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第十章 嗤う面の房 三節

挿絵(By みてみん)


三節


 軍議は、使われぬ水場の灯を落とした闇で、開かれた。


 ガルドが、炭の欠片で、乾いた石の床に、線を、引いていった。柱の裾。七重の垣。昇りの脈と、それに寄り添う、検めの道の螺旋。道の天井の格子。そして…格子より、なお、上。


「降りながら、検め直してきた」と、杜瓦夫(ドワーフ)は、言った。「検めの道はな、格子の先で、終わっちゃいねえ。脈に、付いて、なお、上る。上り切った所に、水を、溜める、大きな(ます)…旧い、水溜めの房が、あった筈なんだ。普請の理から言って、な。…で、思い出せ。狼の耳が、唄を、拾ったのは、**道の床の奥**からだ」


 炭の先が、螺旋の終わりの辺りを、囲った。


「唄ってたのは、旧い水溜めの、中だ。今は、涸れて、ただの、白い穴倉よ。…嗤う面の房ってのは、その、涸れた枡の真上に、建ってやがるのさ。獲物を、放り込んでおくには、おあつらえ向きだ。壁は、白くて、継ぎ目がなく、並の得物じゃ、傷一つ、付かねえ」


「並の得物ならな」と、ドレクが、ニヤリとした。


「そういうことだ。…検めの道と、枡とは、背中合わせ。検めの戸が、一枚、あった。糸ほどの継ぎ目も、検分済みよ。**開く**。…静かに、開けられるかどうかは、また、別の話だがな」


 キサーラが、皆の顔を、順に、視た。それから、盤面の棚卸しを、始めた。静かな、揺れない声で。


「あの方々が、識っていることは、一つです。金の目が、七人を、取り立てに来る。…識らぬことは、五つ。検めの道。青い灯。ナイラさんの、無い頁。雫の民。そして…**こちらが、罠と識って、踏むこと**。…盤の目の数は、向こうが上。けれど、伏せた駒の数は、こちらが上です」


「で、いつ、踏む」と、ロウ。


「…宴の最中に」


 これには、皆が、僅かに、息を、詰めた。キサーラは、続けた。


「前の晩に、攫えば、宴の獲物が、消えたと、知れます。狩りは、宴を待たず、都じゅうに、放たれる。雫の民も、根の戸も、危うい。…ですが、宴が、始まってしまえば…房は、**空になる**のです。狩人がたは、皆、盤を、観に、降りる。餌の七人が、曳き出される、その、僅か手前。房が空で、枡に、まだ、七人がいる、その狭間だけが、戸を、開けられる刻」


「狭間、ってのは、どれくらいだ」と、ドレクが、問うた。


「判りません」と、キサーラは、正直に、言った。「ですから…**狭間を、こちらで、(こしら)えます**。曳き手が、枡へ、降りて来られぬように。宴の目という目が、枡から、いちばん、遠い所へ、釘付けになるように」


「…どうやって」


「宴には、呼び物が、要ります。あの方々が、幾晩も、札を、賭けて、待ち焦がれている呼び物が」


 彼女は、おのれの胸に、手を、当てた。


「…**私が、参ります。前庭へ。いちばん、目立つ姿で**」


 水場の闇が、ざわ、と、揺れた。真っ先に、口を開いたのは、ミラだった。駄目だ、と言いかけた、その言葉を、しかし、彼女は、呑んだ。呑んで、唇を、噛んだ。…駄目だと言って、済む算段なら、この人は、初めから、口にしない。それを、識ってしまうくらいには、長く、隣を、歩いてきたのだった。


「囮、ってわけだ」と、ガルドが、唸った。「…狩人ども、全部を、一人で、引き受ける気か」


「引き受けは、しません。**引き付ける**だけです。あの方々の望みは、私を、裁くことでも、灰にすることでも、ない。…観ることです。値打ちの立つ、狩りを。…観たいものが、目の前に、立っている間、誰も、餌の様子など、検めには、行きません」


 役の割り振りが、決まっていった。


 枡へは、ガルド、ロウ、ドレク、ナイラ、そして、青い灯。戸を、開け、七人を、負い、螺旋を、降り、渠を、抜け、根の戸の内へ。ナイラの、まことの祈りが、白い瞼を、開け、閉てる。追手が、来ても、あの戸だけは、越えられない。…鱗は、四枚。ガルドが、おのれの分を、外して、ナイラの掌に、置いた。打った奴が着てちゃ、直す奴がいなくならあ、と、ぶっきら棒に、言って。帳は、七人を、包んで、運ぶ、夜の衣に。ミラとセレナとジャベは、前庭の人波の中…キサーラの逃げ水の道筋を、繋ぐ、目と、耳と、熱の眼に。


 算段の粗方が、据わった、その時だった。


「…一つ、言わせてもらうぜ」


 ドレクだった。壁に、凭れたまま、腕を、組んでいた。


「七人、攫って、根の戸の内へ。上出来だ。文句はねえ。…けどよ。それで、**終わりか**? あの房は、残るんだぜ。嗤う面も、札も、卓も、そっくりな。都の連中は、明日からも、英傑さまを、拝み続ける。消えた奴らは、消えたことにも、ならねえまんまだ。…西の門じゃ、俺たちは、確かめた真実を、突きつけに行ったろう。ここじゃ、攫って、逃げて、それで、仕舞いか」


 闇が、静まった。ナイラの拳が、鳴った。彼女も、同じ思いを、噛んでいるのは、明らかだった。


「…真実はね、渡り手さん」と、しかし、元・量り手は、低く、言った。「買い手が、いなけりゃ、売れないんだ。それは、あんたらが、西で、学んできたことだろう。この都の連中は、今、奇瑞に、酔ってる。…酔ってる客に、苦い水は、売れないよ」


「売れる晩が、あるとすれば」と、キサーラが、静かに、引き取った。「**宴の晩だけ、です**。都をあげて、拝すべし…あの方々は、おのれの狩りを、万の目の前に、晒すのです。おのれから。…拾える真実が、その盤に、転がるなら、拾いましょう。ですが、順番だけは、違えません。**七つの命が、先。真実は、その後**。…命を、値切ってまで、買う真実を、私は、識りません」


 ドレクは、暫く、キサーラを、視ていた。それから、ふっ、と、笑って、壁から、背を、離した。文句はねえ、と、もう一度、言った。今度は、腹の底から、だった。


 散会の間際…ナイラが、思い出したように、言った。


「そうだ。触れが、変わったよ。今日の昼の触れだ。宴には…**帝が、親しく、臨まれる**そうだ」


 ジャベの閉じた瞼が、ゆっくりと、彼女のほうへ、向いた。


「…帝が、じゃと?」


「ああ。都の年寄りどもが、腰を抜かしてた。帝はね、**出て来ないんだ**。誰も、姿を、視たことがない。壇の上の読み手の声が、帝のすべてさ。…それが、宴に、臨まれる。物心ついてから、初めての触れだ、と」


 水場の闇の温度が、一段、下がった気がした。門が、応え、根の戸が、報され…そして、動かぬはずの、いちばん奥の駒が、動く。キサーラの胸の内で、あの、壇の声が、甦っていた。倦まぬ声。揺れぬ声。疲れを識らぬ、大元の…。


 (…観に、来られるのですね)


 と、彼女は、思った。


 (誰が、誰を、観るのか。…宴の晩に、量りましょう)


 盤の上に、いちばん、重い駒が、載った。

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