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数字が人格ですわ!―限界メガバンク行員、貴族令嬢に転生してもノルマから逃げられませんでした―  作者: 財務白関
第2章 王都営業・新規開拓編

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第6話 枯れた井戸

初出商の日、あたしはル・ノームル支部の門をくぐった。


王家に連なる公爵家、国境を預かる侯爵家。

その下につく、いくつもの伯爵家。

高位の貴族ばかりを相手取る、格の高い拠点である。


大口の顧客を抱えるだけあって、支部の構えも、行き交う商員の物腰も、南方アメリとはまるで違っていた。


そして、その朝、あたしは見知った顔を見つけた。


カトリーヌ・ド・ソレイユも、この支部に配属されていた。

王家の縁戚を持つ子爵家の令嬢が、高位貴族相手の拠点へ回される。


道理と言えば、道理だった。


没落男爵家のあたしは、実力でこの支部を勝ち取ったつもりでいた。

けれど、こうして並んでみれば分かる。


やはり、生まれ持ったものは大きいらしい。


-----


ル・ノームル支部の朝は、張り詰めた空気とともに始まった。


大広間に、商員が三十人ほど集められている。

上座では、支部長のオクターヴ・ド・グランヴィル伯爵が、帳面を積み上げて待っていた。


「よし、材料会議を始めるぞ」


低い声だった。


材料とは、今期の見込みのことだ。

どこの誰から、いくらの取引が獲れるのか。

それを一件ずつ、支部長の前で読み上げる。


「朝から搾られるゆえ、『一番搾り』とも言うがな」


隣の商員が、あたしにこっそり囁いた。


最初に名を呼ばれたのは、支部長代理の肩書を持つ、ユーグという商員だった。

代理というのは、前世の一般的な企業で言えば係長だろうか。


「ユーグ代理。お主は材料だけでも目標に足りておらんな」


「は……申し訳ございません」


「謝罪はいらん。どうするんだ」


グランヴィルが帳面を指で弾いた。


「どこで、いくらを、どうやって獲る。それを言え」


「そ、それでは……アルヌー商会に、新たな借入のお願いを……」


「前期も同じことを言っておったな。結果、できておらんではないか」


「今期こそは、必ず……!」


「いつ、いくらやるんだ」


グランヴィルの声は荒くならない。

低いまま、逃げ道を一つずつ塞いでいく。


「金貨の枚数で言え。日付で言え」


「……七月までに、五百枚を」


「五百枚だな。わかった。残りの千枚は」


ユーグの額に汗が浮いた。


もう材料などない。

見ていて、誰もが分かった。


「ほ、他の先も当たってみます」


「どの先だ」


「これから探して……」


「これから探す、では材料にならん」


グランヴィルが頁をめくった。


「では、こうしよう。お主、先月は新規を何軒回った」


「……八十軒でございます」


「今月は二百軒だ。回った先から稟議を三本上げろ。一本あたり、最低でも金貨五百枚。そのうち二本まとまれば届くだろう」


ユーグの顔が強張った。

断ることは、許されない。


「……承知、いたしました」


ユーグが絞り出すように答えた。

訪問の数も、稟議の額も、その場で約束させられた。


まだ会ってもいない相手から金貨千枚。

根拠など、どこにもない。


「次、ブルドン卿」


グランヴィルが間を置かず、次の名を呼ぶ。


一人を搾り終われば、また一人。

大広間に満ちているのは、次に名を呼ばれる者の、息を潜める気配だけだった。


――これは。


前世で、幾度も見た光景だった。


四半期ごとの、あの詰め。

数字は、ない袖からでも搾られる。


出せと言われれば、出しますと言うしかない。

出せぬなら、訪問の数を約束させられる。


それでも足りなければ、まだ会ってもいない相手からの稟議の額まで約束させられる。


そういう場所だった。銀行というのは。


-----


新任のあたしとカトリーヌは、この日は列席するだけだった。


会議の終わり際、支部長が二人へ目を向けた。


「ソレイユ嬢」


「はい」


「カルダン卿が、来月、東の支部へ移る。卿の顧客を、お主が引き継げ」


「かしこまりました」


「卿の先と、お主の縁筋の貴族を回れ。それだけで今期の目標、金貨千五百枚の材料は揃うはずだ」


カトリーヌが、胸に手を当てて頭を下げた。


引き継ぎとは、すでに取引のある顧客を、そっくり譲られるということだ。


新任にして、耕された畑を最初から手にする。


「ダルジャン嬢」


「はい」


支部長の目があたしを向いた。


「お主は南方アメリで、新規開拓に励んだと聞く。ここでも同じようにやってくれ」


「承知いたしました」


「その代わり、お主の今期の目標はソレイユ嬢の半分の金貨七百五十枚でよい。良かったな」


支部長は、帳面に目を落としたまま言った。


半分でよい。


温情のように聞こえて、そうではなかった。

引き継ぎも縁筋もない者が、一から新規で積み上げて、カトリーヌの半分を出せ。

譲られた畑の収穫の半ばを、荒れ地から素手で掘り起こせと。


そう言われている。


理不尽だった。

だが、この世界では、それが道理でもあった。


持つ者と、持たざる者。

勝負の土俵は初めから違っていた。


-----


翌日から、あたしは新規開拓に出た。


だが、南方アメリのとき以上に門が開かない。

どこへ行っても、会ってすらもらえない。


理由は、すぐに知れた。


王都の大型支部は、同じ赤嶺銀商の別の支部と営業の縄張りが重なっている。


その上、本部の営業まで動いていた。

身内同士で顧客を奪い合っているのだ。


そこへ、緑翼銀商や青樹銀商といった大手が、いくつもの支部から攻めてくる。

地元に根を張った小さな銀商まで、負けじと食い込んでくる。


ここは銀商の密集地帯なのだ。


田舎の南方アメリなら、赤嶺銀商の名を出せば門が開いたこともあった。

だが、ここでは名前など、何の強みにもならない。


赤嶺銀商の商員など、掃いて捨てるほど来ている。


「間に合っております」


その一言で門は閉じた。

飛び込んでも、飛び込んでも、同じだった。


一方、カトリーヌは違った。


引き継いだ顧客を一軒ずつ回り、着実に材料を積み上げていく。


すれ違うたび、あの淀みのない笑みを浮かべていた。


焦りが、じわりと胸を焼いた。


-----


追い詰められたあたしが目をつけたのは、支部の隅の古びたキャビネットだった。


埃をかぶった信用冊子が、ぎっしりと眠っている。


普通、顧客には担当の商員がつく。

だが、取引が細り、毎年の判定見直しも要らなくなった先は、担当が外れる。


そうして、冊子だけが取り残される。


過去には取引があった。

けれど今は妙味がなく、誰も見向きもしない。

そういう顧客たちだった。


あたしは、直属のクレマン課長のもとへ向かった。


「クレマン課長。このキャビネットの休眠先に接触してもよろしいでしょうか?」


クレマンが片眉を上げた。


「あんな枯れ井戸をか」


「はい」


「好きにしろ。どうせ、誰も見向きもせん」


半ば呆れ顔で、クレマンは許可を出した。


「ありがとうございます!」


あたしはキャビネットを漁り、いくつか目星をつけて支部を出た。


-----


枯れ井戸にも、わずかな水は残っていた。


過去の取引のおかげか、赤嶺銀商の名を出すと、休眠先は会ってくれた。


あたしは、まず詫びた。


「長らくご挨拶にも伺えず、申し訳ございませんでした」


放っておかれた側は、たいてい驚いた顔をする。


それからほんの少しだけ、心を開く。


詫びから入るのは、悪くない手だった。

その上で、近ごろ入り用はないかと聞いて回る。


だが、拾えるのは金貨五枚から十五枚程度の小さな借入の話ばかり。


しかも、その細い一件すら、通常どおりには貸しにくい先が多い。


信用も薄く、担保も乏しい。


そこで使ったのが、王国保証貸付だった。


顧客が金利とは別に保証料を払う。

その代わり、貸し倒れたときは王国が八割を肩代わりする。


損は二割で済む。

だから、信用の細った先へも、これなら貸せた。


一件、また一件と、あたしは小口を積み上げていった。


誠実に詫び、丁寧に聞き、細い需要を掬い上げる。


手応えはあった。


だが、ここは王都の大型支部だった。

小口を積んだところで、目標には遥かに届かない。


材料会議のたび、それを思い知らされた。


「ソレイユ嬢。高確度の材料が、早くも目標を越えたな」


支部長が満足げに頁をめくる。


「引き継いだ先が、よく動いておる。この調子だ」


「恐れ入ります」


カトリーヌが、閉じた扇を胸元へ添えて頭を下げた。


「ダルジャン嬢」


支部長の目が、あたしの帳面へ移る。


「目標はソレイユ嬢の半分なのに、進捗が芳しくないな」


「……申し訳ございません」


「王国保証の小口ばかりだ。一件、また一件と、よく拾ってはおる」


支部長が頁を指で弾いた。


「だが、この積み方では届かんぞ」


返す言葉がなかった。


半分でよいと言われた数字。

目標の金貨七百五十枚に対して、現状は八十枚。

カトリーヌは、譲られた畑で、とうに達成が見えている。


同じ新任、同じ同期なのに、桁が違った。


悔しくないと言えば嘘になる。

それでも、あたしは腐らなかった。


夜、支部に残り、キャビネットの信用冊子を一冊ずつ繰り続けた。


必ず、どこかにある。

誰もが見落とした、埋もれた材料が。

枯れ井戸の底に、まだ汲まれていない水が。


-----


その一冊に手が止まったのは、退商の刻限が迫った頃だった。


奇妙な冊子だった。


過去の取引が、たった一件しか綴じられていない。


それも、商いへの融資ではない。

外国にある邸宅の、住まいのための定型融資だった。


実行額は金貨五十枚。

現在の残高は二十枚。


型の決まった小口の融資であれば、本来、稟議は要らない。

だが、担保が外国の邸宅であったために、この一件は個別の稟議が起こされていた。


借主は、アガート。

姓がない。平民のようだ。


なぜ平民の女が、外国に邸宅を。

あたしは、返済の記録が綴じられた取引帳を指でたどった。


融資から今日まで、途切れず返済が続いている。

平民が、どうやってこの金額を返し続けているのか。


あたしの指が、一行ずつ遡る。

そして、ある行で止まった。


その月だけ、返済の金を窓口へ運んだ者の名が違っていた。


――持参人、ヴァロワ家使用人。


心臓が跳ねた。

伯爵家の名だ。


姓なき平民の女、アガート。

外国の邸宅。

金貨五十枚。


その融資を黙って返し続ける、ヴァロワ伯爵家。


繋がった。


これは、囲われた女だ。

伯爵が人目を避け、海の向こうへ隠した相手。


その住まいのための融資を、伯爵家が使者を立てて、こっそり返している。


この糸を手繰っていけば。

その先には、伯爵家という途方もない畑が広がっているのではないか。


「これですわ!」


夜の支部に、あたしの声が高く響いた。


(第6話・了)

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