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クラウディア・ヴァルトブルグ侯爵代理は30分後に婚約したい。  作者: 砂糖はろ
クラウディア・ヴァルトブルグ侯爵代理は30分後に婚約したい。
13/27

13 本当に王子殿下のことが好きだったのですか?

 クラウディアが今一番会いたくない人に順位をつけるならば、その人は2位だ。できることなら、もうしばらくは会わずに済ませたい。しかし、これはどうしようもなさそうだ。


「クラウディア様!」


 名を呼ばれたクラウディアはその人物に精一杯の作り笑顔で答える。


「ご機嫌よう。アイリス・ルナーレ伯爵令嬢」




 こんなところで会うとは全く予期していなかったのだ。

 クラウディアがいる場所はヴァルトブルグ領の端にある孤児院の一室だった。もちろんこの孤児院はヴァルトブルグ家の管理のもと運営されている。

 この孤児院は従来の孤児院とは違う運営方針を持っていた。孤児院では親のいない子どもを保護し一定期間育てることを目的としている。しかしこのヴァルトブルグ孤児院ではそれだけでなく、子どもたちに職業訓練を行い、自立を目指させる。一種の学校のような役割を果たすものだった。これもクラウディアが考案し、始めたことだった。


 テオは仕事によりまたしばらくの間ヴァルトブルグ邸を離れているため、本日はクラウディア単身による孤児院の視察、ついでに建設途中の学校も見にいく、という予定だった。


 誰がそんな孤児院に会いたくない人2位のあのアイリスがいると予想できただろうか。

 孤児院に、貴族の伯爵令嬢であるアイリスが。


 アイリスは、普段のドレスとは違う平民の上等な服に近いワンピースを着ている。ストロベリーブロンドのふわふわの可愛らしい髪は一つにまとめ上げられており、一見貴族とは思えぬ様子を見せる。しかしアイリスほど所作が貴族らしい人間もいない。そのため貴族であることを隠しつつも、貴族であることはよくわかる、という具合だった。


 アイリスはクラウディアを見ても、嫌な顔をひとつせずニコニコとしていた。まるで久しぶりに会えた仲の良い友人を相手するかのように。


 一方、クラウディアは、そんな気持ちには全くなれやしない。アイリスに対しては罪悪感しかないからだ。仮面舞踏会で今までの非礼を詫びたものの、それだけで済まされる問題ではないと自覚している。


「え、っと、アイリス様は、何故、この孤児院に?」


 クラウディアは戸惑いながら聞いた。それもアイリスは孤児達と楽しそうに刺繍をしていたのだ。貴族の令嬢が、孤児と一緒にいるのは、本当にあり得ないことだ。


「実は……以前からこの孤児院には出入りをさせてもらっていて……」


 アイリスはモジモジと答える。

 クラウディアには初耳だ。貴族が来ていたともなれば報告がありそうなものだが、とクラウディアは今までの報告書を思い返すものの、それらしい報告はなかったように思える。後で院長を問い詰めてやろうと心の中で決める。


「あ、クラウディアさま。こんにちはぁ。クラウディアさま、アイリスちゃんのしりあいなんですか?」


 刺繍をしていた少女のうちの1人がクラウディアに挨拶をする。この少女は孤児院にいる少女で、運営者にあたるクラウディアのことはもちろん知っている、のだが。


「あ、アイリスちゃん?」


 クラウディアは聞き間違いか、と聞き直す。

 貴族を呼び捨て?そして知り合いとか……どういうことなの。

 クラウディアの混乱を察したのだろう。「えっと、クラウディア様、少し説明させてください」

とアイリスは言った。

 アイリスは先ほどまで刺繍をしていた少女達に「ちょっとごめんね。クラウディア様とお話ししてくるね」というと、刺繍を途中でやめ、カゴの中へ入れる。その動作はかなり手慣れた様子だ。


 アイリスはカゴを持ち、歩き始めたので、クラウディアもとりあえず後へついていく。アイリスは迷う様子も見せずに、廊下に出て一つの部屋へ向かって歩いていく。


「院長からの許可をいただいているので……」


 扉を開けると、そこはソファーや椅子、机の置かれているただの小さな部屋で、貴族のアイリスの荷物が置かれているようだった。


「クラウディア様、お座りください」


 クラウディアはアイリスの言う通りに、ソファーへ腰掛ける。アイリスは椅子へちょこんと座る。


 気まずい。気まずすぎる。今まで意地悪してきた相手と向かい合うのは。

 アイリスのあの性格では、多分責め立てるようなことはしないと思うが、それでもクラウディアの良心は痛み続ける。その罪悪感の相手が、こうやって自分の運営する孤児院によく来ているのは信じられないことだった。


「実は私、四年前から身分を伏せて、この孤児院に出入りしていました。きっかけは、院長先生に街で偶然助けてもらうことがあって……」


 アイリスの語るところによると、四年前、道で暴漢に襲われそうだったところを、通りがかったここの院長に助けてもらったのだという。アイリスはそのお礼に時間が合った時には子ども達に刺繍を教える手助けをしていたのだという。


「アイリス様は、お優しいですね。助けてもらったからといって、自ら刺繍を教えるなんて」

「頑なにお礼は何もいらないとおっしゃるので……私にできることはこれくらいしかありませんから」


 アイリスは、にこりと笑う。その笑みは慈悲に溢れていて、王妃に相応しい、とクラウディアは感じる。


「ここがクラウディア様の運営する孤児院ということも知っておりました。皆、口々にクラウディア様のことを褒めるんです。子どもも、ここで働く大人も」


 去年は散々アイリスに対して意地悪をしてきたクラウディアだ。そんなクラウディアの運営する孤児院にわざわざ来続けてきたのは、院長への恩を返すためとはいえ酷なことをさせてしまった。さぞ、この一年に関してはアイリスは嫌な気持ちで来ていたのだろうと思うと心苦しくなる。


「アイリス様、ありがとうございます。こんなひどいことをしてきた私の運営する孤児院に来続けていただいて」


 クラウディアは頭を下げる。しかしアイリスは、首を横に振った。


「クラウディア様にはお話ししなくてはと思っていたんです……私が王子殿下と出会ったきっかけを……それに……もしかしたらこの立場は私ではなくクラウディア様だったかもしれない……と」


 アイリスの瞳は、すみれの花のような紫色だ。その紫が揺れている。

 アイリスの言っている意味が全くわからないクラウディアだったが、とりあえずは黙ってアイリスの話を聞くことにした。


 クラウディアは初耳だったが、この孤児院は革新的な施設として、かなり有名なところになっているらしい。

 1年ほど前、エドワード王子はこの孤児院の評判を聞きつけ、視察に行こうとしていた。しかし王子が訪問すると予告すれば、この孤児院の真の姿がわからないだろうと考え、お忍びで訪れていたらしい。そこで偶然出会ったのが、刺繍を教えにきていたアイリスだった。

 アイリスも自分の家名を名乗らず、エドワードも自分が王子であると名乗ることはなかった。この時アイリスは「素敵な人」だとエドワードのことを思ったらしい。それはエドワードも同じだったようだ。


 アイリスとエドワード王子が再会したのは、アイリスのデビュタントだった。まさかあの時の、と2人は初めてのダンスをそこで踊った。

 そして2人は仲を深めて、今に至る。


「えっと、アイリス様?その話のどこに私がアイリス様の立場になる要素があるのです?」

 

 クラウディアは戸惑いながら聞く。

 アイリスと王子が会ったのは偶然で、2人が愛を深めたのも2人自身の力による。クラウディアが関わるところがあるとすれば、「2人が出会ったのはクラウディアが運営する孤児院だった」、という部分だけだ。


「王子殿下は、この孤児院を運営するクラウディア様を知ろうとして、ここへ訪れました。しかし、そこにいたのが私だったので……」


 アイリスの瞳は揺れ、泣きそうであるのがわかる。きっとアイリスは、何かクラウディアへ負い目を感じていたのだろう。

 しかし、クラウディアとすればアイリスが負い目を感じる必要は全く、これっぽっちもない。


「アイリス様……多分私がその日この孤児院にいたとしても、多分王子殿下とアイリス様のような関係にはならないと思いますよ。ええ、断言します。絶対になりません」


 一年前であったとしても「金狂いのクラウディア」の名を王子が知らないはずはない。前評判最悪のクラウディアを王子が好きになることなんて、天地がひっくり返ったとしてもありえない。クラウディアは断言できる。


「……この孤児院に通っている間、クラウディア様の良い話ばかり聞きました。社交会で噂されている話とは全然違っていて。そんなクラウディア様のことを聞けば、本当は王子殿下も……」

「褒めていただいて、ありがとうございます。でも、アイリス様がここに来ていただいていることが王子殿下との出会いには必要なことでした。その出会いの場を提供できたことは嬉しく思います」


 気にしなくていいんですよ、と身振り手振りを添えてクラウディアは必死で伝える。

 王子はクラウディアのことを知ったとしても、きっとアイリスのことを好きになっただろう。こんなに優しくて魅力のある人なんだから。


「王子殿下と踊る私を見て、クラウディア様が腹を立てていらっしゃった時、私と立場が違っていたかもしれないのにと思っていました」

「……それは、」


 クラウディアが否定しようとするものの、アイリスは続ける。


「王子殿下のことを好きだったのですよね?嫉妬して当然です」


 一年前、クラウディアはアイリスに会うたびに、アイリスの行動ひとつ一つをバカにしていた。

「この態度で、王子と釣り合うと思っているのか」「伯爵の立場を弁えろ」「教養がない」と面と向かって、何度言ったことだろう。自分がしでかしてしまったことを思い返すだけで、クラウディアの腹の底は渦を巻くような感覚に襲われる。


「王子殿下とこんな伯爵家の娘が一緒にいることで、だいぶ陰口を叩かれました。クラウディア様は、陰口をするのではなく、直接私に言っていただきましたよね」


 それは陰口を言い合うような友達がいないからです……クラウディアは遠い目をするものの、アイリスはそうやって解釈はしなかったらしい。


「後から陰口の内容を聞くよりも、直接話してくださったことが、嬉しかったので……事実、クラウディア様のおっしゃっていたことは、全て私の足りない部分でしたから……クラウディア様のおかげで、私は王子殿下に相応しくなるように努力できました」

 

 確かに思い返すと、初めてクラウディアがアイリスと会ったパーティーの頃からと比べると、所作が令嬢らしくなってきているようにも思える。それはアイリスの努力の成果だったということか。クラウディアは改めて、このアイリス・ルナーレ伯爵令嬢の強さを実感する。ただの伯爵令嬢ではない、芯のある女性だ。

 仮面舞踏会の時も、アイリスはクラウディアのことを許してくれた。クラウディアが婚約していなかったとしても、アイリスはクラウディアが素直に謝れば、許してくれたのかもしれない。「許すことができるのは、心の強い人だ」と言っていたのは父だったな、とクラウディアはぼんやり思い出す。


「だから、もう謝らないでください。私はクラウディア様にとって、お慕いしていた王子殿下の心を奪った人間ですから……」

「アイリス様。私、本当に王子殿下のことをもう何も思っていないんです。だから、アイリス様こそ気になさらないでください。自分自身もよくわからないのですが……もう何ひとつ思い出さないほどで。きっと吹っ切れたというものなんですかね」


 クラウディアはアイリスがこれ以上王子のことで負い目を感じぬようにハッキリと言い切ったものの、アイリスはクラウディアの言葉にキョトンとした表情を見せる。


「クラウディア様は、あの日、本当は王子殿下に愛の告白をしようとしていましたよね?」

「えーっと、はい。そのつもりでした」


 クラウディアは仮面舞踏会の直前にアイリスに会った時に、予告していた。「仮面舞踏会で決着をつける」と。だからアイリスもきっと愛の告白をクラウディアが王子殿下にするつもりだったことをわかっていたのだろう。


「でも、色々あって、全然王子殿下のことを考えなくなりました。結局、他の人と婚約しましたし……」


 アイリスは可愛らしいその顔のまま、不思議そうに首を傾ける。


「てっきり私は、クラウディア様が私に気を遣って、泣く泣く王子殿下から手を引かれたのかと思っていました……だから、クラウディア様は王子殿下のことをまだお慕いしているのかと」

「それはないです!!だって、私、婚約したんですよ!?」


 クラウディアは、婚約したことを強調して言うものの、アイリスはまだ納得がいかぬ様子で、続けて話す。


「あんなに王子殿下のことをお慕いしている様子だったのに?すぐに心が切り替わるものなのですか?」

「ええ、綺麗さっぱり切り替わっていたから、あの時、アイリス様に謝ることができました」


 アイリスは戸惑いの顔で、クラウディアを見つめた。



「クラウディア様は、本当に王子殿下のことが好きだったのですか?」



「え?」


 クラウディアは聞き直す。アイリスの紫の瞳は、真っ直ぐクラウディアを見据えている。


「もし….私がクラウディア様の立場だったら、言葉に言い表せないほど辛いです。あんなに好きだった人が、他の女性と婚約していたら。きっと今でも心に残っていたと思います、たとえ他の人と婚約したとしても、心のどこかに」


 クラウディアは答えられない。本当に王子が好きだったのか。あれを好きという感情で捉えられるのか。事実、王子はとっくにクラウディアの心の中からいなくなっているのだから。


「好きなら、ずっと一緒にいたいです。好きなら、他の女性が一緒にいるだけで、辛くなります。好きなら、何があっても彼の手を取りたいと思います」


 アイリスの言葉でクラウディアが思い返すのは、王子の姿ではない。王子なんてかけらも出てこなかった。今浮かぶのは、「クラウディア」と優しく笑いかけてくれる、あの人の姿だ。


「本当に、王子殿下のことを、何も思っていないのですか」

「はい。全く」


 クラウディアは心から笑って、アイリスの問いに答えた。今クラウディアの心にいる、あの人に笑いかけるように。

 その笑みを見て、アイリスも気づいたのだろう。もうクラウディアの心には王子がいないことを。


「私、本当はクラウディア様とずっと仲良くしたかったんです。この孤児院で、子ども達や先生方から話を伺って、噂の人とは全然違うと知って……」


 その瞬間、クラウディアの心に、何か温かいものが流れ込む感覚がある。それは初めての経験だった。


「だから、私と……お友達になってくださいませんか?」


 アイリスも勇気のいる発言だったのだろう。クラウディアを見る瞳に揺らぎはないが、少し緊張をしているようで耳が少し赤い。


「私でよければ、喜んで」


 アイリスの表情が明るくなり、クラウディアもそれにつられて笑ったのだった。

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