25 この半年間泣きたかったのは私の方なのに。
短い婚姻式が終わり、クラウディアはアイリスの姿がほとんど見られなかったことが残念でしかなかった。皆々が謁見の間から出ていくところで、公爵を探そうかしら、と椅子から立ち上がろうとしたところだった。
「ご機嫌よう、レディー。あなたはどこの家門の方ですか?」
クラウディアは声の主を見ると、クラウディアよりは年上だが、当主にしては若い男のようだった。本来身分が下の者から発言せねばならない。しかしこの若い男はクラウディアがどの爵位もちなのかが分からないから、尋ねてきたのだろう。クラウディアはどう答えるべきなのか少し考えるものの、ここは先に挨拶をするべきだろうと礼の姿勢をとる。
「クラウディア・ヴァルトブルグと申します」
にこ、と社交用の笑顔を作りながらその若い男に挨拶をすると、クラウディアを見て男の頬が一気に赤く染まる。
「ヴァ、ヴァルトブルグ侯爵ですね、失礼いたしました。とても美しいレディーがいらっしゃったので、お声をかけてしまいました……私は伯爵家の」
男が自己紹介をしようとした時だった。
「待たせてすまないね、クラウディア」と公爵がクラウディアに声をかける。
「おじさま」
「さあ、行こうか」
男が紹介をしようとしてくれているのに、と思いながらも、きっと公爵はクラウディアが困るだろうと助け舟を出してくれたに違いない。クラウディアは公爵へ頷き、男へ「また」と会釈しながら社交辞令を述べる。男は公爵と侯爵相手では、クラウディアを止めることもできなかったようで、「また」と言い返すだけだった。
謁見の間を出ると、ヴェーラー公爵はため息をつく。
「クラウディア。社交の場はああいう輩が多い。お前にも教えてきたつもりではいたが、実戦はほぼ皆無だろう」
「別に、先程の人に失礼なことはされていませんが……」
強いていうなら、レディーに先に名乗らせたことだろうか。
ただクラウディアは今までひどく言われ慣れてきていたせいで、そこまでマナーにも厳しくない。目の前で暴言などを吐かれたり、直接攻撃されたりしない限りは、そこまで腹立つ気持ちも起きなかった。
「いや、違う。そういう意味ではなくてだな……」
公爵はハァとまたため息をついてクラウディアの顔を見る。
「今日のお前の美しさに惹かれる人間はとても多いだろう。そういう輩に対する対処の仕方をほとんど教えていなかったような気がしてな。角が立たぬような断り方は心得ているのか?」
「そんな。私にそういう意味で声をかける人が多いと?おじさま、面白い冗談ですね!」
「…………お前がそういう考えだから私たちは不安なのだよ。できることなら一緒にいてやりたいが、私もヒルデガルドも別でやらなくてはならないこともあるし……せめてフェリクスがいてくれればよかったが帰ってこれないし、ルイスは全く役に立たないし……」
公爵は呆れ顔で言った。クラウディアのことを本気で心配しているようだったが、クラウディアはどうも実感が湧かない。
美しさに惹かれる?ヴァルトブルグ家関連の身内以外でクラウディアの容姿を褒めてくれた変わり者はテオくらいだわ。
クラウディアには自分がそんなに人を惹きつけるような何かがあるとは思えない。しかし用心はしておいた方がいいのかもしれない。お世辞にお世辞を重ねることで、ヴァルトブルグの何かを求める輩はいる可能性もある。
「私の爵位欲しさにお世辞を言う人間が多い、ということですよね?気をつけます」
「いや、だからお世辞ではなくてだな……」
しかしヴェーラー公爵は三度目のため息をついて、またクラウディアを見た。クラウディアはヴェーラー公爵が安心できるように満面の笑みを浮かべる。
「……お前に何を言ってもそう捉えてしまうのなら、まあ……大丈夫か」
「はい!大丈夫です。ヴァルトブルグは私が守ります」
「…………そうか」
何か言いたいことがありそうな公爵だったが、もうそれ以上言うことはなく、2人はヒルデガルド公爵夫人がいるであろう、控え室へと足を運ぶ。控え室は何部屋か用意されており、祝賀会を待つ貴族たちがすでに雑談に花を咲かせているようだった。
ヴェーラー公爵が姿を見せたことで、貴族たちもざわめきだしたようだった。四大公爵となれば、繋がりを持ちたいと考える者も多い。クラウディアは貴族たちがヴェーラー公爵へ次々と話しかけるのに、優しげな作り笑顔をしてとりあえずは隣に立っていた。
その貴族たちはチラリチラリとクラウディアに視線を向けてくる。
「公爵様、お隣にいるレディーは娘さんで……?」
ヴェーラー公爵のところは男2人兄弟で娘はいないのを知っているはずだが、おそらくクラウディアが何者か聞きたかったのだろう。
「いや。こちらはヴァルトブルグ侯爵だ」
ヴェーラー公爵はあえて、侯爵であることを強調する。
「あ、は、申し訳ありません。侯爵様に挨拶もせずに」
貴族たちは慌ててクラウディアへと挨拶をし始める。挨拶なんてしなくてもいいのに、とクラウディアは思う。仕事をしていることは以前と変わらないのに、たかが爵位を持ったというだけでこうやってへこへこと頭を下げられるのはなんだか不快な気持ちになる。が、それはしょうがないことなのかもしれない。
「みなさんお気になさらないでください。爵位をいただいたばかりの若輩者ですので、ぜひご教授くださいね」
クラウディアがにっこりと笑うと、貴族たちはなぜだか頬を染め、「なんとお優しい侯爵さまだ」
「公爵さまも嬉しいことでしょう」と口々に2人を褒め始めたのだった。
ひと段落したところで、公爵はクラウディアに話しかける。
「爵位を持つものはこういうことになる。くれぐれも気をつけることだ。あの貴族たちはどちらかと言えば、自分の娘をフェリクスたちの妻にしたがっているようだったが」
「今日は愛の日の代わりだから気をつけた方がいいということ、ですか?」
「うむ。お前の婚約期間が過ぎていることを知っているものも多いだろう。女であり独身であり結婚適齢期であり爵位ありとなれば今日はお前に声をかける連中が多いことをわかっておきなさい」
公爵は、やはりクラウディアの婚約期間が過ぎていることを知っているようだった。クラウディアは公爵に、テオとしばらく会っていないことを話してはいなかったが、もしかしたらどこかで詳しいことは聞いているのかもしれない。しかし公爵は、それだからといって何かをするつもりはないらしかった。
とにかく遠回しに誰かとの結婚などを勧められる可能性があるから気をつけなさいということを言いたいのだろう。
「金狂いのクラウディア、でもですか?」
クラウディアが聞くと、公爵は眉間に皺を寄せる。
「その名はいつ聞いても不快だな。ただ爵位を手にした今、その名はもう関係ないといってもいい。家を発展させたい者にとっては、そんな名は些細なことだ。特に容姿もいいお前なら、後継も期待できると考えるだろうしな」
「後継……」
クラウディアはあまりそのことを考えたことはなかったが、結婚適齢期ということはそれも大事なことなのだろう。ぼんやりとそんなことを考えていると、またヴェーラー公爵は他の貴族へ話しかけられているようだった。
クラウディアは特に話したい相手もいないので、少し壁に寄りかかってぼんやりと貴族たちの動きを見ながら、ヴェーラー公爵夫人を目で探していた。今日はまだまだ長い。高いヒールの靴で立っているのでさえも大変だ。少しでも体力を温存しておかなくてはならない。
この控え室にいる貴族たちは、椅子に座ったり、立って話していたりとさまざまな過ごし方をしているのだった。その中でもやはり若い男と女の貴族たちは少し浮き足立っているようにも見える。愛の日の仮面舞踏会の代わりでもあり、仮面舞踏会とは違って顔を見せているということもあって、気持ちの持ちようも違うようだった。
「素敵なレディー、飲み物はいかがですか?」
また若い男に飲み物を片手に話しかけられる。クラウディアは「大丈夫です、ありがとうございます。人を探していますので」と微笑んだ。遠回しの会話の拒否だ。男はすぐに引き下がっていった。よかったと一息つき、それが一度きりかと思いきや、続け様に何度も同じようなことがあるものだから、クラウディアもうんざりしてしまうくらいだった。
「ヴァルトブルグ侯爵、楽しんでいますかな?」
自分を知る人物から名前を呼ばれ、クラウディアははっと顔をあげる。その先には、白い髭を蓄えた老人がニコニコと笑いながら立っていた。クラウディアはこの人に見覚えがある。直接会話したことはないが、この国の貴族なら誰でも知っていて当然という人物だった。
「ライエン前公爵様、ご機嫌よう」
クラウディアは慌てて姿勢を正し、礼をする。「構わんよ」と優しそうな笑顔で言った。
ライエン前公爵は、すでに引退をして息子に爵位を譲っていたが、クラウディアにとっては有名な人だった。もしかしたら、この方がテオの大伯父様ということになるのかしら?とテオとの容姿の共通点を考えるが、優しそうな印象以外は特に似ているところもなさそうだった。
「会話するのも初めてだが、よく私が分かったものだな」
「いえ、前宰相さまのことを知らぬはずがありません。それよりも私のことを知っていていただき、ありがとうございます」
「この会場の中で一番美しい女性だと言われていたからな。当たって良かった良かった」
「そんな、お上手ですね。ライエン前公爵様」
クラウディアは思わずふふふ、と笑う。うまい話し方はテオに似ているのかもしれない。
「そろそろ祝賀会も始まるな。ヴァルトブルグ侯爵。侯爵さえよければエスコートする役目を私にもらえぬものかね?」
祝賀会自体は舞踏会がメインではないため、エスコートは必ずしも必要ではないだろうが、クラウディアに拒めるはずもない。ヴェーラー公爵はおそらく夫人と一緒に入場するはずだろう。クラウディアにはそんな相手もいない上に、前公爵からの誘いとあっては、断るわけにもいかない。むしろ光栄なことだ。
「はい、光栄です。お願いいたします」
クラウディアの即答に前公爵も笑う。
「妻が亡くなってからこんな機会はなかったものでね。こんな美しい娘さんにこの老いぼれを相手にさせてしまって申し訳ないが」
「そんなことはありません。私は1人でとても暇をしていたところでしたから。前公爵様のお相手ができるのがとても光栄です」
クラウディアは社交に関しては打算的ではないが、一緒に前公爵と歩けることはむしろステータスになることかもしれない。さらに面倒な若い男の貴族たちの相手もしなくて済みそうだ。
「皆様、会場の方へご移動ください」
侍従の声に、貴族たちも動き出したようだった。会場は滅多に使われることのない大ホールで、行きたくなかったクラウディアだったが、噂にもなるほどの美しく大きなシャンデリアと天井装飾を見るのを楽しみにしていた。
「それでは、レディー。行きますかな」
「はい」
前公爵から差し出された腕にスッと手を置く。前公爵は年よりも若く見える人で、その歩き方もいまだに衰えを感じさせることなく堂々としており、公爵らしいものだった。
クラウディアは会場に入ると、思わず豪華絢爛な天井に目を奪われる。天井のシャンデリアは一級品を通り越して特級品であるとも言えるだろう。上の天井装飾には、金が使われているようで光を浴びてさらに煌めき眩しいくらいだ。
入り口からかなり奥にある赤いカーペットの上には玉座が四つ。そこに4人が座るのだろう。アイリスに少しでも会えるといいが、とクラウディアは考える。
「今日は、国外からの来賓も多い。最初は各国からの王子夫妻への贈り物を献上することから始まる。その後、王子夫妻のダンスが始まりとなり、舞踏会となるものだな」
玉座へ目をやっているクラウディアを見て、前公爵は言った。
「贈り物の献上をするのですか?」
「未来の王太子ともなれば、相当なものが贈られそうだな。興味があるかね?」
クラウディアは頷いた。どういうものが貴重で、どういうものが喜ばれるのか他国の傾向を知るのは自分の事業のさらなる発展には大事なことだ。
「そうか。それなら前に行こうか。なあに元四大公爵なら、来賓の次に前に来ても許されるだろう」
「いいのですか?」
ただの侯爵であるクラウディアにとっては前にいく事は到底無理な話だ。ライエン前公爵は「もちろん」と言うと、老人とは思えぬ軽やかさで、クラウディアのことも気遣いながら前へと進んでいく。
一番前の方は、他国の来賓の場所である。異国の服を着た者、肌の色が違う者、さまざまな人々が王族が現れるのを待っているようだった。
「外国へは?」
「行ったことがありません。色々な文化があるのですね。服も、肌の色も、目の色も、髪の色も、全然違っていて……とても興味深いです」
「そうだな。それを異質と捉えぬことが大事なことだろうな。この国だけが常識というわけではないからな」
来賓が持っている献上品も様々な物であるようだった。それをこんなに間近で見られるなんて、とクラウディアはこの前公爵との出会いに感謝しなくてはならないと感じる。
「始まるぞ」
前公爵の言葉と同時に、ファンファーレが流れる。耳元で鳴ったようにも思える大きな音に、クラウディアは目を丸くした。国王夫妻と王子夫妻が現れ、会場が拍手で包まれる。
クラウディアはアイリスの姿を近くで目にし、思わず笑顔になる。ストロベリーブロンドの髪は柔らかいウェーブをかけて下へ流され、おそらくダイアモンドを使ったティアラをつけている。小さめのティアラだが、それがよくアイリスに似合っていた。ドレスは白と薄いピンク色が使われており、これも宝石が使われているようで、どの位置からでもキラキラと輝いて見える。どちらもアイリスにピッタリと合っている。そしてそのアイリスの幸せそうな顔を見たら、クラウディアもその幸せが伝染しそうだった。
国王が、この祝賀会へと参加した他国の来賓へと礼を述べ着席すると、他国の代表からの献上が始まるようだった。
「む、サンティエが最初かと思ったが……来ていないのか?」
「サンティエ王国が最初なのですか?」
「そうだな。サンティエが隣国として友好関係も長いからな」
クラウディアもサンティエ王国の使者が見たかった気持ちがある。テオと関連があるのかはわからないが、やはり気になる存在だったからだ。
「これは、話が違うなあ……ちょっと話を聞いてくるか。ヴァルトブルグ侯爵はどうするかね?」
ライエン前公爵の妹がサンティエ元国王に嫁いでいるため、今回その使者が不在なのが気になるのだろう。しかし、おそらく来賓に関しては機密も関わることだろうから、クラウディアが入ることのできるものではない。
「ここにいます」
「そうか。すぐ戻るとは思うが」
ライエン前公爵は再び軽やかにこの場から去っていく。このフットワークの軽さが、前公爵の有能さを表しているのかもしれない。
クラウディアは前公爵を見送り、また他国の使者へと目をやっていた。様々な宝石や金、貴重なものが贈られていく。贈られたこれらをどこに保管しておくのだろうとクラウディアが疑問に思うほどの量だ。
それが一通り終わると、エドワードとアイリスは手を繋ぎながら、ダンスホールの中央へと歩いていくようだった。クラウディアの位置からではもうよく見えない。楽団の音楽が流れ始め、他の人々もダンスを始めたようだった。
もう、帰ってもいいかしら。
ダンスをするつもりのないクラウディアは、邪魔にならなさそうなところで立ちながら考える。
ライエン前公爵が去ってから、結構な時間が経っているようだった。その間もクラウディアは多くの人にダンスに誘われるものの、申し訳なさそうにしながら断るということを繰り返していた。
話しかけられたら、失礼にならないように返した。ライエン前公爵と話もできた。アイリスの幸せそうな姿をきちんと目に焼き付けることができた。もう十分なほどの社交なのではないだろうか。
ヴェーラー公爵たちと逸れたら、待つのではなく帰ってもよいとも言われている。今日の仕事はこれにて終了にしてもいいわよね?
そう心に決めたクラウディアは、王子とアイリスのファーストダンスが終わるのと同時に、人の流れとは逆の方向へと歩き始めていく。クラウディアが出て行こうと、近くの小さな扉へ手をかけた時だった。本来ならばこのような場で扉を開ける役目は侍従が行うものだ。しかしなぜか姿が見えないため、クラウディアが扉を開けようとする。
「わっ」
反対側から扉が勢いよく開き、クラウディアは体勢を崩し、転びそうになる。慌てて扉につかまり、かろうじて転ばずに済んだ。
「し、失礼いたしました、レディー。大丈夫ですか?」
おそらく扉を開けたであろう侍従が大慌てでクラウディアに謝ってくる。クラウディアはこれくらいのことで怒る人間ではない。
「大丈夫ですよ」
侍従がこのようなところでミスをしたら減給どころでは済まなくなるだろう。立ち上がり態勢を整えたクラウディアは、侍従に安心させようと言った時だった。
そのドアが完全に開かれ、ドアの先に立っていた男と目が合った。
運命の人といつどこで出会うのかは、誰にもわからない。
ゲルトナーの言葉が頭の中をよぎる。
雲ひとつない濃紺の夜空のような髪色。透き通った白い肌。真っ直ぐ整った鼻筋。髪色と同じ色をした柳の眉。今日のシャンデリアに負けぬくらい輝く黄金の瞳。薄い唇。クラウディアが今まで見てきた何よりも美しいその人。
なぜこちらを見て泣き出しそうな表情をしているのだろう。この半年間泣きたかったのは私の方なのに。
クラウディアがその人物の名前を口にしようとしたときだった。
読んでいただきありがとうございます。あと1話で終わらせられるように、どうにかまとめようと思っています……




