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第十章 嗤う面の房 五節

挿絵(By みてみん)


五節


 満月は、柱の白い肩から、昇った。


 前庭は、万の人で、埋まっていた。桟敷という桟敷に、灯が入り、白い砂の狩る場を、幾重もの、人垣が、囲む。第一の門は、篝火(かがりび)を、浴びて、そびえ、その正面、一段高い、帝の御座は、白い(とばり)を、四方に、垂らしたまま、静まり返っていた。…だが、(から)では、ない。人波の中のジャベには、視えていた。帳の内の白いものが、昨日とは、違う。**灯っている**。熱ではない。熱の眼が、熱ならぬものを、視るのは、初めてのことだった。


 触れ役の声が、宴の始まりを、告げた。


 …月、満ちて、門は、応え、天意、まさに、明らかなり。今宵、英傑がたの、御業を、都をあげて、拝すべし。…


 白い房から、垣の上の白い橋を、渡って、銀の列が、降りてきた。


 一体、また一体。触れ役が、巻物を、広げ、その、一体ごとの、異名を、朗々と、読み上げてゆく。曰く、**千の暁を、翼もて統べる者**。孔雀の羽が、青白く、燃え、桟敷が、どよめく。曰く、**宵闇の連峰を統べ、百の谷に哭かれし、常しえの独り笑む王**。嗤いの面が、光を、洩らし、万の民が、額ずく。…長い、と、キサーラは、人垣の底で、思った。あの狼なら、そう言って、跳びかかっている頃だ。


 狩人は、七体、いた。


 銀の列が、狩る場に、揃い、触れ役が、次第(しだい)を、読もうとした…**獲物の曳き出しを**。


 その、息継ぎの、一拍に。


 キサーラは、頭布を、落とした。


 人垣が、内側から、静かに、割れた。悲鳴は、なかった。声そのものが、失われたのだ。万の灯と、満月の光を、いちどきに、浴びて、黄金の衣が、燃え立った。金の髪が、こぼれ、そのひと房に、赤い、細い組み紐が、一筋。彼女は、割れた人垣の狭間を、まっすぐに、歩いた。白い砂の狩る場の只中へ。独りで。隠れもせず、急ぎもせず。


 都は、水を、打ったようになった。誰かが、掠れ声で、言った。御使いだ…門の応えの。天の…。ざわめきが、波となる寸前、それを、断ったのは、狩る場の銀の側から、上がった声だった。


「…**来たな、金の目**」


 嗤いの面が、両腕を、広げていた。心の底からの、歓迎だった。


「呼び物が」と、キサーラは、静かに、応じた。万の耳に、届く、澄んだ声で。「遅れては、興も、冷めましょう。…お待たせ、いたしました」


 銀の七体が、揺れた。笑ったのだ、息もなしに。孔雀が、触れ役へ、羽の一枚を、ひらりと、振った。餌など、後だ、後だ…次第は、その一振りで、書き換えられた。曳き出しの、太鼓は、打たれぬまま、代わりに、狩りの、大太鼓へ、(ばち)が、上がってゆく。


 …同じ刻、地の底では。


 螺旋の終わりの、白い戸の前に、四人と、一つの灯が、いた。ロウの耳が、遥かな、地の上の宴のどよめきを、石越しに、追っていた。曳き出しの太鼓は、三連で、打たれる、と、ナイラが、触れの型を、諳んじていた。狩り初めの、大太鼓は、一つ、重く。…どよめきが、一度、消えた。消えて、それから、地鳴りのような、歓声が、来た。


「…三連じゃねえ」と、ロウが、囁いた。「歓声が、先に来た。**嬢ちゃんが、出た**んだ。…次に来る太鼓は、一つだ。それが、合図だぜ、親方」


 ガルドの太い指が、糸ほどの継ぎ目に、掛かった。


 …地の上では。


 狩人らが、散開していた。急がなかった。狩る場の白い砂の上を、七体の銀が、ゆるやかな、環を、描いて、黄金の一点を、囲んでゆく。それは、狩りというより、舞の型のようだった。万の目のための、見栄えの、型。キサーラは、環の中心で、動かず、ただ、伏せた睫毛の下から、すべてを、観ていた。七体の足の運び。得物の提げ方。互いの、間合いの、譲り合い…譲り合っているのだ。誰が、最初のひと駆けを、貰うか。札の賭けの、通りに。


 (…命の掛かっていない足)


 と、彼女は、思った。


 (一度も、死を、量ったことのない、足。…観察を、始めます)


 額の琥珀の疼きが、その時、不意に、深くなった。


 狩人らから、では、ない。もっと、重く、静かな、視線だった。帝の御座。白い帳の内側から。灯った、白いものが…**こちらを、量っている**。狩人らの、遊技の目とは、まるで、違う。値踏みでも、歓びでも、ない。ただ、秤に、載せる目。都の水の一滴一滴を、量ってきた、あの、倦まぬ声と、同じ、揺るがなさで、彼女という存在の目方を、量ろうとする…。


 キサーラは、その視線を、額に、受けたまま、逸らさなかった。


 (…あなたも、観ておいでなのですね)


 大太鼓の桴が、振り上げられた。


 …地の底では、白い戸が、音もなく、開いた。


 涸れた枡の闇へ、青い灯が、真っ先に、滑り込んだ。淡い、青の光の中に、白い床に、身を寄せ合う、七つの、痩せた影が、浮かんだ。数え唄が、途切れた。いちばん、手前の小さな影が…唄い手だった。まだ、童の齢の少年だった…割れた唇で、光を、視上げて、掠れ声で、言った。


「…雫…?」


「…迎えに、来たよ」


 ナイラが、闇へ、踏み込んだ。「名を、呼ぶ。返事は、いい。手だけ、挙げな。…ピム。マレ。旧橋のとっつぁん。…」低い声が、七つの名を、数えてゆく。七つの手が、順に、力なく、挙がった。七つ。欠けず、七つ。ドレクとロウが、立てぬ者を、背に、負った。帳が、広げられ、夜の色が、七つの、震える息を、包んでゆく。


 …地の上で。


 大太鼓が…**一つ、重く、打たれた**。


 万の歓声が、夜を、揺らし、七体の銀の環が、動き始め、黄金の観察者は、白い砂を、蹴った。


 同じ、一つの、太鼓の残響の中で。地の底の白い戸を、最初の一人が、負われて、くぐった。


 盤は、二つ。…音は、一つだった。


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