第4話 二人の芳乃と、はじめてのゲーム
大樹の下で再会してから、少しずつ新しい毎日が始まった。
小さな芳乃は、私の知らないものをいくつも知っている。
その中でも、どうしても気になっていたものがあった。
――ゲーム。
「ゲームって、どんなものなの?」
そう尋ねた日のことだった。
気がつくと、私たちは見知らぬ場所に立っていた。
「……ここは?」
夕暮れの空が広がっている。
けれど、地面は土でも石畳でもない。
周囲には見たことのない大きな箱のようなものがいくつも並び、色とりどりの明かりが点滅していた。
どこからか、ピコピコという奇妙な音も聞こえてくる。
「ここ、懐かしいなぁ」
隣から聞こえた声に、私は振り向いた。
小さな芳乃が、ふわりと宙に浮かびながら辺りを見回している。
「知ってるの?」
「うん。こういうところ、昔よく来たよ」
「昔……?」
そういえば、この子は言っていた。
ずっと、この姿だったわけではない。
大きくなって、いろんなことがあって、長い時間を生きたのだと。
「ねえ、芳乃ちゃん」
小さな芳乃が楽しそうに笑う。
「ゲーム、教えてあげるって言ったでしょ?」
「げーむ……」
また、その言葉だ。
「これが、ゲームなの?」
「そう。まずは簡単なのからやってみよっか」
芳乃が向かった先には、青い山が描かれた古びた機械があった。
『山のぼりゲーム』
そう書いてあるらしい。
盤面には山道が描かれ、その横には赤と緑の二つのボタンが並んでいる。
「赤が『すすむ』。緑が『もどる』」
「……それだけ?」
「それだけ」
「簡単そう」
そう言うと、芳乃が少しだけ笑った。
「ふふっ。じゃあ、やってみよっか」
機械から、ピンポーン、と音が鳴った。
私は恐る恐る赤いボタンを押す。
盤面の小さな明かりが、一つ上へ進んだ。
「……動いた!」
「そうそう。その調子」
もう一度。
また一つ進む。
「なんだ。本当に簡単――」
ピピピピ!
「えっ?」
突然、けたたましい音が鳴った。
次の瞬間。
せっかく進んでいた明かりが、一気に下まで戻ってしまった。
「…………」
「障害物に当たっちゃったね」
「戻されたんだけど!?」
思わず機械を指さす。
芳乃は楽しそうに笑っている。
「だから言ったでしょ。意外と難しいって」
「聞いてないよ!」
「障害物をよく見て、ゆっくり押すの」
「……もう一回」
「うん」
今度は盤面をよく見る。
進む。
止まる。
危なくなったら、一度戻る。
最初は意味が分からなかった障害物の動きも、何度か見ているうちに少しずつ分かってきた。
「今!」
赤いボタンを押す。
最後の障害物を抜けた。
登山者の明かりが山頂へ到達する。
ピンポン、ピンポン!
明るい音が響いた。
「……やった!」
思わず声が出た。
その直後。
コトン。
機械の下から、小さな箱が転がり出てきた。
「何か出てきた!」
「景品だね」
芳乃が拾い上げる。
「ボンタンアメ。これも懐かしいなぁ」
「食べ物なの?」
「うん。あとで一緒に食べよ」
私はもう一度、山のぼりゲームを見る。
たった二つのボタンを押しただけなのに。
不思議だった。
もう一回やってみたいと思っている。
「……ゲームって、面白いね」
「でしょ?」
芳乃が嬉しそうに笑った。
「じゃあ、次はあれにしよっか」
「まだあるの?」
「いっぱいあるよ」
その言葉につられて歩いていく。
けれど。
次に芳乃が立ち止まった場所で、私は思わず足を止めた。
「……何、これ」
さっきの機械とは、あまりにも違う。
大きな座席。
目の前には光る画面。
そして、何に使うのか分からない棒のようなものが突き出している。
『スペースハリアー』
「これも、げーむ?」
「うん」
芳乃の声が少し弾んだ。
「私、これ得意だったんだよ」
「あ」
聞き覚えがある。
「前に言ってたのって、これ?」
「そうそう」
芳乃は懐かしそうに筐体を眺めた。
「昔、よく遊んだなぁ」
「これを……?」
どう見ても、先ほどの山のぼりゲームより難しそうだ。
「やってみる?」
「…………」
私は大きな筐体を見る。
「まず、芳乃ちゃんがやって」
「怖くなった?」
「ち、違うよ。どうやるのか見たいだけ」
「はいはい」
芳乃が笑いながら前へ出た。
小さな身体で、ふわりと筐体へ近づいていく。
どうやって遊ぶのだろうと思っていると――。
画面が光った。
次の瞬間。
激しい音とともに、画面の中を人がものすごい速さで飛び始めた。
「えっ!?」
さらに筐体まで大きく傾く。
「動いた!?」
「これが面白いんだよ」
芳乃は平然としている。
画面いっぱいに敵が現れる。
けれど、そのたびに芳乃は迷いなく操縦し、次々とかわしていく。
飛ぶ。
撃つ。
かわす。
また撃つ。
何が起きているのか、私には半分も分からない。
「ちょっと待って!」
「なに?」
「速すぎない!?」
「そう?」
「そうだよ!」
また敵が消し飛んだ。
「芳乃ちゃん、本当に得意だったんだ……」
「だから言ったでしょ?」
得意げな声が返ってくる。
私はしばらく呆然と画面を眺めていた。
ゲーム。
私のいた世界にはなかったもの。
知らない音。
知らない景色。
知らない遊び。
それなのに。
隣で笑っている芳乃を見ていると、不思議と怖くはなかった。
やがてゲームが終わる。
「どうだった?」
「……すごかった」
「やってみる?」
「これは無理」
即答すると、芳乃が吹き出した。
「じゃあ、もう一回山のぼりやる?」
「やる」
今度は私も笑った。
「次は一回も戻されないから」
「ほんとかなぁ」
「見てて」
二人で、さっきの機械へ戻っていく。
どうしてここに来られたのか。
ここがどこなのか。
今がいつなのか。
分からないことはいくらでもあった。
それでも今は、それでよかった。
大樹の下で、もう一度会えた。
そして今度は、一緒に遊んでいる。
ピンポーン。
再び、どこか懐かしい音が響いた。
小さな芳乃が、私の隣で笑っている。
私は赤いボタンへ指を伸ばした。
「今度こそ、山頂まで一回で行くよ」
「障害物をよく見て、ゆっくりね」
「分かってるって」
夕暮れの不思議なデパートに、二人の笑い声が重なった。
食堂へ戻った頃には、すっかりお腹が空いていた。
「いっぱい遊んだから、お腹空いたでしょ?」
「うん」
「じゃあ、ご飯にしよっか」
そう言って、芳乃は慣れた様子でエプロンをつけた。
私もその後を追って厨房へ入る。
「私も手伝う」
「料理できるの?」
「…………」
「できないんだ」
「これから覚えるの」
芳乃がくすっと笑った。
「じゃあ、今日は簡単なところからね」
「何を作るの?」
「カツ丼」
「かつどん?」
また知らない言葉が出てきた。
「お肉に衣をつけて揚げたものを、卵と一緒にご飯にのせるの」
「……おいしいの?」
「食べたら分かるよ」
芳乃が用意したのは、揚げたてのカツだった。
鍋にだしを入れ、玉ねぎを煮る。
そこへ切ったカツを並べる。
「芳乃ちゃん、卵お願い」
「これを割ればいいの?」
「うん。器のふちで、こんな感じに――」
教えてもらいながら、恐る恐る卵を割る。
少し殻が入った。
「あ」
「最初はそんなものだよ」
芳乃が小さな殻を取り除いてくれる。
「じゃあ、軽く混ぜて」
「こう?」
「そうそう」
溶いた卵を、カツの上へ流していく。
ふわりと湯気が上がった。
「……いい匂い」
「でしょ?」
炊きたてのご飯に、卵でとじたカツをのせる。
初めて見る料理だった。
けれど、どうしてだろう。
見ているだけで、お腹が鳴りそうになる。
「はい。できあがり」
二人で食堂の席についた。
「じゃあ、いただきます」
「いただきます」
芳乃の真似をして、私も両手を合わせる。
私は教えてもらった通りに箸を持ち、カツを一切れ口へ運ぶ。
「…………!」
「どう?」
「おいしい!」
衣に染み込んだ甘い味。
柔らかい卵。
その下には、温かいご飯。
「こんな料理があるんだ……」
「まだまだいっぱいあるよ」
「ゲームも?」
「料理も」
芳乃が笑った。
知らないものばかりだった。
ゲームも。
料理も。
この食堂でこれから始まる毎日も。
だけど。
知らないからこそ、一つずつ知っていけばいい。
「次は、私が作ってみたい」
「じゃあ、次は何にしよっか」
「カツ丼より簡単なのがいい」
「それなら――」
芳乃は少し考えてから笑った。
「お味噌汁でも作ってみる?」
「みそしる?」
また知らない言葉だ。
私は思わず笑った。
「それ、教えて」
「うん」
湯気の向こうで、小さな芳乃が笑っている。
失った時間は戻らない。
けれど。
こうして新しく覚えていくものは、これからいくつだって増やせるのかもしれない。
ゲームも。
料理も。
そして――二人で過ごす時間も。
私はもう一口、カツ丼を食べた。
明日は、今日より少しだけ。
知らないものが減っている気がした。
※作中に登場するデパートおよびゲームコーナーは架空のものです。実在するゲーム・商品名等が登場しますが、本作は各企業・権利者とは関係ありません。




