18 私は普通ではない令嬢だから
テオはいなくなってしまった。
あの後、テオはクラウディアを部屋まで送ろうとしてくれたものの、クラウディアはテオの手を離すことはできなかった。手を離したらいなくなるとわかっていたからだ。テオはそのクラウディアのわがままを聞いて、初めて部屋まで入ってきてくれたのだった。クラウディアをベッドへ横にさせると、自分はベッドサイドまで椅子を持ってきて、ただ横になったクラウディアの手の握っていた。本当なら手を握ってもらって嬉しいはずなのに、クラウディアはそれどころではなかった。
クラウディアはわかっていた。眠ったら、テオはきっとその間にどこかへ行ってしまうと。意地でも寝るつもりはなかった。テオが何をしても自分の気持ちを答えぬのなら、何をしてもテオを留め置いてやろうとしていたのだ。たとえみっともなくテオの腕を引いても、手を握りしめたままでも。しかし、クラウディアはいつの間にか寝てしまっていた。そして目覚めた時には、テオの姿はなかった。
出ていく前にテオはカールに言付けを頼んでいたらしい。
今日来たばかりだが、どうしてもしなくてはならない用事があり、しばらく屋敷へ伺うことができない。また手紙も受け取ることはできないかもしれない。しかし、必ず戻ってくると。
目覚めた後、自室でカールからテオからの言付けを聞かされたクラウディアは、布団に顔を沈めた。そして使用人達を部屋から出ていくように命じた。こんな顔をしているところを、誰にも見られたくなかった。
クラウディアはここ数日自分の部屋から出ることはなかった。食事も何もかも部屋で済ませる。使用人もハンナしか入れず、そのハンナとさえもろくに会話しない。しなくてはいけない仕事のみ自室の机で行い、カールに手渡す。それ以外はベッドの中にこもっていた。
クラウディアにはなぜテオが急に出て行ったのかさっぱり理解できないままだ。ずっとあの時のことを考えてしまう。自分の過去を話してしまったことがよくなかったのだろうか。貴族から嫌われていることを話したことがよくなかったのだろうか。
繰り返し思い出しても、何が原因であるか、クラウディアにはさっぱりわからず、だからこそ余計に心に混乱をきたしている。
果たしてテオはどこにいるのだろうか、とクラウディアが考えていた時だった。クラウディアは一つ思い出す。
クラウディアはベッドからすぐに降りると、自分の机の引き出しを開けた。そこからリボンでまとめていたテオからの手紙を取り出す。
「あった……」
テオ、私は普通ではない令嬢だから。
あなたを待つんじゃなくて、探し出してみせる。
クラウディアが探していたのは、テオの手紙にあるテオの住所だ。住所はヴァルトブルグ領より少し離れたところにあるライエン公爵領のようだ。地図を取り出して、その住所の場所を探していく。
「街の中なのね……シュナイダー様方となっているから、居候なのかしら?シュナイダーという名前は聞いたことがあるけど……」
クラウディアはぶつぶつと呟きながら自分のやらねばならぬことをまとめていく。ようやく思考がまとまったクラウディアは、部屋にカールを呼び出した。
ここ数週間のクラウディアの落ち込みを見ていたカールは、クラウディアがようやく復活したことに、喜んでいるようだった。
「カール、申し訳ないけど、しばらく仕事の合間に出かけたいの。」
クラウディアはカールへ告げた。
「出かけると言われましても……どこまでです?」
「まずはライエン公爵領に行ってくるわ」
「ライエン公爵……ですか?」
四大公爵家の一つ。ライエン公爵家。クラウディアとのつながりはないため、カールはなぜそこに用があるのか予想もつかないようだった。
「ええ。公爵のところにいくわけではないから、安心して。視察みたいなもの」
「さようでございますか……わかりました。騎士の手配を致します」
「ありがとう」
それならば、仕事を早く終わらせて、時間を空けなくては。
王子の時だって、婚約する時だって、いつだって諦めの悪い女であることを何よりクラウディアが自負している。
3人の騎士達とともに訪れた場所は、税理事務所のようだった。ライエン公爵の管理する大きな街の一角にある建物には「シュナイダー税務事務所」という看板が掲げられている。クラウディアはその名前に覚えがあるものの、今ひとつ思い出すことができなかった。しかしここが住所になっているということは、何かのテオとの関係があるのだろう。テオは税務系の仕事だと言っていた。もしかしたら職場だったのかもしれない。
クラウディアは、ドアの前で息を吸って吐く。テオがいるかもしれない。そう思うと、少し緊張してしまっているようだった。
「みんなはドアの前にいてください。私1人で入りますので」
クラウディアはそう護衛騎士に告げ、その事務所をノックした。
「こんにちは。シュナイダーさんのお宅でしょうか?」
「はいはい、今開けますよ」
聞こえてきた声はテオの声ではない。クラウディアは少し残念に思いながらも、その気持ちを切り替える。中にいるかもしれないと思うと、油断はしてはいけない。
「お待たせしました、えっと、どな……ヴァルトブルグの侯爵様?」
現れた眼鏡をかけたヒョロリと背の高い中年の男は、クラウディアを見て驚きながら言った。クラウディアも見覚えがある。
「しゅ、シュナイダー先生……?」
「ヴァルトブルグ侯爵、どうかされました?用がありましたら、こちらからお伺いしましたのに」
クラウディアはまさかの再会に目を見開き硬直してしまう。
クラウディアの目の前にいるシュナイダーは税務や法務関係を仕事にしている男だった。クラウディアが領地経営し始めるのに当たって、教師がわりになった人物であり、屋敷にも何度も来たことがあった。しかし、ただ屋敷で教わるだけだったので、クラウディアはシュナイダーの住所も知らなかった。
「どうぞどうぞ。狭い事務所なもので……おかけください。今日はなんのご相談で?」
クラウディアは案内された来客用のソファーへ腰掛ける。あたりをキョロキョロと見渡すが、山積みの書類があるものの、小さな事務所にテオの姿はないようだった。
「シュナイダー先生。急な訪問をお許しください。実は探している方の住所がここだったもので、訪ねに来てしまったのです」
「探し人、ですか?うちの住所が?」
シュナイダーは眼鏡の奥にある目を光らせる。
シュナイダーという男は平民でありながらも、かなりの知識を持ち合わせる切れ者だ。
「テオ・ルグランさんを探しています」
「ああ、ルグラン君?うちにいましたよ」
テオはシュナイダー先生のところに?クラウディアは驚きの表情を隠せない。シュナイダーはクラウディアからその名前が出てきたが、意外に思う素振りも見せなかった。
「テオ・ルグランさんとはどのようなご関係で?」
「ルグラン君はうちの従業員でしたよ。あの顔のいい男でしょう?働き者だし切れ者だし、すごく助かっていたんですけどねえ、この前、やむを得ない事情とやらで辞めてしまったばかりですよ」
テオがいた!
クラウディアの心は弾む。しかし入れ違いになってしまったようだった。もう少し早ければ、テオに会えたかもしれないのに。
「テオ・ルグランさんは、どこに行かれたかご存知ありませんか?」
「いやあ聞かなかったね。本人じゃなく、ルグランさんのところから聞いたもんでね。急で申し訳ないと言われたよ。おかげでてんてこまいだよ。ルグラン君、相当優秀だったからね」
「ルグラン、さんのところ?」
テオじゃないルグランという人物がいるということなのだろうか。クラウディアは今まで一度もテオの話を聞かなかったことに、後悔し始める。
「ルグラン商会のルグランさん、聞いたことないですかね?貴族向けの取引より庶民向けの取引が多かったようだから、知らないのも当然かもしれないですね」
「……知りませんでした。ルグランさんについて、教えていただけますか?」
シュナイダーの話によると、テオはルグラン商会の大奥様からテオを雇ってもらえないかと打診されたらしい。シュナイダーは役に立つ部下しかいらないと一度は断ったものの、働かせてダメだったらすぐにクビにして構わないと大奥様から言われ、とりあえず雇うことにしたそうだった。そしてテオ・ルグランの働きぶりと言ったら素晴らしいもので、ここ二年弱はこのシュナイダー税理事務所で働いていたという。
「まあ、休みが欲しいと自分の仕事を一気に終わらせてしまうから、見事なものだったよ、ルグラン君は」
その休みは、きっとクラウディアの屋敷へ行くために取ったものだったのだろう。そのために相当頑張ってくれていたようだった。ただ、このシュナイダーの態度から、テオは上司であるシュナイダーにクラウディアとの関係については話していないようだ。
「ルグラン商会は、テオ・ルグランさんとどのような関係で?」
「んー親戚、だったかな。親戚の子とか言っていたと思いますよ。行ってみたらどうです?同じライエン領にありますから。地図、書きますよ」
また繋がりができた。とクラウディアは表情には見せないものの、心の中では狂喜乱舞だった。今日手がかりが見つかるとは思っていなかった。少しでもテオに近づければそれでいいと思っていたが、思わぬ収穫だ。
シュナイダーはサラサラと地図を書き、クラウディアに手渡した。クラウディアはその地図を確認する。ここからそう遠くはなさそうだ。クラウディアがシュナイダーへ礼を言おうとした時だった。
「あ、ルグラン君と、会ったことありますよね?だから探しているのかな?去年、僕、ルグラン君をそちらへ連れていきましたもんね」
シュナイダーは思い出したように呟いた。
「へ?」
意味がわからないのは、クラウディアの方だった。
会ったことがある?テオと?去年?
「覚えてないですかねえ。去年の……愛の日。そちらへ伺ったでしょう?その時ですよ」
クラウディアは固まった。
愛の日……愛の日?愛の日の思い出は今年で上書きされかかっている。去年の愛の日に何があったのか、クラウディアは曖昧にしか覚えていない。
しかしいつまでも固まっているわけにもいかない。
クラウディアはシュナイダーに「またご教授お願いします」と丁寧に礼を言って事務所を出る。
とりあえず屋敷へ戻るために馬車に乗り込んだクラウディアは去年の愛の日を思い出そうと必死になっていた。
「去年の愛の日……」
白い百合の花が応接間に飾られている。そこにいたのは、シュナイダーともう1人。そちらも眼鏡をかけた若い男だったような気がする。
「あれが……テオ?」
その時のクラウディアは人の顔にあまり興味がなかった。特に若い男となると、尚更覚える気もなかった。そのため必死に思い出そうとしても出てきやしない。しかし、確かにもう1人男がいたのは記憶にある。クラウディアはその日は夜遅くまでシュナイダーと医療の仕組みと税についての討論をしていた。途中、シュナイダーが席を外した時に、クラウディアはその助手のような男と会話をした。
「貴女は貴族ですが、珍しいお考えをお持ちですね」
クラウディアはキョトンとその男を見る。眼鏡をかけていて、帽子を深く被っている。顔はあまり見えないが、若そうだった。家へ上がる時は帽子を取るのがマナーだがその男は前もって事情があって被ったままであることを詫びていた、ような気がする。
「領民の生活を安定させるためには、既存の考えだけでは不足だと思います。貴族とか平民とか、そういう概念から変えていかないと、いつまでも貧富の差は埋まりません」
クラウディアの言葉に、男は頷いた。他にもいろいろ話したとは思うのだが、印象深いことは特にない。
仮にその男がテオだとするならば、テオは一年前にはクラウディアのことを知っていたことになる。それなのにテオはそのことを言うことはなかった。これはどういうことなのだろう。
クラウディアが思案し始めた時だった。
馬の甲高い声とともに、馬車が急停車する。クラウディアは馬車の揺れに体を持っていかれる。
「な、何があったの?」
慌ててクラウディアは体勢を起こし、御者に声をかけたものの、御者からの返事はない。
「クラウディア様!馬車の内側から鍵を閉めて、決して馬車から出ないでください。窓の近くではなく、真ん中に。体を丸めてください」
クラウディアに声をかけたのは、護衛騎士のハーン卿のようだった。やけに早口で焦った声だ。何かあったに違いない。先ほどまで森の中を走っていたのにも関わらず、周りには人がいる声がする。
カキン、と金属と金属がぶつかり合う音が聞こえる。激しい叫びのような声もだ。さらに誰かが怪我をしたのだろう、呻き声も聞こえてくる。
クラウディアは自分の心臓が一気に恐怖により早打つのを感じる。全身から汗が噴き出してくるのがわかる。
ハーン卿に言われた通りに縮こまり、耳を塞いでいても、周りにいる人々の苛立つような声、ハーン卿やもう2人の護衛騎士と思しき声が耳に飛び込んでくる。そして誰かがまた怪我をしたのだろう、叫び声も聞こえてくる。馬も動揺して何度も鳴いている。クラウディアはぎゅっと目を瞑り、ただ誰も怪我がないことを祈るしかなかった。
どれくらい経っただろうか。クラウディアはただ目を瞑って待つことしかできずにいたが、音が段々と少なくなっていったのがわかった。代わりに痛みによるような呻き声が聞こえてくる。騎士や御者が怪我をしていませんように……クラウディアはぎゅっと両の手を組み、跡が残りそうなほど力一杯握った。
その時だった。
「クラウディア様」
クラウディアは自分を呼ぶ声にはっと顔を上げた。
テオ探し後編に続きます。




