第七章 西の門 二節
二節
表通りを離れると、ドレクは、迷う足どりひとつ見せず、裏へ、裏へと一行を導いた。
幌の影、荷の隙間、人ひとり通るのがやっとの路地。渡り手の常で、彼はこういう場所の歩き方を、骨で識っている。表で売られる豊かさが、どこの闇から運び出されてくるのか…その道筋を、彼の足は、覚えていた。
「表の賑わいは、芝居だ」歩きながら、ドレクは低く言った。「物も、報せも、まずは裏で仕立てられる。客の前に出るのは、仕立て上がった後だけさ」
路地の奥に、間口の広い、薄暗い場所があった。四方から来た報せが、ここへ集まるらしかった。東から、西の門の向こうから、運ばれてきた生の報せが、長机の上で、選り分けられている。
キサーラは、その手際を、観た。
報せを扱う者らは、嘘を書いてはいなかった。…そこが、肝であった。彼らは、起こった事を、起こった通りに記す。ただ、人を不安にさせる一片を、そっと抜く。誰のおかげで事が収まったか、その名を、書き換える。怖れの行き先を、月から、よそへ、そっと逸らす。それだけのことを、淡々と、手慣れた指で、繰り返していた。
「…仕立て、と、あいつらは呼ぶ」ドレクが、苦い顔で囁いた。「真実を、ひと針ずつ、月様の都合のいい形に、縫い直すのさ。糸目は、見えやしねえ」
ふと、ガルドが、足を止めた。
長机のひとつで、ひとりの仕立て手が、東からの報せを、声に出して検めていた。… 東の火の山が、荒れた。地が裂け、火が噴いた。されど、と男は続ける。月の御手が天より下り、たちまちに鎮められた、と。そう書き直し、満足げに頷いた。
ガルドの拳が、震えていた。
あの火を鎮めたのは、月ではない。狂うた鍛冶の祖を正気に戻したのは、彼自身の鎚と、キサーラのほどく力であった。あの夜の汗も、ヴァイノとの和解も、縛められた精靈の解き放たれた歓びも…何もかも、ひと針で縫い消され、見も知らぬ月の手柄へと、仕立て直されていた。
「…俺たちが、いた」掠れた声で、ガルドは言った。「俺たちが、あすこに、いたんだ。なのに」
「だから、効かねえんだ」ドレクが、彼の肩に手を置いた。「俺たちが真実を叫んだって、ここの連中は、それを生地としか見ねえ。仕立て直せば、また売り物になる、ってだけのことさ」
そのときであった。
路地の隅、捨てられた荷の陰で、ひとりの男が、身を縮めて、こちらを視ていた。落ち窪んだ眼。垢じみた身なり。されど、ドレクの足が、その男の前で、凍りついた。
「…タゴ」
男…鼠のタゴと呼ばれた、かつての渡り手は、ドレクの顔を認めると、嗤いとも泣きともつかぬ、歪んだ表情を浮かべた。
「銅縁の。…まだ、生きてたか。物好きな連れを、ぞろぞろ引き連れて」しわがれた声が、震えていた。「やめときな。お前の面に、書いてある。お前ら、月様のことを、嗅ぎ回ってるな」
「タゴ、お前…どうした、その様は」
タゴは、莞おうとして、しくじった。
「俺もな、昔、一つ、いい報せを掴んだのさ。本物の生地のままの真実をな。…月様は、治せる病を、治さねえ。薬を握ったまま、寄越さねえ。それを、確かめた。売れる、と思った。…売ろうと、したんだ」
ドレクの顔から、血の気が引いた。… 妹を蝕む、あの病。月の封じた術。それは、ドレク自身が、命を懸けて旅する、その理由そのものであった。
「どうなったと思う」タゴは、自分の腕を、撫でた。そこに、消えぬ印が、焼かれていた。「門を弱らせる者、と裁かれた。商いを取り上げられ、名を、市じゅうの戒めにされた。『タゴのようになるな』ってな。… 誰も、隣に立たなかった。たった一人で真実を抱えた者は、こうなるのさ」
彼は、震える指で、ドレクを指した。
「だから、やめときな。真実なんざ、抱えた者を焼くだけだ。…ひとりで、抱えるかぎりはな」
言い捨てて、タゴは、荷の影へ、鼠のように消えた。後には、彼の言葉の最後のひと刺しだけが残った。**ひとりで、抱えるかぎりは。**
ミラが、その消えた影を、じっと看ていた。何も言わず。ただ、その瞳に、火が一点、灯ったのを、キサーラは見逃さなかった。
そして…路地の入口に、人影が差した。
市の闇には、似つかわしからぬ、塵ひとつない衣の男。物腰やわらかに、深々と腰を折ると、男は、誰に問われるでもなく、一行の名を、ひとりずつ、正しく呼んだ。
「お待ち申しておりました。遠路、乾いた海を渡られたお客人がた」哂うように、男は言った。礼の形は完きに、目だけが、笑っていなかった。「我が主が、ぜひ一度、お顔を拝見したいと。…さあ、どうぞ。柱の館へ」




