第2話 恥部を探せ
営業の第一歩は、商品知識でも、提案書作成でもない。
まず、受付を突破することだ。
「先日はありがとうございました」
「芋煮会の件で、閣下にお目通りを」
「内々のお話と伺っております」
館と門番に応じて、言葉を変える。
会ったこともない領主を、さも知己の友人であるかのように呼ぶ。
門番も取次の者も、すでに取引のある相手や、自分では判断できない相手を、無下にはできない。
ただ、どうにか応接室まで入り込んでも、現れた領主からは当然のように言われる。
「そなたとは初対面だが?」
「はい。本日からお知り合いにございます」
追い出される前に、あたしは頭を下げる。
「貴重なお時間をくださいませ。ここだけの有用なお話がございます」
有用な話など、まだない。
だが、一度応接室へ入ってしまえば、こちらのものだ。
席に着けば、天候から狩猟、作物、馬まで何でも聞き、相手が何を自慢し、何に困り、誰を嫌っているのかを拾う。
大半の館では、結局何もできずに追い出された。
それでも門を出るたび、断られた理由や家族関係、借入先、領主の趣味を帳面に残した。
それを、二か月続けた。
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南方アメリでは、最大手の赤嶺銀商より、地元の銀商「南州信商」の方が強い。
南州信商は規模も小さく、系列もない。
大きな取引も、複雑な取引もできない代わりに、領主への融資から生活物資、作物の買い取りまで、地域の細かな商いを握っていた。
ある日、出張所へ戻ると、所長に話しかけられた。
「ダルジャン嬢さぁ、南州信商と取引している領主家は獲れないぞ。これまで何度も試したんだから」
あたしは、飛び込みで回った館々で拾った疑問をぶつけた。
どこで聞いても、南州信商の金利は高いのだ。
「所長。南州信商より条件のよいお話をお持ちすれば、乗り換えてくださる家もあるのでは?」
所長は、傾けた首へ手を添えた。
「それは皆が試したよ。金利より、ここには貴婦人会があるからな」
「貴婦人会?」
「南州信商が休日に開いている会だ。会員になれるのは、一定額以上の取引がある領主家の奥方だけでな」
茶会、観劇、慈善活動。
そこまでは、よくある社交の場だった。
「問題は、その先だ。縁談も、家の評判も、使用人の紹介も、出入りの商人も、あそこで話が回る。南州信商から取引を切れば会から外れる」
所長が、椅子の背へもたれた。
「娘の縁談まで響くとなれば、多少金利が高くても、奥方は南州信商から離れたがらん」
なるほど。
南州信商が押さえているのは、金利より重いものだった。
南方アメリでは、財布を握っているのは領主でも、その財布を開かせるかを決めるのは夫人たちらしい。
それでも、あたしは飛び込みをやめない。
売れないのは、まだ相手の恥部を見つけていないからだ。
十数軒目の館で、あたしはボスト男爵夫人のエレーヌと出会った。
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ボスト男爵家の応接室は、潮の匂いがした。
海に面した窓の下に港があり、係留された船の帆柱が、屋根の向こうへ突き出している。
エレーヌは、その窓を背にして座っていた。
髪には白いものが混じっているが、背筋は針を通したように伸びている。
貴婦人会に三十年在籍する古参の一人であり、若い夫人たちの縁談相談まで引き受けている女主人だった。
そのエレーヌは、王家への税に強い不満を抱いていた。
「どれほど領地で稼いでも、王家に取り上げられて赤字になるのです」
その言葉に、あたしは引っかかった。
税は、領地に残った利益の一部を納めるものだ。
税の支払いで黒字が赤字になるはずはない。
前世でも、「税金で全部持っていかれる」と嘆く社長の帳簿には、たいてい別の穴があった。
「失礼ながら、奥方様。税を納めて赤字になるのであれば、税とは別に、利益を蝕んでいるものがあるのではございませんか?」
エレーヌは、帳簿を見せることを拒んだ。
当然だった。
そこで、あたしは提案をやめた。
三日通って、愚痴を聞いた。
王家への不満。
南州信商の高い金利。
出来の悪い跡取り息子。
そして、働きもせず漁へ出かける夫の話。
聞き出した領地の収穫量と税率から税額を概算すると、やはり税だけでは赤字にならない。
四日目、その数字を見たエレーヌがため息をついた。
「そこまで言うなら、ご覧なさい」
応接室の卓に、帳簿の束が積まれた。
「見たところで、どうにもなりませんよ。ぜんぶ王家のせいですもの」
そう言いながら、その指は、跡取り息子の名が記された頁を撫でていた。
帳簿を見てすぐに分かった。
赤字の原因は、王家への税ではない。
男爵が趣味で購入した大型の漁船だった。
購入資金は、南州信商から年一割で借りていた。
船員の給金、修繕の費え、港の使用料、漁具、宴会の費えまで、すべて領地が負担している。
ボスト男爵は年に数えるほどしか船へ乗らないのに、船と船員を一年中抱えていた。
しかも、獲った魚は自家消費と贈答に使われ、ほとんど売上になっていない。
あたしは帳簿を閉じた。
「奥方様。赤字の原因は王家ではございません」
「では、何だと申しますの?」
「閣下の、お船にございます」
窓の外で、帆柱がゆっくりと揺れていた。
エレーヌは、視線を落とした。
「……あの船が憎らしいとは思っておりました。けれど、まさか、あれだけで」
「乗っても乗らなくても、船は毎日、御家の金貨を食べています。使わぬ日にも減らぬ費えこそが、領地を蝕んでおります」
「続きをお聞かせなさい。この赤字を、どうすればよいのです」
エレーヌが欲しいのは、領地の資金繰りの改善と、息子へ残せる家だ。
ボスト男爵が欲しいのは、船そのものではなく、好きなときに漁へ出られる暮らしだろう。
――ならば、二つとも叶えればよい。
「奥方様。まず、あの船を手放していただきます」
エレーヌの表情が、固まった。
「夫が、承知するはずがありません」
「承知していただける形にいたします」
あたしは、船を手放しても男爵が漁を続けられる方法を説明した。
エレーヌは赤字が消えていく道筋を、帳簿を目で追いながら聞いていた。
「……よくできておりますこと。それで、わたくしには何をせよと」
「御家の全財産を、赤嶺銀商への担保に入れていただきます」
エレーヌの指が、帳簿の上で止まった。
「もし御家が借金を返せず、財産を売ることになった場合、その代金から赤嶺銀商が真っ先に返済を受けます。またこの先、新たにお借りになる金貨も同じ担保で押さえさせていただきます」
「……つまり?」
「一番の根抵当権の設定でございます」
館も領地も一番で押さえられていると知れば、二番で貸す銀商はいない。
枠は、館と領地の値いっぱいで書くつもりだった。
エレーヌは、少し考えた。
「それだけですの?」
「もう一つ。今後、赤嶺銀商からお借りになる際には、すべて奥方様にもご連署をいただきます」
「わたくしにも?」
「はい。奥方様にも、閣下と同じ重さで借金を背負っていただきます」
エレーヌの眉が、わずかに動いた。
あたしは続けた。
「代わりに、閣下お一人では新たな借金を増やせなくなります。赤嶺銀商から借りるには奥方様のご連署が要る。他銀商から借りようにも、御家の財産はすでに赤嶺銀商が一番に押さえておりますから、担保として使いにくくなります」
エレーヌの視線が、窓の外の帆柱へ動いた。
嘘は言っていない。
赤嶺銀商にとっては、取り立て先が二人に増える。
やがてエレーヌは、意味を呑み込んだように口を開いた。
「……つまり、わたくしも借金を背負う代わりに、夫にも勝手な借金をさせない、と」
「そのとおりにございます。今後は、奥方様にも御家の金庫の鍵をお持ちいただきます」
エレーヌが、小さく笑った。
「なるほど。鍵を持つとは、責任まで引き受けることなのですね」
だが、その笑みはすぐに曇った。
「……ただそれは、南州信商から取引を引き上げるということになりますわね」
「はい」
「南州信商からの借入がなくなれば、わたくしは貴婦人会にいられなくなります。あの会は、ただの茶飲み会ではないのです」
エレーヌは、長い間、黙っていた。
窓の下から、荷揚げの掛け声が細く上がってくる。
「三十年、あの会で頭を下げてまいりました。それでも、あそこがわたくしの世界だったのです」
その手が、また息子の名の頁へ伸びた。
「けれど、家が残らなければ、縁もへったくれもありませんわね」
顔を上げたエレーヌの目から、迷いが消えていた。
「わたくしの居場所と、息子の家。どちらか一つなら、家を選びます」
「……よろしいのですか」
「三十年の付き合いより、息子に残す家の方が重い。母親とは、そういうものです」
エレーヌは、開いたままの帳簿を両手で閉じた。
「あなたの案に乗ります。ですが、あの人を説き伏せられるかはわかりませんよ」
「明日、閣下にもご同席いただけますか。順を追って、ご説明いたします」
覚悟を決めた母親ほど、強い味方はいない。
あとは、男爵を落とすだけだ。
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翌日、あたしはエレーヌとともに、ボスト男爵の前へ立った。
「まず、第一のご提案です」
あたしは、机の上へ船の査定書を置いた。
「赤嶺銀商へ、この価格でお船をお売りください」
「半値で売れだと? わしを馬鹿にしているのか!」
「船齢と、次の修繕にかかる費えを差し引いた、今の査定額にございます」
「馬鹿馬鹿しい! 誰が売るか!」
「お持ちになっているだけで、船員の給金も、修繕の費えも、港の使用料も、毎日流れ出ております」
あたしは、領地の帳簿を開いた。
「閣下がお乗りにならない日も、この額です。船を手放せば、まずこの費えが消えます」
男爵の視線が、帳簿の数字へ落ちた。
「……だが、船を売ったところで、借金は残ろうが」
「そこで、第二のご提案です」
あたしは、証文を差し出した。
「船の売却代金は、銅貨一枚残らず南州信商への返済に充てます。その上で残る借入を、赤嶺銀商が引き取ります」
「金利は」
「今の年一割から、半分の五分へ」
男爵が黙った。
「ただし、条件がございます」
「条件だと?」
「閣下の財産すべてに、一番の根抵当権を。それと今後の借入には、すべて奥方様のご連署を頂戴いたします」
男爵の顔が、一気に赤くなった。
「抵当に妻の保証だと? 妻の承知がなければ、わしは自分の金も動かせんのか!」
口を開いたのはエレーヌだった。
「あなた。この家を潰す気ですか」
男爵が、ぐっと言葉に詰まる。
「船の金も、借金も、これまで黙ってまいりました。ですが、息子へ家を残すためです。これからは、わたくしにも金庫の鍵を持たせていただきます」
長年、王家に取られると信じ込んでいた妻が、初めて夫を追い詰めた。
「だが、船がなくなれば、わしは漁へ出られん!」
「そこで、第三のご提案です」
あたしは、もう一通の証文を机へ置いた。
「赤嶺銀商が買い取った船を、閣下へお貸し戻しいたします」
「……貸し戻す?」
「漁の時季には漁に、閑漁期には沿岸の輸送に使います。運航は、赤嶺系列の中嶺船会が引き受けます」
「どういうことだ」
「閣下が漁へお出になりたい日は、中嶺船会の運航がない日に限り、年に十二日まで、船員ごとお貸しいたします」
「これまでどおり、乗れるのか」
「その日の料金をお支払いいただければ、船員も漁具も、これまでどおりにございます」
「だが、わしの船ではなくなる」
「閣下が欲しいのは、船でしょうか」
あたしは、男爵の目を見た。
「それとも、漁へ出る一日でしょうか」
男爵は、答えられなかった。
「船名と船首の紋章は、御家のまま残します。船尾には赤嶺銀商の所有印を掲げますが、閣下の体面を損なうことはございません」
「……船員はどうなる」
「望む者は、これまでと同じ条件で系列の中嶺船会が雇い続けます」
男爵は、長く唸った。
エレーヌが、卓上の査定書へ指を置いた。
「船には乗れる。借金は軽くなる。これ以上、何がご不満ですの?」
男爵は、エレーヌとあたしを交互に見た。
やがて、吐き捨てるように言った。
「……好きにしろ」
商談が、動いた。
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あたしは出張所へ戻り、稟議書を書いた。
融資と船の買い取りについて承認を求める書面に、赤嶺銀商が得るものを一つずつ書き出していく。
貸船料。年五分の利息。
閑漁期の輸送運賃。海産物の販売益。
そして、ボスト家の全財産への一番根抵当。
担保の値は、肩代わりする借入を三割上回る。
この家が潰れても、赤嶺銀商は損をしない。
一人の夫人の愚痴から、いくつもの商いが一本につながった。
所長が、書き終わった稟議書を覗き込んだ。
それから、震える声で言った。
「この一件が一年で生む儲けだけで、この出張所の昨年半年分に届くぞ」
所長が、あたしを見た。
「これを、飛び込みで作ったのか」
「はい。早速、稟議を上げさせていただきたく。それと、証文を結ぶ際には、ぜひ所長にご出馬を。夫人がまだ迷っておいでですので、最後の一押しをお願いしたく存じます」
数字は自分のものでも、「所長のおかげでまとまった」という形にしておく。
これが銀行員の正しい生き方だ。
「……わかった。それより、どうやって館へ入り込んだのだ」
「芋煮会の件で、と」
「芋煮会など、この地方にはないが」
「ですから、誰も詳細を存じませんでした」
所長は口を開きかけ、そのまま閉じた。
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「シャルロット様」
後日、所長に随行して、ボスト男爵から証文への署名と印章をもらった。
その帰り際、エレーヌに呼び止められた。
門の外で、所長と下男が馬車の支度をしている。
「取引を赤嶺銀商へ移せば、わたくしは会員の資格を失います。次の会が、わたくしの最後の貴婦人会になりますわ」
「奥方様。その覚悟、無駄にはいたしません」
あたしは、頭を下げた。
「シャルロット様。わたくしが参加できる最後の貴婦人会へ、わたくしの客人としていらっしゃいませんこと?」
「最後の会に競合の銀商員を連れて行くなど、よろしいのですか?」
「わたくしになさったように、貴婦人会の皆様の帳簿をご覧いただけないかしら」
エレーヌが、声をひそめた。
「どの家にも、人には言えぬ話が必ず眠っております。それを一つずつ解いて差し上げれば、皆、こぞって赤嶺銀商へ移るのではなくて?」
一人だけが移れば、裏切り者になる。
だが、皆で移れば、それは新しい流行になる。
エレーヌが、悪戯っぽく笑った。
「食わせ者のシャルロット様なら、乗ってくださいますわよね。面白いものが見られそうですわ」
こうして、あたしは南州信商の本丸への鍵を手に入れた。
人に言えない不合理な赤字には、合理で解決できる策がある。
大きな商いがしたいなら、まず相手の恥部を探せばよい。
あたしの南方アメリでの快進撃が、ここから始まった。
(第2話・了)




