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第十章 嗤う面の房 一節

挿絵(By みてみん)


一節


 地の上の都は、沸いていた。


 三日ぶりに、(みぞ)の口から、朝の街へ、戻った一行が、最初に、識ったのは、そのことだった。あの、量られた静けさの都が、ざわめいている。通りに、人が、溢れ、その流れが、皆、一つの方角…柱の裾へと、向かっていた。


「…門が、応えられたのだ」


 と、人々は、口々に、言い交わしていた。夜半、第一の門が、内から、光った。幾星霜、誰も、視たことのない光が、七つの印を、順に、巡った。司祭がたの、祈りが、ついに、届いたのだ。神威の萌しだ。吉兆だ。…巡礼が、四方の道から、雪崩を打って、都へ、注ぎ込んでいた。宿は、溢れ、量り手たちは、増え続ける人の頭数に、追われ、(あらた)めの手は、明らかに、緩んでいた。


「…あたしらが、やったんだねえ、これ」と、ミラが、頭布の陰で、小さく、言った。


「奇っ怪なものよな」と、ジャベが、含み笑った。「逃げる者を、隠すのに、これほどの人混みはない。…追われる者が、おのれの起こした奇瑞(きずい)の、人波に、匿われるとは」


 地の底で、起きたことを、識る者は、地の上には、いない。門の光は、月へ、報された、はずだった。あの、孔雀の言葉のとおりに。だが、都の側は、それを、天からの、しるしと、読み違えている。二つの読みの、狭間の僅かな、揺らぎの刻…動くなら、今を、措いて、なかった。


 隠れ処は、ナイラが、心得ていた。


 柱の裾にほど近い、巡礼宿の裏の使われぬ水場。元・量り手は、根の里の留守を、皿の番の年嵩の女に預け、おのれは、地の上へ、ついて来た。談合の折、彼女は、一言だけ言った。あたしの、七人だ、と。それで…済んだ。


 その、水場の陰で、帳面の談合が、開かれた。


「探しものは、白い房だ」と、ドレクが、指を、折った。「都の上の高い所。嗤う面が、たくさん、掛かってる。…分かってるのは、それだけだ。柱の裾の宮だの、殿だのは、掃いて捨てるほど、あるぜ。虱潰しにゃ、月が、満ちちまう」


「…虱潰しは、要らないよ」


 ナイラが、静かに言った。皆の目が、集まった。


「あんたたち、この都で、いちばん、正直者は、誰だと思う。…**帳面さ**。この都じゃ、水の一滴も、帳面の外を、流れない。人が、住めば、水を、飲む。水を、飲めば、量りが、立つ。量りが、立てば、帳面に、載る。…つまりね」


 彼女の指が、とん、と、膝を、突いた。


「**帳面に、載らない房が、あったら、そこには、水を飲まない何かが、住んでる**、ってことだ」


 水場の陰が、しん、と、なった。ロウの、あの言葉が、皆の胸に、甦っていた。血の匂いが、しねえ。…飲まず、食わず、汗もかかず、それでいて、歩き、狩る者ら。量りの都は、その、完璧な帳面ゆえに…**帳面の穴の形で、彼らを、写し取っている**のだ。ジャベが、低く、唸った。熱の眼が、冷たい穴を、視るのと、同じ理よ、と。


「心当たりが、あるんだね」と、セレナが、問うた。


「…二十年の、うちにね。一度だけ」ナイラの声が、僅かに、低くなった。「柱の裾の七重の垣の、いちばん内側と、帝の宮とが、背中合わせになる辺り…**第七の垣の上**に、水帳の検めを、禁じられた一角が、あった。若い時分、突き合わせの数が、合わなくて、上役に、訊いたのさ。ここの帳面は、どこかと。…上役は、青い顔で、言ったよ。**その頁は、無い。無い頁を、探すな**、ってね」


 無い頁。量られぬ房。この、隅々まで量られた都で、量りの外に、在ることを、許された場所…それこそが、何よりも、雄弁な、在り処の白状だった。


「第七の垣の上…」と、ガルドが、髭を、握った。「巡礼が、許されるのは、第一の門の前庭までだ。垣を、六つ、越えることになるぜ」


「垣は、蓋だよ」と、ナイラ。「水の道に、垣は、ない…って、教えたろう。上へ、汲まれた水にも、道は、ある。けど、そいつは、追い追いだ。まずは、この目で、高みを、検めな」


 高みを、望む場所は、奇瑞の人波が、(こしら)えてくれた。


 柱の裾の前庭は、詰めかけた巡礼で、埋まり、その熱気に、押し上げられるように、一行は、外囲いの、石段の高みへ、紛れ、登ることが、できた。そこから…七重の垣は、白い、段々の山と、なって、見渡せた。垣、また垣。内へ、入るほどに、高く。その、いちばん内、第七の垣の上、帝の宮の金色の(いらか)と、背中を、合わせる辺りに。


 …**それは、あった**。


 白い、細長い、房。垣の上に、羽を、休める、白い鳥のような、軽やかな普請。窓は、広く、明るく、風に、開かれ…その、開かれた高欄に、沿って、点々と、白い、小さなものが、並んで、掛かっているのが、視えた。遠目には、飾りの、連なりに、見えた。


 キサーラの額の琥珀が…**疼いた**。


 鈍く、深く。西の門の、あの、坂の上の館で、疼いたのと、寸分、同じ深さで。伏せかけた目を、彼女は、あえて、上げ、視た。高欄の白い連なり。あれは、飾りでは、ない。**面だ**。嗤いの形に、造られた面が、幾十、風に、吊られて、白い房の、へりを、飾っている。


 寒気が、来た。


 見覚えが、あった。ありすぎた。西の門の坂の上。血の匂いのせぬ、賓客ら。琥珀の同じ疼き。あの時は、正体の判らぬ、寒さだった。今は…形が、視える。西の館の高みにあったものと、この、白い房とは、**同じもの**なのだ。同じ普請の心。同じ、風通しの良さ。同じ、地上を見下ろす、窓の高さ。西と、南と。恐らくは、北にも、東にも。世界の高い所という高い所に、同じ房が、掛かっている。一つの、大きな、目に見えぬ普請の四方の止まり木として。


 (…巣では、ない)


 と、彼女は、思った。指の先が、冷えていた。


 (**遊技の卓なのです**。この世界、丸ごとを、盤にした)


 その、思案を、破ったのは、前庭の太鼓だった。


 石の壇に、白衣の触れ役が、登り、奇瑞に、沸く人波へ、布告を、読み上げた。


 …門の応えたるは、天の、(よみ)したもう、しるしなり。これを、寿ぎ、月の満ちる夜。英傑がたの、**大いなる狩りの宴**、催さるる。帝の恵みにより、都をあげて、これを、拝すべし。…


 人波が、どっ、と、沸いた。歓びの声だった。英傑がたの、御業を、拝せる。生きて、視られる。…その、歓声の底で、一行だけが、動かずにいた。狩りの、宴。月の満ちる夜。


 ガルドの低い声が、キサーラの耳に、届いた。


「…月が満ちりゃあ、鱗も、帳も、刃も、灰だ。…そして、月が満ちる夜にゃ、**狩りの宴の獲物が、要る**」


 七人。…嗤う面の房の白い高欄が、傾き始めた陽を、受けて、静かに、光っていた。


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