14 「愛の日」と白百合と古い服
貴族の「愛の日」と庶民の「愛の日」は、異なる日にちで別のことが行われている。そのことを知ったのは、クラウディアの幼い頃だった。
貴族は、クラウディアも参加した仮面舞踏会を行うことを慣習としていたが、庶民の「愛の日」は、お祭りのようなものだった。
初代の王と他国の姫の結婚式の日が庶民の「愛の日」だ。王と姫は結婚式の後、庶民へ向けてパレードを行ったのだという。その時に使われた花が白百合だ。そのため、その白百合が庶民の「愛の日」の祭りでは使われる。
貴族は基本的に庶民の祭りには参加しない。クラウディアも自分の領地の町々で祭りが行われていることは知っていたが、行ってみることもなかった。クラウディアの両親は、せっかくの祭りに領主がいたら楽しめることも楽しめなくなる、という考えを持っており、協賛金は出すものの、参加せず見守るだけだったからだ。
幼かったクラウディアはお祭りに行きたいと駄々をこねたものの、結局家族と一緒に行くことは叶わなかった。
「女性は白百合を頭につけるんです。男性は胸につけます。それで夜通し広場とかで踊るんです!出店もいっぱい出て、美味しいものとお酒と楽団の音楽で、最高ですよ!最後には踊り過ぎて、白百合も服もボロボロになっちゃうんですけどね!」
侍女の1人がキラキラとした目で話しているのを、クラウディアは感心しながら聞いたものだった。
仮面をつけることは同じだが、貴族は薔薇で、庶民は百合という花の違いがある。あとただ踊るだけというところも違いそうだ。
何か機会があれば行ってみよう、と思って数年が経っていた。
今回テオがクラウディアに持ってきてくれた花束は白百合だった。花瓶に飾られた白百合を見たクラウディアはふと「愛の日」のことを思い出す。
「テオは、「愛の日」のお祭りを知っていましたか?」
クラウディアは午後のティータイムで、テオに聞く。きっと平民であるテオの方が詳しいだろうと思ったからだ。
「参加したことはないですが、知っています。みんな白百合の花粉まみれになると聞いてます」
百合の花粉は大量な上にベタベタしている。服や体についたらなかなか落ちないという厄介な代物だった。
「なぜ百合の花をわざわざ使うのでしょう。初代の王の結婚式に用いられたからと聞きましたけど……」
クラウディアは素朴な疑問を口にする。
「踊る相手と密着したら、相手の花粉がつくでしょう?」
つまり、一緒に踊った相手に自分のことを覚えていて欲しい、という意味なのだろう。貴族の仮面舞踏会のように、婚約とまではいかないが、思い出を忘れないという意味であるとテオは言う。
「ロマンティックですね」
「そうですね」
道理で侍女が目を輝かせていたわけだ。その日の午後は、屋敷の使用人たちのほとんどに暇を与えようとクラウディアは決意する。
「クラウディアも参加したことがないんですよね?今までは何をしていたのですか?」
「えーっと、去年は……確かその日一日税務の先生達と、医療体制の税金や法制度の話をしていた記憶があります。屋敷に白百合の花が飾られていたので、その話になったんですよね……でも夢中で話していたら、気づいたらお祭りは終わっていました。話しているのも楽しかったですけどね」
全くロマンティックでもなんでもない。それほど最近までのクラウディアにとっては庶民の「愛の日」は関係ないものだったということだ。
そのクラウディアの言葉に、テオは目を細める。
「今年はどうですか?」
「ええと……行ってみたいとは思っていたのですけど……」
今のクラウディアは、興味がないわけではない。街のありのままの様子を知れるということにも、とても惹かれるものがある。しかし、自分が街へ出るということは護衛が必要になってしまう。もしクラウディアが参加すればその護衛の騎士たちは祭りに参加できない、ということが気がかりだった。
「リヒト卿に護衛を頼んで、他の騎士の方々には休んでもらうのは?」
そのクラウディアの気持ちを汲んだのだろう、テオが提案する。
「そうなると、リヒト卿は参加できなくなりますよね……」
せっかくの楽しいお祭りだ。リヒト卿にも楽しんでもらいたいとクラウディアは思う。しかしあのリヒト卿が踊っている姿も、出店で物を食べている姿も正直想像がつかないが。
「それなら、私と2人で行くのはどうでしょう」
「テオと?」
「護衛は、無しで。一応騎士を目指していたこともありますから、それなりに腕は立ちます」
クラウディアはキョトンとテオを見つめていたが、えっと、つまり、つまり、と頭が沸騰し始めるのがわかる。両手で赤らむ頬を押さえながら、テオに聞く。
「えっと、それってつまり……」
「デートの誘いです」
テオは微笑んだ。
なんて楽しそうな提案なのだろう。でも、護衛無しで出かけたことは一度もない。祭りが治安がいいかどうかもわからないし、家令であるカールにも反対されそうだ。
「……えっと、カールに聞いてから返事をしてもいいですか?」
「もちろん」
2人きりで出かけられたらどんなに楽しいだろう。
クラウディアは後ろを振り返り、ずっと後ろで待機していたカールに目で訴える。カールはなんとも言えぬ表情を見せ、悩んでいる様子だったものの、「ルグラン様と離れないと約束されるのなら……」と渋々許可を降ろしたのだった。
庶民の「愛の日」は、夕方から深夜にかけて行われる。クラウディアは使用人達に祭りへ行きたい者は遠慮なくカールやハンナに申し出るように、と声をかけていた。若い使用人達は行きたい者が多かったようで、残ったのはカールとハンナ、そして数人の騎士たちだった。
その日の午後には希望者へ暇を与え、クラウディアは仕事もそこそこに、クローゼットを物色し始めた。服を選びましょうか、とハンナや侍女たちが提案してくれたものの、クラウディアはそれを断った。せっかくの機会だ。自分で決めてみたいという気持ちが強かった。
クラウディアのクローゼットにほとんど新しい服はない。自分の体が成長が止まり始めたときから、特別なパーティー以外では新しいドレスを買わないようにしていたからだ。ハンナは、「少しは買ったほうがいいのでは」と言ってくれたが、節約節制をモットーに掲げるクラウディアには、必要のない物だった。
「コルセットはしないし、動きやすい方がいいわよね。それで古い服がいいってみんな言っているし……平民らしいシンプルな服……」
独り言を言いながら、クラウディアは一つ一つ服を確かめていく。一つ取り出した服は、少し上質なシルクが使われているが、ちょっと形が古いものだった。また元は綺麗な水色だったのだろうが、色褪せており、くすんだ水色になっている。買った覚えのないその服に、「お母様の服かしら」と胸に当ててみる。悪くはなさそうだ。
「クラウディア様、お洋服を選べましたか?」
外からハンナの声が聞こえたのに、クラウディアは「ええ」と返事をして胸に当てたままクローゼットを出る。
「どうかしら」
クローゼットから出てきたクラウディアが聞くと、カラーン、と床に盆が落ちる。ハンナが持っていた盆だ。
「ハンナ、どうしたの?」
ハンナがミスをするなんて、とクラウディアは慌てて聞く。
「び、びっくりしてしまって……申し訳ありません。その服、奥様の服ですよね?奥様かと思ってしまったので……」
クラウディアが遠くにいたからだろうか。ハンナにはクラウディアが亡くなった母のように見えたらしい。
「私、お母様に似ているの?」
クラウディアは聞く。もう母たちが亡くなって、8年経つ。忘れたくないが、記憶が風化してしまっているのも事実だ。
「奥様も、若い頃にその服をよく好んで着ていらっしゃいました。そのワンピースを着ていると、そっくりです。大きくなられましたね、クラウディア様」
ハンナが涙ぐみながら言った。
「そうなの……お母様に似てきたのね」
近くにあった鏡をみても、鏡の中の自分はいつもの自分にしか見えない。だが、それでも母に似てきたと言う事実はクラウディアにとって喜ばしいことだった。
「さあ、髪を結いましょうか。動きやすいように髪を上げたほうがいいですかね」
ハンナは涙を拭き、笑顔で言った。
「似合うかしら、変じゃない?大丈夫?」
鏡を見て何度も繰り返すクラウディアに、可愛いですよ、とハンナも繰り返し言う。ハンナの見事な手捌きにより、クラウディアのはちみつ色の髪は、耳の上から左右で編み込まれ、下の方でまとめられている。向こうで白百合を購入した時には白百合はここに差し込むのですよ、ときちんとレクチャーも受けた。
「服も、似合っている?丈とか大丈夫かしら」
十回は繰り返されたそのやりとりに、ハンナはクスクスと笑った。
「クラウディア様、本当に楽しみなのですね」
「え?」
「今までこうやって容姿のことなんて気にしたことなかったでしょう。人前に出るわけでないなら化粧なんていらないとか、服だって適当でいいとか」
「……そう、かしら」
思い返せば、以前はそんなことを言っていたような気もする、とクラウディアは思うが、ずいぶん前のように感じられる。
「テオ様のおかげですね。婚約者様の前ではよく見られたいのは当然ですから」
「……そういうものなの?」
「そうです。そのうち、わかりますよ」
ハンナは柔らかく微笑むが、まだクラウディアにはその意味が全て理解できたわけではなかった。
夕方、5時、玄関で会いましょう。
約束を取り付けたのはクラウディアの方だった。こんなにも心臓の音がうるさく聞こえるのは何故だろう。こんなにも5時が待ち遠しいのは何故だろう。何度も髪型を確認して、母のワンピース姿を鏡で見て、自分の確認作業は仕事の点検よりも頻回だ。
軽やかな足取りで、玄関ホールまで向かうと、既にテオが待っていた。
テオは白いシャツに黒のジャケット。テオは何を着ても似合ってしまいそうだ。汚れてもいい古着とは思えないし、顔を見たら庶民とは思えないだろう。クラウディアがそう思っていると、
「とても似合っていますよ。素敵なドレスですね。髪型も、いつもと違っていいですね」
とテオが言う。
「ありがとうございます。このドレスはお母様のだと言っていました」
くるり、と回って見せるとテオも満足そうに頷いた。
「素敵です。古いものも大切にしているんですね」
そうですよね、普通は母親の古着なんて取っておかないですものね。ルイーザならちくちくと嫌味を言ってきそうだが、テオはそうやってさらりと褒めてくれる。
「さあ、これがお金の入った財布と、バッグです。斜め前にかけておくのですよ。スリがいる可能性もありますからね」
クラウディアが少しでも庶民に見えるように、ハンナとカールが細かくクラウディアに最後の指示を出していく。
クラウディアは斜めがけにできるバッグをもち、中身をもう一度確認する。護衛なしで出かけるのは初めてに近いので、浮き足立ってしまっているのがわかる。
「くれぐれも!ルグラン様から離れませんように」
カールは相当不安らしく、何度も何度も同じことを繰り返す。
「はい、わかったわ」
「トラブルがあったとしても、首を突っ込まず、今日は何もしないでくださいね」
「ええ。今日は自警団や保安官に任せるわ」
相当信頼されていないようだ、とクラウディアは苦笑いをする。
「ルグラン様。クラウディア様をよろしくお願いします。祭りの終了時刻には街を出てくださいね」
「はい、わかりました。心配かけぬように楽しんできます」
テオもカールの心配が少しでも晴れるよう頷く。
行きは侯爵家の馬車、帰りは街の貸し馬車を利用することが決まっている。屋敷から街までは徒歩で行けなくもない距離なのだが、これも念押しされてしまった。
そこまで街も治安が悪いわけではないが、庶民の世間というものを知らないクラウディア1人がいるのが、カールは、よほど心配のようだった。
街の外れで侯爵家の馬車を降りると、クラウディアは御者へ礼を言いながら「あなたも楽しんで」と声をかける。
街の入り口まで2人は揃って歩いていった。人通りが多く、いつもの街の様子とは全く違うのがクラウディアもわかる。賑やかな雰囲気は、心を弾まさせた。
「すごい、綺麗だわ」
街のライトアップはいつもよりも明るく感じられる。提灯が至るところに吊り下げられているからだろう。
普段の街とは思えぬほどの人の多さに、クラウディアは人混み酔いしてしまいそうだ。さらに言うならば、隣にいるテオの容姿はやはり目を引くようで、通り過ぎたのにもかかわらず、振り返るものまでいる。
しかしテオはそれを気にする様子も見せず、街の入り口で売っている白百合の花を二つ購入し、クラウディアの髪に差し込み、自分の胸元につけた。
「行きたいところはありますか?」
「よくわからなかったので、侍女に何がおすすめか聞いてきました」
クラウディアはメモ帳をバッグから取り出し、開いてみる。侍女からのおすすめを書き留めておいたのだ。ただクラウディアには一つ気掛かりなことがあった。
「歩きながら食べるのとか、……テオは気にしませんか?」
貴族の中ではテーブルについて食べるのが常識で、立って食べるのはパーティーのフィンガーフードくらいなものだ。しかし今すれ違う人たちは立ったり歩いたりしながら、美味しそうにさまざまなものを食べている。
「お祭りはそういうものなので、気にしませんが」
「そうですか!それなら、私食べてみたいものがいっぱいあったんです!」
街中から漂う香りも、なんとも食欲をそそる。今日はコルセットもつけていないし、思う存分食べるのを楽しめそうだ。
キョロキョロと周りを眺めながら歩き始めようとするクラウディアに、テオはわざと咳払いをする。
「婚約者様、逸れないように手を繋ぐのはどうでしょう?」
この混雑の仕方では、しょうがない。クラウディアは、なぜか頬が緩むのを感じる。コクリと頷き、そして差し出された手を握る。クラウディアより大きく温かい手。
「さあ、何から食べましょうか」
「揚げたジャガイモ?が美味しいらしいので、食べてみたいです!あと骨つきのお肉も……」
クラウディアの提案に「いいですね」とテオは笑ったのだった。
読んでいただき、本当にありがとうございます。お祭りはあと1話続きます。




