終息のない別離(2)(挿絵あり)
その日。
自分の村のすぐ近く、山間を流れる川の岸で、クリスはひとり朝から魔道士の修行に励んでいた。
まだ魔道士見習いであったクリスは、父ウォルターの師であったカーティスの元に住み込み、老師の身の回りの世話をしながらランク1を目指していた。マジスタのライセンスを取るためである。
「やっぱり、ここにいたのね」
背後から呼びかけられて、クリスは振り返って汗を拭う。村に続く小道からこちらに向かって歩いてくるのは、うら若い女性であった。
「やあ、サラ。どうしたの? なにか用かい?」
サラは、クリスと同じウィートリー村に住む、一つ上の幼なじみだった。
愛らしい顔つきと柔らかな表情で、気立てがよく優しそうに見える。
そして、ほっそりとした体に、白の長袖ブラウスを肘まで捲くり、フレアを抑えた緑色のロングスカート、胸からひざ下まで届く長い薄い緑色のエプロンという装いに加えて、長い栗色の髪をざっくりとポニーテールにまとめている姿は、彼女を年上のしっかりした女性に見せていた。
二人は、物心ついた時から仲が良く、村に同年代の子供がいないこともあって、常に一緒に過ごしていた。クリスが7歳の時に母アネットが亡くなってからは、不在がちなウォルターに代わって、サラの母親がクリスの面倒を見てくれていた。そのこともあって、家族同然の生活をしていたこともある。
やがて、クリスがカーティス老師のところに住み込むようになったあとも、サラがあれこれとクリスの世話を焼いていたのだった。
「あら、なあに? 何か用がないと来ちゃいけないのかしら?」
サラがからかうように、少し責めるような顔つきで問いかける。
「い、いや、そんなことはないけど……。ぼ、僕も君がそばにいてくれた方がうれしいし……」
「やだ、クリスったら、照れながらそんなこと言われたら、わたしも照れるじゃないの」
「う、うん……」
一体いつからだろうか、二人が互いを異性として意識し出したのは。
姉弟のように仲が良かった二人は、やがて好き合う関係になり、今では、一生共にいると誓い合う仲になっていた。まだ二人とも若い身空とはいえ、それはなにも特別なことではなく、これまで幼い時からずっと一緒にいたのだし、それに、お互いに身寄りの少ない境遇がそうさせたこともあるだろう。
そして、サラの母親が一年前に病で亡くなったということも大きかった。サラの父親は生まれる前に亡くなっていて、親戚も縁遠かった。そのため、サラは天涯孤独の身の上になったのだ。
そのことが、サラを守らなければならないというクリスの気持ちを強くし、よりいっそう二人の距離を一層近くしたのだった。
「ふふ。ホントは用があって来たのよ。朝早くから修行で疲れたでしょ。差し入れ持ってきたわ」
そう言うと、サラは手に持っていた籐編みのバスケットをかざした。
「ああ、ありがとう」
休憩にするかと、クリスはそばの大きな石に腰掛ける。サラも寄り添うように隣に座った。
「はい、どうぞ」
サラがバスケットから水筒を取り出してクリスに渡す。
「ありがとう。……ああ、生き返るねえ」
クリスがゴクゴクと喉を潤して、はあ、と大きく息をついた
「疲労回復の薬草茶よ。疲れが取れると思うわ。あ、それと、お茶請けにお団子も作ってきたから、一緒に召し上がれ。こっちは、体が疲れにくくなる薬草をいれてあるのよ」
「へえ。うん、うまい」
「そう? よかった」
クリスは、差し出された小皿にのっていた団子を一つ口に入れると、美味しそうに味わい、次々とパクついてはお茶を飲んでいた。
その様子を、サラは嬉しそうに見つめていた。
サラは、薬師だった母親譲りの薬草の知識があり、山に入って薬草を摘んだり、調合して薬にしたりして、ときおり、村から一刻ほど離れたところにある街ミルトンまで売りに行って生計を立てていたのだった。
「ふう、ごちそうさま。ありがとう、美味しかったよ。なんか、疲れが取れてきた気がする」
クリスは人心地ついたようで、最後に水筒の薬草茶を飲み干して、一息ついた。
「それは、よかったわ。……それで、どう、調子は?」
「え、あ……、うん。いい感じだよ……」
急に元気がしぼんだかのようにクリスが肩を落とす。
「はあん、そっかあ。その様子だと、火の玉の呪文はまだ出せないみたいね」
「そ、そんなことないよ。も、もう少しで出せそうなんだから」
少しムキになって言い返すクリスに、サラが手を振って苦笑する。
「ふふっ、そんな焦らなくてもいいって。わたし、カーティス先生じゃないんだから。クリスは一生懸命に頑張ってるんだから、そのうちうまくなるって」
「……うん。だといいんだけどね。あーあ。僕は魔道士の才能ないのかなあ」
クリスは大きなため息をつき、後ろに両手をついて空を見上げた。
「そんなことないわ。クリスなら、立派な魔道士になれると思うけどな」
見習い魔道士としての修行は、大きく二つに分かれている。
その一つは、肉体を魔幻語使いにふさわしいものに作り変えることであった。すなわち、マナを体内で生成し、一定量保存できるようにすることである。
そしてもう一つは、初歩的な呪文をいくつか習得することだった。その中で、最も初歩的であり、基本的な要素を含むがゆえに一番最初に修得することになる呪文が、火の玉呪文だった。
クリスは、この火の玉の呪文がすこぶる苦手だった。この呪文を本格的に練習し始めてすでに数ヶ月。まだ、まともに発動させることはできないでいる。そして、この呪文が自由に使えるようにならないと、次に学ぶはずの氷の呪文や緩衝壁の呪文も習得できないのだ。
「うーん。先生は、もう術自体は完成しているから、使えるはずだって仰るんだけど……。一生懸命にやってるんだけどなあ。なぜか発動しないんだよね……」
「ふーん。私は魔道のことはよくわからないけど、きっと、何かのきっかけがあったら、ちゃんと使えるようになるんじゃないの?」
「だといいけどね……」
「うん……」
それから二人は、うららかな春の陽気の中で、互いに何も言わず寄り添い合って岩に座っていた。
昨日までの大雨で、目の前を流れる川は増水しており、いつもより激しく流れていた。しかし、今朝は、雲一つない天気で、春先のポカポカする陽気で心地のいい日だった。何処かから、鳥のさえずる声も聞こえてくる。
お互いに何も話さなくても居心地が良く、心が繋がっている気がする。そんな時間もクリスは好きだった。
しばらくして、ふと、思い出したかのようにサラが口を開いた。
「あ、そうだ。わたし、もう少ししたら、ミルトンまで行ってくるね。ヨハンたちが野菜を売りに行くっていうからその付添いと、ついでにわたしも薬草を売ってくるから」
「あ、そうなの? 分かった。でも、大丈夫? 僕も一緒に付いていこうか?」
クリスがやや不安げに言う。
この辺りは魔物の少ない地域であり、いても低いランクのものである。そのため、夜中に出歩くようなことをしない限り、魔物に襲われる心配は少なかった。また、人里離れた小さな村であるため、村人を狙うような盗賊もいない。
とは言っても、全く危険がないわけではない。クリスは万が一を心配したのだった。
「ふふ、何言ってるのよ、火の玉も満足に打てない人が護衛なんて無理でしょ?」
「そ、そりゃそうなんだけどさ……」
「大丈夫よ。昨日、カーティス先生に火の玉の呪文を作ってもらったから」
「そうなの?」
「ええ。ほら、三つも作ってもらったのよ? 一つか二つでいいって言ったんだけど、先生、心配性だから」
サラはエプロンのポケットから拳よりもすこし小さい3つの水晶玉を取り出してクリスに見せた。透明な水晶の中に、炎のような赤いモヤモヤがゆらゆらと揺れている。
魔法玉は、呪文の力を特殊な水晶に閉じ込めたもので、簡単な念波の組み合わせでその呪文が発動できる。
カーティスには身寄りがなかった。そのせいか、クリスとサラをまるで孫のように可愛がっていた。そして、サラには身の危険が及ばないよう魔法玉の発動の方法を教えていたのだった。
「ホントは三つはちょっとかさばるんだけど、せっかく先生が作ってくれたから」
「でもほら、何かあったら危ないし……」
「もう。先生もあなたも本当に心配性なんだから。大丈夫よ。だから、クリスも頑張って修行しててちょうだい。マジスタになりたいんでしょ」
「……分かったよ。早く一人前にならないといけないしね」
「そうよ。一人前の魔道士にならないと、お嫁に行ってあげないんだから」
「う、うん、サラをちゃんと養っていけるように頑張るよ」
「ふふふ。そうなるのを待ってるわよ」
「うん。……あれ? そのブレスレット、なんだかもうくたびれて来ちゃったね」
クリスは、サラが右手に身につけていたブレスレットに目をやった。先々月のサラの誕生日にクリスが作ってやったものだ。クリスが山で拾ったいくつかの紫水晶のかけらを綺麗に磨いて穴を開け、細い革の紐を通してあるだけの簡単な作りのものだ。
「え? ちょっとゆるくなってきただけだから、まだ大丈夫よ」
サラが、左手でブレスレットを撫でる。
確かに、革紐が緩んで手から抜けそうになっていた。
「もともと、へたくそな出来だったからなあ……」
「何言ってるのよ。わたしが毎日肌身離さずつけてるからよ。それに、わたし、すごく嬉しかったんだから」
「気に入ってくれて嬉しいけど、ちょっと使いづらいよね。もう外しておきなよ。また、別のを作ってあげるからさ」
それを聞くと、サラは首を横に振った。
「ううん。わたし、これがいいの」
「どうして?」
「だって……」
少し照れたような表情で答える。
「クリスが、これをくれたときにね。ずっと一緒にいてくれるって約束してくれたじゃない? わたし、すごく嬉しかった。だから、これはわたしの大切な思い出なの」
「あ、ああ。なるほど、そっか。そんなに大切にしてくれるなら、また後で修理してあげるよ」
「うん。そのほうがうれしい……」
しばらく、ブレスレットを見つめたあと、サラが顔を上げた。
「……ねえ。クリス、わたしのこと好き?」
「え、な、なんだよ、急に……」
クリスが頬を染めて、口ごもる。
「あ、なによぅ、言ってくれないの?」
「だ、だって、そんな急に言われても、恥ずかしいじゃないか……。だいたい、言わなくても分かってるでしょ、何年も一緒にいるんだから。それに、これからもずっと一緒にいるって約束したんだし」
「もう、ほんっとにクリスったら女心が分かってないわね。気持ちが分かってるかどうかじゃなくて、言葉で言ってほしいのよ」
「わ、わかったよ。え、えーと、す、好きだよ、あたりまえじゃないか……」
「うふふ。そんなに照れなくてもいいのに」
「だ、だってさ……」
「本当に、照れ屋さんなんだから。あなたに好きって言ってもらうのも一苦労なのよね……。そうだ、いいこと思いついた。それなら、代わりに合言葉を決めておきましょうよ」
「合言葉?」
「そうよ。『君が好き』っていう代わりに違う言葉で言ったことにするのよ」
「『火の玉呪文が暴発した』とか?」
「ええー、それって、何のトキメキもないわね。『クリス、わたし火の玉呪文が暴発したわよ』とか?」
「ははは、そうだねえ」
「もうちょっと、ロマンチックなのがいいわね。たとえば……、そうね、じゃあ、わたしはクリスのことが好きっていう代わりに『青い空に浮かんだ雲が好き』って言うわね」
「へ? なんで、雲なの?」
「あなたってなんとなく雲みたいな感じがするから。のどかでおおらかだしね」
「そ、そうなんだ」
「ええ。でね、あなたはわたしのことを好きだっていう代わりに、そうねえ、何て言ってもらおうかな……」
「なら『僕はどしゃぶりで気分が重い』とかどう?」
ニヤニヤしながら、クリスが提案した。
「ああ、ひっどーい。あなたそれ、本心じゃないでしょうね」
「いててて、ごめんごめん、冗談だよ」
笑いながら、避けようとするクリス。横から腕をつねられたのだ。
「もう、クリスったら……」
「……じゃあ、そうだね。僕は、『春のそよ風が好きだ』って言うよ」
「えっ」
「だって、僕にとってみれば君は、春のそよ風って感じだし。今日みたいなぽかぽかして暖かいところに、風が吹いていい感じみたいな、さ」
「ふふふ。なんかそんなふうに言われると照れちゃうわね」
少し頬を染めながら、そしてまんざらでもないような表情で微笑んだ。
その時、
「お姉ちゃーん」
「サラ姉ちゃん、早く行こうよう」
村の方から、子供の声が聞こえてきた。
振り返ると、村から様子を見にきたらしい10歳ぐらいの男の子と女の子が手を振りながらこちらに向かって叫んでいた。
「あ、リーナとヨハンか」
「ええ、どうやら待ちきれなくなったみたいね」
クリスとサラが手を振り返すと、キャーキャーとはしゃぎながらこちらに向かって走ってきた。そして、二人の前に来る。
「お姉ちゃん、もう行こうよ」
「早く行かないと、帰りが遅くなるよ」
「ええ、そうね」
「あれ、なんだよ、クリス兄ちゃんたち、またいちゃついてるのかよ」
「ぶっ」
「こ、こら、ヨハン。ませた口を利くんじゃありません」
「わあ、ごめんごめん」
サラがげんこつを振りかざすふりをすると、ヨハンが頭を抱えて後ずさりする。
「もう、ほんとに。……あ、そうだ」
そこで、サラは面白いことを思いついたかのような表情になった。そして、いかにも楽しそうに、クスクスと笑いながら、クリスに話しかける。
「ねえ、クリス。わたし、ね、青い空に浮かんだ雲がとても好きよ」
それを聞いたクリスが途端に赤面して、しどろもどろになった。さっきの会話を思い出したのだ。
「ちょ、サ、サラ……、い、いきなり、何を……」
「じーっ」
照れて戸惑うクリスを、サラが意味ありげにジッと見つめる。
クリスは観念したようにため息をついた。
「はあ。分かったよ。え、えーと、なんだっけ? そ、その……、僕は春のそよ風が好きだよ」
「うんっ」
満面の笑みを浮かべ、サラがうなづく。それを、ぽかんとした表情でヨハンたちが見つめていた。
「クリス兄ちゃん、天気の話でなんでそんなに赤面してるの?」
「お天気の話が恥ずかしいの?」
「い、いや、それは、なんというか……、大人の事情というか……」
「ふうん」
「へんなの」
「あはは、さ、わたしもすぐに行くから、ヨハンたちは先に支度しておいて」
「うん、分かった」
「サラお姉ちゃんも、すぐに来てね」
ヨハンとリーナは、また仲良く駆けて村に戻っていった。
それを見送って、クリスがサラに向き直って文句を言った。
「ふう、もう、いきなり言わせないでよ。ビックリしたじゃないか」
「ふふふ、でもちゃんと人前でも言えたじゃない」
「ぎ、ぎりぎりだけどね」
「あはは。クリスったらホントに恥ずかしがり屋なんだから。でも、女の子って、きちんと言葉にしてもらわないと、不安になったり寂しくなったりするんだからね。ちゃんと言ってくれなきゃ」
「ぜ、善処します……」
「ふふ」
クリスの反応が可笑しかったのか、楽しそうに笑うと、サラは岩から立ち上がってクリスを振り返った。クリスも立ち上がる。
「じゃあ、クリス、わたしももう行くわね。夕方には帰るから。今日はカーティス先生はいないのよね?」
「うん。アルティアに用があるって」
「それなら、晩ご飯はわたしが作ってあげる」
「ホントに? それは楽しみだな。気をつけて行ってきてね」
「うん。それじゃあ、んー……」
サラが、意味ありげに視線をくれたあと、目をつぶって顎を少し上げた。
「え、えーと……」
クリスはやや赤面しながら、サラの両肩に手を置き、そのままサラに顔を寄せて口づけた。
「うふふ。ふたりきりの時は、これくらいできるのにね?」
少しはにかみながら、サラが上目遣いにクリスを見つめる。
「だ、だって……」
「もう。じゃ、行ってくるわね」
「うん、気をつけて」
「ええ。あなたも頑張ってね」
サラは軽く手を振って、幸せそうな表情で去って行った。
(よし、もうひとがんばりするか)
サラを見送って、クリスは自分もまた幸せな気持ちになって、また火の玉の練習に戻ったのだった。
そして、それがサラとの永の別れになろうとは、この時のクリスには知る由もなかった。




