16 そんなの、私が一番わかってる
婚約しているのだから、何一つ問題はない。口づけなんて、きっと貴族の子女の間では一般的なもの。クラウディアは必死に自分に言い聞かせる。
あのあと、クラウディアはもうテオの顔を見ることができず、ひたすら話すことしかできなかった。帰りの馬車の間も饒舌になって、どうでもいいような領地の話や食べ物の話などを、テオの口を挟む隙を与えないほど話し続けた。テオはそれを嫌がる素振りも見せず、穏やかに笑っていた。
クラウディアにとってはそれほど衝撃的なことだったと言うのに、テオはいつもと変わらないくらいの態度で、クラウディアはあの出来事は夢か幻かと思ってしまうほどだった。
テオはどう思っているのだろうとは考えるものの、クラウディアはテオに話をする勇気を持てないまま、テオは仕事のため、また屋敷を出ていってしまった。
テオとどう会話していいかわからないクラウディアにとっては、ありがたいことでもあったが、テオのいない空間は、なんだか物足りなく感じるものであった。
いつもと同じように仕事をこなしていくだけだが、好きと自覚する前と後では心の余裕がなくなっているのがわかる。もう一ヶ月もテオに会っていないのが、寂しくて、苦しくてしょうがない。
「好きなら、ずっと一緒にいたいです。」ふとアイリスのあの言葉を思い出す。
その通りだ、少しでも離れたくない。早く会いたい。戻ってきて欲しい。できることならもっと……
クラウディアは書類と睨めっこをしていたが、その書類を机へ投げ出す。
「やけにこちらの領に来る人数が今月は多いのね……どこの領からの転出者なのかしら、調べないと……あー……だめだわ。全然集中できていないもの」
とりあえず書類に目を通してはいるものの、心ここに在らずのクラウディアは今ひとつ仕事に身が入らない。
「……休憩しようかしら」
クラウディアが立ち上がろうとした時だった。執務室のドアを素早く叩く音が聞こえ、返事をする前に
「クラウディア様、客人が」
と若干息を切らしながら、カールがやってきた。いつもの落ち着いたカールと異なる様子に、クラウディアは嫌な予感がした。
「どなたかしら、今日は誰も訪問予定がなかったと思うのだけど」
「ルイス様です」
嫌な予感は当たるものだ、とクラウディアはため息をつく。
「お出になりますか?」
「……会いたくはないけど、きっと会うまで玄関で喚いているだろうから」
「良い話にはならないと思います」
カールの言葉に、クラウディアも全面同意したいが、玄関ホールにいる使用人たちに申しわけがない。
「貴賓室に通すけれど、お茶の用意はいらないわ。後、醜い話しかないだろうから、2人で話します」
クラウディアは重い腰を上げて、玄関ホールまで向かう。カールは何かを言いたげにしているが、口を開くことはなかった。
玄関まで行くと、予想通り、クラウディアを早く出せと喚いている枯葉色の髪の若い男の姿があった。侍女たちも戸惑いの様子で対応している。しかし使用人もこの男を無碍に扱うことはできなかった。
ルイス・フォン・ヴェーラー。
クラウディアの親戚のヴェーラー公爵家の次男で、フェリクスの弟だ。クラウディアはなんとなくルイスの用件がわかっていた。
「ルイス。玄関でそんなに騒がないでほしいの。私の部屋まで声が聞こえたわ」
クラウディアの姿を見たルイスは「お前が早く来ないからだろう」と吐き捨てる。
ルイスはヴェーラー公爵家の長男フェリクスとは違い、クラウディアと友好的な関係にあるわけではなかった。何かとクラウディアと張り合うことが多いし、クラウディアのことを下に見ているのが会話と態度で感じられる。
クラウディアが部屋へ案内すると、「ここの使用人は茶も出せないのか」と嫌味を言う。
「あなたがすぐ帰ると思って、私が出さなくていいと言ったのよ」
クラウディアはため息を吐きながら言った。
「お前は本当に可愛くない女だよ」
「そんなの聞き慣れているわ。なんの用件かしら。手短に済ませてくれる?私は領地の仕事で忙しいの」
クラウディアはわざとルイスの癇に触るように言った。
「お前、婚約したんだよな」
「あら、お祝いしてくれるの?ずいぶん遅いけど、ありがとう」
「すぐ別れると思っていたからな……。この前は一緒に祭りにも行ったそうじゃないか。目撃されていたぞ」
「あら、そうなの」
別にルイスが何を見たところで、自分たちにに恥ずべきところは何もないとクラウディアは思っていた。ルイスは続ける。
「わかっているのか?平民だぞ。お前の爵位狙い以外に何があるっていうんだ。正気か?」
ルイスは自分の感情を隠すことなく一気に捲し立てる。ルイスも見た目は公爵と似ているのにもかかわらず、中身は全く違う。フェリクスも似たようなことを言っていたが、フェリクスとは違って、ルイスはクラウディアのためではなく自分のためにこの話をしていることが、クラウディアにはよくわかっている。
ルイスは次男である自分が公爵家を継ぐことができない。しかし、クラウディアが侯爵代理の地位についていることに、納得がいかず、何かとクラウディアに突っかかってきていた。
女であるクラウディアは侯爵を正式に継ぐことができていない。しかしヴェーラー公爵の力添えによって、現在侯爵代理の立場にいた。それを真っ向から否定し、親戚である自分がヴァルトブルグ家を継ぐべきであると本気で考えていた。
もちろん、親であるヴェーラー公爵はルイスをいつも咎め続けてくれていたのだが、ルイスは懲りもしない。今日だって無許可でここまで来たのだろう。
「ベルク公爵令嬢からも聞いたぞ。『金狂い』のお前を好きになって婚約したと、本当に思っているのか?それこそどうかしているぞ。それともお前がそいつの顔に入れ込んでいるだけなんだろう」
ああ、誰も部屋に入れなくて良かった。クラウディアは心から思う。おそらくルイスはルイーザからも何かテオの話を聞いてここまで来たのだろう。ルイスはいつかこの屋敷に来るだろうとはクラウディアは予想していたものの、ずいぶん時間が空いた。
ルイスは貴族の社会に通じているため、情報通だった。この婚約を始めはクラウディアの気まぐれだと思っていたに違いない。しかし実際にルイーザから話を聞いて焦り始めたのだ。テオに爵位が取られるのではないかと勝手に思い込んでいる。
「テオが私を好きかどうかなんて、どうでもいいの。ただ一つ言えることは、テオはあなたよりも遥かに素晴らしい人間だということ」
「平民だぞ?平民が侯爵の地位につくなんて、おかしいだろう!」
「あなたがヴァルトブルグ侯爵になるよりは不思議ではないけれどね。フェリクスがどうせ継ぐからと勉強も全くせず遊び歩いていたあなたよりも」
ルイスの手が怒りで震えているのがわかる。クラウディアは決してルイスに負ける気はしなかった。こんな心の醜い男の話など、使用人にでさえ聞かせたくはない。
「帰ってくれるかしら。何度も言うけど、私、忙しいの」
クラウディアは扉を開け、出るように仕草で伝える。
「お前みたいな女、貴族の恥だ。男を立てられない女なんて」
クラウディアはルイスが何を言おうと心に留めないつもりだった。いつもこうなのだ。ルイスはクラウディアに対して並々ならぬコンプレックスを持っている。そのエネルギーを領地の経営学などに回せばいいだろうに、ルイスのすることといえば、社交界でくだらない噂を流すことだけだ。クラウディアがテオと出会っていなかったとしても、ルイスにだけはこの領を任せることはできないと思っている。
「お前があの時死ねば良かったんだ。リアムの代わりに。侯爵の代わりに。」
ルイスは扉から出ながら、吐き捨てるように言った。
「そんなの、私が一番わかってる。帰って」
クラウディアは平静を保つのに必死だった。怒鳴りつけたら、ルイスと同じレベルの人間になってしまう。
「カール。お客様がお帰りだから、玄関まで送って差し上げて」
「…………かしこまりました」
カールは今すぐにでもクラウディアに何かを伝えたそうな表情をしていたが、クラウディアの命令に背くわけにもいかず、ルイスを追いかけていく。
クラウディアは貴賓室のソファーに座り込んだ。ソファーは、いつもよりも深く沈み込んだ気がした。
お前があの時死ねば良かったんだ。
ルイスの言葉が頭に残る。
クラウディアの脳裏には、10歳の記憶が蘇る。まだ父も母も兄も生きていたあの日のことを。
「……ア、クラウディア」
その記憶に混じる、知る人の声。
「……あれ?…………テオ。来る日でしたっけ……」
クラウディアは顔を上げると、そこには婚約者、テオの姿があった。先程ルイスが来てからどれほどの時が経ったのだろう。気づけば外は暗くなっていた。クラウディアは今まで何も気づかず座り続けていたようだった。
「カールが、クラウディアはここにいるから、と」
「来てくれたんですね」
クラウディアはテオに笑いかけた。しかし、テオはいつもの微笑みをクラウディアに返さなかった。
持ってきた秋薔薇の花束をテーブルに置き、テオはクラウディアの隣に座る。
「クラウディア。客人が、来たそうですね」
カールが話したのだろう。有能なカールのことだ、どんな内容を話していたのかまでかは他所の人であるテオに伝えることはないだろうが。
「……ヴェーラー公爵の次男です」
「いつも素敵な貴女の顔が今日は苦しそうだ。何があったのか、聞いても?」
テオの心から心配するような顔に、クラウディアはどう切り出していいかわからなかったが、テオに無駄な心配はさせたくなかった。
「……あの人は、私が侯爵代理の地位にいるのが許せないんです。自分は爵位を引き継げないから」
「クラウディアは誰よりも立派に侯爵の仕事をしていますよ。そばで見た私が証明できます」
クラウディアの手のひらを優しくテオは両の手で包み込んだ。その温かみのある手に、自分の手が冷たくなっていることがわかる。
「テオは、なぜ私が侯爵代理の地位にいるのか、知っていますか?」
テオは首を横に振った。
「……あなたに、いつかは伝えなくてはとは思っていたんです……話す機会がなくて……長くなるけど、聞いてくれませんか。私が公爵代理になるまでの話を」
ルイーザの時のように、誰か他の人がテオに伝えてしまうより、早くテオに自分から伝えておきたい。クラウディアは、真正面からテオを見つめて言った。
読んでいただきありがとうございます。
初評価もありがとうございます。とても嬉しいです。
あと10話ほどで終わる予定なのですが、ストックがなくなりかけてきました。毎日更新を目指していますが、遅れたらすみません。またよろしくお願いします。




