第3話 対焦土作戦
エレーヌの引き合わせで、あたしは貴婦人会の夫人たちを片端から落としていった。
帳簿を開けば、赤字の正体は、たいてい同じ場所に眠っている。
ある家は、領地の経費に紛れた囲い女の住処。
ある家は、領地の仕入れに紛れた賭博の付け。
ある家は、昔の醜聞を握られての口止め料。
家ごとに恥部は違う。
だが、どれも金の話に落とし込めば、合理で解決できる。
領地の勘定から切り離し、安く借り換え、証文を取り付ける。
赤字が一つ消えるたび、領主は南州信商から赤嶺銀商へ乗り換えていった。
一軒、また一軒。
一人の夫人が心を開けば、次の家を紹介してくれる。
その家を落とせば、また次を紹介される。
貴婦人会にいた夫人たちは、いつの間にか、あたしの紹介営業リストに変わっていた。
エレーヌの言ったとおりだった。
流行は、あっという間に広がった。
そして、帳簿から男たちの醜聞を掘り当てるたび、あたしは思う。
――ホントに男って、しょーもな。
家の尻拭いをするのは、決まって夫人たちだった。
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長年この地を握っていた南州信商から、領主が次々と剥がれていく。
この事態を、向こうが黙って見ているはずもなかった。
朝礼で、所長が硬い声で告げた。
「南州信商が、金利を下げた。地域の全領主へ、貸付金利を年二分にすると触れ回っている」
広間が、静まり返った。
年二分。
赤嶺銀商の借り換え条件、年五分の半分以下だった。
「これでは引き抜いたばかりの領主も、南州信商へ出戻りかねん」
一番の根抵当権を押さえていても、借入をそっくり返されてしまえば、抵当は外れる。
利を捨ててでも、赤嶺銀商の進出を止める。
まさに焦土作戦だった。
「これだから、信商は……」
思わず、声に出していた。
前世でも見た手だ。
体力のない会社ほど、追い詰められると値下げに走る。
目先の一件を守るために、明日の利益を燃やす。
放っておけば、いずれ南州信商が先に倒れるだろう。
だが、向こうが倒れるのを待つ間に、こちらの領主が出戻ってしまう。
かといって、こちらも二分へ追随するのは、それこそ不毛な戦いだ。
同じ金利で戦えば、安い方が勝つ。
ならば、南州信商が立てない土俵へ勝負を移すしかない。
あたしは、その場所を探しに、また館回りへ戻った。
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「相続のことを考えると悔しくて、夜も眠れませんの」
ある未亡人の、何気ないこぼし話。
それが、答えだった。
エランソワでは、家督も領地も、長兄がすべて継ぐのが習わしだ。
誰が継ぐかは生まれた順で決まっているから、揉めようもない。
だが、この地は違った。
南方アメリには、海の向こうから伝わったミート法という古い法が根付いている。
家長が、自らの財産を誰にどう遺すかを、遺言で定められる法だ。
長兄に集める者もいれば、兄弟へ細かく分ける者もいる。
すべては遺言次第だった。
だからこの地の貴族は、生前に必ず遺言をしたためる。
そして、その一枚の羊皮紙が、災いのもとになる。
書きようで取り分が変わる以上、解釈も、真贋そのものも、争いの火種になるからだ。
「夫の兄が、亡き義父の遺言を書き換えたのです」
未亡人が、声を落とした。
「本物の遺言では、この屋敷は次男である夫のもののはずでした。ですが、死んだ夫はもう何も言えません」
死んだ者は、自分の遺言が守られたかを確かめられない。
遺言はあっても、それを誰が守らせるのかが、どこにも定まっていない。
だから領主が死ぬたび、兄弟が領地と船と証文をめぐって争い、家が傾く。
この地に古くからある、誰も解決できない問題だった。
ならば、生きているうちに、誰かへ本物の遺言を預けておけばよい。
そして死んだ後、その者に遺言を守らせればよい。
これだ、と思った。
あたしはその晩のうちに、仕組みの骨組みを絵図へ起こした。
制度も、証文の書式も、まだどこにもない。
先に欲しがらせて、本部に死ぬほど働いてもらって作ってもらおう。
翌日、あたしは夫人たちの前で、一枚の絵図を広げた。
「皆様に、新しいお仕組みをご提案いたします」
夫人たちが、身を乗り出した。
「領主様がご存命のうちに、遺言の帳面を赤嶺銀商へお預けいただきます。正本は当出張所、写しは管轄支部の書庫へ。二つを別々に残しておけば、すり替えは通りません」
「赤嶺銀商が……間に立つ、ということ?」
「はい。誰の味方でもない、遺言執行者として」
あたしは、絵図の上を指でなぞった。
「領主様が身罷られた後は、赤嶺銀商が遺言の帳面どおりに財産をお分けいたします。執行者が立てば、ご兄弟は勝手に財産へ手をつけられません」
夫人たちが、顔を見合わせた。
「領主様にとっては死後の家督争いを防ぎ、跡取りへ確かに家を残せます」
一人ひとりの顔を見る。
「奥方様にとっては、御家をご希望のご子息へ残せます。その願いを、赤嶺銀商の信用が裏打ちいたします」
先ほどの未亡人が、震える声で言った。
「……それがあれば。それがあれば、あの子が屋敷を取られることは、なかったのですね」
「はい。もう、二度と起こさせません」
絵図の上に、一つの言葉を書き添える。
「生前に遺言を預かり、死後にその内容を守る。このお仕組みを遺言信託と申します」
夫人たちが、静まり返った。
自分が死んだ後、家が兄弟に食い荒らされる。
それは金利の高い安いより、ずっと深い恐れだった。
夫人たちは、我先にと遺言信託を求めた。
二分の金利は、一時のもの。
だが遺言信託は、世代をまたいで領主家を赤嶺銀商へ縛りつける。
南州信商が金利で足止めしようとした、まさにその矢先に。
勝負の土俵は、別の場所へ移っていた。
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出張所へ戻ると、あたしは遺言信託が生む収益を一枚にまとめ、所長の前へ置いた。
今の金利は、南州信商に負けている。
だが、遺言信託を結んだ家は、違う。
やがて領主が身罷れば、赤嶺銀商に執行の取扱料が入る。
家督を継いだ息子とも、そのまま遺言信託の証文を結ぶことになる。
その家の相続が起こるたび、また取扱料が入る。
所長は、羊皮紙から目を上げなかった。
指が、その端を握り込んでいる。
「……金利の値下げで戦うのではなく」
「はい」
「そもそも、戦う場所を変えてしまったのか」
「金利で殴り合えば、こちらも焼け野原です。ですから、燃やせない場へ、皆さまをお連れしました」
だが、所長の顔はまだ晴れなかった。
「しかし、南州信商が、この遺言信託とやらを真似してきたらどうする」
もっともな懸念だった。
「真似はできても、根づきません」
あたしは答えた。
「遺言信託は、預けた財産が何十年も後に約束どおり分けられる、という信用の上に立ちます。孫の代まで潰れぬと信じられる相手でなければ、誰も家を預けません」
「規模がそのまま信用になる、ということか」
「はい。この地でそれを支えられるのは、赤嶺銀商だけです」
あたしは続けた。
「そしてもう一つ。相続の揉め事は、家ごとにまるで違います。息子が三人いる家。妾腹の子がいる家。借財ごと継がせる家。同じ争いは、二つとございません」
所長が、眉を寄せた。
「その一件ごとに向き合い、どう裁けば角が立たぬか。どう証文を書けば後々の争いを防げるか。一つずつ経験として貯め、いつしか『こういう家には、この裁き方』という型に磨き上げます」
所長は、頷きながら聞いている。
「遺言信託の値打ちは、そうして積み上げた一件一件の蓄えにございます。わたくしは、その型を作る考え方を存じております」
「ダルジャン嬢、お主何者だ……?」
値下げは、宣言したその日から真似できる。
だが、幾多の相続を裁いて初めて身につく蓄えは、時をかけねば手に入らない。
とはいえ、あたしが知るのは仕組みの骨組みだけだ。
証文の書式、財産目録の作り方、執行の手順。
細かな制度設計は、本部の法務や証文担当に委ねるしかない。
だが、これだけの数字が見込めるのだ。
稟議さえ通れば、本部が形にしてくれるだろう。
こうして、南州信商の焦土作戦は、火のつけどころを失った。
南方アメリの商いは、赤嶺銀商へ移り始めた。
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一か月後。
出張所で、あたしの新人歓迎会が開かれることになった。
歓迎される側であるはずのあたしが、会の段取りを仕切っている。
まあ、それでよい。
前世でも、新人歓迎会の準備は、その主役である新人が取り仕切るものだったから。
会場の手配から、料理の見繕い、上座下座の割り振りまで。
歓迎されるための宴で、いかに気の利く働きを見せるか。
それもまた、銀行員の生き方なのだ。
「その麦酒、少々お待ちくださいませ」
あたしは、卓へ麦酒の小樽を並べている商員を呼び止めた。
自分より年上のジェルヴェが、きょとんとした顔で振り返る。
「そちらは、ユウヒ麦酒ですね。恐れ入りますが、下げていただけますか?」
「な、なぜです」
「ユウヒ麦酒の醸造元は、緑翼銀商のお取引先です。競合の品を、赤嶺銀商の卓に出すわけには参りませんので」
ジェルヴェが、はっとした。
「お手数ですが、マリン麦酒へ替えていただけますか。あちらは、うちのお取引先ですわ」
「……なるほど、承知しました」
「それと、卓に置くときは、貼り札を外側へ向けていただけますと。お取引先への敬意にございます」
ジェルヴェが樽を担いで走っていった。
前世でも、そうだった。
飲み会の麦酒は、取引先の銘柄が絶対。
別の銘柄を出そうものなら、手配した若手が上司に叱り飛ばされる。
やがて、卓が整い、皆が席についた。
所長が、マリン麦酒の杯を手に、おもむろに立ち上がった。
「えー、我らが出張所に、頼もしい新参が加わった。……まあ、正直、わしの手には負えんが」
どっと、笑いが起きる。
「ともあれ、ダルジャン嬢の門出を祝して。乾杯!」
「乾杯!」
太い唱和が、出張所の広間を揺らした。
それからは、賑やかなものだった。
樽が次々と運ばれ、酌み交わす声が飛び交う。
大口をまとめた武勇伝を語る者。
南州信商を出し抜いた話に沸く者。
顔を赤くした所長が、あたしの席まで来て、何度も肩を叩いていく。
宴もたけなわ、という頃合いだった。
あたしは、すっと立ち上がった。
「皆さま。本日は、このような席を設けていただき、まことにありがとうございます。せめてもの御礼に、僭越ながら一つ、芸を披露させていただきとうございます」
酔いのまわった商員たちから、ほう、と声が上がった。
このような社内イベントの重さを理解できない銀行員は出世しない。
特に一年目の新人においては、宴会芸を成功させる以上の重要な仕事はないと言っても過言ではない。
「まずは、わたくしの一件をまとめていただいた、所長のモノマネをいたします」
「モノマネ……とは?」
商員たちが、聞き慣れぬ言葉に、顔を見合わせた。
あたしは、首を傾け、そこへ手を添えた。
所長が困りごとに直面すると決まってする、あの仕草だ。
「――ダルジャン嬢さぁ、稟議遅いよ」
どっと、笑いが起きた。
当の所長は、「え? 普段のわしって、あんな風なの?」と赤い顔で笑っている。
「次は、皆さまお馴染みのヴァルダー登商監役」
あたしは、腹に力を込めて、少しおどけるように太い声を作った。
登商試験の石室で、震え上がったあの怒声を。
「――全然足りねえじゃん!」
爆笑が、はじけた。
商員の一人が、麦酒を吹き出している。
「こら、不敬だぞ、ダルジャン嬢!」
そう叫ぶ所長も、腹を抱えて笑っていた。
あたしは構わず、もう一度声を張った。
「――全然足りねえじゃん! なあ!」
登商監役の恐ろしさを知る商員たちが、今度こそ卓を叩いて笑い転げた。
そして、最後の芸だ。
あたしは、こっそり腰に佩いていた木剣を、すらりと抜いた。
ドレスの裾を、片手で軽く払う。
「剣舞を一振りいたします」
ざわ、と場が静まった。
ドレス姿の令嬢が木剣を構える。
その一瞬で、空気が変わった。
大胆に、鋭く。
それでいて寸分の隙のない体捌き。
木剣が空を裂くたび、燭台の炎が揺れる。
商員たちは杯を持つ手を止め、目を奪われていた。
元空手部のあたしが、二週間、みっちり練習した剣舞だ。
なかなかのものでしょう、と心の中で笑う。
ここで、最後に決める。
あたしは、締めの型に入った。
木剣を右斜め上から切り下げる。
右足で中段を蹴り上げ、そのまま膝をたたみ、右の上段廻し蹴り。
そこから体をひねって、左の後ろ廻し蹴りを決めて、終わる。
しん、と静まり返った。
商員たちが、ぽかんと口を開けている。
会心の出来だった。
どうよ、この四連撃。
見事に決まったでしょう、と得意になった。
次の瞬間だった。
「きゃーっ!」
女性商員が、悲鳴を上げた。
「見えたぞっ!」
男性商員が、叫んだ。
……何が。
あたしが不思議がっていると、女性商員が慌てて駆け寄ってきた。
「ドロワーズが見えましたわよ!」
「……見えたら、駄目ですの?」
あたしは、きょとんとした。
「下着ですよ、下着!」
え? ドロワーズって下着だったの?
しまったー! 長ズボンみたいだから道着と同じくらいの感覚だったー!
蹴り上げるたびに、ドレスの裾から下着が見えていたのだ。
顔が、かっと熱くなった。
そして、追い打ちをかけるように。
「うぉおおおお! ダルジャン嬢ぉおおお!」
酔いのまわりきった所長が、卓を叩いて暴れ出した。
「見えたぞ」と、まだ騒いでいる男性商員たち。
なだめようとして、余計に騒ぐ周りの商員たち。
あたしは、その光景を冷めた目で見渡した。
焦土作戦にどう対応しようかと必死に頭をひねっていたのが、馬鹿馬鹿しくなる。
あたしは心の中で、また同じ台詞をつぶやいた。
――ホントに男って、しょーもな。
歓迎会の喧騒が、夜の出張所にいつまでも響いていた。
(第3話・了)




