第8話 金利という壁
商館の建設が正式に決まった。
あたしは、その足でラ・フォンテーヌ建会へ駆け込んだ。
「棟梁! やりましたわ! この館を、王都でいちばん目を引く建物にいたしましょう!」
「ダルジャン様!」
棟梁が、木屑まみれの前掛けのまま立ち上がった。
「ダルジャン様と一緒なら、きっとできましょうぞ!」
太い腕が伸びてきて、あたしの手を握る。
鑿を握り続けて節くれだった掌だった。
「二年、どこも匙を投げた話です。それが、あの模型一つで動くとは」
「棟梁の腕あってこそですわ」
「なんの。あの絵図を描いたのは、ダルジャン様でございます」
三階建て。
一階には、宝飾細工師のアンドレ。
棟梁にとっては、久々の大仕事だ。
あたしにとっては、純新規で伯爵家の大口の一件に食い込んだ、初めての大金星。
木の匂いの立ちこめる建会に笑い声が満ちた。
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それから、一か月が過ぎた。
ヴァロワ伯爵家から使いが来た。
融資の件で話があるという。
あたしは勇んで、応接室へ向かった。
そこで待っていたのは、家令のバルテルミだった。
伯爵の姿はなかった。
「ダルジャン嬢。融資の件だが」
バルテルミは帳面から目も上げず、淡々と切り出した。
「あれは、全額を緑翼銀商で行うことにした」
一瞬、言葉の意味が分からなかった。
「……全額、でございますか」
「そうだ」
「ですが、半分は赤嶺銀商で――」
「緑翼銀商のほうが金利が低いのだ」
そこでバルテルミは初めて顔を上げた。
「同じ金を借りるなら安いほうを選ぶ。当然のことだろう」
反論の言葉が、喉の奥でつかえた。
正論だった。
一分でも安い金利で借りる。
家の金を預かる家令として、当然の判断だ。
提案は、あたしがした。
だが、どこで借りるかを決めるのは、バルテルミだった。
「……ご再考、いただけませんか」
「金利の話だ。情の話ではない」
バルテルミは再び帳面へ目を落とした。
羽根ペンが、また事務の音を刻みはじめる。
「提案には感謝している。だが、それとこれとは別だ」
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建会へ戻って伝えると、棟梁は、みるみる顔を赤くした。
「そんな……そんな馬鹿な話が、ありますか!」
拳が卓を叩いた。
木の天板が、びりびりと震える。
「この提案は、ダルジャン様が作ったものですぞ! わしが、掛け合って参ります!」
「棟梁……それはなさらないでください」
あたしは、棟梁の掌へ自分の手を重ねた。
「しかし……!」
「お気持ちだけ、ありがたく受け取っておきますわ」
棟梁は唇を噛み、拳を固めたまま、それきり口をつぐんだ。
その手が、小刻みに震えているのが見えた。
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あたしは諦めなかった。
まず、支部に掛け合った。
赤嶺銀商の金利を、緑翼銀商の水準まで下げられないか、と。
「無茶を言うな」
クレマン課長は、渋い顔をした。
「金利には、これ以上下げれば損が出るという下限がある。再稟議を上げたところで、あの金利がもう下限だ」
クレマンが帳面を閉じた。
「なぜ緑翼銀商があの金利を出せるのか知らんが、赤嶺銀商には無理だ」
長年の主銀商である。
利を捨ててでも、赤嶺銀商に割って入らせない。
そういう意図だろう。
次に、あたしは埋め合わせを描いた。
金利で負けているなら、その差を別のところで埋めればいい。
店が賃料を払えなくなったときに備える保証。
商館が焼けたときのための、損の引き受け。
毎月の賃料を代わりに取り立て、帳面をつける代行。
赤嶺銀商の組織力を、この一件にすべて注ぎ込む。
総額で見れば、緑翼銀商で借りるより得になる。
そういう提案を、あたしは幾晩もかけて組み上げた。
再び、バルテルミの前に立った。
「これだけの得を、お付けいたします。いかがでしょうか」
バルテルミはあたしの帳面を、じっと見た。
頁を繰る指が、途中でわずかに止まった。
「……よく練られている」
そして、静かに帳面を返した。
「だが、目先の金利が緑翼銀商より高い。それがすべてだ。付け合わせも、一部は緑翼銀商から話をもらっている」
動かなかった。
わずか一分ほどの金利差で、あたしは負けていた。
総力を一件へ注ぎ込めば、動かせぬ商いなどない。
登商試験で、あたしはそう言い切った。
束ねた利は、一分の金利差に届かなかった。
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時間だけが過ぎていった。
普請の証文を交わす日が、一日、また一日と近づいてくる。
そしてある日、報せが届いた。
緑翼銀商の稟議が、全額分、正式に下りたと。
これで、決まりだった。
赤嶺銀商の出る幕はない。
あたしは諦めた。
悔しさはあった。
だが、叫ぶ気にもならなかった。
前世でも、幾度か味わった負けだ。
最後の最後で、金利の安い他行に持っていかれる。
仕方がない。
あたしはクレマン課長に「もう一度、説得に行って参ります」と告げて、街へ出た。
行く当ては、なかった。
銀商の商員が、日中に姿を消すこと自体は珍しくない。
数字さえ上げていれば、半日どこで油を売っていようと、誰も何も言わない。
けれど、あたしには、その数字がなかった。
手元に残ったのは小さな貸付ばかり。
胸を張れるものは、何もない。
あたしは川辺に腰を下ろした。
石畳の冷たさが、ドレス越しに伝わってくる。
水面が光を散らしながら、ゆっくりと流れていく。
模型一つで純新規の大口が獲れたと思った、あの日。
自分は、この世界で通用する。
そう舞い上がっていた。
けれど、金利というただ一つの現実の前で、あたしは何もできなかった。
どうすれば良かったのか。
考えても答えは出なかった。
荷を積んだ小舟が一艘、川面を下っていく。
物売りの声が、遠くで聞こえては消えた。
日が傾き、水の色が茜に染まるまで、あたしはそこから動かなかった。
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証文を交わす日を目前に控えた、ある日。
ヴァロワ伯爵家から、また使いが来た。
覚悟を決めて、あたしは応接室へ向かった。
今度こそ正式に断られるのだろう。
そう思って扉を開けた。
だが、待っていたのは、伯爵その人だった。
バルテルミの姿はない。
伯爵はパイプをくゆらせて、あたしを迎えた。
紫煙が、窓から差す光の中を、ゆっくりと昇っていく。
「ダルジャン嬢。融資の件だが」
「はい」
「当初の約束どおり、半分を赤嶺銀商で頼む」
頭の中が、真っ白になった。
「……え?」
「聞こえなかったか」
伯爵が片眉を上げた。
「半分を赤嶺銀商で頼む、と言った」
足が床に縫い付けられたように、動かなかった。
「腑に落ちぬ、という顔だな」
伯爵は可笑しそうに煙を吐いた。
「あの棟梁が来てな。わしの前で土下座をしおったのだ」
伯爵はパイプを灰皿の縁へ置いた。
こつり、と硬い音がした。
「最後のお願いだ、と。この一件は、どうしても赤嶺銀商と一緒にやりたいのだ、と。額を床に擦り付けてな」
あたしは言葉を失った。
あの鑿を握り続けた掌が。
あの木屑まみれの前掛けの男が。
「棟梁の言い分は、こうだ」
伯爵が続けた。
「この提案はダルジャン嬢が作ったもの。二年動かなかった話を、あの方が動かした。それを、金利が安いというだけで緑翼銀商に渡す。それは人として間違っている」
伯爵は、椅子に深く座り直した。
「バルテルミの言うことは正しい。金利は緑翼銀商が安い」
そして、その目が、まっすぐあたしを見た。
「だがな。あの完璧なまでに美しい模型を作りあげた、棟梁の目だ。あれを、あの男に、心から気持ち良く建てさせてやりたい。そう、思うたのだ」
伯爵の声が低くなった。
「金利の一分二分をけちって、棟梁の熱に水を差す。そんな館に、ヴァロワの紋を掲げたところで、わしは誇れん」
「……閣下」
「バルテルミが申し訳ないことをした。当初の約束どおり、融資の半分で頼む」
あたしは、頭を下げることさえ忘れていた。
自分の力では、なかった。
金利も下げられず、付け合わせも通らず、万策尽きて、あたしは諦めたのだ。
それを覆したのは、あたしではない。
棟梁の土下座だった。
「――ああ、それとな」
伯爵が思い出したように続けた。
「棟梁の土下座は、一人で思いついたわけではないらしい」
「と、おっしゃいますと」
「棟梁が白状しておった。緑翼銀商で決まりかけたとき、憤って紹介元の商員に泣きついたそうだ。ソレイユ、とか言ったか」
心臓が、跳ねた。
「その商員が、棟梁にこう言ったらしい」
伯爵は、可笑しそうに煙を吐いた。
「利で勝てぬときは、熱意を見せるしかありません。あなたの熱意を見せておいでなさいませ、と」
その言葉が胸の真ん中に、すとんと落ちた。
ふいに、目の奥が熱くなった。
こらえようとしたが、間に合わなかった。
一筋、頬を伝った。
前世でも、仕事で泣いたことなど、一度もなかった。
あたしの一件を、棟梁が体を張って守ってくれた。
カトリーヌが後ろから押してくれた。
数字では動かぬものが、あたしを救ったのだ。
「……面目次第もございません。閣下の御前で」
あたしは、袖口を目に押し当てた。
伯爵は何も言わず、ただ煙を細く吐いていた。
急かすでもなく、慰めるでもなく。
あたしが落ち着くのを、静かに待ってくれていた。
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涙が引くと、あたしは顔を上げた。
「閣下。わたくしからも最後に一つ、お願いがございます」
「なんだ」
「今度、わたくしの支部長を連れて、ご挨拶に伺います。その折に――支部長の説得によって、お決めになった。そういうことにしていただけませんか?」
伯爵のパイプが止まった。
一拍の間。
そして、伯爵が噴き出した。
「くっ……はははは! お主というやつは!」
伯爵は腹を抱えて笑った。
パイプの灰が揺れて、こぼれ落ちる。
「泣いたその口で、抜け目のない! いいだろう、いいだろう。支部長とやらに、たっぷり説得されたということにしてやる」
「ありがたき幸せにございます」
あたしは深々と一礼した。
その頬には、まだ涙の痕が残っていた。
(第8話・了)
(第2章・了)




