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公認魔幻語使い(マジスタ)の日常生活  作者: ハル
◆第三巻 幻術の国の王女
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死闘の果てに(4)


「クリス、クリスっ、お願いだから、目を開けて!」


 パルフィが、必死に呼びかけながら激しく揺さぶると、クリスが呻きながらも意識を取り戻した。


「う、うぅ……パ……パルフィ……」

「クリスっ」

「よ……よかった……、いつもの……君だ……」

 

 クリスは正気に戻ったパルフィの様子に、安心したようにかすかに微笑んだ。しかし、その目に宿る光には力がなく、弱弱しいものだった。また、苦しげな声にも力強さはなく、かすれている。魔道士としての魔力だけで辛うじて命を長らえさせているだけで、常人ならば、とっくにこと切れているはずの傷と失血なのだ。だが、それも限界に近づいているのは明らかだった。


「そうよ、あなたのおかげよ、クリス……」

「や……やっぱり……君は……元のままが……いいよ」

「クリス、あ、あたしのせいで……、ごめん、ごめん……」

「君のせいなんか……じゃない、気に……しないで……。君が無事なら……、僕は、それで……」

「ク、クリス、今、楽にしてあげますからっ……」


 クリスの苦しそうな表情を見て、ルティが涙をこらえながら、必死に呪文をかけた。青い光が一瞬、クリスを包み込んで消えた。おそらく、痛みを和らげる呪文だったのだろう、クリスの表情が幾分和らいだ。だが、回復呪文はもう効かない。顔色はもはや紙のように白く、生気もなかった。最後の時が迫っていた。


「しっかりしろ、クリスっ」

「ク、クリス、気を確かに持つのだ」

「……ごめん、み、みんな……、どうやらここで、お別れ……みたいだ……」


 だが、クリスはすでに自分の状態を悟っているのか、穏やかな表情で皆に別れを告げた。


「バカ野郎っ、そんな言い方するんじゃねえ。てめえは、こんなところでくたばりゃしねえよ。根性見せろ。死ぬんじゃねえ」

「クリス、傷は浅い。気弱な事を言うな。わ、私たちを置いて先に逝くなど許さんぞ」

「そ、そうですよ、クリスがいなくなったら、私たちはどうすればいいんですか……、生きて……、生きていてください」


 だが、クリスはもうグレンたちの言葉に反応する力もないようだった。目の焦点も合っていない。意識が朦朧とした状態で、言葉を続ける。


「い、今まで……ありがとう……、み……みんなに……会えて……よかった……」

「お、おいっ」

「いやよ、クリス、お別れなんて言わないで」

「また……いつか……一緒に……」


 クリスが、グレンたちに向かって、よろよろと自分の手を伸ばそうとする。

 グレンは、すかさずクリスの手を取り、強く握りしめる。すぐさま、パルフィもクリスの手を握り、さらにその上から、ミズキ、そしてルティも自分の手を重ねた。


「当たり前だ。オレ達は仲間だろうが」

「そ、そうよ、クリス、私たちはいつでも一緒よ……」

「そのとおりだぞ、クリス」


 ミズキは、空いている方の手でぐいっと涙を拭って、無理やりクリスに微笑みかけた。


「お前の心は我らと共にある」

「そうですよ、それに、た、たとえ、死が私たちを分かつとも、必ず私たちはまた逢えますよ……ううぅ」


 すでに、ルティは涙を止めることができないようだった。


「うん……。あり……がとう……。み……んな……元気で……ね……」


 それを聞いて嬉しかったのだろうか、最後にかすかな微笑みを見せて、クリスが眠るように目を閉じた。


「お、おい、クリス、死ぬんじゃねえ。クリスっ」

「目を開けろ。クリス! 死んでくれるな」

「クリス、うううっ……」

「クリス、いやよこんなの、いやいや。死なないで。お願い、行かないで、お願いよ……」


 パルフィがクリスを抱きしめながら、必死に呼びかける。しかし、クリスはもう動かない。顔色は生気がなく、死人のそれであった。ただ、パルフィを救い、仲間に見送られて、悔いがなかったのだろう、その死に顔は穏やかで満ち足りた表情を浮かべていた。


「クリス……。あたしのせいで……、あたしが、あたしが……、クリス……ウワァァァァァァ」


 パルフィは、クリスの頭を抱えるようにして大泣きし始めた。


「ちくしょう……ちくしょう……」

「くっ……うぅ」

「うううぅぅ」


 そのそばで、グレンとミズキは肩を震わせ涙を流していた。ルティは、神官らしくクリスに祈りの言葉を捧げようとしたが、悲しみのあまり言葉にならず、そのまま床にへたり込んだ。そして、滂沱と流れる涙もそのままに、ただ泣きじゃくっていた。


 しばらくの間、誰も何も言わなかった。聞こえてくるのは、ただ、四人の嗚咽と、奥の方で回復士たちが幻術士に回復呪文を掛ける音だけである。


 と、そのときだった。

 何の兆しもなく、いきなりパルフィの体が淡く発光したのだ。


「え?」


 そして、

 空気の漏れるようなかすかな音と共に、その光が少しずつ薄くなっていく。


「な、なんだ?」

「何事だ?」


 突然の出来事に、一瞬、悲しみを忘れて一同が顔を上げる。


「なにこれ……?」


 パルフィも自分に起こっていることが理解できず、戸惑いの声を上げて、発光する自分の体を見回す。

 だが、その謎はアルキタスが解いてくれた。


「おお、殿下。魔力が減少しつつありますぞ。オーガスタスの力が急速に閉じていくのが感じられます」

「なんだって」

「なんと……」


 アルキタスの言う通り、パルフィが正気に戻ってからも感じられていた魔力のオーラが徐々に弱くなっていったのだ。


「あたし……、ホントに元に戻るんだ……。力が……、オーガスタスの力が、消えていく……」


 パルフィが、自分の左手を見つめてつぶやいた。

 あれほど自分を翻弄し変質させた力が、今再び眠りにつこうとしている。これで、本当に危険が去ったことになる。王女による市民殺戮や王族の虐殺などという未曾有の国難も避けられた。大祭殿を幻術士団ごと爆発させて王女を処刑するということもしなくて済んだ。

 だが、そのために、あまりにも大きな犠牲が払われたのだった。


「クリス……、あなたのおかげよ……。あなたのおかげであたし……、クリス、クリスぅぅぅ」


 パルフィは、クリスに話しかけるように感謝の言葉を述べるが、また涙がこみ上げてきたのか、最後はクリスの名前を呼ぶだけで言葉にならなかった。


「クリスよ」


 国王が沈痛な表情でパルフィのそばに立ち、クリスの亡骸に向かって話しかけた。


「己の命をかけて王女を助けてくれたこと、心から礼を言う。そなたが示した献身と自己犠牲は永遠に我が国で語り継がれていくだろう。有難う。今は安らかに眠ってくれ」


 そして、大声を張り上げた。


「誰か、クリスの亡骸を王宮まで運んでくれ。くれぐれも丁重にな。救国の英雄として国葬にするのだ」

「ハハッ」


 ルキウスが、一礼し、幻術士たちにテレポートを命じる。

 だが、その時、パルフィがクリスを抱えたまま、ものすごい勢いで顔を上げた。


「ルティ!」

「えっ、は、はいっ」


 突然、大声で呼ばれ、ルティがあわてて返事をする。


「私に回復呪文をかけて!」

「えっ?」


 ルティが理解できないという顔でパルフィを見つめる。パルフィは全く無傷なのだ。回復呪文を掛ける理由がない。


「いいから、早くっ」


 そして、クリスの遺体をそっと床に横たえ、涙を拭くと、猛然と立ち上がった。


「回復士のみんなもお願い、あたしに回復呪文をかけてちょうだい」


 後ろを振り返り、負傷した幻術士を治療している回復士に呼びかける。

 だが、彼らも言われていることを(つか)みかねるように、互いに顔を見合わせていた。


「で、殿下、それはどのような……?」


 ルキウスがどういうことか尋ねようとするのを激しくさえぎるパルフィ。


「いいから、早くして、説明してるヒマはないの」

「で、ですが……」

「無礼者! 王女の命令です。早くなさい!」


 なおも聞き返そうとするルキウスに、パルフィが真剣な眼差しで強く命じる。それは、まさに王女の号令と呼ぶべき威厳が備わっていた。


「か、かしこまりました。ぎょ、御意のままに」


 その威厳に気圧され、ルキウスが振り返って回復士たちに命じる。


「早く! オーガスタスの力が消えちゃう」


 そして、自らを包む光が徐々に輝きを失いつつある中、パルフィ自身も両手で印を組み、必死の表情で呪文を唱える。すると、自身の体に沿って別の色の光が包み込んだ。だが、その光はまるでロウソクの炎のように、ゆらゆらと揺らめき、時折消えそうになったり、激しくなったりして安定していない。オーガスタスの力が消えつつある今、呪文の制御が困難なのだ。


「あれは、確か……、呪文を跳ね返すシールドじゃねえか……?」


 ルティが回復呪文を唱える横で、グレンがミズキに問いかける。


「うむ、最前、パルフィが使っていたものだな。発動が不安定なようだが……」

「だが、そんなもの出してどうしようってんだ……?」


 パルフィは、おそらく呪文を維持するのに必死なのだろう、光に包み込まれた後も真剣な表情で印を組み念じ続ける。そして、かすかにつぶやいた。


「お願い、間に合って……」


『ヒール』


 回復呪文が次々とパルフィに飛んでくる。それは、一旦まとめてシールドに吸収されると、一つの大きな光の固まりとなって、一気にクリスに向かって跳ね返った。

 呪文の光を浴びて、クリスの体が薄い緑色に発光する。

 それを見て、グレンが声を上げた。


「そうか! 確かこのシールドで跳ね返った呪文は元の呪文より強くなるんだったよな」

「おお、そうだ。それならば……。どうだ、ルティ、これでクリスは助かるだろうか?」


 ミズキも、すがるような眼差しでルティを振り返る。

 だが、回復呪文を唱え終えて、様子を見ていたルティが首を横に振った。


「いえ……、残念ながら、すでにクリスの魂は肉体を離れてしまっています。回復呪文をいくら強力にしても、死者を蘇らせることは……」

「……だめなのかよ?」

「はい……、回復呪文はあくまでも肉体を修復する呪文です。呪文が強力になった分、さっきより体の損傷は回復したようですが、肉体から離れた魂を戻す効力はありませんので……」


 沈痛な表情で、ルティが言った。


「……そうか。いい考えだと思ったんだがな」

「ああ」

「残念です……」


 失望と、そして、クリスを失った事実を再び突きつけられて、言葉をなくす。


 だが、そのとき不思議なことが起こった。突然、呪文の光が緑から黄白色に変わったのだ。それに合わせて、クリスの体も黄白色に光る。


「あれ?」


 ルティが意外そうな声をあげた。


「どうした?」

「何か別の呪文が発動しています……、こ、これは、回復呪文ではありません……」

「何だと?」


 ルティの言葉を証明するように、呪文を受けて淡い白色に光るクリスのそばで、薄い黄白色のもやのようなものが空中に現れ、漂い始めたのだ。それは、最初、小さく薄い塊にすぎなかったのに、それが段々と集まってきて色が濃くなり、音もなくクリスの体に向かって降りてくる。そして、次々と体内に吸い込まれていった。


「えっ?」

「な、なんだ、こりゃあ……」

「どうなっているのだ、一体?」


 これまで見たことのない呪文に戸惑いの声を上げるグレンとミズキ。その隣で、


「こ、これは……ま、まさか……」


 ルティが息を飲んだ。近くにいた回復士たちも、信じられないものを見ているかのような表情である。


「どうしたのだ?」


 国王が誰ともなく問いかける。


「へ、陛下。これは、そ、蘇生呪文にございます……」


 回復士の一人が、驚きのあまりどもりながら答える。


「なんだって?」

「蘇生呪文だと?」

「なんじゃと、それは、誠か?」


 アルキタスも驚いたようにルティを見た。


「は、はい。私も実際に見るのは初めてなので、あくまでこの術式からの推測ですが……」

「では、クリスは生き返ると申すのか?」


 国王も信じられないという表情で、ルティに尋ねた。


「は、はい。おそらく……」

「おお、すげえ……」

「で、でも……どうして、こんなことが……」


 腑に落ちないという顔つきで、ルティがつぶやいた。


「どうした?」


 そのつぶやきを聞きつけて、ミズキが問う。


「あ、いえ、どうしてこんなことが起こるのかと……。蘇生呪文は、あまりにも高度な呪文ゆえに、もう何百年にもわたって習得したものが出ていないため、すでに失伝したと言われているんです。それが、このような形で発動するなんて……。それに、回復呪文と蘇生呪文は全く別の呪文なのに……」

「ただの回復呪文を強くしただけってわけじゃねえのか?」

「ええ。一般に人間は、体が魂を収納できないくらいに傷ついた時、魂が肉体から解放されます。そのあと、魂は一つの存在としての固まりを留めることができず、霧散してしまうのですが、蘇生呪文は、その散り散りになった魂を呼び集め元の形にして、体内に戻すのです。体の損傷を回復するだけの回復呪文とは大きく異なります」


 パルフィの出したシールド呪文は、あくまで受けた呪文を跳ね返すためのものであった。たとえ、威力が倍増したとしても、別の呪文になるわけがないのだ。


「ふーむ」

「おい、てことは、なにか? この白く光ってフワフワ浮いてるのは……」

「クリスの魂だと思います。もちろん普通は人間には見えないのですが、今は、呪文に反応して光っているようです……」

「マジかよ……」

「なんと……」


 一同はそれぞれに驚きの表情で、薄く光るもやがクリスの体内に入っていくのを見つめている。


 そして、全てのもやがクリスの中に入ると、一瞬だけクリスの体が同じ色に発光した。そして、ゴボッと喉に溜まっていた血を吐き出し、クリスの呼吸が戻った。意識はないが、生き返ったのだ。


「な、なんという……」

「ほ、本当に、生き返りやがった……」


 蘇生呪文により死者が生き返る。

 この、衝撃的な光景を目の当たりにし、クリスが生き返って喜ぶ心の余裕も持てないほどに、茫然とするグレンたち。


「はあ、はあ、はあ」


 パルフィが、大きく息を切らせ床に座り込んだ。それと同時に、パルフィのシールドの光も消えた。


「パルフィ、おめえ……」

「一体どうやって……」

「あ、あとはお願い、クリスを助けて……」


 しかし、パルフィはルティの疑問には答えず、呪文にすべての力を使ったかのように、意識を失ってバタリと床に突っ伏した。


「パルフィ!」


 ミズキが近づいて抱え起こし、首に手をやり脈を探る。そして、安堵したようにうなづく。


「大丈夫だ。気を失っているだけだ」


 国王が声を張り上げる。


「誰か、クリスを王女と共に王宮の医療室にテレポートせよ。そして、宮廷医師長に手当させろ。何としても、この者を死なせてはならぬ。王女を救った英雄なのだ。カトリア王国の誇りにかけて、クリスの命を救うのだ」


 すぐに、パルフィとクリスの体がテレポートの光の柱に包まれる。そして、消えていった。


「クリス、そなたの心根、しかと見届けたぞ」


 光の残像を見つめながら国王は大きく頷き、そうつぶやいた。





◆◆◆


 その頃、ロシュフォール山脈のドラゴン保護生息地リザーブ


 キャセルは追憶の夢を見ていた。

 最近、友達になったばかりの人間という種族。

 彼らは不思議な生き物だった。少しでも強く振り回せばすぐに死にそうになるぐらい弱いのに、急に自分が(かな)わないほどに強くなる。そして、同じ種族でもないのに、一緒に遊んでくれる。

 その中でも母親から王女だと聞いた人間 ------ パルフィと呼んでいた。なぜか、キャセルはパルフィが好きだった。

 それに、パルフィや他の人間と戦いごっこをするのも好きだった。

 それから、いっしょに座って話しかけられたり、体を触られたりするのも同じくらい好きだった。

 いつも母とふたりきりの自分にとって、あれほど楽しかったことはなかった。

 彼らが来てくれた日はいつも「いい日」だった。

 また、すぐに来ればいいのに……。


 キャセルはそこで目が覚めた。自分は夢を見ていたのか。現実と夢が混ざって、頭がはっきりしない。

 すでに日が沈みかけている。その陽射を直に浴びて、だんだんと頭がはっきりする。そして、すべてを思い出した。甘い追憶の名残が一気に冷める。

 悪い奴らが突然現れて、自分たちを攻撃したのだ。そして、母は……。

 キャセルは、身を起こそうして、全身に走る激痛に呻く。


 グウウウウ


 体がバラバラになりそうな痛み。だが、それどころではなかった。

 よろよろと立ち上がり周りを見回す。すでに悪い奴らも人間たちもいない。

 だが、母が倒れていた。


 ピイイイイ


 必死に呼びかけるが一向に目を覚まさない。

 呼びかけるだけではだめなのだろうと、今度は何度も何度も母親の巨体に自分の体をぶつける。


 ピィィ、ピィィ


 何十回、いや、もしかすると何百回も、母親を起こそうと体をぶつけたり、噛み付いたり、必死に頑張った。だが、それにもかかわらず、母は全く動かなかった。


 キュウウゥゥ……


 やがて、キャセルはなけなしの体力を使い果たし、その場に倒れこんだ。

 こっぴどく魔族にやられたキャセルだったが、シルバードラゴンの持つ自己回復力は圧倒的であり、瀕死の重傷でも数日で治ってしまう。だが、まだ魔族との対決から時間が立っていない今、完全には回復していなかったのだ。


 首を伸ばして、母親の体を見る。もう、母は動かない。

 まだ幼いキャセルには、『死』という概念は頭にはなかった。それでも、一つだけ分かったことがある。

 きっと母はこれからも動かないだろう。

 そして、もうこれからはずっと自分一人で生きていかなければならないのだ。


 キュウウゥゥゥ


 母親の体にもたれかかると、寂しさに涙があふれてきた。

 生まれてからずっと、片時も離れず母親のそばにいたキャセルにとって、初めての孤独の涙であった。

 

 だが、そのとき奇跡が起こった。

 キャセルの背中で、ヘンリエッタの体がピクリと動いたのだ。

 一瞬、何が起こったのか分からず、キャセルは神経を研ぎ澄ませた。


 ピクッ、ピクピク


 やはり、母が動いたのだ。


 ピィィィィ!


 キャセルは、猛然と立ち上がって、母の体に体当りする。

 それ反応するように、今度は体がギシギシと動いた。

 もう間違いない。母は生きているのだ。


 ググゥゥゥゥ


 ヘンリエッタが、唸り声をあげて首を持ち上げた。そして、キャセルを見た。


 グワアアアア

 ピイイィィィ!!


 母は無事だった。

 キャセルは、うれしくてうれしくて母の顔に頭を擦り付けた。


 やっぱり、今日は「いい日」だったのだ。





 一方、キャセルに起こされたヘンリエッタは、なぜ自分たちが無事だったのか、理解できなかった。キャセルが甘えて顔を擦り付けてくるのに任せ、自分の思いにふける。


(我は、確かにアルキタスの呪文によって倒されたはず……)


 あれほどの術者が自分の逆鱗を撃って自分が無事であるはずがない。

 だが、自分は傷も負ってはいない。撃たれた時に感じた激痛も今はほとんど感じなかった。

 ということは……


佯死(ようし)か……)


 死んだように見せかけられただけだったのだ。

 おそらく、魔族を騙すために、激烈な痛みを生む呪文と、睡眠呪文を同時に撃ったのだ。


(だが、皆はどうしたのだ?)


 ヘンリエッタは周りを見回したが、もう人間たちも魔族たちもいなかった。後に残るのは激しい戦闘の跡だけである。そして、その中に呪文による波動の残滓を感じた。


(これは……)

(あの王女が魔族どもを蹴散らしたのか……)


 そこまでの魔力はあの王女にはなかったのは間違いない。だが、どうにかしてあの少女は自分の力を爆発的に高めて、魔族どもを撃退したのだ。


 そして……


 ピィィィィ


 キャセルが甘えて顔を擦り付けてきたときに、気が付いた。


(む……)


 キャセルの体にも呪文の波動の残存を感じたのだ。


(これは、魔族のものではない。たしか、あの子供の……)


 確か一番小さな少年が回復呪文を唱えていた。それと全く同じ波動だった。

 ヘンリエッタは全てを悟った。キャセルが魔族たちに殺されそうになり、人間たちが助けてくれたのだ。そして、何らかの原因でここを去らねばならず、キャセルに回復呪文をかけて立ち去ったのだ。


(そうか……、ではこの子まで人間たちに助けられたのだな)

(あの者たちには大きな借りができた。必ず返す)


 グオオォォォォァアアアア


 ヘンリエッタは、王宮に続く空を見上げて、咆哮した。





 そこから少し離れた森の中。

 ヴェルフェールは、一人生き残り、逃げ帰ろうとしていた。

 パルフィが撃った巨大な紫色の光球は、ともに逃げていた部下を消滅させたが、自分は直前でわきに飛びのいたため、かすっただけで済んだのだ。だが、それだけでも瀕死の重傷だった。かすった場所は焼けただれ、全身にひどい傷を負っている。


「おのれ……この借りは……、必ず……返すぞ。今に見ておれ……」


 呪詛の言葉を吐き、よろよろと歩きながら、ヴェルフェールは森の奥に消えていった。





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