15 返事がないなら、肯定ととります
街の出店は相当な数でそこへ集まる人々の数もかなり多い。この小さなヴァルトブルグ領でさえもこの規模だ。きっとこれよりも大きな都市や王都ではさぞ賑やかなことになっているのだろうとクラウディアは思う。
クラウディアは慣れぬ食べ歩きをしながら、どんなものが人気なのかを細かくチェックしていた。そうでもしていないと、繋がれた手に意識がいってしまい、テオと会話さえろくにできなさそうだった。時折食べる時や会計をするときには手が離れてしまうものの、しばらくすると自然に2人の手と手は合わさった。
街の広場は一番人が多く、楽団の音楽が流れている。男女が集まり、踊っているようだった。男女が手を繋ぎ合い、楽団の奏でるテンポの良い音楽に乗せてくるくると回る。そこには決まった型などないようだった。
これが侍女の言っていたダンスなのね。貴族のダンスとは全然違うけど、みんな笑顔で楽しそう……。
クラウディアはダンスが得意ではないことを自負していた。ダンスのレッスン以外では今まで一緒に踊ってくれたのが親戚であるヴェーラー公爵くらいなもので、経験も少ない。クラウディアが眺めているのに気づいたのか、「踊りませんか」とテオが提案する。
「踊り、私上手じゃなくて……」
「ほら、見てください。ワルツじゃなくて、みんな好きに踊るみたいですよ」
確かに、上手い下手の関係ない踊り方で、誰でも参加自由で子供でさえもクルクルと回っている。
「一緒に踊っていただけませんか、レディー」
テオの改めた誘いに、顔を真っ赤にしたクラウディアは頷いてもう片方の手もテオに預ける。
音楽に合わせて適当に踊るというのが正しい表現だろう。クラウディアたちはただ周りの動きを見ながら、何となく合わせて踊り始めた。
「あの人かっこいいわね」
「あんな人いた?どこの人なのかしら」
踊りながらも、クラウディアは周りの女性たちがテオのことを噂しているのが耳に入ってくる。
「テオ、やっぱりみんなテオのことが気になるみたいですよ」
とクラウディアが言うと、テオは首を傾げながら、「そうでしょうか」と返した。
「どちらかといえば、私は先ほどから男達がクラウディアの顔やうなじや腕ばかりチラチラ見ているのが気になってしょうがないですが」
「え?私が?違いますよ、テオのことを見ているんですよ」
「意外と自分のことはよくわからないものですから」
テオはぐ、とクラウディアを引き寄せ、距離を縮める。テオの胸元で飾られた白百合が崩れそうなほどの距離に、クラウディアは慌てて言った。
「テオ、か、花粉がついちゃいます」
「ダメですか?」
「だ、ダメじゃないですけど……は、恥ずかしくて」
周りで踊っている人々は、クラウディア達よりも近づいていることもあるから、おかしいことではないと分かっているのだが、ここまで近い距離にテオがいたことはなかったクラウディアの心臓は、早鐘を打ち続けている。
パートナーを変えることなく、ただ2人で手を繋ぎ踊り、十曲ほど続けたところで、クラウディアの体力が尽き、ダンスの輪から離脱した。
「他の皆さん、体力あるのね……」
酸欠と水分不足でクラクラする体で、クラウディアは壁に寄りかかり、テオから受け取った水を飲む。隣にいるテオは涼しい顔をして立っており、これっぽっちも疲れていないようだ。
クラウディアはぼんやりと踊る人々やその周りで楽しそうに話している人々を見つめる。
みんな嫌な顔一つせず、食べて、飲んで、そして踊って。
クラウディアからしてみると、こうやって皆が笑顔で過ごしてくれることが何よりもありがたいことだった。
「みんな、楽しそうですね」
テオは何となくクラウディアの思っていることが分かったのだろう。
「はい、こうやって直接領の様子を見られる機会はなかなかないですから、今日来てよかったです。みんな楽しく笑って過ごしていることがわかったので……」
クラウディアは領主という立場であり、そこへ住む領民達がどうやって過ごせているのかが何より大事に思うところだった。普段街へ出ても、クラウディアを見ればみんな「貴族であるから」と気を遣ってしまい、街の真の姿はなかなかみることができない。しかし今日の祭りのような時は、クラウディアを気に留める人は誰もいない。
「ほら、見てください」
テオの目線の先では、幼い少年と両親と楽しそうに話している。笑っているのが離れたこちらからでもよくわかる。
「あの子が生まれたのは、あなたが領主である今の代です。あなたの力で楽しく過ごせているということですよ」
クラウディアの貴族からの評判は地につく勢いだが、領民達からするとそんな貴族からの評判など関係がない。ただ領主として領民の生活が快適かどうかで評価される。
「テオは、本当に優しいですね」
テオがクラウディアのことを認めてくれることがクラウディアは何よりも嬉しい。
「そうだ。この近くに、ヴァルトブルグ家の所有する土地があるんです。休憩しに行きませんか?」
「いいですね」
クラウディアが「愛の日」に街へ行くとそこの管理人に手紙に書いたところ、ぜひうちへ休憩しに来てくださいと誘いを受けていたのだった。そのうちテオを案内できたらと思っていた場所だったため、クラウディアはありがとうございますと快諾していたのだった。
賑やかな街の広場を離れ、南の方へテオとクラウディアは歩いていく。広場から離れるのにしたがってだんだんとすれ違う人も減っていった。
クラウディア達がたどり着いたところは、街の外れの一角だった。低い塀と生垣で囲まれた場所で、大きな門があり、鉄のヴァルトブルグ家の紋章が掲げられている。祭り仕様だろうか、ランプが至る所に置かれ、広場よりは暗いものの、真っ暗であるわけではなかった。
「ここは?」
テオが不思議に思ったようで聞いてくる。
「昔からヴァルトブルグ家が所有していた土地です。何か事業をやろうとしていたみたいなんですが、結局途中で止まってしまったようで。だからちょっとその土地でやってみようと思ったことがあり……」
クラウディアが鞄の中から門の鍵を探そうとしている時だった。
「ご機嫌よう、クラウディア様」
正面の暗がりからクラウディアを呼ぶ声がし、クラウディアは「ひゃ」と小さい悲鳴をあげる。咄嗟にクラウディアはテオの背に隠される。
「いやいや、驚かせてしまいましたか。すみません、クラウディア様」
ランプを持った初老の男が、頭をかきながら謝る。
「びっくりしました……ゲルトナーさんご機嫌よう」
クラウディアはテオの背からひょっこりと顔を出し、その男へ挨拶をした。
「テオ、こちら、ゲルトナーさん。ゲルトナーさんは父の代からヴァルトブルグの庭師として働いています。今は屋敷ではなくここの管理人をやってもらっています」
クラウディアが紹介をすると、ゲルトナーと呼ばれた初老の男は礼をする。
「こちらはテオ・ルグラン様。私の……」
「婚約者です」
テオが間髪入れずに言い、仮面を外して礼をする。
「ほう。クラウディア様がご婚約されたことは知っていましたが、お似合いですな。おめでとうございます、クラウディア様。あんなに小さかったクラウディア様がご婚約されるとは……感無量ですな」
ゲルトナーは嬉しそうにクラウディアをにこりと笑って言った。テオが婚約者と名乗ることにもだいぶ慣れたはずだが、小さい頃から知るゲルトナーに言われるとまた違った嬉しさがある。
「お待ちしておりました。祭りも踊り疲れたでしょう。ゆっくり休んでいただけるよう、冷たいお茶など用意させていただきました。虫除けもありますから、安心してください」
ゲルトナーはクラウディア達の服を見て言った。おそらくゲルトナーは2人の服が百合の花粉だらけだったことから、踊っていたと判断したのだろう。ゲルトナーの言葉にクラウディアは少し気まずい気持ちにもなるが、もう今気にしてもしょうがないと腹を括る。
「お祭りの日なのに、わざわざ用意していただいてありがとうございます」
クラウディアが来ることになれば、ゲルトナーも気を使わざるを得なかっただろうとクラウディアは謝ったものの、ゲルトナーは首を横に振った。
「私がお誘いしましたから。ぜひ夜の庭を見ていただきたく、楽しみにしていたのですよ。カール殿が夜クラウディア様が出歩くことを許可することなんてなかったでしょう。だからこの機会を逃すわけにはいかなかったのですよ」
カールの過保護さは、ゲルトナーでさえよく知ることだ。クラウディアは苦笑いをする。「こちらへ」とゲルトナーはランプを持って歩き始めた。ゲルトナーについて2人は歩いていくと、
「ここは、庭、ですか?」
周りをキョロキョロ見渡したテオが聞く。生垣で囲まれたこの場所には、花や木がたくさん植えられていた。
「ここは以前のヴァルトブルグの迎賓館ですね。今はこの爺が住み込みで管理させてもらっております」
ゲルトナーがテオに答える。
「迎賓館としては使っていないので、今は庭を実験的に使っています。領地で花の栽培を進めてみたいと思っていて、その試験場のような扱いにしてもらっています」
クラウディアもテオへ説明し始める。この場所を活用することは、クラウディアの計画の一つでもある。迎賓館という建物自体、クラウディアにとっては贅沢品であった。売り払うことも考えていたのだが、売り払うよりも領地経営に役立てるのではないかと今は実験場のような扱いだ。
その迎賓館前に着くと、見慣れていたクラウディアでさえも息を呑む光景だった。
ランプが木々にかけられ、街灯が輝く。ぼんやりと浮かび上がった庭園は幻想的で、まるで物語の世界のようだ。
この庭園は従来の庭園と比べると、人工的で均整的な美しさには欠けるものだった。従来の庭園は、美しく刈り込まれた生垣がシンメトリーに配置され、真ん中に噴水が置かれ……というものだったが、この庭園はゲルトナーにより全く新しい提案がされたものだった。多様な植物が植えられ、花々が咲いている。自然な植物の美しさ、というべきだろうか。夏の花が咲き乱れ、生き生きとしている生垣は見事なものだった。
何も言わずともクラウディアの瞳を輝かせたことに、ゲルトナーも満足げにしているようだった。
「これは素晴らしい」
テオも初めて見るであろうこのスタイルの庭園に声をあげる。
「ゲルトナーさんは、長い間ここの庭師をして、園芸家の人たちと相談しながら、庭の提案をしてくれているんです。費用は度外視で、納得のいく庭を作り上げてほしいと頼んだら、こんな庭園になって……」
「こんなに美しい庭は初めてですよ。庭園というと、生垣が迷路になっているものばかりだと思い込んでいましたから。自然、というか……、お茶を飲みたくなりますね」
テオの好意的な感想に、クラウディアの胸も熱くなる。
「テオもそう思ってくれて嬉しいです」
「貴女の試みはいつだって驚かせてくれますね」
ゲルトナーは2人の会話を聞いていたのか、「クラウディア様は素晴らしいパートナーをお選びになったようですね」と嬉しそうに言った。
「クラウディア様のことを認めてくださるパートナーを爺は望んでおりましたよ。貴族は愛のない結婚しかできぬと聞いておりましたが、これなら安心だ」
ゲルトナーは2人のしっかりと結ばれた手に目をやり、感無量とばかりに話す。その視線に、クラウディアは無意識で繋いでいた手を解こうとしたものの、テオはそれを許さず、さらに強く握られる結果になってしまった。
ゲルトナーの案内で、奥の東屋のような場所へ辿り着く。その周りにもランプが飾られていて、暗いながらも優しい明かりが灯っていた。そこにはテーブルとベンチが設置されており、テーブルの上にはゲルトナーが用意したであろうお茶やランプなどが置かれている。
「冷たいお茶と酒、菓子などを少し用意しましたので、ご自由にお飲みください。お二人の時間の方がよろしいでしょうから、爺は下がらせてもらいます。そのままにして結構ですから、お好きなだけここでお休みください」
わざわざ用意をしてくれたゲルトナーにクラウディア達は礼を言う。ゲルトナーは「良い夜を」と言って、住んでいる館の方へ戻っていった。
クラウディアとテオはベンチに座ると改めて周りの景色を見回した。ゲルトナーの管理は完璧で、きっと昼であればもっと多くの花が咲くのだろうとクラウディアは考える。ゲルトナーの用意したお茶を飲み始めるとテオが話し始めた。
「クラウディアは、きっとこの素晴らしい庭を何かに利用しようと考えていますよね」
「わかりますか?」
クラウディアの計画、それはこの庭と迎賓館を富裕層の人間に一日貸し出すことだった。ガーデンパーティーというのは、貴族の間でのお茶会の常識だったが、貴族以外の人間にはなかなか機会がない。優雅にお茶を楽しむ時間もないほど仕事などで忙しいことが多いからだ。
「貴族ではない比較的余裕のある市民層に貸し出しをしようと思っています」
「庭を、貸し出す?」
聞いたことのない取り組みに、テオも疑問に思ったようだった。クラウディアは続ける。
「平民の間では、結婚証明書を書いた後、友達や家族を招いて小さなパーティーをするようなのです。それをこの庭でできたら素敵だな、と思いまして。一緒に食べる食事もみんなへお披露目するドレスもこの領地のものを選んでもらえたら、さらにお金が入りますから」
お茶会をする余裕はなくとも、一生に一度の結婚パーティーともなれば、特別な場所でやりたいと思う者は多いだろう。それなら裕福な層にはこの庭園はうってつけではないかと考え、この計画を進めてきていた。見事にその期待に沿った出来上がりになっている。
「農民からはお金を取ることは難しいと思っています。生活をするので一杯一杯ですから。だから今私がお金を回してほしいと思っているのは、比較的生活に余裕を持った層なんです。そういう人たちが、少しずつ贅沢なものにお金を費やしてくれれば……」
ここまで言って、クラウディアは自分の話していることにハッと気づいた。明らかに経営の話で、貴族男性からは女性が話して嫌われることの内容だ。公爵に相談するときのような話し方をしてしまい、クラウディアは口を閉じる。しかしテオはそれが気に入らないようだった。
「クラウディア、続きが気になるので、もっと聞かせてください」
「……テオは、嫌ではないのですか?私が、こうやって経営の話ばかりすること……」
クラウディアは恐る恐る聞く。クラウディアがこうやって勢いのまま話してしまうことに、テオが慣れているのはわかっている。しかしいつもいつもこんな話ばかりで、辟易してしまうのではないだろうかと思ってしまう。さらに今日は祭りの日で特別なのに。
「楽しいですよ。人の噂話や悪口なんかを聞くよりも、ずっと。貴女の話の方が有意義だ。あ、でもクラウディアが悪口を言うのを聞いてみたい気持ちもあるけれど……」
「テオは、やはり変わっていると思います。他の方はそういう話にあまりいい顔をしませんから」
テオは小さくため息をつき、そっとクラウディアの手を取った。感じるテオの体温に、クラウディアは小さく体を震わせる。
「貴女は相当、人から何かを言われて今まできてしまったのですね」
「……普通ではないのは、もうわかっているので、言われてもしょうがないと思っています」
金狂い、金儲けのことしか考えない、贅沢ばかり、もうそんなことは聞き飽きたくらいだ。
自分を本当に理解してくれるのは、使用人たちと公爵たちくらいだと思っていた。
「貴女がどうしたら、自信を持ってくれるのかばかり考えています。クラウディア、貴女が心置き無く自分の考えを言えるようになってほしいと」
テオの真面目な顔に、クラウディアは何も声を出すことができなかった。
「クラウディア、貴女の一番の良き理解者でありたいのです。貴女の一番でありたい」
いつもクラウディアを優しく見つめるテオの星のように金色に輝く瞳に、クラウディアは自分の気持ちが変わり始めていることに気付き始めていた。
今のクラウディアは婚約破棄を望んでいない。
少し前まではテオから破談してくれてもいいと思っていた。それなのに、今、テオがこうやって、そばにいてくれること、手を握ってくれることを何よりも嬉しいと思っている自分がいる。
もし、もし叶うのであれば……
「テオ、私……」
クラウディアが自分の思いを口に出そうとした時だった。
クラウディアの目の前が暗くなる。テオの端正な顔が今までにない距離で見えた。吐息が頬に感じられ、クラウディアは反射的に目を瞑るしかなかった。唇に今までに一度も経験したことのない感触がする。テオが離れた、と唇が敏感に感知した時、クラウディアは恐る恐る目を開ける。
テオは先ほどよりは少し離れてはいるものの、それでも十分近い位置に顔がある。
「断りもなく、したことは謝ります」
「わ、私の気のせいでなければ、今、あなた、私に……」
「キスしました」
クラウディアは、全身が沸騰したかのように熱くなるのがわかる。きっと顔も赤くなっているに違いない。
「もう一度、してもいいですか」
テオの顔が再び近づいてくるのを、クラウディアは拒めるはずもない。
「返事がないなら、肯定ととります」
囁くようなテオの低い声に、目眩がしそうだった。先ほどよりも長い唇同士のふれあいに、クラウディアは自覚した。
私は、あなたを好きになってしまった、と。




