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「御幸、さま…‥」
顔を上げると、ふと笑う御幸の顔がすぐ近くにあり、胸の高鳴りが一層増す。
にこにこと上機嫌な御幸は、まるで神奈の一挙手一投足を見逃さないと言わんばかり。「どうぞ神奈さんのお気に召すままに」と言って、じっと見つめてくるので、何だか余計に緊張する。
「し、失礼いたします……!」
とはいえ、自分が言い出したことだ。こうなったら腹をくくるしかない。
意を決した神奈は、そのまま御幸の頬から首筋、胸元へと手を滑らせてゆく。緊張と羞恥はあるけれど、同時に「好きな人と触れ合っている」という幸福感を確かに感じられ、心が満たされていく。
「あ……」
その途中、胸元に触れた神奈の手がふと止まった。どきん、どきんと脈打つ心音が着物越しでも伝わってくる。
(胸の音が、速い……)
神奈がそっと顔を上げると、立てた片膝に頬杖をついた御幸に「何ですか」と甘やかな瞳を向けられる。神奈が目をぱちぱちと瞬かせているのがおかしかったのか、御幸はクスクスと笑った後、神奈の頬に手を伸ばした。
「……好きな人に触れられているんです。僕だって、こうなりますよ」
「……っ!」
誘うような視線を向けられ、どくりと音を立てる胸。着物姿ならではの艶やかな色気をふりまく婚約者の姿は、ただただ心臓に悪かった。
「ねえ、神奈さん。……もっと触っていいんですよ」
そう言って御幸の指がすりと耳を撫でてくるので、また胸が高鳴った。小鳥のさえずる声が聞こえるだけの、静かな縁側。風に乗って香ってくる芍薬の花の香りが鼻孔をくすぐり、神奈の長い髪を静かに揺らす。
そんな中、御幸は神奈の長い髪を耳に掛けてやりながら「ほら早く」と甘い瞳を向けてきた。愛しい、愛しい婚約者からのおねだりに、先ほどから胸のときめきが止まらない。
「……好き」
思わず口から零れた言葉は、ほとんど無意識のことだった。そんな神奈の言葉に目を見張った後、御幸は嬉しそうに「僕もですよ」とはにかんだ。
それから熱い眼差しを向けた御幸の顔が、ゆっくりと近づいてくる気配を感じ、神奈はそっと目を閉じたのだが――。
「いやぁ、我が妹も存外かわいい所があるではないか」
二人きりだった空間に、突如として別の人間の声が聞こえてきた。神奈は慌てて御幸の体をがばりと離す。そこには障子に寄りかかり、腕組みをしながらニコニコ……いや、ニヤニヤと自分たちを見下ろす兄の姿があった。
「ああ、気にするな。そのまま続けてくれ。私のことは空気のようなものだと思っていれば良い」
いけしゃあしゃあと、そんなことを言う兄に神奈は拳を握りしめ、肩を小さく震わせた。だが、当の本人はまるで気が付く様子がなく、「さあさあ」などと続きを促している。
いつから見られていたのか。せっかく御幸といい雰囲気だったのに、何てことをしてくれるんだ、この兄は。
そんな怒りがふつふつと湧いてくる。それから神奈は顔を上げ、般若のように目を吊り上げ時雨をキッと睨みつけて一言。
「気にするななど、無理な話に決まっているでしょう!!」
その後、神奈が「お兄様の馬鹿!」と言い残し、その場を後にしたのは無理もない話だろう。




