第4話 攻防の営業
歓迎会の翌朝。
出張所の広間は、昨夜の熱気そのままに、活気づいていた。
あれだけ飲んで騒いだというのに、商員たちは疲れを知らぬのか、皆、元気に出商している。
――一部、酒臭い者はいるが。
「昨夜は、まことにありがとうございました」
歓迎される側が、翌朝、全員へ礼を述べて回る。
宴の準備も、宴の席も、翌日も。
目配り、気配り、心配り。
前世では、当たり前の作法だった。
あたしは出商すると、真っ先に所長室へ向かって、丁重に頭を下げた。
「わたくしの一件を、いつもおまとめくださり感謝しております。それから、昨夜の余興で、所長のモノマネなど。ご無礼をお許しくださいませ」
所長が首を傾け、そこへ手を添えた。
「ダルジャン嬢さぁ……まあよいか。ご苦労だったね」
「恐れ入ります」
所長の次は、下座へ向かって、一人ずつ。
「昨夜は、ありがとうございました」
「おかげさまで、よい門出になりました」
商員たちは、はじめ戸惑っていた。
歓迎した側が、なぜ礼を言われるのか、わからぬという顔だった。
だが、丁寧に頭を下げられて、悪い気のする者はいない。
やがて皆、顔をほころばせて、あたしを労ってくれた。
「やあ、昨日の剣士様」
一人の男性商員が、にやにやと笑って呼び止めた。
「見事な剣舞だったなあ。特に、最後の締めが」
見えたぞ、とからかう気だ。
あたしは、涼しい顔で振り返った。
「あら。よいものをお目にかけられて何よりですわ」
男性商員の顔が、かっと赤くなった。
「い、いや、そういうつもりでは」
「またご覧に入れましょうか?」
「けっこうです!」
男性商員が、両手を振って慌てた。
そして最後に、あたしは最も年の近い先輩商員へ挨拶した。
昨夜、麦酒の樽を担いで走ってくれた、ジェルヴェだ。
歓迎会の費えを、ジェルヴェが立て替えてくれていた。
「ジェルヴェ卿。昨夜は、お立て替えいただき、ありがとうございました。これを」
あたしは、一枚の羊皮紙を差し出した。
「昨夜の費えの傾斜表を作りました」
ジェルヴェが羊皮紙を受け取り、首をかしげた。
「傾斜表……?」
「はい。どなたが、いくらお納めになるか。一覧にしたものにございます」
ジェルヴェの顔が、いっそう怪訝になった。
「わたしが立て替えた分は、新人以外の全員で同じ額を負担するのではないのか?」
――やば。
悪しき慣習を、持ち込んでしまったかもしれない。
飲み会の精算は、頭割りではない。
役職が上の者ほど、多く負担する。
新人は、いくらか少なく。
それが公平だと、前世で教え込まれてきた。
だが、この世界では違ったか。
いや。
引くわけには、いかない。
「ジェルヴェ卿。皆さま、実入りが違うのですから」
あたしは口元に笑みを作った。
「それ相応にご負担いただくのが、公平ではございませんか?」
ジェルヴェは、しばらく傾斜表を見つめていた。
「……確かに。言われてみれば、そうかもしれん」
ジェルヴェが、ぽつりと呟いた。
「そうであれば、いちばん実入りの多い所長が全部払ってくださればよいのにな」
「ホントそれ」
あたしの口から、うっかり素が漏れた。
「本当に、そうでございますわね。おほほ」
危ない。
令嬢の皮が剥がれるところだった。
ジェルヴェは傾斜表を卓に置き、あたしを見た。
「ダルジャン嬢。一つ、教えて欲しい」
「はい」
「お主のように、領主の館へ通っても、なかなか領主に会ってもらえん。どうすれば、会ってもらえるのだ」
あたしは少し考えた。
「それでしたら、お手紙を書いてみるのはいかがでしょう」
ジェルヴェが眉をひそめた。
「手紙? 手紙など、親しい相手に送るものだろう。初対面の領主に送るなど、失礼ではないか」
「ジェルヴェ卿。物語で、騎士様が好敵手へ決闘を申し込む手紙を送るのを、お読みになったことは?」
「……昔、読んだことがある」
「その果たし状と、同じだとお思いになればよいのですわ」
ジェルヴェの動きが止まった。
「果たし状……?」
「はい。取引の提案をしに行くのは、決闘を申し込みに行くのと同じにございます」
ジェルヴェの笑みが消えていた。
引いている。
明らかに、引いている。
「もちろん、お手紙はご自分では書かず、使用人に書かせること。それから」
あたしは、間を置いた。
「百通お送りしてから順にお訪ねになって、門が開くのは十軒あればよいほう。お取引まで至るのは、その中の一軒ですわ」
ジェルヴェの顔が引きつった。
「ひゃ……百通」
「はい。数を打てば当たる、ですわ」
ジェルヴェはそれ以上、何も言わなかった。
ただ、あたしから半歩、後ずさっただけだった。
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自分の席へ戻ろうとしたときだった。
「ダルジャン嬢」
所長があたしを呼んだ。
血の気の引いた顔だった。
「少し、来てくれ」
あたしは、所長の後について、奥の間へ入った。
扉が閉まると、広間の喧騒が急に遠くなった。
「面倒なことになった」
所長が声を落とした。
「返済の督促状を受け取った領主が来ておる。金を借りた覚えがない、と言い張っておってな」
あたしは少し考えた。
「どちらのご領主様でしょうか」
「ラフォン準男爵だ。小口の先だ。お主が一人で取ってきた貸付だろう」
覚えている。
先月、飛び込みで獲った小さな貸付だ。
金額が小さいからと、所長の同席を願わなかった、ただ一件でもある。
「証文を結ぶ際、わしは同席しておらん」
所長が、指で卓の縁を叩いた。
「もし、あの者の文句が通れば……お主は査問行きだぞ」
なるほど。
――手続きに不備があっても上司は守ってくれない。
前世でも見た構図だ。
組織とは、そういうものだ。
だが、負ける気はしない。
「所長。ご案じには及びません。ご同席くださいますか?」
「それはよいが……大丈夫なのか?」
あたしは答えなかった。
ただ、二枚の羊皮紙を手に取って、応接室へ向かった。
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応接室では、ラフォン準男爵が、いらだたしげに脚を組んでいた。
赤ら顔の恰幅のよい男だ。
あたしが入ると、じろりと睨んできた。
「わしは、借りておらぬ」
開口一番、準男爵が言った。
「借りておらぬ金を、返せと督促状が来た。どういうことか」
あたしは、一礼して席に着いた。
「こちらが、貸付証文の控えにございます」
証文を卓の上へ滑らせる。
「このご署名と印章、ラフォン準男爵閣下のものでは?」
準男爵は、ちらと証文を見た。
「似せて書いたのだろう。わしの筆跡を、誰かが真似たのだ。印章もどうとでもなる」
予想どおりの答えだった。
「少々、お待ちくださいませ」
あたしは、もう一枚の羊皮紙を、卓の上でゆっくりと広げた。
「こちらは、取引の面談記録にございます」
準男爵の眉が動いた。
「なんだ、それは」
あたしは、書かれている内容を読み上げていった。
「まず、証文にご署名をいただいた日時。その日の天気。そして場所」
指で記載をなぞる。
「閣下の館の応接室でございました」
準男爵の脚が、ほどけた。
「次に、お部屋の間取り。それから、壁に飾られていた鹿の首の剥製」
「なっ……」
「閣下は狩りがお好きだそうで」
あたしは、羊皮紙から目を上げた。
「前の月に、タリオン男爵閣下と山へお入りになった折は、兎が二羽しか獲れず散々だったと。そう、嘆いておいででしたね」
準男爵の顔から、赤みが引いていった。
まさか、茶飲み話まで羊皮紙に残っているとは思わなかっただろう。
そして、もう一つ。
「ご署名の折。お側に、閣下の従僕の方が控えておいででした」
あたしは、その名を告げた。
「ベルトラン様。お茶を運んでくださった、あの方にございます」
準男爵の肩が跳ねた。
「この面談記録にも、そのお名前を書き留めてございます。ベルトラン様をお呼びくださいませ」
あたしは、声を落とした。
「あの日、あの応接室で。閣下が、この証文にご署名なさったかどうか。ベルトラン様に確かめていただければよろしいかと」
準男爵は、答えられなかった。
ベルトランは、準男爵の従僕だ。
もし「その者は偽りを申している」と言い出せば、自分の従僕を偽証者に仕立てることになる。
「……ぐっ!」
準男爵が呻いた。
そこへ、横から所長が口を開いた。
「ラフォン準男爵閣下。これだけ具体的な記録と証人が揃っております。どうか、お引き取りを」
準男爵は、しばらく証文と面談記録を睨んでいた。
やがて椅子を蹴るように立ち上がると、一言も発せぬまま応接室を出ていった。
重い扉が閉まる。
所長が、へなへなと椅子に沈み込んだ。
「……助かった」
面談記録は、後の紛争で自分と組織を守る盾になる。
だが、この出張所で取引の場をここまで記録している者は、誰もいない。
前世でも、言った言わないの事故を起こした者を幾度も見聞きしてきた。
数字は作るものでもあるが、自分で守るものでもある。
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その日の午後だった。
別の領主が出張所を訪れた。
「南州信商で、借り換えをすることにした」
年二分の触れ込みに、釣られた口だろう。
借り換えとは、赤嶺銀商からの借入を、南州信商に肩代わりしてもらうことだ。
赤嶺銀商が貸した金貨は、今日そっくり戻ってくる。
取引がなくなる。
これから先の利息は入らない。
一見すれば、痛手だった。
「さようでございますか。大変、残念ではございますが」
にこやかに、むしろ手際よく。
あたしは借り換えの手続きを、さっさと済ませてしまった。
領主が拍子抜けした顔で帰っていく。
その背中を見送った後、所長が驚いた顔であたしを見た。
「あの領主は、お主が赤字先と判定していた先だな。これ以上は貸すな、早く返させよ、という区分だ」
所長が、首を傾けた。
「借り換えられても数字は引かれんが……念のため、信用冊子を見せてくれ」
信用冊子とは、その家の帳簿や信用の判定、過去の取引、稟議などを綴じたものである。
そして、首へ手が伸びた。
「待て。商いは黒字ではないか。どういうことだ。判定が誤っていたのではないか?」
あたしは静かに首を振った。
「いいえ。この判定で合っておりますわ」
「なぜだ」
「あの領主は、ご自分の土地を娘の嫁ぎ先へお貸しになっています」
あたしは、自分の帳面を開いた。
「その娘婿が、地代を払いながら、料理屋や宝飾店を次々に開いておいでです。それが、ことごとく赤字にございます」
所長が眉を寄せた。
「それは娘婿の話だろう。領主の帳簿とは、別ではないか」
そう。
この世界の者は皆、別々に見る。
領主一人を取り出せば、確かに黒字だ。
だが。
「あの領主と、娘婿。切り離して見るべきではございません。一つの体としてご覧くださいませ」
「一つの、体……?」
「はい。あの領主は可愛い娘の嫁ぎ先へ、これから先もご援助をおやめにならないでしょう。つまり」
「……嫁ぎ先からの地代が止まるばかりか、援助の出血も止まらぬか」
「はい。合算すれば、あの家の実態は赤字先にございます」
所長が息を呑んだ。
「放っておけば、赤嶺銀商への返済もいずれ滞ります。それを、南州信商が引き取ってくださるのなら」
あたしは、微笑んだ。
「貸した金貨は今日そっくり戻り、損の芽は先方へ渡せる。大助かりにございます」
前世でいう、実質同一体だ。
貸す相手は、家名ではなく、金の流れで括る。
所長は信用冊子を持ったまま、声を出さなかった。
その手だけが、わずかに震えていた。
南州信商は今ごろ、赤嶺銀商から顧客を奪ったと祝杯でも上げているだろう。
その手にあるのが、火の回った荷だとも知らずに。
あたしも、心の中で杯を掲げた。
――南州信商さん。よいお仕事をなさってくださいましたわ。
(第4話・了)




