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数字が人格ですわ!―限界メガバンク行員、貴族令嬢に転生してもノルマから逃げられませんでした―  作者: 財務白関
第2章 王都営業・新規開拓編

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第7話 複合ビル

枯れ井戸の底で見つけた一冊。


姓なき女、アガート。

外国の邸宅への定型融資、残高二十枚。

そして、その返済を運んでくるヴァロワ家の使者。


あたしは、その糸をたどってヴァロワ伯爵への面会を取り付けた。


取次に告げた口上は、一つだけだった。


「定型融資の件で、閣下にお目通りを」


あたしは何も知らぬふりをして門を叩いた。


-----


ヴァロワ伯爵の応接室は静かだった。


壁には鹿の綴織。

卓には磨き上げられた燭台。

一目で金のかかった部屋だと分かる。


現れた伯爵は、恰幅のよい中年の男だった。

だが、その目だけは笑っていなかった。


「赤嶺銀商の商員が、わしに何の用だ」


椅子に腰を下ろすなり、伯爵はそう言った。

探るような低い声だった。


「本日は、定型融資のご案内に参りました」


あたしは恭しく頭を下げた。


伯爵は指で卓を一度叩いた。


「……外国の、邸宅の件ではないのか」


先に伯爵のほうが口にした。


あたしは顔を上げた。

瞬き一つしなかった。


「いえ。最近、定型融資が大変お得になっておりまして。そのご案内にございます」


伯爵は眉を動かし、あたしをじっと見つめた。

値踏みするような長い視線だった。


「……お主、名は」


「シャルロット・ダルジャンにございます」


「ダルジャン」


伯爵が、その名を口の中で転がした。


そして、ふっと息を吐いた。

肩の力が抜けたようだった。


「食えぬ女だな」


「恐れ入ります」


あたしは深々と一礼した。


-----


伯爵は、パイプに火を入れると細く煙を吐いた。


「ダルジャン嬢。定型融資ではないが、一つ話がある」


「はい」


「わしは、王都で執務や賓客に使う商館を一棟、建てるつもりでいる」


伯爵は、煙の向こうからあたしを見た。


「王都の大通りに面した土地だ。ヴァロワの名に相応しい、立派な館をな」


「まあ。それは、おめでたいお話にございますわ」


「本来なら、建設資金は緑翼銀商から借りる。長年の主銀商だ」


伯爵はパイプをくゆらせた。


「だが……お主の提案次第では、この話に加えてやってもよい」


あたしは頭を下げた。


「ありがたきお言葉にございます」


伯爵は鷹揚に頷いた。


これで手打ちのつもりだろう、と思った。


仕事を一つくれてやる。

そのかわり、余計な詮索はするな。

口を封じるための餌である。


もっとも、伯爵の口ぶりには本気の色がなかった。


「よい提案を待っている。ただし、金はかけたくない」


金はかけたくない。

その一言にすべてが表れていた。


-----


話を持ち帰って、あたしは頭を抱えた。


筋が悪すぎた。


商館は、伯爵家が自ら使うための建物だ。

店を構えるわけでも、人に貸すわけでもない。


ただ建てて使うだけの箱に、伯爵が余分な金を出すはずもなかった。


しかも、伯爵のやり方が輪をかけて厄介だった。


数軒の建会に、同じ絵図で値を出させる。

そして額を叩き合わせる。もっと安く、もっと安く、と。


その繰り返しで二年間、話は一向に進んでいなかった。


「安く、しかも立派に、では建物は建たないよなぁ……」


支部で帳面を眺めながら、あたしは独りごちた。


-----


それでも、やってみるしかなかった。


あたしは、研修で聞いたラ・トゥールの話を思い出していた。


銀商の中だけでなく、その外の取引先も味方につける。

建築を生業とする取引先を連れて、客の望みをその場で聞き取る。


やってみよう、と思った。

だが、困ったことに、あたしには建会の取引先がいなかった。


心当たりは、一人だけだった。

あたしは、カトリーヌのもとへ向かった。


「ソレイユ様。折り入って、お願いがございますの」


カトリーヌは羽根ペンをインク壺の縁へ置いてから、ゆっくり顔を上げた。


「あら、ダルジャン様。あなたがわたくしに頼み事とは、珍しいこと」


「腕のよい建会を、ご紹介いただけないかと」


カトリーヌは少し目を見張った。


「建会ですって? あなた、何にお使いになるの」


「ヴァロワ伯爵の商館のお話ですわ」


カトリーヌの扇が、ぴたりと止まった。


「ヴァロワ伯爵……あの、ヴァロワ?」


「はい。商館を一棟、建てたいと」


カトリーヌは、扇を開いて口元を隠した。

その奥で、くすりと笑ったのが分かった。


「――よろしくてよ」


意外にも、カトリーヌはあっさりと頷いた。


「ラ・フォンテーヌ建会。腕は王都でも指折りですわ。ご紹介いたします」


「よろしいのですか」


「ええ。お手並み、拝見いたしますわ」


扇の上に残った青い目が、細く笑った。


高位の貴族を相手取る大口の一件を、没落男爵家の娘が獲れるものか。

あなたがどう転ぶか、見物させてもらう。

そういう目だった。


「ありがとうございます、ソレイユ様」


あたしは深々と頭を下げた。


-----


ラ・フォンテーヌ建会の棟梁は、口髭を蓄えた実直そうな男だった。

あたしは、まず棟梁を連れて建設予定地へ向かった。


大通りに面した角地だった。

石畳の広い通りに、人の波が途切れなく流れている。

荷馬車が行き交い、物売りの声が響き、着飾った貴婦人が連れ立って歩いていく。


あたしは、その通りをしばらく眺めていた。


「棟梁。この土地の間口は、どのくらいですの?」


「表通りに、たっぷり二十五間はございますな」


「日当たりは?」


「南向き。申し分ございません」


あたしは頷き、帳面に書きつけた。


それから、棟梁とともに図面を引いた。

だが、何度引いても結果は同じだった。


「ダルジャン様。この予算で二階建ては厳しいですな」


棟梁が、渋い顔で図面を置いた。


「石材を落とせば、安くは上がります。ですが、それでは……ヴァロワ家のお名に傷がつきましょう」


安く上げれば貧相になる。

格を保てば予算を超える。


「……行き詰まりましたわね」


あたしは、図面を見つめて呟いた。


棟梁が、ため息をついた。


「これは、話が進まぬわけでございますな」


-----


数日後。


あたしは、ラ・フォンテーヌ建会を再び訪ねていた。

削りかけの梁が並び、鉋屑の匂いが立ちこめている。


「棟梁。模型を作っていただきたいのです」


「模型でございますか」


「ええ。とびきり立派なものを」


棟梁は首をかしげた。


「立派な、と申しますと」


あたしは、帳面を開いて絵図を見せた。

棟梁の目が丸くなった。


「……ダルジャン様。これは三階建てでございますぞ」


「はい」


「しかも、この一階は……店の構えですかな」


「そのとおりですわ」


棟梁が絶句した。


「二階建てでも予算が足りぬのに、三階建て。その上、一階を店に。……これでは費えが跳ね上がります」


「構いませんわ」


あたしは棟梁の帳面を覗き込んだ。


「棟梁。腕の見せどころですわよ。大通りの者が皆、振り返るような。そんな模型をお願いいたします」


棟梁は、しばらくあたしの顔を見ていた。

それから口髭を撫でて、ふっと笑った。


「……何をお考えか、さっぱりでございますが」


棟梁が腕まくりをした。


「職人の血が騒ぎますな。承知いたしました」


模型ができあがるまでの間、あたしは大通りへ店を出したがっている商人を回った。


宝飾、服飾、菓子、舶来品。

十数軒に話を持ち込むと、一軒が食いついた。


これで、ようやく役者が揃った。


-----


二週間後。


応接室に、伯爵と家令のバルテルミが待っていた。


バルテルミは、痩せた神経質そうな男だった。

商館建設の実務を一手に任されているという。


あたしは箱から模型を取り出し、卓の上へ置いた。


「こちらが、わたくしどものご提案にございます。ラ・フォンテーヌ建会の棟梁に作っていただきました」


伯爵が模型を覗き込んだ。

バルテルミも身を乗り出す。


白木の三階建て。

大通りに面した一階には、大きな飾り窓を備えた瀟洒な店構え。

二階と三階の窓には、ヴァロワ家の紋が小さく刻まれている。


誰がどう見ても、立派な商館だった。


バルテルミの顔がみるみる赤くなった。


「これは……三階建てではないか!」


バルテルミが声を荒らげた。


「ダルジャン嬢。当家がどれほど予算を切り詰めておるか、聞いておらぬのか」


「はい。承知しております」


「しかもなんだ、この一階の構えは。費えがいくらになると思っておる。冗談ではない!」


バルテルミの唾が飛んだ。


至極まっとうな怒りだった。

予算を削れと言われている計画に、積み増して持ってきたのだ。

怒らぬほうがどうかしている。


だが、あたしは動じなかった。


「バルテルミ様。どうか最後までお聞きくださいませ」


あたしは、模型の一階を指した。


「この一階を、閣下ご自身でお使いになる必要はございません」


伯爵が片眉を上げた。


「……どういうことだ」


「執務も、賓客のおもてなしも、二階と三階で行います。一階は、店にお貸しになるのです」


あたしは、指を一本折った。


「まず、この立地。大通りに面した、王都でも稀な一等地にございます。日に幾百、幾千という人がこの前を通ります」


伯爵が黙って頷く。


「その土地を、閣下の御家の壁の内側に閉じ込めておしまいになる。それは、あまりにもったいのうございます」


「……ふむ」


「ですが、この一階を店にお貸しになれば」


あたしは、二本目の指を折った。


「実は、この商館が建ちましたら、一階を借りたいと申し出ている店がございます」


「なんだと」


「王都でも指折りの宝飾細工師、メゾン・ド・アンドレにございます」


伯爵とバルテルミが、顔を見合わせた。


「あのアンドレが、か」


あたしは、書付を卓へ置いた。


「模型どおりの館が建った暁には十年借りる。その旨、アンドレから覚書をいただいております」


バルテルミが書付を引き寄せ、署名を確かめた。


「つまり、この一階は建つ前から、借り手が決まっております」


あたしは、三本目の指を折った。


「そして、数字にございます」


あたしは帳面を開いた。


「三階建てにすれば、建設の費えは確かに膨らみます。ですが、その膨らんだ分を、アンドレからいただく賃料が、およそ十年で埋めます」


バルテルミの眉が動いた。


「十年で、元が」


「はい。そして十年を過ぎれば、賃料はそのままヴァロワ家の利になりますわ。アンドレが出ましても、一等地の一階に借り手が絶えることはございませんでしょう」


あたしは、伯爵をまっすぐに見た。


「積み増した費えは、損ではございません。金を生む投資にございます」


伯爵の指が、卓をゆっくりと叩いた。


バルテルミは、帳面と模型を交互に見ている。

先ほどまでの朱が、その顔から引いていた。


「……確かに。賃料で賄えるなら話は別だ」


だが、あたしの本命はここからだった。


「そして、閣下」


あたしは、模型の一階を指でなぞった。


「一階に、あのアンドレが入る商館。それはヴァロワ家の商館であると同時に――ヴァロワ家の看板になりますわ」


伯爵の目が、あたしを捉えた。


「看板、だと」


「はい。王都一の大通りに、ヴァロワの紋を掲げた立派な三階建て。その一階には、あの宝飾細工師のアンドレ」


あたしは、模型をそっと伯爵のほうへ向けた。


「この前を通る者は皆、思うでしょう。あの立派な館はどなたのものかと。そして知るのです。ヴァロワ家の館だと」


伯爵の手が、模型へ伸びた。


「街ゆく貴顕が、こぞって噂することでしょう。ヴァロワ家はあのアンドレを店子に持つ、と。それは金貨では決して買えぬものにございます」


応接室に沈黙が落ちた。


伯爵は模型を見つめていた。

その目に、灯がともっていた。


「……利を生まぬ、ただの箱だと思うておった」


伯爵が、低く呟いた。


「それが金貨を生み、家の名まで上げると申すか」


「そのとおりでございます。閣下」


あたしは、深く頭を下げた。


-----


そこから先は、話が早かった。


バルテルミが算盤を弾き、幾度も頷いた。

伯爵は、模型を飽きもせず眺めていた。


二年間、一歩も動かなかった商館の建設が動き出した。


三階建てになったぶん、建築費は当初の予算を大きく超えた。

その膨らんだ総額の半分――金貨千五百枚を、赤嶺銀商が手がけることになった。


残る半分は、長年の主銀商である緑翼銀商へ。

それでも、これまで取引のなかった伯爵家への大型融資である。

しかも純新規。


今期目標の七百五十枚に対して、この一件だけで、その倍になる。


「ダルジャン嬢」


帰り際、伯爵があたしを呼び止めた。


「お主は結局、外国の邸宅の件を一度も口にせなんだな」


「存じ上げぬことは、申し上げようがございません」


伯爵が、喉の奥で笑った。


「わしは、お主に小さな餌を投げたつもりだった。詮索をやめさせるための、な。それが商館の融資半分を持っていかれるとは。飼うつもりが、飼われたわ」


あたしは、裾をつまんで膝を折った。


「光栄にございます、閣下」


-----


支部へ戻ると、廊下でカトリーヌとすれ違った。


「あら、ソレイユ様」


あたしは足を止め、にっこりと微笑んだ。


「ラ・フォンテーヌ建会、大変助かりましたわ。おかげさまで――ヴァロワ伯爵家の商館、その融資の半分を、赤嶺銀商でお預かりすることになりましたの」


カトリーヌの足が、止まった。


「……なんですって」


カトリーヌの淀みのない笑顔が、凍りついていた。


「ご紹介、心より感謝いたしますわ。ソレイユ様」


あたしは、微笑みを崩さずに続けた。


「――お手並み、ご覧いただけましたかしら?」


(第7話・了)

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