終息のない別離(1)
その二日後の昼下がり。
パルフィは、ひとりクリスの部屋を訪れた。
部屋に入ると、ベッドから少し離れて遠慮がちに座っていた侍女が、すぐに立ち上がって礼をする。
「姫さま」
それは、侍女のアンナだった。
「ああ、アンナ。あなたが付いててくれたのね」
「はい。姫さまは、お加減はもうよろしいのでございますか?」
「ええ、あたしは、もう大丈夫よ」
パルフィは、もともと怪我は全くなかった。単に疲労が激しいだけだったので、睡眠をとっただけですっかり回復したのだ。つい先ほどの宮廷医師長クレイオスによる診察で、通常の生活に戻っても支障がないとの診断を受け、取るものもとりあえず、侍女のお供も連れずクリスの部屋に駆けつけたのだった。
「それはよろしゅうございました」
それを聞いて安心したのか、アンナの心配そうな顔がほころんだ。
「それで、クリスの容体はどう?」
気がかりな目をクリスに向けつつ尋ねる。
クリスはベッドに寝かされていた。今は眠っているらしい。
「はい、クリス様は、朝方に意識を取り戻されましてございます。クレイオス先生のお話では経過は順調で、あと二、三日もすれば普通の生活に戻れるだろうとのことでございました。今はお薬をお召しになって、お休みでございます」
「そう、もうそこまで回復したのね……」
パルフィは、ほっと安堵の溜息を漏らす。
クレイオスを始め、宮廷医師団の献身的な治療のおかげでクリスが一命を取り留めたというのは、自分が目覚めた時に聞いたが、それ以上の詳しいことは聞かされていなかったのだ。
「わかったわ。じゃあ、すまないけど、少し外してくれるかしら」
「かしこまりました」
それを聞くとにこやかに一礼して、アンナが出て行こうとするが、ふとドアの前で立ち止まった。
「あの、姫さま……」
「なに?」
クリスを見つめていたパルフィが振り返る。
「クリス様は、お目覚めになった時、一番に姫さまがご無事かどうかをお尋ねになりました。私が、ご無事だとお伝えしましたら、それはもう、心から安心なさったようで……。クリス様は、本当に、姫さまのことを大切に思われているのだと存じます」
「あ、そ、そう。そ、それはありがたいことね……」
パルフィが頬を染めて、しどろもどろになる。
「あ、こ、これは、差し出がましいことを申し上げました。も、申し訳ございません」
王女に赤面させたことをアンナが恥じ入るように、慌てて頭を下げた。
「い、いいのよ」
「で、では、失礼いたします」
アンナは、もう一度礼をして出て行った。背後でカチャリと静かにドアの閉まる音が聞こえる。
パルフィは、ベッドのそばにあった椅子を枕元に引き寄せ腰掛けた。そして、穏やかな表情で眠っているクリスの顔を見つめた。
「クリス……」
そして、布団の外に出ていたクリスの右手をとって両手で握りしめる。クリスの体温が、まさに生きている証のように感じられる。
(無事でよかった……)
蘇生呪文で生き返ったとはいえ、光の呪文で胸を撃ち抜かれ瀕死の重体、いや一度は確かに死んだのだ。
(でも、こうなったのはあたしのせい……。あたしが、あなたを……)
パルフィは、苦い思いでクリスの顔を見つめた。
一昨日の出来事でパルフィの気持ちは落ち込んだままだった。覚醒して正気を失ってはいたものの、いったい自分が何をしたのか、全てはっきりと覚えている。
魔族を皆殺しにしたこと。
父王を殺しルーンヴィルを破滅させると脅したこと。
幻術士団と戦い、次々と重傷を負わせたこと。
クリスたちに攻撃呪文を撃ち、あまつさえ命まで取ろうとしたこと。
そして、これらのことがどれだけの愉悦をもたらしたのかまで。
そう、自分は楽しんでいたのだ。
自分にこんな残虐な一面があったのだと思うと、パルフィはいたたまれなくなる。
また、自分が王女であるということも、輪をかけて憂鬱にさせる要因であった。本来なら、民と王国の繁栄のためにあるべき自分が、このような大騒動を引き起こし、もう少しで未曾有の国難とも言うべき大厄災をもたらすところだったのだから。
それだけではない。直接手を下したわけではないとはいえ、結果的に仲間の、それも自分が想いを寄せる相手の命を奪ったことは、悔やんでも悔やみきれない事実であった。
確かにオーガスタスの力には飲み込まれたが、自我まで乗っ取られたわけではない。もちろん、影響はあっただろうが、自分のあずかり知らぬところでやったことではないのだ。全て、自分の意志で行ったことである。
結局は、誰も死者が出なかったとはいうものの、多数の人間に重傷を負わせ、自分の技でクリスが命を落としたという事実は変えられない。パルフィは罪悪感に苛まれていた。
『殿下。気に病まれることはございませぬ』
今朝、見舞いに来たアルキタスは、心が折れそうになる自分を、そう励ましてくれた。
『人は、人である以上どのような聖人君子であっても、心の中に闇と光を持つもの。光があるところ闇があるのは物事の理にして、心の闇をなくすことはどんな者にも叶いませぬ。そして、強大な力を取り込んだ時には、その均衡が破れ、闇の部分が自分を支配してしまうのです。しかも、その力はご自身のものではない。殿下はご自分を責める必要はありませぬのじゃ』
『で、でも、先生……』
『辛い経験をなさったとは思いますが、幸運にして結局は誰も死なずに済んだのです。過ぎたことを悔やむより前を向きなされ。次に覚醒した時のために修行を積まれることこそが肝要なのじゃ』
『次の……覚醒……。先生、じゃあ、やっぱりあたし、まだ……』
『さよう。この力は生まれ持って備わっているものであり、すでに殿下の一部となっておりまする。ゆえに、これでオーガスタスの力がなくなったというわけではございませぬ。さりながら、お見立ていたすに、殿下が力を封じ込めたことで当分は覚醒することはなくなったようじゃ。どの程度かは分かりませぬが、数年とは言わず相当の猶予ができたはず。これからまた修行を積んで、その時に備えなさればよい』
『そう……ですか……』
『殿下。闇を完全になくすことはどんな人間にも不可能とは申せ、抑えることは可能にございます。その修業をこれから積んでいかれればよろしいのです。体と技だけではなく、心も鍛えなさることじゃ。さすれば、いつか再び覚醒なされた時も、惑うことはなくなりましょう』
『はい……』
封じ込めたとはいえ一時的な話に過ぎないということに、落胆の色を隠せないパルフィ。
『……殿下』
それを見て、アルキタスが言い聞かせるように語りかけた。
『今の殿下にとっては、オーガスタスの力は忌まわしきものに映っているかもしれませぬ。じゃが、この力はカトリア王国にとって大切なもの。これまでカトリアが幻術の国として発展し、他国と対等以上に渡り合っていけるのも、この力に拠るところが大きいことは殿下もよくご存知のはず。精進なさることじゃ。さすれば、殿下もカトリア王国の繁栄の礎となりましょう』
『……わかりました、あたしなんとかがんばってみます』
納得出来ない部分はあったものの、とりあえずあと三年で覚醒するという危機は去ったのだ。
結局、自分の力では覚醒を抑えることができなかったが、クリスの死が自分の精神を強く揺さぶり、そのおかげで、押し込められていた自分の心を取り戻し、オーガスタスの力を封じることに成功したのだった。
そして、消えゆくオーガスタスの力を使って、クリスを生き返らせたのだ。
(それにしても……)
一方で、パルフィには一つ腑に落ちないことがあった。
なぜ蘇生呪文が発動したのかということである。
(あたし、どうやってあんな術を……)
反射壁の呪文は、あくまで受けた呪文を強化して跳ね返すだけである。クレイオスに聞いた話では、回復呪文と蘇生呪文では術理が大きく異なるため、回復呪文を強力にするだけでは蘇生呪文になることはないということだった。
あの時、自分は蘇生呪文にするつもりはなかった。というより、そんな呪文など頭に全くなかったのだ。ただ、ルティや回復士たちがクリスを助けることが出来なくても、彼らの呪文の力を結集し、効果を倍増させればなんとかなるのではないかと思っただけだ。
だが、実際に発動したのは回復呪文ではなく、蘇生呪文だったのだ。
(じゃあ、やっぱりあれは夢じゃなかったのね……)
パルフィには、その理由に一つ心当たりがあった。
オーガスタスの力が急速に消失して行く中、反射壁の呪文を必死になって維持しようとしている時だ。突然、ある人物の姿が自分の目の前に現れたのだ。
どことなく透き通るような体であること、そして周りのものたちが何の反応も見せないことから、自分にしか見えていないのはすぐに分かった。そして、幻影を操る幻術士として修練を積んだパルフィにとっては、自分が作り出した夢か、または何らかの力で自分の意識に入ってきたものかは区別がつく。この人物は明らかに後者だった。
その人物が自分に告げたのだ。
『ホウホウ、よくぞ覚醒した力を抑えたものよ。なかなか、やるではないか。その才能に免じて今回だけは助けてやろう。これからも励むのだぞ』
それは、柔和な顔つきの、どこか飄々とした老人だった。だが同時にそれだけではなく、傑出した人物であることは、一瞥しただけでもわかる。
『えっ?』
いきなりのことで、一瞬、呆気にとられた自分を尻目に、その老人はクリスのそばに立つと何やら印を組み、念じる動作を行った。その瞬間、それまで発動していた回復呪文が別の呪文に変わったのだ。それと同時に、猛烈な勢いで自分のマナが吸い取られて行くのが分かった。どうやっているのかは分からないが、この老人は自分のマナを使って術を出しているのだ。
オーガスタスの力が消え、そのうえ急激にマナがなくなり、頭の中が霞み意識が薄れていく。
『あ……あなたは……誰なの? いったい……何を……』
遠のく意識の中でパルフィは尋ねた。
『ん? わしの名の知らぬのか? この国の王女とあろうものが、わしを見ても見分けがつかぬとはな。ホホホゥ』
『そ……それ……どういう……ことよ?』
霞む目を必死に開けて、意識を保とうとする。だが、もう限界だった。体の力が抜けていく。
『まあ、よい。分からぬというのであれば、教えてやろう。わしの名はな……、オ×××××じゃよ』
『……え』
よく聞き取れなくて、聞き返そうとしたところで意識を失ってしまった。そして、自分は今朝になるまで目覚めなかったのだ。
だが、直接あの老人からは正体を聞くことができなかったが、パルフィは落胆していなかった。それが誰だか分かったからだ。いや、正確には現れた瞬間に誰かは分かっていた。ただ、あまりにもありうべかざることゆえ、にわかには受け入れられなかったのだ。
(やっぱり、あの人は……)
これまで、その人物にパルフィは直接会ったことはない。しかし、オルベール王宮に住まうものならどのような者でも知っている。なぜなら、その肖像画が王宮の回廊や広間など、いたるところにかかっているからだ。現に、今このクリスの部屋にも、小さいものだが一枚壁にかけられていた。それだけではない、その人物の名前だけなら大人から子供までカトリア国民全員が知っていると言っても過言ではない。
パルフィの前に現れた人物。
それは、千年前にカトリアート家を興した比類なき幻術師、オーガスタス・カトリアートその人だった。
(あれって、やっぱり本人よね……)
(まさか、オーガスタス本人が出てくるなんて……。あたし……、オーガスタスの力を受け継ぐだけでなく、霊魂まで受け継いだのかしら)
(あ、でも、そういえば、聞いたことある……)
ふと、父王だったかアルキタス老師だったかに聞いた話を思い出した。
オーガスタスの力を受けたものは、覚醒すると、オーガスタスと言葉を交わす機会を得る、と。
その時は、覚醒についてあまり実感がなく、しかも千年も前の先祖が現れるなど、眉唾な話としてしか聞いていなかった。だが、自分の見たのは夢ではない。
あの老人は自分の名前を告げたあと、最後に自分に向かって話しかけてきたらしい。すでに、意識を失っており、何を言われたのかは分からなかったが、かすかに耳の奥に残留思念のようなものが残っていた。
『また会おう』
その声はそう告げていた。
(あれって、覚醒したらまた出てくるってことよね……、ほっといてくれたらいいのに……)
半ばうんざりして、パルフィはため息をついた。
大方の幻術士であれば、伝説のオーガスタスと言葉を交わせるなど、どのような代償を払っても得たい恩恵であろう。しかし、今のパルフィには単なる厄介者にしか過ぎなかった。彼の力のおかげで、とんでもない目に遭わされたのだ。
(まあ、でも……、助けてくれたんなら、感謝しなきゃね)
とはいうものの、あれがなんであれ、助けてもらったことには変わりない。おかげで、クリスを生き返らせることができた。壁の肖像画に目をやって、パルフィは心の中で礼を言うのだった。
ちょうどその時、
リンゴーン、リンゴーン……
どこか遠くで鐘の音が聞こえてくる。パルフィは、物思いからふと我に返った。
相変わらず、クリスは安らかな寝息を立てている。もうここまで回復すれば、心配することもないだろう。
(そろそろ、いかなきゃ……)
一言クリスと言葉を交わしたかったが、眠っているのにここで起こすのも忍びなかった。それに、自分も目覚めたばかりでグレンたちにもまだ会っていない。彼らも心配しているだろうし、何よりもきちんと謝りたかった。
そして、部屋を出ようと、椅子から立ち上がろうとした時だった。
「うう……」
何やらクリスがうめき声を上げた。
「どうしたの、クリス? どこか痛むの?」
目が覚めたのかと、パルフィがクリスに顔を寄せて話しかけるが、クリスは返事をしない。夢でも見ているのだろう。
だが、何か苦しそうな声を出した後、今度は、クリスの目から一筋の涙が零れ落ちたのだ。
「えっ?」
驚いて、クリスを見つめるパルフィ。
「う、ううぅ」
クリスがまたうなされる。なにか悪い夢に違いない。もしかして、起こした方がいいのかと思い始めたときだった、
「サラ……」
かすかにクリスがつぶやいた。
(えっ? いま、『サラ』って言ったわよね?)
(誰のこと……?)
自分の知らない女性の名前がクリスの口から漏れたことに、パルフィは動揺した。しかも、夢にまで見て涙を流すような相手なのだ。ただの知り合いであるはずがない。
(もしかして、お姉様が言ってたことに関係があるのかしら……)
パルフィは、セシリアがクリスと話したときに感じたという、恋愛に対する心理的な抵抗について思い出した。祝賀会の後に言われたことだ。
『もしかして、何かつらいことがあったのかもしれないわね。それを癒やさない限り、クリスは新しい恋には踏み出せない……。パルフィ、あなたすこし大変な人を好きになったわね』
相手の心の動きを感じ取ることができるというセシリアの力はパルフィもよく心得ている。セシリアがそう感じたのなら、おそらくそれは間違いない。
(そりゃ、クリスだってそんな話の一つや二つあるんでしょうよ)
クリスが落ち着いたのを見て、パルフィは椅子に座り直し、クリスを見つめる。
クリスは自分より二つ年上で、自分みたいにお城深くに閉じこもっていたわけではない。
見た目もわりとかっこいいと思うし、なによりおおらかで優しい。自分以外にそんなクリスを好きな女の子がいても不思議じゃない。現に、レイチェルも、クリスに好意を寄せているのだ。それに、クリスだって全くの朴念仁というわけではないだろう。
今の「サラ」も、きっとクリスに深いつながりのある女性に違いない。それに、それがきっかけで新しい恋に踏み出せないなら、よっぽど「サラ」にひどい失恋をして、今だに未練があるということになる。
クリスに自分の知らない過去があって、知らない女性と恋を語っていて、しかも、今もその女性を忘れられないと考えると、無性に寂しい気持ちだった。
(あたし、あきらめたほうがいいのかな……)
地下祭殿でクリスと対峙したあの時、自分のことを『好きかどうかもわからない』と言われたことが、鈍い衝撃となって今も心に残っている。無論、クリスが自分に気があるなどとは思ってはいなかったが、そうやってはっきり言われるのはまた別である。しかも、自分の思いの丈をクリスにぶつけて拒絶されたということですらない。何も言わないうちから勝手に振られるという、いわば、「戦わずして負けた」状態で、そのため、自分の気持ちのやりようがないというか、整理がつかないというか、どうしていいのかわからないのだ。もともと、王宮暮らしの箱入り娘であり、人に恋をするのは初めての身の上である。侍女たちの体験談を聞くぐらいの知識しかないのだ。しかも、「覚醒中に異常をきたし、自分の正気を取り戻すために相手が自分を袖にした」という、極めて稀有な振られ方をされてどうすればいいのかなど、到底分かりようがないのだ。
しかし、一方で、クリスが自分のことを大切だと言ってくれ、実際に自分のために命を投げ出してくれたことが嬉しいということもまた事実だった。好きな相手にそこまでしてもらえて、嬉しくないはずがない。
『君は、僕にとって命をかけても守りたい大切な人なんだ』
クリスが言った言葉が、ずっと心に残っている。思い出すたびに、胸がキュッと締め付けられる思いがする。
そういうわけで、覚醒中にしでかした出来事で落ち込む他に、パルフィの心の中は、想いが叶わなかったショックと、好きな相手から「命よりも大切だ」と言われた喜びという、相反する感情で、千々に乱れていたのである。
そこに、この「サラ」である。パルフィはあまりにも心を揺さぶるような出来事が立て続けに起こって、もう飽和状態だった。
とはいえ、これでクリスに対する自分の気持ちは、もう間違いないと分かった。やはり自分は、隣国から来たこの心優しき魔道士が好きなのだ。
パルフィは、袖のかくしからハンカチを出して、クリスの涙を拭いてやる。すると、それがきっかけになったのか、クリスが目を覚ました。
「……う、うう」
「あ、クリス。目が覚めた?」
パルフィがクリスの顔を覗き込む。
しばらくの間、クリスは焦点が合わないようすで、ぼんやりと目を開けていたが、急に理解が落ちてきたのか、目に光が宿り、嬉しさと安堵の表情に変わった。
「あ、ああ……パルフィ。……よかった、無事だったんだね」
その声を聞いて、先ほどまでのクリスに対する複雑な気持ち----これはありていに言って単なるヤキモチと拗ねているだけだったが----も消え去り、パルフィは思わず涙ぐんだ。
「……バカ。あたしのことなんかより自分の心配しなさいよね」
「よかった……、本当によかったよ……。もう大丈夫なの?」
「ええ。アルキタス先生の話だと、力を封じ込めたから、当分覚醒することはないんだって。これからも修行は続けないといけないらしいんだけどさ」
「そうか……。でも、あんまり無理しちゃダメだよ」
そのクリスの言い方に、パルフィは密かに苦笑し、心が癒される気持ちになった。どうして、この人は、いつも人のことを考えているのだろうと。これでは、どちらが死ぬほどの傷を受けて復活してきたのか分からない。
そして、こんなクリスだからこそ、自分は彼が好きなのだと思った。
「ん、パルフィ、どうかした?」
「ううん。なんでもないわよ……。ねえ、気分はどう?」
「僕? 大丈夫だよ。もう起きてもいいぐらいだ。……よいしょっと」
クリスは、背に枕を支って半身を起こした。
体調がいいというのは事実であるようで、血色もよく表情は明るかった。
「やれやれ、蘇生呪文をかけられた影響なんてないのに、みんな僕を重病人扱いしてさ。大変だよ」
「そう……」
苦笑いするクリスに、パルフィが顔を曇らせる。蘇生呪文という言葉を聞いて、一昨日の出来事が脳裏に蘇ったのだ。再び、申し訳なさと罪悪感で心がいっぱいになる。
「ね、ねえ、クリス……」
「ん?」
「あ、あのね、あたし、あなたに謝らないと……、あたし……」
「パルフィ」
申し訳なさそうにするパルフィをクリスは、穏やかに遮った。
「え?」
「いいんだよ、そんなこと。あの時、君は君じゃなかった。しょうがないよ。それに、聞けば、最後に助けてくれたのは君なんだろう?」
「で、でも、あたしあなたに攻撃呪文を撃って大怪我させたのよ。それに、あたしの出した分身が、あなたを……」
「気にしなくていいよ。もう、こうやって治った、というか、生き返ったわけだしさ」
微笑みながら軽く肩をすくめるクリス。その様子は本当に気にしていないことが感じられた。
「でも……、でもっ」
「そんなことより、君が元に戻ったってことの方が大事だよ。それに、君も元に戻って、僕も生き返って、何もかも元通りじゃないか」
「そ、それは、そうなんだけど……、でも、だからって……」
「それにね」
クリスが茶目っ気たっぷりの表情でふふふと笑った。
「一旦、死んで生き返るなんて経験、滅多にできることじゃないからね。クレイオス先生だっけ? 僕を見てくれたお医者さんに聞いたけど、蘇生呪文なんてもう何百年も使われていなかったんだよね。掛けたパルフィはもちろんだけど、僕もきっとこの国の歴史書に載るよね。『死から生き返った魔道士クリス』なんてね。ちょっとは箔がつくかな」
「ば、ばかね。そんな箔なんてつかなくていいのよ」
「あははは。だからね、君は気にしなくていんだよ」
穏やかなクリスの笑顔に、パルフィは涙が溢れて止まらなくなった。
「バカ……。本当にお人好しなんだから……」
そして、もう我慢できなくなって、ベッドの端に座ってクリスの胸に抱きつき、ぼろぼろと涙を流して泣き始めた。
「おっと」
「クリス、ごめん、ホントにごめん。あたし……」
いきなり抱きつかれて、驚いた表情を見せるクリスだったが、しっかりと受け止め、そして背中に手を回して抱きしめた。
「もう、いいって」
「あ、あたし、怖かった。ホントにあなたが死んじゃうかと思って……怖かったんだから……」
「ああ、そうだね。でも大丈夫だよ」
「よかった……、ホントによかった。あなたが、生き返ってくれて……、クリス……」
「パルフィ……」
「クリス……」
しばらくクリスの胸で泣いたあと、急に恥ずかしさがこみ上げてきたのか、パルフィはクリスから体を離して、椅子に腰掛けた。
「ゴ、ゴメンね、あたし、抱きついちゃって……」
そして、指で涙を拭って照れ笑いを浮かべる。
「いいさ、そんなの」
「それにしても、『自分を殺せ』なんて、ホントに無茶言うんだから……。あたしが言うのもなんだけど、ホントに危なかったのよ」
「はは、ごめんごめん。でも、まあ、そこまでしないと君が正気に戻らないと思ったからね。それに……」
「それに?」
「……僕は、もう自分の大切な人を失くすなんてイヤだったんだよ」
何気無い風に微笑むクリスだったが、その言葉には、何か悲しい響きが感じられた。
パルフィは、先ほどのクリスの寝言と涙を思い出した。
「……ね、ねえ、クリス」
「なんだい?」
「こんなときに、立ち入ったこときいてゴメンなんだけどさ……」
「どうしたの?」
「あ、あのね、言いたくないなら答えてくれなくてもいいんだけど、……サラって誰?」
「えっ?」
不意を突かれたのかクリスは、しばらくの間、パルフィを驚いた表情で見つめた。
そして、静かな口調で尋ねた。
「……どうして、その名前を?」
「さ、さっき、うわごとで言ってたのよ」
パルフィは、どのようにその名前を聞いたのか説明した。
「そうか……」
クリスは表情を悲しげに曇らせ下を向いた。
「あ、あたし、余計なことを聞いたわね。ご、ごめんね」
その顔を見て、パルフィが慌てて謝る。何か思い出すだけで心が傷つくような出来事だと察したのだ。
だが、クリスは何かを決心したかのような顔つきで面を上げた。
「……いいよ、別に隠そうと思っていた事じゃないしね。聞きたいなら話すよ」
「え、いいの? む、無理しなくていいわよ……」
「いいんだよ。それに……、君には言っておいた方がいいと思うから」
もう心は決まったのだろう、クリスの目には動揺はなかった。
「そ、そうなの? な、なら……」
「分かった……。えっと、サラはね……」
「う、うん」
「サラは、僕の幼なじみで……将来を誓い合った人だよ」
「えっ……?」
それを聞いた瞬間、パルフィが顔をこわばらせる。そして、我知らず自分の手を握りしめていた。
「ウ、ウソ……。そ、そんな、しょ、将来を誓い合ったって……、こ、婚約者ってこと?」
しどろもどろになりながらも、何とか言葉を絞り出す。
「まあ、そんなにきちんとしたものじゃなくて、ただ単に当人同士で約束してただけだけどね」
クリスはなぜか寂しげに見える微笑みを浮かべて軽く肩をすくめた。
「そ、そうなんだ。もう約束した人がいるんだ……。そっか……」
パルフィは悄然とうつむいた。好きな人がいるかもしれないとは予想していた。もしかしたら相思相愛の相手もいるかもしれないとまでは考えた。しかし、まさか自分の予想を何段階も飛び越えて、結婚を誓った相手がいるとまでは思っていなかったのだ。予想もしていなかった展開に激しく動揺し、涙が滲んでくる。
「え、あ、ちょっと待ってパルフィ」
「そ、そうとは知らずに、なんかいろいろゴメンね、あたし……」
半泣きで、恥じ入ったように赤面するパルフィ。決まった相手がいる男性に、いわば、「お熱」だったということが恥ずかしかったのだ。
「いや、違うって。人の話は最後まで聞きなよ」
「な、なによ、婚約者がいるのは本当なんでしょ。何も違わないじゃない」
「違うよ、誓い合った人がいるんじゃなくて、いたんだよ」
「………それ、どういうことよ?」
「だから、それを今から話そうとしていたんじゃないか」
「そ、そうだけど……」
「もう、パルフィ、早とちりし過ぎだって……」
やれやれ、とため息をつくクリス。
その一方で、クリスは、自分でも思っても見なかった不思議な感覚にとらわれていた。
(僕は……、パルフィに聞いてもらいたいと思ってるのか……。あれだけ、思い出したくもないと思っていたことなのに……)
もう2年半も前の話なのに、いまだに吹っ切れずにいる出来事。それを、このお転婆で気の強い年下の女の子に聞いてもらいたいと思っている自分に気がつき、クリスは内心意外だった。
「あんまり楽しい話じゃないけど、いいかい?」
「うん、聞かせてほしい……」
パルフィも真剣な眼差しでクリスを見つめている。
「分かった」
クリスは、少し居住まいを正すと、静かに話し始めた。
「……あれは、僕がまだ見習いの魔道士だった頃のことだったよ」




