11 私の婚約者としてはもったいないくらいに。
フェリクスの僅かな期間の滞在によるテオとクラウディアのなんとも言えぬ気まずい空気は、時間がかかるにつれ緩和されてきた。
とはいえ、今までと違うのは、テオが時折、何か考えている様子を見せることだった。しかしそれはほんの一瞬のことで、クラウディアが気にかける様子を見せた途端に、いつものテオに戻ってしまう。聞くことを許されぬ雰囲気だった。
しかし、今のクラウディアを悩ませているのは、テオでもフェリクスの言動でもない。この目の前に積もる招待状の山だった。
クラウディアのところへは、今までほとんど来たこともないと言っても良いお茶会の誘いがたくさんくるようになっていた。それの大半は「婚約者も同伴で」とある。
「テオを見たいのかしら」
クラウディアは山積みの招待状を見て、ため息をつく。
次から次へと色々な誘いが来ることに、婚約というものの重大さに改めて気づかされる。
「そうでしょうね。あんなに見目麗しい方はいないでしょうから」
家令のカールはそれに頷きながら同意する。
おそらく親戚である公爵夫人のヒルデガルドの影響によって招待状が続々と届いているのだろう。仮面舞踏会で噂になっていた侯爵代理の婚約者は、相当な美男子であったと何も気もなく話してしまうのがヒルデガルドだ。
仮面舞踏会は限られた独身の男女のみしか参加できない。また婚約者などがいる場合も参加することはない。そのため、不参加だった者からすれば、さぞテオの容姿は興味をそそられるものに違いない。
クラウディアはお茶会の経験はほとんどなかった。数少ない参加したお茶会も、ヒルデガルド主催の内輪で集まるのようなもので、同じ年頃の娘が集まるお茶会は招待状も来ないことが多かった。
それは、クラウディアが令嬢という立場ではなく、侯爵代理という立場もあっただろう。立場が違えば、誘うのは少し躊躇うことだろう。そのことをクラウディアは承知していたので、気にしないことにしていた。
しかし今回は婚約したことによって、こんなにも人の話題に上っていたことを改めて実感させられる。
「断っても、いいのかしら」
「人脈作りには必要でしょうが……ヒルデガルド公爵夫人の茶会に参加しておけばよろしいかと」
公爵夫人という立場は、かなり権力が高い。ヒルデガルドは悪い噂の多いクラウディアを娘のように可愛がり、悪口を言わない相手を選んで茶会を開いてくれていた。そのため、ヒルデガルドの茶会こそ大事なものはない。
「おばさまのお茶会の招待は?」
「ありませんでした。おそらく前回直接テオ様とお会いしたので、十分だったのかと」
「それなら、全部お断りの返事を出してもらえるかしら。公務が忙しいと書いてくれたら」
「かしこまりました」
カールは礼をして、招待状の山を盆に載せるが、ぴたりと動きを止める。
「私としたことが、忘れておりました。こちらは、おそらく参加された方が良いかと思われるものです」
懐から出した招待状の差出人、そこには美しい文字でルイーザ・フォン・ベルクと書かれてある。
「ルイーザ・フォン・ベルク公爵令嬢……」
クラウディアのよく知っている名前だ。令嬢達の誰もが頭の上がらぬとも言われるほどの権力、そして美貌をも持ち合わせている。
クラウディアにとってはルイーザとは王子をめぐってのトラブルなどもあり、夜会などで会うたびにルイーザに上品な喧嘩を売られることがしばしばだった。つまり、仲が良いとは言えない間柄と言えるだろう。
「一応ベルク公爵家からの招待状ですので」
カールももちろんルイーザとクラウディアが不仲であることを知っているが、それとこれとはまた別の話であることもわかっている。貴族の付き合いというのは、いくら不仲とはいえ、それで通せるものではない。公爵と侯爵では身分が違う。
クラウディアはペーパーナイフを取り出し、さっと封を開ける。中身を確認したクラウディアは、その招待状を机に下ろす。
「やっぱり。……婚約者様も同伴の上ですって」
そこに書かれた文面には、お茶会への招待と、ぜひ婚約者様もおいでくださいとある。
「参加されるので?」
「公爵家からの招待だから、私1人でも行くわ。婚約者も参加するかどうかはテオに聞かないといけないと思うし」
わざわざルイーザが婚約者も、ということには何かしらの意味があるに違いない。あのルイーザのことだ、さぞ楽しいお茶会になるに違いないとクラウディアは頭を机に突っ伏したのだった。
その夜、食堂でいつもの夕食をとっているテオに、クラウディアはベルク公爵令嬢からのお茶会について話す。もちろんテオには、「断っても大丈夫ですからね」と念を押して。しかし、
「いいですよ。行きましょうか」
とテオの返事はクラウディアが想像するよりも遥かに軽いものだった。
「え、いいのですか?令嬢しかいないお茶会だと思うのですが……」
まるでテオが見せ物のようになってしまうことは間違いがない。誰だってそんな目に合えば不快な思いをするだろう。
テオがまさか承諾すると思っていなかったクラウディアはそう言うものの、
「貴女がいれば、どこだって楽しいですから」
とテオは答える。
さらりと言えてしまうのがテオのすごいところだ……とクラウディアは視線を落として「ありがとうございます」と呟くしかない。
「テオは、ルイーザ・フォン・ベルク公爵令嬢のことはご存知ですか?」
「いえ。ベルク公爵領のことは少しわかりますが令嬢は存じません」
ベルク公爵領は国内でも有名な一番大きな港がある。貿易の要とも言えるその港のある街は、国内の主要な都市の一つだ。平民であっても、ベルク公爵領のことを知っていておかしくはない。
「そうですか……」
「何か、その令嬢について知っておいた方が良いことでもあるのですか?」
浮かないクラウディアの声色から察したのだろう。テオが聞く。
多分、私のことを嫌っているので、色々と言ってくると思います。
クラウディアはそう言いたくなる。
しかし、テオに自分の彼女に対する苦手意識を押し付けたくはなかった。クラウディアが好きではないからといって、ルイーザに会ったことのないテオにもルイーザに悪い印象を与えさせるのは間違っている。テオには先入観なく色々な人と接して欲しい。
クラウディアは「いえ、そういうことはありません」と笑顔を取り繕って言う。
お茶会まで一週間、長く感じられそうだ。クラウディアは心の中で「行きたくなーい!」と叫ぶのだった。
美しく整えられた生垣の庭園。そして芸術とも言えるほどの焼き菓子達。しかし全くそれらはクラウディアの心を動かさない。むしろ、帰りたい。
クラウディアはテオと儀礼的に腕を組みながら、必死で逃げ出したい気持ちを抑える。
「ようこそ、クラウディア・ヴァルトブルグ侯爵令嬢、それと……」
チラリ、と見た目は人形のように美しい令嬢、ルイーザ・フォン・ベルクはテオを見る。招待された他の令嬢達も全員がテオの容姿に釘付けになっていることが嫌でも隣にいるクラウディアにはわかった。
「初めまして。クラウディアの婚約者、テオ・ルグランです。本日は私までお招きありがとうございます」
ルイーザに対して優しく微笑んだテオに、ルイーザも意識せずとも頬を赤らめているのがわかる。無理もない。男なのにあんなに美しいだなんて反則なくらいだとクラウディアも思う。
テオが注目されているが、今のクラウディアにとっては優越感など何もない。今、頭にあるのは、早く終わらせて帰りたいの一つだけだった。
侯爵令嬢ではなく、一応私は、侯爵代理という立場なんですけどね。そう言いたい気持ちを抑え、
「ルイーザ公爵令嬢。本日はお招きありがとうございます」
と、とりあえずクラウディアはルイーザへと礼をした。
ルイーザ・フォン・ベルク公爵令嬢は、高い身分であるベルク公爵家の一人娘である。金色のブロンドで、緩く巻かれた髪は艶々として美しく、青色の瞳も空の色のようで、誰が見ても美人というであろう18歳の少女だった。今日のドレスは華やかなピンク色で、それがとても彼女には似合っている。少なくともクラウディアよりは遥かに美人だと言える、とクラウディアも自覚している。
ベルク公爵はその一人娘を溺愛し、とても可愛がって育てていた。それ自体は何も問題がない。
彼女の問題点はただ一つ。クラウディアに対して、とてつもない負の感情があるということだった。
美しさなら誰にも負けぬルイーザは、クラウディアを目の敵にしてきている。それはおそらくクラウディアの地位が気に食わないからなのだろう。ルイーザは公爵令嬢、そしてクラウディアは侯爵代理。普通ならば公爵と侯爵では公爵の方が身分が上になる。しかし公爵令嬢と侯爵代理となると、その立場はどちらが上なのかハッキリと言えなくなる。
ルイーザにとって、自分よりも身分が高くなるクラウディアは目の上のたんこぶのような存在だった。クラウディアは自分の地位をひけらかすようなことは特にしていなかったと思っていたが、何故だかルイーザはクラウディアを嫌っている様子だった。
今まで参加せざるを得なかったパーティーなどで顔を合わせる度に、クラウディアが令嬢としての経験が不足しており、常識外れであるということを散々周りにも聞こえるように指摘されてきた。人前で「金狂い」だと何度呼ばれたことだろうか。
しかし、またクラウディアもアイリスに対して同じようなことをしてきたのだから、人のことは言えないと思っているため、強く言い出すこともできない。
「さ、お二人とも席にお着きになって」
ルイーザが声をかけ、クラウディアとテオは向かい合った席に着かされる。テオへ令嬢たちの視線が集中しているのがわかる。テオはさぞかし肩身が狭いだろうと思うものの、テオは何一つ気にしていないようで、ニコニコと笑っていた。
「ヴァルトブルグ侯爵令嬢、この度はご婚約おめでとうございます」
ルイーザに素直に祝福されたのに対して、クラウディアは「ありがとうございます」と礼を言った。
「こんなに素敵な方と婚約したのを聞いて、驚きましたわ。あんなに王子のことで夢中になっていらっしゃったのに」
きた、先制パンチ。クラウディアは作り笑いをするので精一杯だ。
クラウディアが王子に執着していたことは貴族の令嬢なら誰でも知っていたことだった。
テオにはずいぶん前に王子とのことを話していたから問題ないと思うが、普通婚約者の前で前の男関係の話はしないはずだ。しかしわざわざこの話題を持ち出してきたということは、クラウディアに対する悪意が見え隠れしているのがよくわかる。
「ええ、私にとっては殿下よりも素敵な方に巡り会えたのでとても幸せです」
クラウディアは貴族らしく、笑顔を取り繕った。うまく笑えているだろうか。テオはこの発言にどう思っているのだろうか。と心配なことは多々あるが、今は極力失礼のないようにすることを先決していた。
「テオ様はどんなお仕事をなさっているの?」
ルイーザはもちろんテオが貴族ではないことを分かっているだろう。特に貴族ならば、国の貴族の家名のことは知っていて当然だ。またルイーザは好意を持つものに対しては、令嬢としての満点の態度を取ることをできる。
「平民向けの税務や法務の仕事をしています」
「まあ!立派なお仕事ね。それなら、後でうちの税金のことで少し相談してもいいかしら。ヴァルトブルグ侯爵令嬢、婚約者様をお借りしていいかしら」
「……ええ、私が許可することではないですが」
ルイーザは一応貴族の婚約者に対する態度を弁えてクラウディアに聞いた。
本当ならルイーザとは一緒にいてほしくはない。しかし、テオの新しい仕事を得る機会になるかもしれない、と考えると他人である自分が断るのはおかしいと思えた。
あれ?……ルイーザとは一緒にいてほしくは、ない?
クラウディアは、ふと、自分の考えていたことに疑問を持つ。
なぜ?なぜルイーザと一緒にいてほしくないと思ったのだろう。テオは自分にとっては、婚約破棄してもいいただの偽装の婚約者だったはずなのに。
きっと、私がルイーザが好きじゃないからよね。
クラウディアはそう結論づけて、紅茶を一口飲んだ。さすが公爵家、とても美味しいと思える紅茶だ。
「エドワード王子殿下も婚約されましたわね」
招待された令嬢の1人が話題を変えた。
「アイリス伯爵令嬢でしょう。お二人はとてもお似合いですわよね」
「エドワード王子殿下もアイリス伯爵令嬢もとてもお美しいですから」
「つまりアイリス伯爵令嬢が未来の王妃になる可能性があるということですわね」
「今までアイリス伯爵令嬢を見下していた人たちにとっては、とても困ったことになるでしょうね」
とルイーザは、チラリとクラウディアを見て言う。
パンチ二発目。まさしくアイリスに敵対心を持って接していたクラウディアのことである。これは意図的なのだろうな、とクラウディアは分かっていたが、失礼なことはできない。これも貴族の務め、と口を開く。
「私が一番アイリス令嬢に酷いことを言っていましたからね」
「まあ。ヴァルトブルグ侯爵令嬢がそんなことをしていたの?」
わざとらしくルイーザは口元に手を当て、驚く表情を見せる。
「そうなのです?」
「あら、アイリス伯爵令嬢はお怒りではないかしら?」
「大変だわ。未来の王妃様に」
分かっているくせに。他の令嬢たちの白々しい相槌にも呆れてしまうが、事実は認めざるを得なかった。罪は、罪なのだ。今までしてきたことを開き直ってもしょうがない。クラウディアが反省の意を口に出そうとした時だった。
「そういえば、クラウディアは、アイリス伯爵令嬢に心から謝って、許しを得られましたよね」
思わぬ助け舟はテオから差し出されたものだった。
「そ、そうですの?」
「謝られたのですか?」
令嬢たちの驚く声と表情。
それもそのはずだ。この国の貴族は、謝ることが苦手だ。身分が上で生きてきていると、プライドが邪魔をして特に目下の者には素直に謝れないことが多いからだ。だからこそ謝らないように、考えて行動することが一番であるとされてきた。
「クラウディアは今までの行いを反省して、両手両膝をついて謝っていましたよ。アイリス伯爵令嬢も、快く許してくださいました。さすが未来の王妃となるお方で、心の広いお方ですよね」
テオはニコニコと笑い、クラウディアのしてきたことを言った上に、自然にアイリスの話題へと変えた。
クラウディアは呆気に取られるしかなかった。テオがここまで貴族の令嬢相手に粗相もなく、それでいて上手く会話の軌道を変えることができるなんて。
やはりテオは貴族ではないものの、相当貴族と話したことのある経験があるのだろう。クラウディアは感心してしまう。
「まあ、アイリス伯爵令嬢はさすがですわ。心がお優しいのね」
「そんな方が王国の未来を支えてくださっているのね」
見事な会話の流れにクラウディアはテオを見るが、テオは涼しい顔をしていて、クラウディアと目が合うと優しく笑った。クラウディアは見慣れた笑顔だったが、思わず俯いてしまう。
テオは、本当に素晴らしい人だ……私の婚約者としてはもったいないくらいに。
クラウディアは、改めて実感させられる。
また紅茶を一口飲む。先程よりも美味しく感じられるのは、きっとテオのおかげなのだろう。
ルイーザとのお茶会後編に続きます




