24 あなたの髪色、あなたの瞳の色
「お支度を始めます」
ハンナたちに日の出に近い早朝から叩き起こされ、クラウディアは「おはよう」と少し腫れた瞼の顔で挨拶をした。ハンナはそれに気づいているのかいないのか、クラウディアの顔に関しては何も触れることはなかった。
「今日はお天気もよいようだし、いい婚姻式になりそうだわ」
クラウディアは笑顔で言った。
クラウディアは覚悟を決めた。今後どんなことがあっても泣くのは昨日で最後にすること、そして運命の人に会うまでは、いつだって「最高の私」でいるのだと。
「気合を入れますよ!侯爵様!」
「爵位をお持ちの貴族の女性は、王妃様たちを除けば侯爵様だけですから」
「いつもお可愛いですが、今日はとてつもない美人に作り上げます!」
侍女たちは今日の準備で使う様々な道具を机へ並べていきながら、クラウディアへと言った。
婚姻式の後には祝賀会が設けられており、そこでは貴族の当主だけでなく夫人たちや子息たちも一堂に集まることになっている。
出席することにはしたものの、当初クラウディアはその祝賀会に長くいるつもりはなかった。祝賀会にいなくてはいけない理由はわかるが、今のクラウディアには利点が何もなさそうだからだ。
しかし、それをヴェーラー公爵は咎めた。侯爵になってから初めての公式の集まりなのだから、人脈を作るべきだ、またこれからは必要だと思われる夜会などには参加するように、と。
侯爵という爵位を得てしまうとこうも不便になるものなのかとクラウディアは少し憂鬱になる。しかし今までクラウディアがやってこなかったヴァルトブルグ家を代表しての社交は、ヴェーラー公爵が引き受けていたのだ。それを考えると、ヴェーラー公爵には頭が上がらない。
「でも、そんなに気合を入れなくても大丈夫よ。主役はアイリス様なんだし」
そんなクラウディアの声が届いているのかいないのか、侍女達はクラウディアをジャスミンの花の精油の入った湯船へ連れ込むと、あれやこれやと磨き始める。
クラウディアはぼんやりとこの精油の値段を考える。この小さな小瓶でも、とんでもない値段のはずだ。それを惜しげもなく使ってもいいのだろうか。
しかし侍女たちは値段のことなど気にする様子もなく、クラウディアの腕や足を揉みほぐしていく。手や足の爪までヤスリで形よく削られ、はちみつを塗りたくられた上、皮で磨き上げられる。顔のマッサージに至っては、顔が変形するのではないかと思うほどの力で頬や首筋などを引っ張り上げられていく。
ほとんど夜会やパーティーなどに参加することのないクラウディアにとっては、新鮮な感覚であった。
「そういえば、今日のドレス、おじさまがずっと内緒にしていたわね。サイズ合わせも職人が来ただけだし……どんなドレスなのかしら?」
「先ほど見ましたが、とても素晴らしいドレスでしたよ。公爵様もお楽しみにしたいとのことでしたから」
ハンナはにっこりと笑った。
侍女達によって時間をかけて頭の先から足、爪の手入れまで、とても念入りに磨き上げていく。髪を洗われると、何かで塗りたくられる。またそれを流し、と普段の四倍くらい丹念に準備をしていそうだ。
風呂から上がると髪を乾かしながら、顔全体にまた何かを塗られ、しばらく放置。それを落とすと、もちもちツルツルとした肌になっているのがわかる。はちみつ色の髪は少量の束ずつでゆるいウエーブをかけられた後にまとめ上げられていった。
「それでは、コルセットを締めさせていただきます」
一番苦手なコルセット。うげ、と思わずクラウディアは顔を顰める。このために朝食も抜きにしているのだ。紐でギギギ、と締め付けられていき、息をするのも苦しいがしょうがない。「まだ行きますよ」「もうちょっとなら、いきそうですね」と容赦ない侍女の声に、早く終わらせてと心の中で叫ぶ。「終わりました」の声に、「はあ」と息を吐き出した。その我慢の甲斐あって、クラウディアの体には綺麗なくびれができていそうだった。
「次に化粧を始めます」
また新たに道具箱が机に置かれると、それはもう色とりどりの瓶やブラシなどが広がる。化粧に関してはクラウディアはただ指示に従って目を瞑ったり、目を開いたりとしていくだけで、顔に何かがふんわりと載せられていくのをただ待つしかない。
「化粧が終わりましたわ」
「素敵です、侯爵様」
侍女がうっとりとしながら言ったので、ようやくこれで終わりそうかとクラウディアは安心する。顔にかけられたブラシがくすぐったくてしょうがなかったのだ。
「それではドレスをお持ちします」
侍女達数人によって持ってこられたドレスを見て、クラウディアの目はまんまるに見開かれた。
濃紺のドレス。胸元には銀色の糸で美しい刺繍が施され、小さなダイアモンドらしき宝石が埋め込まれている。そのため、どの角度からでもキラキラと輝くのだ。まるで夜空にかかる星のように。幾重にも縦にラッフルフリルやチュールがあしらわれ、パニエをつけなくともそのフリルによってボリュームのあるドレスとなっている。それと合わせた靴も濃紺でさらに細かい銀粉が散りばめられているようだった。
「素敵……」
思わずクラウディアの口から吐息が漏れる。
こんなドレスは、初めて見た。今まで、フリルやリボン、宝石をふんだんに使うドレスが一般的だったが、それとは全く違う、今までにないドレスだ。自分にはルイーザに似合うような派手なものは似合わないだろうと思っていたため、いつもドレス選びには苦慮していたが、クラウディアは一眼でそれが気に入った。
「侯爵様にお似合いですよ」
ハンナは、頷いた。
侍女数人がかりでドレスを合わせ、後ろにあるクルミボタンと紐で調節する。今まで服にこだわりのなかったクラウディアは、セミオーダーの形を取ることが多かったが、今回のオートクチュールのドレスはクラウディアの体にピッタリとあうようだった。
「髪飾りはゲルトナーより、こちらをと」
差し出された花飾りは、あの庭で作られている春の薔薇たちだ。薔薇は特殊な加工をして、一日長持ちするようになっているとのことだった。幾重にも重なった花弁はこのドレスと似ている。それを一つ一つ丁寧に髪に留められていく。
薔薇を見ると、クラウディアは仮面舞踏会を思い出す。今日は「愛の日」だからちょうどいいのかもしれない。
そして次にクラウディアの前に差し出されたのは、数々のジュエリーたちだ。こんなにジュエリーが並んでいるところを普段目にしたことがない。ヴァルトブルグにはこんなに宝石があったのかしら、お母様の大切にしていたものとか、歴史あるもの以外は売ってしまってもいいかもね、と金勘定を頭でし始めているのがハンナにも伝わったのだろう。
「クラウディア様。こちらはヴェーラー公爵のお手持ちのものもありますゆえに」
「あ、え、あ、はい。ええ。おじさまが貸してくださったの?」
「はい。ヴァルトブルグのものでも良いし、公爵家のものでもと、公爵様より好きなものを選んでほしいと申しつかっております」
クラウディアは選ぶものが決まっていた。あのドレスの色を見た時から、宝石はこの色にしたいと。クラウディアが指さした宝石を見て、ハンナも頷いた。
「侯爵様は、それを選ぶと思っていましたよ」
ハンナは微笑みながら言った。
クラウディアが選んだのは大きなシトリンが使われたネックレスとイヤリング。シトリンはダイヤモンドなどと比べるとだいぶ価値は低い。それでもクラウディアはこれを選びたかった。
濃紺はテオの髪色、そしてシトリンはテオの瞳の色。
侍女たちによって完成したクラウディアを見て、侍女たちも感嘆のため息を吐く。
「ああ、お美しい」
「完璧です。侯爵様」
「これはもう、貴族の皆さんの視線を独り占めできますね!」
さらにハンナでさえも、「ああ、旦那様方にもお見せしたかったわ……さぞお喜びになったことでしょう」と涙ぐんで言う。
「またまた、みんなは過保護というか、私に甘すぎるところがあるから……お世辞なんて言わなくていいのよ」
そう言うクラウディアの前に、侍女たちは全身鏡を差し出した。それを見たクラウディアも思わず息を呑む。
まるで自分ではないみたいだ。
美人かどうかというのはよくわからないが、侍女たちはクラウディアを別人のように仕立て上げてくれたことはよくわかる。
濃紺のドレスに合うように施された化粧は、目立ちすぎないものの、クラウディアの瞳や頬をさらに魅力的に見せるようになっていた。テオの髪色と瞳の色がこの世のものとは思えぬほど綺麗なのと同じように、このドレスとジュエリーもピッタリと合っていた。髪色との喧嘩もなく、侍女が丹念に仕上げてくれた髪は朝日で煌めき、艶を出していた。
「……みんな、ありがとう。素晴らしい出来だわ」
クラウディアは素直に礼を言った。テオがいたら、きっと十分すぎるほど褒め言葉の雨を降らせてくれたに違いない。
侍女たちはハンナを置いて片付けに下がっていくと、それを待っていたかのようにカールがノックをして入ってくる。
「侯爵様、公爵夫妻がおまちでございます……ああ、なんとまあ、素晴らしいお美しい、この世の芸術品のような、ああ、このカール、生きて侯爵様の素晴らしいお姿を拝見でき、幸せな人生でございました」
クラウディアの姿を見て、慌てながら話すカールに、「……もっと生きてもらわないと、カール。まだまだ仕事をしてほしいわ」とクラウディアは苦笑いする。
公爵は自分の屋敷から王宮へ向かった方が早いのにもかかわらず、わざわざ2人揃ってヴァルトブルグ邸へ寄ることにしてくれた。クラウディアが1人で王宮へ行かせるのが少し不安だという配慮のようだった。
玄関ホールで待っていた公爵と夫人は、現れたクラウディアを見てもすぐに言葉が出てこないようだった。
「クラウディア!とても似合っているよ。素晴らしいね」
「ああ、誰かと思ったら!!クラウディア、素敵よ。素晴らしいドレスね!あなたにとてもよく似合っているもの。あなたの姿を見たら、みんな驚くでしょうね」
ヒルデガルド夫人は感無量とばかりにクラウディアへと言った。
クラウディアは足を曲げ、改めて「おじさま、おばさま。素敵なドレスをありがとうございます」と礼を言った。
「ありがとう、ドレスを?」と夫人はキョトンとして夫の公爵を見上げたが、公爵は「似合っていて良かった」と笑って言ったのだった。
3人揃って公爵家の大きな馬車に乗っている間も、公爵夫人はひたすらクラウディアのことを褒め続けてくれていた。おそらくいつも自己肯定感の低いクラウディアのためだったのだろう。自信を持ってほしいという公爵夫人の優しさがクラウディアにも伝わってくる。
王宮へと着くと、公爵とクラウディア、そして公爵夫人は祝賀会までは別行動となる。この国の爵位を持つ者は婚姻式に参加し、王子とその妃に忠誠を誓うのだ。婚姻式は、ただ2人が婚姻証明書にサインをするだけのシンプルな儀式だという。公爵夫人は祝賀会からの参加になるため、別の控え室や庭などで待機することになっている。公爵夫人は交友関係が広いため、1人でも何も気にしない性格であった。
婚姻式は、謁見の間で行われる。奥には玉座が四つ、そして貴族が座るたくさん椅子が並んでいる。そして王国中から集められたであろう白い薔薇の花々が飾られており、薔薇の香りが謁見の間全体に漂うほどだった。
謁見の間に何もいい思い出がないクラウディアにとっては、いつもと違う様子はありがたいことであった。
「クラウディア、私は前に座らねばならない。君は侯爵家なので、その後ろになる。1人で大丈夫かい?」
公爵にとってはクラウディアはいつになっても10歳の女の子と同じらしい。
「お気遣いありがとうございます、大丈夫です」
クラウディアはにこりと笑うと、おそらく侯爵位の者が座るであろう場所の席に腰を下ろした。
この婚姻式には女性は王族と花嫁の親族以外参加しないため、クラウディアは少し異質な存在のようだった。周りの貴族たちからの視線が向けられているのが嫌でもわかってしまう。クラウディアの周りからは、小声で「誰だ?」と声が聞こえてくる。自己紹介をする場でもないため、クラウディアはただ婚姻式が始まるのを待つしかないが、少し居心地の悪さを感じていた。
しかしすぐに婚姻式が始まる。国王たちが姿を見せるのと同時にクラウディアたち貴族は立ち上がる。クラウディアの前にいるのは背の高い男ばかりなので、少し小さいクラウディアからは全く前のアイリスを見ることができない。
国王が今回の婚姻にあたっての言葉を述べ、2人が婚姻証明書に署名をするところらしい。広い謁見の間に、署名をする軽やかな音が響く。
「この証明書への署名をもって、2人の婚姻を証明する」
おそらく婚姻証明書を掲げたのだろう。国王の一言に、貴族たちは一斉に拍手をする。クラウディアも見えぬアイリスへ向けて、心からの大きな拍手を送ったのだった。
読んでいただき、ありがとうございます。先日は評価や感想もいただき、本当に感謝の気持ちでいっぱいです。
次も字数が多すぎて、あと2話になりそうです。




