんせん不器用な所がある。それも親子らしいと言えば、そうなのだが。
「……それで、今回の急なご帰宅の本当の理由は何ですか」
御幸の言葉に目を瞬かせた後、時雨はふと笑った。
「おや、少し会わぬ間に随分と目ざとくなったな」
「長年家を空けていた貴方が突然帰ってきたんです。何か理由があると考える方が自然でしょう?……ただ単に妹に会いたかった、という目的もあるでしょうけれど」
「ハハッ、それは違いない」
時雨はそう言った後、表情を引き締めて庭の木蓮に目を向けた。
「……どうやら帝都内でよからぬことを企む連中がいるらしい。私は、その情報を父や東雲に伝えるために帰ってきたのだ」
そう話す時雨の横顔は憂いを帯びていた。
その後、御幸の両親が桐生院邸に到着したという知らせを受け、二人は夕食会場となる大広間へ向かった。久々に帰宅した時雨を労う和やかな会になると、誰もがそう思っていた。
だが、そんな折に『緊急事態発生』を知らせる式神が到着。退魔師の玄瑞と神奈は急いで準備を整え、現場に急行することになったのは、会が始まってすぐのことだった。




