10 今のあなたは平民ですよね
部屋を訪れたクラウディアを見て、フェリクスは心底呆れた表情を見せた。
「クラウディア……、夜に男の部屋に来るって、どういう教育を受けてきたんだよ。もう一回カールに教育受け直してもらったほうが良さそうだな」
「え?男って、フェリクスだし……何かおかしい?」
フェリクスはため息をつく。
「じゃあ、テオ・ルグランのところにも行くってことか?」
「行くわけないでしょう!夜になんて!後、テオのことを呼び捨てにしないでくれる」
クラウディアはフェリクスの質問に顔を赤くして勢いよく答えた。
夜に未婚の女性が男性の部屋へ訪れるということは、そういう覚悟があるという意味になってしまう。そのため、クラウディアは夜にはテオの部屋へは行ったこともない。
「……テオ・ルグランと俺との違い、ってことか」
フェリクスが小さい声で言った言葉は、クラウディアの耳には届かない。
「そうやって言うなら、フェリクスの部屋じゃなくてもいいです。ちょっと話したいだけだし……」
「いいよ。部屋のドア開けておくから」
部屋のドアを開けることは、やましいことはないという証明になる。クラウディアは頷き、ドアを開けたまま、フェリクスの部屋に入った。
クラウディアは椅子に座り、フェリクスはベッドに腰をかける。
「どうしてフェリクスはあんなにひどい態度でテオに接するの?」
クラウディアは話し始める。
「ひどい?どちらかというとひどいのはテオ・ルグランだろ。お前はどこまでテオ・ルグランを知っているんだ?」
苛立ちを隠す様子もなく、フェリクスは話す。よほどフェリクスはテオのことが気に食わないようだった。
どこまで知っているか。
そう言われると、クラウディアはあまりテオのことを知らないことがわかる。平民であること、仕事をしていること、護衛騎士が専属で1人ついていること。知っているのはそのくらいかもしれない。
「家は?家族は?」と矢継ぎ早にフェリクスが聞くのに、「……聞いてない」とクラウディアは首を横に振るしかない。
「聞かないのか?聞いても答えてくれないのか?」
「聞いたことがなかったから……」
フェリクスは呆れた、という顔でクラウディアを見てくる。
確かに家のことは大事であることはクラウディアも重々承知していた。ただ、クラウディアにとってはそこまでテオの家のことが重要だと思っていなかった。
「でも仮面舞踏会に参加するということは、少なくともどこかの貴族の紹介を得ているはずよね。だから……」
「変な人ではない、と?そんなの、金を積めば解決する問題かもしれないだろ?誰の紹介だったか聞いたのか?」
「聞いてない……」
フェリクスの言うことは正論だ。そのことはクラウディアも理解できる。
「お互いに、軽率なんだよ。そうやって婚約を決めることが。好きなやつと結婚したいと思わないのか?」
「……貴族は好きな人とは結婚できないものだって、カールが言ってたわ」
普通の貴族の結婚は、親同士、そして家同士の話し合いによって決まる。誰が好きという恋愛感情は抜きの世界だ。家を発展させていくための契約であるとも言えるだろう。
だから、クラウディアもカール達からそうやって教えられてきたため、婚約や結婚について特別憧れの感情は持ち合わせていなかった。
「そりゃ、そうかもしれないけど……王子殿下とは結婚したいと思ったんだろ?」
「王子殿下……うん、そうだったのかな……」
まだ数ヶ月前のことなのに、クラウディアの中での王子への想いはプツリと切れてしまい、思い出せないくらいだった。今となっては王子の何に魅力を感じていたのだろう。なぜ結婚しようとあれほど意気込んでしまったのだろう。
「それなら、テオ・ルグランとは結婚したいのか?」
「結婚したいとかじゃなくて、婚約しているから結婚するの」
クラウディアははっきりと言い切る。
「破棄されたら?」
「それは……もちろん結婚しないわ。だけど、私からは破棄するつもりはないわ。向こうから破棄してきた時はそうするってこと」
フェリクスは真っ直ぐクラウディアを見た。クラウディアもフェリクスを見る。フェリクスの鳶色の瞳は、クラウディアの気持ちをどうにか見透かそうとしているかのようだった。
「お前の気持ちは、なんとなくわかったよ。ただ……納得いかないのはあっちの方だ」
「あっち、って?」
その問いに、フェリクスは答えなかった。クラウディアを椅子から立ち上がらせると、クラウディアの背を押し、無理やりに部屋から追い出され、「おやすみ」と扉を閉められる。
「なんなのよ……フェリクス」
クラウディアは自室へと戻りながら、フェリクスへの文句を呟いた。
フェリクスが、ヴァルトブルグのためを思っているのはクラウディアもよくわかっているつもりだった。兄のように心配してきてくれたのも、クラウディアも重々承知している。
とはいえ、もうデビュタントも済ませ、立派な成人女性だ。過保護すぎるのはありがた迷惑というものだ。
フェリクスが心配している要素は、テオが何者かよくわかっていないことだ。そう仮定すると、テオの素性を明らかにすれば、安心することだろう。
ただクラウディアは、聞きたいとも聞こうとも思えない。テオに興味がないわけではない。ただ自分も婚約に関しては隠し事をしているのに、相手が話してこないことを聞くのはフェアではないと思うからだ。
クラウディアは自室へと入り、ベッドへ腰掛ける。ベッドサイドの花瓶には、侍女によって、テオのもってきた向日葵が飾られていた。その向日葵に手を伸ばし、優しく花弁に触れる。「私は、どうしたいのかな……お父様、お母様……」と小さな声で呟いた。
翌朝のことだった。
「クラウディアはサンティエ王国に行ってみたいとか思う?」
「……?」
朝食の途中で、急にフェリクスに話を振られ、クラウディアは訝しげな顔をした。
昨日まで3人でいる時にはろくな会話もしなかったのに、何を考えているのだろうとクラウディアは思う。とはいえ、フェリクスも会話が弾むように気を使い始めてくれたのかもしれない、と思い直すことにした。
というのも、サンティエ王国はフェリクスが今外務の仕事で滞在しているところだからだ。
「サンティエ王国ですか……別に行きたいとは思ったことはないです。今よその国に行くほど、私に余裕がないので」
手を止めながら、クラウディアは正直に答えた。
「ふーん。いやクラウディアが行きたければ案内しようかな、と思って」
フェリクスはなんてことないように続けて話す…
「でも農地とかは気になりますね。もしかしたらこちらではあまり栽培していないものとかあるかもしれませんし。あとすごく酪農も発達していると聞いているので、そこは興味があります」
今旅行をしている余裕はないし、クラウディアはまだまだ領地を発展させていくことで必死だ。自分の領地の発展に使えそうな知識は全部吸収してやろうという貪欲な意欲はあるのだが、きっとそれは今でなくてもいいだろう。
そしてヴェーラー公爵のように優秀な人であれば、よその国に視察に長期間行っても平気だろうが、ほぼ1人でこの仕事をやっていると、そこまで頭も回るはずがないとクラウディアは自覚していた。
「いや、クラウディアが行きたくなければいいんだよ、それで。隣の国に行っている場合じゃないもんな」
やけに強調して言っているけど、何か意味はあるのかしら?
フェリクスは紅茶を飲みながら、にこりと笑うが、クラウディアはやけに笑顔のフェリクスの心中を探るのに必死だ。とりあえずフェリクスの会話に乗っておこうか、とクラウディアは会話を続ける。
「フェリクスは、実際行ってみて、サンティエ王国はこの国とどのようなところが違いますか?隣国ですから、あまり変わらないかと思っていました」
「んー言語も違うし、若干風習も違うところはあるかな。王制だけど、王太子になるのは長男とは限らないってところも違うか」
「つまり王子なら誰でも国王になれる、と?」
「国王と周りの人間が判断して指名するらしい。だから長男だったからといって、国王になれるわけではないということだな。あ、でもそれは王族だけの決まりで、貴族には適応されてない」
この国は今王子が1人しかいないため、あのエドワードが次期国王になるのは確定だから、誰が次の国王になるのかで揉めることはなさそうだ。
「だから今隣国では継承問題が発生しているんですよね。新聞で読みました」
「ん、そう。今のサンティエ国王は、先代の王の急な逝去によって、話し合いもなくその座についたからな。知らない俺から見てもとても優秀なお方だが、貴族とは色々意見が合わないらしい」
フェリクスは今のサンティエ国王を近くで見たことがあるからわかっているのだろう。クラウディアとは正直無縁な話だ。クラウディアは自国の王でも直接会話したことがなかったからだ。
「隣の国も色々大変なのね……誰が国王になっても、住んでいる国民にとって平和な世の中であってくれればそれでいいと思うけどな」
クラウディアの呟きに、今まで黙っていたテオが顔を上げた。
「……テオ?」
テオの少し雰囲気が変わったことに鈍いクラウディアでさえすぐ気づくことができるほどの変化だった。クラウディアはテオに声をかけるものの、テオはクラウディアに微笑むだけで、何も返事をしなかった。
その態度を見て、だろうか。フェリクスが深いため息をついた。
そのため息によって、一気に空気が昨日のように悪くなるのが感じ取れる。
別に隣国の話をしただけで、なぜ空気が悪くなるのかしら。特にテオに何か話していたわけでもないのに……。
「そ、それより、今日は2人は何をしますか?私は、仕事をしますけど……」
クラウディアはこの空気を変えようと、話題を変える。
「仕事をしようと思います。少し持ち帰ってきたので」
「わかりました。フェリクスは?」
フェリクスは答えない。ただ睨みつけるようにテオを見ているだけだ。
「ちょっと、フェリクス。聞いてる?フェリクスはどうする……」
「正直に言います。クラウディアも鈍いやつだし、はっきり言わないとわからないと思うので」
フェリクスはクラウディアの質問には答えなかった。そして、テオの紅茶のカップがかちゃりと音を立てて、ソーサーに置かれる。
「ルグランさん。あなたが、気に食いません。あなたがどういうつもりで、クラウディアに接しているのかわからないからです」
カール達使用人が、一気に表情を凍りつかせるのがわかる。優秀な使用人達だが、流石にこの状況は予想外のことのようだった。クラウディアは焦りながらも、すぐにカールに視線で使用人たちに食堂から退出するように告げる。優秀なカールはクラウディアの視線一つでその指示を的確に理解し、使用人たちを連れて食堂から出て行った。
カール達が出ていく間も、テオは真っ直ぐフェリクスを見ていた。その瞳は、クラウディアが今まで見たこともないほど冷たく感じられる。そして、テオも持っていたナイフとフォークを置いた。
「どういうつもり、と言いますと」とテオは返す。
「今のあなたは平民ですよね。なぜクラウディアなんです?クラウディアの何を狙っているんですか?」
「何を狙う、という意味がわかりません」
クラウディアが今までに聞いたこともないほどに、テオも明らかに苛立っているよう口調だ。
クラウディアが口を挟もうとするものの、フェリクスは「少し黙っていてくれ」と言う。
「この侯爵家を狙っているんですか?それとも何か、他のものですか?とりあえず、クラウディアでなくてもよかったはずですよね?」
フェリクスが今までにないほどイライラしていることは伝わってくる。フェリクスは弟に対してもこんなに苛立ちを見せたことはなかった。
なぜこんなにフェリクスは怒るのか、クラウディアにはわからない。
「平民であるテオ・ルグランさんには、クラウディアの婚約者として相応しくないと思っています」
フェリクスは、真っ直ぐテオを見て、はっきりと言った。
「フェリクス何を言って」
テオが平民であることを見下しているのか、とクラウディアがフェリクスに発言を訂正させようとするが、「クラウディア、頼むから少し黙っていてくれ」とフェリクスは突き放すように言った。
「あなたがどういうつもりでクラウディアと婚約したのかしりませんが、一時の感情で一緒にいることを選んでいるのなら、やめてもらいたい。クラウディアはそんなのに振り回されるほど暇じゃない」
一時の感情。その言葉に、クラウディアも反応せざるを得なかった。
「一時の感情だったかもしれないけど、今は違うわ」
フェリクスを睨みつけ、クラウディアは言い切った。
一時の感情だったのは、クラウディアの方だ。テオはクラウディアが全財産を没収されることを防ぐために、クラウディアが利用したに過ぎない。
「テオは、悪くない。ヴァルトブルグのことを全然考えていなかったのは私。だから、責めるべきは私でしょう」
「だから、ヴァルトブルグのことじゃなくて、お前のことが……」
苦しげにフェリクスは言うが、その続きが出てこないようだった。
その沈黙を破ったのは、テオだった。
「私の今の立場が、ヴェーラー様の不安の種であることは事実です。多分今の私が何を言っても、あなたはクラウディアが心配で、この言葉を信じていただけないと思います。ただ、中途半端な気持ちで、クラウディアと一緒にいることを選んだわけではありません」
テオの表情は今までにないほど硬く、そしてその金色の瞳をじっとフェリクスへと向けていた。
「それならあなたは……」
フェリクスがその言葉に返そうとした時だった。
「……お話の途中ですが、フェリクス様に早馬が……」
明らかに喧嘩になっているこの状態で、言いにくそうにカールが食堂の扉の向こうで声をかけてくる。さぞこの空気の食堂へ話しかけるのは勇気がいったことだろう。しかしわざわざ話しかけてきたということは、よほどのことだ。
「早馬……わかりました。外へ出ます」
はあ、と一息はき、フェリクスは扉の向こうへと出て行った。
気まずい空気は、少し緩和されたように感じるものの、それでもクラウディアはまだ後味の悪さを感じていた。
「フェリクスが失礼なことを言ってすみません」
「いいえ。ヴェーラー様の思うことがわかるので」
そう言い切ったテオは、フェリクスが去った扉をじっと見ているようだった。
クラウディアは思う。平民であることはそんなに悪いことなのだろうか、と。やけにフェリクスはテオの平民である立場を重要視、いや敵視しているようだった。フェリクスはそんな差別的な考えを持ち合わせていない人だとクラウディアは思っていた。それなのに、どうして……。
クラウディアは、テオになんと話しかけていいか分からず、黙っているしかなかった。テオも、口を開くことはなかった。
そうして数分が経過した頃、フェリクスがまた食堂へと戻ってくる。
「さっき呼び出しが来てしまったから、帰ることになった。話が途中だったけど……」
「え?帰るって、今?」
「ん、今日これから。わざわざ早馬寄越してくるくらいだから、よほど焦っているんだと思う。お隣はいま色々動きがあるから、大変なんだよ」
隣国の王位継承の揉め事のことだろうか。
フェリクスはクラウディアに対する態度はかなりぶっきらぼうで、言葉遣いもいいとは言えない。しかし、外に出たフェリクスは優秀な貴族の手本のような男で、将来有望な事務官だと聞いている。
きっと一ヶ月も休みをとるのは元から無理があったのだろう。すぐに呼び出しが来るくらいなのだから。
フェリクスがいますぐ出なくてはならないというから、すぐに朝食は終了することになり、一時間後にはフェリクスは帰り支度をし、馬車の前に立っていた。クラウディアとテオも見送るために馬車の前にいた。
フェリクスは少しため息をついて、テオを見る。
「ルグランさん。全然話し足りませんが、あと猶予は一年もないことを分かっていると思います。頼むので、クラウディアを悲しませないで欲しいです」
「はい」
テオはフェリクスを真っ直ぐ見た。いつもの笑みはなく、固い表情だ。
フェリクスはテオから目線を外すと、クラウディアを見てにっこり笑う。
「じゃあ、クラウディア。喧嘩別れになってごめんな」
「ううん、私もせっかくきてくれたのに、ごめんなさい。フェリクスがこの家をすごく心配してくれるのはよく分かっているからね」
「だから、分かってないんだよ。お前は」
フェリクスは子供の頃のように、クラウディアの頭をクシャクシャと撫でつける。こうやってくれる時は、クラウディアをわざと怒らせて、笑わせてやりたいときにしていたのをクラウディアは思い出す。それならば、今は笑って「またね」と言うのがいいはず。クラウディアはその乱れた髪を直さず、ただフェリクスに笑いかけた。
「じゃあ。何かあったら連絡しろよ」
フェリクスは馬車に乗り込みながら、クラウディアに言った。
「気をつけて。また、きてね」
馬車に乗り込んだフェリクスが見えなくなるまで、クラウディアは手を振り続ける。喧嘩別れになってしまったが、フェリクスに対する感情は苛立ちや悲しみといった言葉では言い表せないものだった。それより、何かモヤモヤした感情が心の中を覆っていくのがわかる。
フェリクスの乗った馬車が見えなくなると、「……婚約者に相応しいよう、頑張ります。少し、待っていてもらえませんか」とテオが言う。
いつものテオにしては小声で、何か本当は他に言いたいことがありそうな、そんな声色だ。
しかしクラウディアはそこに追及することはなかった、いやできなかった。
「テオは、十分素晴らしい人です」
クラウディアはそれだけを言い切った。
でも、なぜモヤモヤするのだろう。
フェリクスが、テオのことを誤解しているから?
テオが平民であるから?
今のテオの気持ちが、よく分からないから?
クラウディアは心の中で自分に問う。結局その理由に答えが出ることはないままだった。




