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数字が人格ですわ!―限界メガバンク行員、貴族令嬢に転生してもノルマから逃げられませんでした―  作者: 財務白関
第1章 地方営業編

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第5話 栄転とエール

南方アメリ出張所に配属されて、一年が過ぎた。


その間に、出張所は年間目標の三倍半を達成し、本部から表彰を受けた。

所長にとっても、出張所にとっても、初めての表彰だったらしい。


そして、もう一つ、分かったことがある。


南方アメリの商員は、皆、何かしらの事情持ちだった。


ある者は、貸付証文の日付を書き損じ、赤嶺銀商に損を出した。

ある者は、もう何年も、数字が振るわない。

ジェルヴェは、酒の席で喧嘩をやらかしていた。


そういう者ばかりが、この拠点に集められていた。


前世でも、あった。


本部が、扱いに困った人間を静かに置いておくための場所。

来た者は、そこで少しずつ枯れていく。


誰も期待していない拠点。

そこが今期、表彰を受けた。


――悪い気分ではなかった。


-----


それから、しばらくして。


朝、出商すると所長に呼ばれた。


「ダルジャン嬢。辞令だ」


所長が、一枚の羊皮紙を卓の上へ置いた。


モンフェリエ研修所への異動である。


「研修所……でございますか」


「ああ。登商して一年の新人は、皆、一度あそこへ行く。一か月、銀商の業を学び直し、あらためて配属先が決まる」


「承知いたしました」


あたしは、辞令を恭しく受け取った。


-----


送別の宴が開かれた。


一年前、あたしを迎えた、あの広間だった。


樽が運ばれ、杯が満たされ、商員たちが次々と餞の言葉をかけていく。


所長が杯を手に、おもむろに立ち上がった。

あの夜と、同じように。


「えー……我らのダルジャン嬢が、この出張所を去る。門出を祝して、乾杯!」


「乾杯!」


太い唱和が広間を揺らした。


宴もたけなわ、というころ。

所長が杯を手にあたしの席まで来て、隣へどっかりと腰を下ろした。


周りの喧騒が、少しだけ遠くなる。


「ダルジャン嬢」


所長の声が、いつもより低かった。


「わしは、正直……このままあと数年で出向になると思っておった」


出向とは、系列の商会へ異動することだ。

四十歳以降の出向で銀商へ戻ってくる者は、ほとんどいない。


「わしの銀商人生は、ここで静かに幕を閉じるのだと。もう勝負は終わった。そう諦めておった」


所長が、手の中の杯を握り込んだ。


「だが……最後にもう一度。もしかしたら、もう一度、勝負ができるかもしれん。そう思えた」


顔が、くしゃりと歪んだ。


「お主のおかげだ」


太い声が詰まる。


「ありがとう。……本当に、ありがとう」


所長は袖で乱暴に目元を拭った。


そして、顔を上げ、あたしをまっすぐに見た。


「だが、ダルジャン嬢」


「はい」


「もう、こんなところに……戻ってくるなよ」


突き放すような言葉だった。


けれど、それがいちばん深い餞だった。


戻ってくるな。

つまり、もっと上へ行け。

このような出張所に、二度と足を踏み入れなくて済む場所まで。


「……ありがとうございます、所長」


あたしは頭を下げた。


そして、頃合いを見て、あたしは立ち上がった。


「皆さま。最後に、わたくしから皆さまへエールを送らせていただきますわ」


広間が、しんとなった。


「エール……?」


ジェルヴェが首を傾げた。

エールという言葉も、その習わしも、この世界にはないらしい。


「わたくしが、まずお手本を。次からは皆さまも、どうかご唱和くださいませ」


商員たちが、きょとんとする。


あたしは構わず、大きく息を吸った。


「フレー! フレー! 南方アメリ!」


腹の底から声を張り上げる。

同時に、右腕を風車のように振り回した。


「フレ! フレ! 南方アメリ! フレ! フレ! 南方アメリ!」


商員たちが、ぎょっと目を見開いた。


「もう一度。今度は皆さまも、ご一緒に」


あたしは拳を天へ突き上げた。


「フレー! フレー! 南方アメリ!」


「フ、フレー……フレー……南方アメリ!」


商員たちが、おずおずと声を合わせてくる。


あたしは両腕を交互に大きく回した。

その勢いのまま、右足で床を踏み鳴らし、腕を横一文字に払う。


一人が杯を置いた。

つられてまた一人が、拳を突き上げる。


「さあ、声をいっぱいに!」


あたしは腹の底から、ありったけの声を絞り出した。


「フレ! フレ! 南方アメリ!」


「フレ! フレ! 南方アメリ!」


今度は広間が震えた。

一人残らず、商員たちが立ち上がっていた。


腕を回し、拳を振り上げ、声を合わせている。

意味も、由来も、知らぬまま。


事情持ちの者たち。

皆、目を潤ませて腕を回していた。


所長が、いちばん大きな声で叫んでいた。


そして、あたしは右腕を天へ突き上げ、左足を大きく踏み込む。


胸の前で両の拳を力強く打ち合わせた。

パンッ、と乾いた音が唱和の中に響いた。


エールは本来、去る者へ送るものだ。

それを今宵は、去る側のあたしが送っている。


エールなど、前世ではおかしな習わしだと思っていた。


けれど、この夜の唱和だけは、胸に残った。


-----


モンフェリエ研修所は、王都の外れにあった。

石造りの四角い建物で、飾りらしい飾りは何一つない。


新人が、各地から一堂に集められていた。

見知らぬ顔ばかりが並ぶ回廊に、一つだけ見覚えのある姿があった。


薔薇色のドレス。

隙のない立ち姿。


カトリーヌ・ド・ソレイユである。


登商試験で隣に座っていた、あの令嬢だった。


「お久しゅうございます、ソレイユ様」


あたしが声をかけると、カトリーヌは、つかつかと歩み寄ってきた。


裾が石床を擦る音がした。

一年前、音もなく立ち上がったあの令嬢の足音だとは、思えなかった。


そして、開口一番。


「遺言信託を、本部に作らせた張本人は――」


カトリーヌのこめかみが引きつっていた。


「あなたですわね、ダルジャン様!」


「あら」


あたしは、小首をかしげた。


「そうですが、それがどうなされました?」


「知らいでか、ですわ!」


カトリーヌの声が跳ね上がった。

普段の淀みのない笑顔は、どこにもなかった。

閉じた扇を、開くことも忘れて握り込んでいる。


「おかげでわたくしが、どれほど苦労させられたか……!」


聞けば、こういうことだった。


あたしが本部へ上げた遺言信託の骨組みを、実際の商品として組み上げる。

その役目が、ヴァロリア本部のカトリーヌに回っていたのだ。


「遺言のとおりに分ける、とひとことで申しましても。執行者がどこまで手をつけてよいのか。その一条を書くだけでも、教会法の写本を何十冊も読みました。読んでは考え、読んでは考え……」


「まあ」


「相続人が異議を申し立てたら、誰がどう裁くのか。前例など、どこにもございませんのよ」


カトリーヌが、指を三本立てた。


「本部の法務が、三人がかりで三か月ですわ。三か月!」


カトリーヌが恨めしそうに、あたしを睨んだ。


あたしは涼しい顔で頷いた。


「それは立派なお仕事でしたわね」


「……っ」


カトリーヌが言葉に詰まる。

そこでようやく、扇が開いた。


「お、覚えておいでなさいませねっ!」


-----


研修は、噂どおり缶詰だった。

朝から晩まで、みっちりと講義が詰め込まれる。


しかも、翌日には必ず試験があった。

ゆえに、講義が終わった後も書物と睨み合わねばならない。


同期たちは皆、青い顔をしていた。


「もう無理ですわ……」


隣の席で令嬢の一人が、机に突っ伏している。


確かに、身体はきつい。


けれど。


営業の日々に比べれば、なんとありがたい日々だろう。


努力が裏切られない。

理不尽な数字を約束させられない。


――ここは天国だ。


あたしは鼻歌でも歌いそうな気分で写本の頁をめくった。


-----


講師は日によって変わった。


外から呼ばれた法や算術の専門家のこともある。

だが、ときには赤嶺銀商の営業で優秀と認められた商員が教壇に立つこともあった。


その日の講師が、まさにそれだった。


レジス・ド・ラ・トゥール。


赤嶺銀商で五年続けて目標を達成をしたという男である。


「皆さん、こんにちは。ラ・トゥールと申します」


現れたのは、細身の、驚くほど穏やかな男だった。

終始笑みを絶やさず、声を張ることが一度もない。


「今日は、皆さんとゆっくりお話しできればと思います」


まるで茶飲み話でもするような口ぶりだった。


-----


講義の後、あたしはラ・トゥールのもとへ質問に行った。


「ラ・トゥール卿に、お尋ねしたきことがございます」


「はい、どうぞ」


ラ・トゥールが、にこやかにこちらを向く。


「営業の頂に立たれるため、赤嶺銀商という大きな組織の力を、どのように活用しておられますか」


赤嶺銀商の総力を、いかに一件へ注ぎ込むか。

あたしが登商試験で語った、あの信条を確かめたかった。


ラ・トゥールは少し首をかしげ、それから柔らかく微笑んだ。


「組織の力を使うのは……私はあまり得意ではありません」


「え?」


「ですが、銀商の外の方にも力を貸していただく。そのような発想はいかがでしょう」


「外の、方に……?」


「昨年、私のもとへ、ある領主様からご相談がありました。工場を建てたい。ついては、その費えを融資してほしいと」


「はい」


「そこで私は、建築を生業とする赤嶺銀商のお取引先を一軒、連れて参りました」


話がまとまれば、その普請を請けるのは、連れて行った取引先だ。

ただ働きではない。


「その取引先と共に領主様の館を訪ね、どのような工場をお望みか。条件や希望を、その場でつぶさに聞き取ったのです」


「……聞き取った後はどうなされたのですか?」


「すぐさま、その希望のとおりの工場の模型を作らせました。そして、その模型を抱えて、もう一度、領主様の館へ」


ラ・トゥールが、両手で何かを差し出す仕草をした。


「ご覧ください。これがあなたの工場です、と」


領主はその模型を見て、目を輝かせたという。

まだ一枚の証文も交わしていないのに、自分の望んだ工場がそこにある。


「競合の銀商は、利の数字しか示せませんでした。ですが、私は目に見える形をお持ちした」


ラ・トゥールが、にこやかに締めくくった。


「あとは早うございました。金貨千枚の融資が獲れたのです」


――その発想は、なかった。


銀商の中だけでなく、その外の取引先までも味方につけ、束ねる。

取引先には仕事が入り、こちらは融資が決まる。


目から鱗が落ちる音がした。


-----


研修最終日。

配属の辞令を受け取った。


羊皮紙を開く。


そこに記された地の名を見て、あたしはしばし、動きを止めた。


ル・ノームル支部。


赤嶺銀商でも指折りの大型支部だった。


期待されぬ出張所から、王都の大型支部へ。

所長の言葉が耳の奥で蘇る。


――もう、こんなところに……戻ってくるなよ。


あたしは辞令を、そっと胸に抱いた。


窓の外の王都の空が、遠くまで澄み渡っている。

新しい戦場が、そこに待っていた。


(第5話・了)

(第1章・了)

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