第7話 複合ビル
枯れ井戸の底で見つけた一冊。
姓なき女、アガート。
外国の邸宅への定型融資、残高二十枚。
そして、その返済を運んでくるヴァロワ家の使者。
あたしは、その糸をたどってヴァロワ伯爵への面会を取り付けた。
取次に告げた口上は、一つだけだった。
「定型融資の件で、閣下にお目通りを」
あたしは何も知らぬふりをして門を叩いた。
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ヴァロワ伯爵の応接室は静かだった。
壁には鹿の綴織。
卓には磨き上げられた燭台。
一目で金のかかった部屋だと分かる。
現れた伯爵は、恰幅のよい中年の男だった。
だが、その目だけは笑っていなかった。
「赤嶺銀商の商員が、わしに何の用だ」
椅子に腰を下ろすなり、伯爵はそう言った。
探るような低い声だった。
「本日は、定型融資のご案内に参りました」
あたしは恭しく頭を下げた。
伯爵は指で卓を一度叩いた。
「……外国の、邸宅の件ではないのか」
先に伯爵のほうが口にした。
あたしは顔を上げた。
瞬き一つしなかった。
「いえ。最近、定型融資が大変お得になっておりまして。そのご案内にございます」
伯爵は眉を動かし、あたしをじっと見つめた。
値踏みするような長い視線だった。
「……お主、名は」
「シャルロット・ダルジャンにございます」
「ダルジャン」
伯爵が、その名を口の中で転がした。
そして、ふっと息を吐いた。
肩の力が抜けたようだった。
「食えぬ女だな」
「恐れ入ります」
あたしは深々と一礼した。
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伯爵は、パイプに火を入れると細く煙を吐いた。
「ダルジャン嬢。定型融資ではないが、一つ話がある」
「はい」
「わしは、王都で執務や賓客に使う商館を一棟、建てるつもりでいる」
伯爵は、煙の向こうからあたしを見た。
「王都の大通りに面した土地だ。ヴァロワの名に相応しい、立派な館をな」
「まあ。それは、おめでたいお話にございますわ」
「本来なら、建設資金は緑翼銀商から借りる。長年の主銀商だ」
伯爵はパイプをくゆらせた。
「だが……お主の提案次第では、この話に加えてやってもよい」
あたしは頭を下げた。
「ありがたきお言葉にございます」
伯爵は鷹揚に頷いた。
これで手打ちのつもりだろう、と思った。
仕事を一つくれてやる。
そのかわり、余計な詮索はするな。
口を封じるための餌である。
もっとも、伯爵の口ぶりには本気の色がなかった。
「よい提案を待っている。ただし、金はかけたくない」
金はかけたくない。
その一言にすべてが表れていた。
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話を持ち帰って、あたしは頭を抱えた。
筋が悪すぎた。
商館は、伯爵家が自ら使うための建物だ。
店を構えるわけでも、人に貸すわけでもない。
ただ建てて使うだけの箱に、伯爵が余分な金を出すはずもなかった。
しかも、伯爵のやり方が輪をかけて厄介だった。
数軒の建会に、同じ絵図で値を出させる。
そして額を叩き合わせる。もっと安く、もっと安く、と。
その繰り返しで二年間、話は一向に進んでいなかった。
「安く、しかも立派に、では建物は建たないよなぁ……」
支部で帳面を眺めながら、あたしは独りごちた。
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それでも、やってみるしかなかった。
あたしは、研修で聞いたラ・トゥールの話を思い出していた。
銀商の中だけでなく、その外の取引先も味方につける。
建築を生業とする取引先を連れて、客の望みをその場で聞き取る。
やってみよう、と思った。
だが、困ったことに、あたしには建会の取引先がいなかった。
心当たりは、一人だけだった。
あたしは、カトリーヌのもとへ向かった。
「ソレイユ様。折り入って、お願いがございますの」
カトリーヌは羽根ペンをインク壺の縁へ置いてから、ゆっくり顔を上げた。
「あら、ダルジャン様。あなたがわたくしに頼み事とは、珍しいこと」
「腕のよい建会を、ご紹介いただけないかと」
カトリーヌは少し目を見張った。
「建会ですって? あなた、何にお使いになるの」
「ヴァロワ伯爵の商館のお話ですわ」
カトリーヌの扇が、ぴたりと止まった。
「ヴァロワ伯爵……あの、ヴァロワ?」
「はい。商館を一棟、建てたいと」
カトリーヌは、扇を開いて口元を隠した。
その奥で、くすりと笑ったのが分かった。
「――よろしくてよ」
意外にも、カトリーヌはあっさりと頷いた。
「ラ・フォンテーヌ建会。腕は王都でも指折りですわ。ご紹介いたします」
「よろしいのですか」
「ええ。お手並み、拝見いたしますわ」
扇の上に残った青い目が、細く笑った。
高位の貴族を相手取る大口の一件を、没落男爵家の娘が獲れるものか。
あなたがどう転ぶか、見物させてもらう。
そういう目だった。
「ありがとうございます、ソレイユ様」
あたしは深々と頭を下げた。
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ラ・フォンテーヌ建会の棟梁は、口髭を蓄えた実直そうな男だった。
あたしは、まず棟梁を連れて建設予定地へ向かった。
大通りに面した角地だった。
石畳の広い通りに、人の波が途切れなく流れている。
荷馬車が行き交い、物売りの声が響き、着飾った貴婦人が連れ立って歩いていく。
あたしは、その通りをしばらく眺めていた。
「棟梁。この土地の間口は、どのくらいですの?」
「表通りに、たっぷり二十五間はございますな」
「日当たりは?」
「南向き。申し分ございません」
あたしは頷き、帳面に書きつけた。
それから、棟梁とともに図面を引いた。
だが、何度引いても結果は同じだった。
「ダルジャン様。この予算で二階建ては厳しいですな」
棟梁が、渋い顔で図面を置いた。
「石材を落とせば、安くは上がります。ですが、それでは……ヴァロワ家のお名に傷がつきましょう」
安く上げれば貧相になる。
格を保てば予算を超える。
「……行き詰まりましたわね」
あたしは、図面を見つめて呟いた。
棟梁が、ため息をついた。
「これは、話が進まぬわけでございますな」
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数日後。
あたしは、ラ・フォンテーヌ建会を再び訪ねていた。
削りかけの梁が並び、鉋屑の匂いが立ちこめている。
「棟梁。模型を作っていただきたいのです」
「模型でございますか」
「ええ。とびきり立派なものを」
棟梁は首をかしげた。
「立派な、と申しますと」
あたしは、帳面を開いて絵図を見せた。
棟梁の目が丸くなった。
「……ダルジャン様。これは三階建てでございますぞ」
「はい」
「しかも、この一階は……店の構えですかな」
「そのとおりですわ」
棟梁が絶句した。
「二階建てでも予算が足りぬのに、三階建て。その上、一階を店に。……これでは費えが跳ね上がります」
「構いませんわ」
あたしは棟梁の帳面を覗き込んだ。
「棟梁。腕の見せどころですわよ。大通りの者が皆、振り返るような。そんな模型をお願いいたします」
棟梁は、しばらくあたしの顔を見ていた。
それから口髭を撫でて、ふっと笑った。
「……何をお考えか、さっぱりでございますが」
棟梁が腕まくりをした。
「職人の血が騒ぎますな。承知いたしました」
模型ができあがるまでの間、あたしは大通りへ店を出したがっている商人を回った。
宝飾、服飾、菓子、舶来品。
十数軒に話を持ち込むと、一軒が食いついた。
これで、ようやく役者が揃った。
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二週間後。
応接室に、伯爵と家令のバルテルミが待っていた。
バルテルミは、痩せた神経質そうな男だった。
商館建設の実務を一手に任されているという。
あたしは箱から模型を取り出し、卓の上へ置いた。
「こちらが、わたくしどものご提案にございます。ラ・フォンテーヌ建会の棟梁に作っていただきました」
伯爵が模型を覗き込んだ。
バルテルミも身を乗り出す。
白木の三階建て。
大通りに面した一階には、大きな飾り窓を備えた瀟洒な店構え。
二階と三階の窓には、ヴァロワ家の紋が小さく刻まれている。
誰がどう見ても、立派な商館だった。
バルテルミの顔がみるみる赤くなった。
「これは……三階建てではないか!」
バルテルミが声を荒らげた。
「ダルジャン嬢。当家がどれほど予算を切り詰めておるか、聞いておらぬのか」
「はい。承知しております」
「しかもなんだ、この一階の構えは。費えがいくらになると思っておる。冗談ではない!」
バルテルミの唾が飛んだ。
至極まっとうな怒りだった。
予算を削れと言われている計画に、積み増して持ってきたのだ。
怒らぬほうがどうかしている。
だが、あたしは動じなかった。
「バルテルミ様。どうか最後までお聞きくださいませ」
あたしは、模型の一階を指した。
「この一階を、閣下ご自身でお使いになる必要はございません」
伯爵が片眉を上げた。
「……どういうことだ」
「執務も、賓客のおもてなしも、二階と三階で行います。一階は、店にお貸しになるのです」
あたしは、指を一本折った。
「まず、この立地。大通りに面した、王都でも稀な一等地にございます。日に幾百、幾千という人がこの前を通ります」
伯爵が黙って頷く。
「その土地を、閣下の御家の壁の内側に閉じ込めておしまいになる。それは、あまりにもったいのうございます」
「……ふむ」
「ですが、この一階を店にお貸しになれば」
あたしは、二本目の指を折った。
「実は、この商館が建ちましたら、一階を借りたいと申し出ている店がございます」
「なんだと」
「王都でも指折りの宝飾細工師、メゾン・ド・アンドレにございます」
伯爵とバルテルミが、顔を見合わせた。
「あのアンドレが、か」
あたしは、書付を卓へ置いた。
「模型どおりの館が建った暁には十年借りる。その旨、アンドレから覚書をいただいております」
バルテルミが書付を引き寄せ、署名を確かめた。
「つまり、この一階は建つ前から、借り手が決まっております」
あたしは、三本目の指を折った。
「そして、数字にございます」
あたしは帳面を開いた。
「三階建てにすれば、建設の費えは確かに膨らみます。ですが、その膨らんだ分を、アンドレからいただく賃料が、およそ十年で埋めます」
バルテルミの眉が動いた。
「十年で、元が」
「はい。そして十年を過ぎれば、賃料はそのままヴァロワ家の利になりますわ。アンドレが出ましても、一等地の一階に借り手が絶えることはございませんでしょう」
あたしは、伯爵をまっすぐに見た。
「積み増した費えは、損ではございません。金を生む投資にございます」
伯爵の指が、卓をゆっくりと叩いた。
バルテルミは、帳面と模型を交互に見ている。
先ほどまでの朱が、その顔から引いていた。
「……確かに。賃料で賄えるなら話は別だ」
だが、あたしの本命はここからだった。
「そして、閣下」
あたしは、模型の一階を指でなぞった。
「一階に、あのアンドレが入る商館。それはヴァロワ家の商館であると同時に――ヴァロワ家の看板になりますわ」
伯爵の目が、あたしを捉えた。
「看板、だと」
「はい。王都一の大通りに、ヴァロワの紋を掲げた立派な三階建て。その一階には、あの宝飾細工師のアンドレ」
あたしは、模型をそっと伯爵のほうへ向けた。
「この前を通る者は皆、思うでしょう。あの立派な館はどなたのものかと。そして知るのです。ヴァロワ家の館だと」
伯爵の手が、模型へ伸びた。
「街ゆく貴顕が、こぞって噂することでしょう。ヴァロワ家はあのアンドレを店子に持つ、と。それは金貨では決して買えぬものにございます」
応接室に沈黙が落ちた。
伯爵は模型を見つめていた。
その目に、灯がともっていた。
「……利を生まぬ、ただの箱だと思うておった」
伯爵が、低く呟いた。
「それが金貨を生み、家の名まで上げると申すか」
「そのとおりでございます。閣下」
あたしは、深く頭を下げた。
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そこから先は、話が早かった。
バルテルミが算盤を弾き、幾度も頷いた。
伯爵は、模型を飽きもせず眺めていた。
二年間、一歩も動かなかった商館の建設が動き出した。
三階建てになったぶん、建築費は当初の予算を大きく超えた。
その膨らんだ総額の半分――金貨千五百枚を、赤嶺銀商が手がけることになった。
残る半分は、長年の主銀商である緑翼銀商へ。
それでも、これまで取引のなかった伯爵家への大型融資である。
しかも純新規。
今期目標の七百五十枚に対して、この一件だけで、その倍になる。
「ダルジャン嬢」
帰り際、伯爵があたしを呼び止めた。
「お主は結局、外国の邸宅の件を一度も口にせなんだな」
「存じ上げぬことは、申し上げようがございません」
伯爵が、喉の奥で笑った。
「わしは、お主に小さな餌を投げたつもりだった。詮索をやめさせるための、な。それが商館の融資半分を持っていかれるとは。飼うつもりが、飼われたわ」
あたしは、裾をつまんで膝を折った。
「光栄にございます、閣下」
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支部へ戻ると、廊下でカトリーヌとすれ違った。
「あら、ソレイユ様」
あたしは足を止め、にっこりと微笑んだ。
「ラ・フォンテーヌ建会、大変助かりましたわ。おかげさまで――ヴァロワ伯爵家の商館、その融資の半分を、赤嶺銀商でお預かりすることになりましたの」
カトリーヌの足が、止まった。
「……なんですって」
カトリーヌの淀みのない笑顔が、凍りついていた。
「ご紹介、心より感謝いたしますわ。ソレイユ様」
あたしは、微笑みを崩さずに続けた。
「――お手並み、ご覧いただけましたかしら?」
(第7話・了)




