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クラウディア・ヴァルトブルグ侯爵代理は30分後に婚約したい。  作者: 砂糖はろ
クラウディア・ヴァルトブルグ侯爵代理は30分後に婚約したい。
12/27

12 侯爵令嬢ではなく、侯爵代理です

 クラウディアにとってはどうでもいい令嬢たちの噂話などが続くが、うまい具合に笑顔を取り繕い、相手が不快に思わない程度の相槌を打っていく。

 人脈を広げたければ、この会話を上手く利用すればいいのだろうが、もうここから人脈を作るのがほぼ不可能なほど悪名高いクラウディアには意味のないことだった。


「あら、結構な時間になってしまいましたね。テオ様、屋敷の方に資料がありますの。一緒に来て見ていただけるかしら。さすがに他の令嬢方には見せられるものではありませんし……」


 ルイーザは思い出したかのように、手を叩いて言う。


 確かに家の帳簿など、見せて良いものではない。つまり、クラウディアや他の令嬢の立ち入りを禁止する、と言う意味だ。理論上それは分かっているが、クラウディアの心のモヤモヤは大きくなっていくばかりだ。


「はい。それでは、私に貴族の方の税金関係が理解できるかわかりませんが」


と言いながら、テオは立ち上がる。

 行かないで、とクラウディアは心の中で訴えるものの、先ほど許可してしまったのは自分自身だ。テオはクラウディアの心を分かっているのかいないのか、目が合ったクラウディアに優しく微笑んだ。


 クラウディアの思いをよそに、2人が侍女と共に屋敷の方へ行ってしまうのを見届ける。2人がいなくなると、令嬢たちはまた他の話に花を咲かせ始める。クラウディアは2人を視線では追いながらも、その令嬢たちの話を聞き続けるしかできなかった。


 それから30分ほど経過しただろうか。2人は依然戻る気配はない。

 何をしているのかしら……帳簿を見ているとは思うけど、主人がこんなにゲストを待たせるものなの、とクラウディアは気もそぞろだ。令嬢たちの話も、わざと話を伸ばしているように感じる。

 もうだめね、このままここにいても考えてばかりでよくないわ。

 クラウディアは気分転換をしに行こうと「私、少し失礼しますね」と立ち上がり、侍女に手洗いの場所を聞いた。


 令嬢たちの目から離れ、ようやくクラウディアは一息つく。手洗い場の鏡の前でひどい顔をしている自分に問う。


 テオがルイーザと一緒にいるのが嫌だなんて、なんでそんなに嫉妬深いの?どうしてこんなに胸が痛むの?


 鏡の前のクラウディアは、笑っていない。令嬢たちに見せる笑顔を繕うも、どう見ても無理に笑っているようにしか見えない。

 作り笑いでさえろくにできない自分に深いため息をつき、また女の戦場へと戻っていこうとした、その時だった。


 手洗い場から廊下に出ようとした時、聞き慣れた声がして動きを止める。

 テオの声だ。

 今このタイミングで出ていってしまっては、なんだか気まずい。クラウディアは扉にかけた手をおろし、扉の前で待つことにする。


 テオとルイーザが廊下で何かを話しているようだった。最初の方は聞こえづらいが、だんだんとルイーザの声が大きくなっていくのがわかる。気持ちが昂っているのだろう。


「……ヴァルトブルグ侯爵令嬢と婚約されたのは、貴族の称号が欲しかったからですか?」


 ルイーザの声だ。だいぶ声を荒げているようだった。

 テオが貴族の称号が欲しい?これは明らかにテオに対する侮辱だ。クラウディアは一気に心が苛立ち始めるのを感じていた。


 テオは今までクラウディアに侯爵の称号を継ぐという話や財産の話などは一切触れることはなかった。テオ自身、そういう素振りさえもなかったのに、そうやって決めつけられるのは心外だった。それでも、貴族と平民が婚約すると言うことはやはりそう思われてもしょうがないことなのだろう。フェリクスもそう言っていたものね、とクラウディアは唇を噛み締める。


 テオはどう返すのだろうと聞き耳を立ててしまうが、テオはそのルイーザの質問に答えていないようだった。


「それともただの戯れですか?婚約の一方的な破棄には、全財産の半額を相手に支払います。それほどこの国では貴族の婚約や結婚というものが重要視されています。まさかあなたもあのヴァルトブルグ侯爵令嬢と婚約したことがこんなに大きい意味があるなんてご存知なかったでしょう」

 

 婚約の一方的な破棄には、全財産の半額を相手に支払う。その一文は、婚約証明書に記載されている文言だ。

 テオとクラウディアの婚約証明書は、あの日モール伯爵から直接手渡されたクラウディアが保管している。おそらくテオはそのことを知らないはずだった。

 クラウディアは、全財産の半額を払うのをテオに知られたくなかったがために、今までそのことに触れることは一切なかった。テオも、婚約を解消したいとかそういう話をしてきたことがなかったため、クラウディアも言わないままにしてしまったが、これはあまりにも公平ではない。

 婚約破棄による慰謝料については、私があらかじめ話しておくべきことだったのだ。ルイーザから聞かされて、テオはどんな気持ちになっているのだろう。

 心臓の音が外にまで聞こえるように激しく打つ。罪悪感と、焦燥感で押しつぶされそうだ。クラウディアは目を瞑る。


 長い沈黙が続いた。その沈黙を破ったのは、テオだった。


「……さすが、この国では愛の日が定められているだけあって、婚約も結婚も大切な扱いを受けているのですね」


 テオの声が少し冷たく感じる。そのテオの話にルイーザが軽く笑うのが聞こえる。


「ヴァルトブルグ侯爵令嬢との婚約破棄による慰謝料は私の家が持ちましょう。これであなたも心置き無く別れられますよね」

 

 別れる、の言葉にクラウディアの心が震える。

 貴族と違ってしがらみのない平民のテオの立場なら、ベルク公爵の後ろ盾さえあれば、別れたところで何も問題がない。これでテオは、気兼ねなく婚約を破棄できるわけだ。


 さらにルイーザは続ける。


「私は公爵の一人娘なので、私と結婚した者は公爵位を継ぐことができます。もし私と結婚したら、あなたは侯爵よりも高い地位を手に入れることができますわ」


「……そうですか」


 テオの声は変わらず冷たくも声を荒げることなく穏やかだった。2人の顔を見ることができないクラウディアは、2人のどんな感情がそこに渦巻いているのかは量り知ることができなかった。


 ルイーザはただあのクラウディアが美しい男と婚約したことが許せないだけだというのはわかる。前からそうだ。クラウディアに対して、いつも自分が上であることを証明したがる。この場合は、テオとクラウディアの婚約を破棄させるという点だけが目的で、クラウディアがただそれで落ち込む姿を見てみたいだけなのだろう、と。


 お願い、テオ。破棄するなんて言わないで。


 手のひらを胸に当て、ぎゅっと目を瞑る。息が聞こえぬように、心臓の音が届かぬように、と祈りながら、2人の会話に耳を澄ませているのだけで精一杯だった。


「仮に、私がベルク公爵令嬢と結婚したとしましょう」


 テオが言うのが聞こえる。


「ええ、結婚したとして?」

「しかし私は今の仕事を辞めるつもりもありませんし、公爵位を継ぐことを望んでもいません。ベルク公爵令嬢は、領地経営をご自分でなされるんですよね?」

「え?」


 貴族であれば、誰だって公爵の地位が欲しいはずだ。平民なら尚更そうだろう。とルイーザは思っていたはずだ。そんなルイーザの考えとは真逆の答えが返ってきたのは、予想外のことだったのだろう。

 テオは続ける。


「ご自分の足で領地を周り、税の計算をし、民と会話し、あの美しくこの国の貿易の拠点とも言える港町を維持していくのですよね」

「それは、臣下が行えば……」


 まさかのテオの拒絶とも言える発言にルイーザも動揺しているようだった。


「クラウディアは、ベルク公爵領より小さい領地ではありますが、それを1人でこなしてきていました」

「それは、ヴェーラー公爵がやっていることですわ!クラウディア侯爵令嬢は、()()()()()()として……」

「ヴェーラー公爵に伺いました。今のヴァルトブルグ領に関しては、ヴェーラー公爵は決裁の印を押すだけの仕事なのだと。つまり、クラウディアが実務を全て引き受けているということです」


 テオは淡々と話していった。


「ベルク公爵令嬢は、ベルク公爵領を守ってくれる素敵な殿方とご結婚される方がベルク公爵もお喜びになるでしょう。私は、クラウディアの婚約者でありたいのです」


 ご忠告、ありがとうございます。と低い声で礼を言うと、テオは歩き出したようだった。しかしその足音は数歩で止まる。


「あと、ベルク公爵令嬢。ご存知ないかもしれませんが、私の婚約者は、ヴァルトブルグ侯爵令嬢ではなく、ヴァルトブルグ侯爵代理です」

 

 聞こえてきたテオの声は柔らかいが、通る声だった。そこにはっきりとした意思がこもっているのが聞いているだけでもよくわかる。


 令嬢と侯爵では立場が違う。実際に爵位を持つものと持たざるもの。クラウディアはいちいち訂正する必要はないと思って放っておいていたが、テオはそれを分かってくれていた。テオの足音が遠ざかり、おそらくルイーザはテオからはっきりと断られたことに呆然としていたようだったが、しばらくしてルイーザの足音も遠ざかる。


 クラウディアは誰にも気付かれないように、深い息を吐いた。テオの言葉で安心している自分に気づく。


 私、テオと婚約を破棄してもいいと思っていたんじゃないの?

 テオがベルク公爵令嬢の誘いを断ったことで、どうしてこんなに安心しているの?


 クラウディアは今までにないほど混乱していた。

 手洗いから出て、会場まで戻ると、少し苛立った様子のルイーザが今日のお茶会の終わりを告げた。ルイーザや他の令嬢へ別れの挨拶をするものの、ヴァルトブルグのの馬車に戻るまで、クラウディアの心はここにあらずだった。



「クラウディア、どうかしました?」


 馬車に乗りしばらく経ってから、テオが聞く。テオに気付かれるほど表情が硬かったのかもしれない。クラウディアは急いで笑顔を作る。


「えっと、なんでもありません。少し、疲れてしまって」

「そうですか。たくさん話していましたからね」


 テオはいつもこうやって優しく心配をしてくれるのに、くだらない嘘ばかりつく自分をクラウディアは嫌いになりそうだった。

 これ以上嘘をついても、余計に自分を苦しめるだけだわ。たとえ、テオを不快な思いにさせてしまったとしても、嘘をつくのはしたくない。


「……ごめんなさい。私、廊下でルイーザ嬢と話しているのを聞いてしまって」


 それを聞いたテオはキョトンとクラウディアを見つめていたが、にっこりと笑った。


「なんだ、そのことですか。どうかしましたか?」


 テオは何事もないかのように話す。クラウディアはそれが余計に辛く感じてしまう。


「私が婚約証明書を持っていたので、テオは知りませんでしたよね。婚約破棄の慰謝料のこととか……。私が黙っていたので……ああやって知る形になって、申し訳なくて」


 クラウディアは頭を垂れて謝った。


「知っていましたよ」


「え?」

 驚き、顔を上げたクラウディアに、テオは口元に笑みを浮かべている。


「法務関係のことも仕事でしているので、それは知っています」

「あ、え、あ……そうです、か」


 確かに、テオは税務関係や法務関係の仕事だと言っていたから、知っていてもおかしくはない。しかしそのことが頭になかったクラウディアにとっては、驚くしかなかった…


「私は、慰謝料が払いたくなくて、婚約を破棄しないわけではないので」


 テオは穏やかな声で言った。午後の陽の光で、濃紺色の髪がキラキラ輝いて眩しいくらいだった。


「……私は、自分の気持ちがよくわからなくなりました」


 クラウディアはつぶやいた。


「王子殿下に今までの非礼を謝った時、こんなに辛くなかったんです。ただ謝らなきゃっていう一心で……。婚約が成立していたアイリス令嬢にも苛立ちませんでした。なのに、今日はすごく……」


 この後の言葉を紡ぐのが、クラウディアには難しく感じた。なんといえば、適切にテオにこの気持ちを伝えることができるのだろう。

 なかなか続きを話すことができないクラウディアだったが、テオはただ黙って待っているだけだった。


「……つらかったです。テオとベルク公爵令嬢が一緒にいるだけでもモヤモヤして、苦しくて、ちょっとイライラして……話を聞いてしまったら、もっと嫌な人間になったような気がしました」


 クラウディアは俯きながら話す。


「……嫉妬、ですか?」


 首を傾げながらテオは聞く。嫉妬、の一言にクラウディアの頬が熱を帯びるのを感じた。


「……かも、しれない、です」


 そう、ルイーザに嫉妬した。テオとの婚約を持ち出したルイーザに。

 テオを取られると、思ったんだ、私。

 テオは私のものでもなんでもないのに。婚約者だからって、勝手に嫉妬してしまった。


 テオは、右手で口元を押さえるとクラウディアから視線を外し、プイッと横を向いた。


「テオ、怒っているんですか?ご、ごめんなさい。テオは私の婚約者というだけで、私のものでもなんでもないのに……」


 テオが怒っているのだと思ったクラウディアは必死に謝り始める。


「ち、がいます。嬉しくて」


 テオは顔を逸らしたまま言った。


「貴女が嫉妬してくれたのが、嬉しかったんです。今までそういうところを見せてくれたことがなかったから」


 口元は押さえられていて見えないが、テオの頬が赤くなっているのがクラウディアでもよくわかる。いや、これは夕日の色なのだろうか。

 テオはいつもクラウディアに笑顔で接し、ある意味表情を変えることはない。そんなテオが照れる姿をクラウディアは初めて見た。


「…………テオは、私がこういうふうな気持ちになっても嫌じゃないってことですか?」

「貴女に嫉妬されるのが嫌なわけないじゃないですか」


 クラウディアはこれ以上何を言えばいいのかわからず、ただ黙っていた。テオはしばらくすると、いつもの表情に戻るものの、少し照れくさそうな笑みを浮かべる。

 

 その笑みを見て、クラウディアは気づく。

 たったそのテオの笑顔だけで、先程までの苦しい気持ちが流れ去っていったのを。

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